府城の北に当り行程3里3町余。
家数50軒、東西1町36間・南北3町3間。
四方田畠なり。
東1町17間
上田村の界に至る。その村まで4町50間余。
西4町15間
五目組中村の界に至る。その村は亥(北北西)に当り23町40間余。
南6町20間
小田付村の界に至る。その村まで6町20間余。
北3町36間
下岩崎村の界に至る。その村は亥(北北西)に当り8町40間余。
また
丑(北北東)の方4町20間
上岩崎村の界に至る。その村まで12町20間。
山川
田付川
村北2町20間余にあり。
上岩崎村の方より来り、南に流るること12町20間余
小田付村の界に入る。
清水
村の寅(東北東)の方1町にあり。
東西6間・南北4間。
土産
藺席
この村及び上田村にてこれを織り、専ら生計とするものあり。その余隣村よりも多く鬻ぎ出す。総て北方おもてという。
神社
鹿島神社
祭神 |
鹿島神? |
相殿 |
伊勢宮 |
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稲荷神 |
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天神 |
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鬼渡神 |
勧請 |
? |
村東にあり。
何れの頃にか常陸国鹿島郡より勸請すという。
鳥居幣殿拝殿あり。熊倉村山口美濃これを司る。
寺院
地蔵堂
村中にあり。
建立の時代知らず。
村民の持なり。
古蹟
館跡
村中にあり。
東西42間・南北36間。
天正の頃(1573年~1593年)まで葦名小太郎盛保というもの住すという。土居隍の形存し、内城という字あり。
旧家
荘太郎
この村の肝煎なり。葦名小太郎盛保が裔なりとて世々肝煎役を勤め、今に盛保が館迹に住すといえど履歴の詳なることを知らず。
最終更新:2020年07月22日 06:35