アットウィキロゴ

耶麻郡小荒井組第六天村

陸奥国 耶麻郡 小荒井組 第六天(たいろくてん)
大日本地誌大系第32巻 104コマ目

府城の北に当り行程3里22町。
家数26軒、東西3町7間余・南北2町2間、四方田圃(たんぼ)なり。

東3町20間塩川組塩川村の界に至る。その村は辰巳(南東)に当り15町40間余。
西1町8間沖村の界に至る。その村まで5町余。
南1町33間塩川組上遠田村の界に至る。その村まで5町20間余。
北3町30間渋井村の界に至る。その村まで15町20間余。
また
戌亥(北西)の方2町14間柴城村の界に至る。その村まで14町30間余。
申(西南西)の方3町6間貝沼村の界に至る。その村まで9町余。
丑(北北東)の方2町57間小田付組新井田谷地村の界に至る。その村まで10町30間。

昔辰巳(南東)の方1町計に三江口(みつえくち)という端村あし。今はなし。

水利

遠田堰

柴城村の方より来り田地の養水とし塩川組上遠田村の方に注ぐ。

神社

第六天神社

祭神 面足尊(おもだるのみこと)
勧請 不明
村中にあり。
祭神面足尊、神體(しんたい)長1尺3寸、古像なり。
この地は義家朝臣慶徳組新宮村熊野宮草創の時第一の鳥居を建立ありし地なりとぞ。その頃の勧請にや詳ならず。また村を第六天と名けしもこの社ありに因にや。
鳥居拝殿あり。村民の持なり。

寺院

松前寺

村北にあり。
開基詳ならず。この村の鎮守第六天神なるゆえ山號を魔王山という。
慶長元年(1596年)宥海という僧中興せり。この寺もとは松善寺と称して真言宗なり。元禄4年(1691年)会津郡南青木組北青木村恵倫寺の末山曹洞宗となる。
本尊釈迦客殿に安ず。

魔王堂

境内にあり。

墳墓

塚2

一は村の辰(東南東)の方40間余にあり。瀧海壇という。
一は村の1町余申酉(西南西~西の間)の方にあり。傾城塚という。
共にその謂れを知らず。



第六天

蓬生原村東にあり。
新宮社より東へ工程50余町あり。
新宮全盛の時一の大門とす。今第六天村という。
又塩川の北原野林新宮三の鳥居、鎧召村の東は二の鳥居という説もあり。
或説に、第六天は行基の建りと云々。
※地理院地図にて第六天から新宮熊野神社まで大雑把な線を引いてみた

余談

  • 第六天神
    • 第六天神は神仏習合の神・他化自在天(たけじざいてん)の事。
    • 他の地の第六天神社は明治の神仏分離の際に祭神を神世七代の第六代・面足尊(おもだるのみこと)綾惶根尊(あやかしこねのみこと)の兄妹神に変更されたのに対し、ここ村の神社は元々面足命を奉っていた。
  • 魔王山松前寺
    • 福島県耶麻郡誌』の寺院の項には「魔王山 松前寺 本尊:釈迦牟尼佛」の記載がある
    • 塩川町史』の年表には「1650年(慶安3年)第六天の魔王山松前寺が再興された(曹洞宗)」の記載もあり
    • 会津年表』には「後水尾2256慶長元丙申年(1596年)僧侶宥海、耶麻郡第六天村魔王山松前寺を中興す」とあり
最終更新:2025年08月23日 17:51
添付ファイル