登録日:2026/03/15(日) 17:37:52
更新日:2026/08/10 Mon 00:58:20
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アメリカ合衆国およびカナダに所在するチームで構成された、世界最高峰の野球リーグである
メジャーリーグベースボール(MLB)。
かつては縁遠い存在だったが、1995年に当時
大阪近鉄バファローズに所属していた野茂英雄のドジャースへの入団を皮切りに日本人選手が相次いで加入していったことにより、今や本邦の野球ファンにも広く認知されるようになった。
本項ではそのMLBのうち、「
ナショナル・リーグ」に所属する全15チーム(各地区5チーム)と選手たちを紹介する。
アメリカン・リーグについては
当該項目を参照のこと。
※()は在籍経験のある日本人選手と年度(メジャーで出場した選手のみ、太字は現所属)。
「☆」は現役選手。
「○」はOB。
また、非NPB出身の選手に関しては、MLBでの成績が芳しくなくても「NPB選手としての知名度が高い」方については掲載しているため、OB紹介に名前があるからと言って当該球団でも活躍していたわけではない点には留意。
【チーム一覧】
東地区
1969年の球団拡張によって創設。ナ・リーグでは唯一所属する全球団が世界一の経験がある地区でもある。
◇アトランタ・ブレーブス
(
川上憲伸:2009~2011、
斎藤隆:2010)
略称は「
ATL」。本拠地球場は
カンバーランドにあるトゥルーイスト・パーク。1994年より西地区から移籍。
1871年に「ボストン・レッドストッキングス」として創設された、MLB最古参のチームの1つ。創設時に初代「シンシナティ・レッドストッキングス」の選手を多く引き入れており、そこから数えると文字通り最古のチームになる。
長らくボストンを拠点としていたが、同じ街のレッドソックスの人気に押され、ミルウォーキーを経て1966年にアトランタへ移転した。エンゼルスとともに都市名に本拠地がないチームだが、アトランタとカンバーランドは市域が隣接していることからあちらほど離れてはいない。歴史的経緯からライバルチームはレッドソックスとされている。
1990年代には強力な投手陣で5度のリーグ優勝を達成しており、そこから2005年まで1994年のストライキを挟んで地区14連覇を達成。
一時期フィリーズに押されかけた時期もあったが2010年代後半から復活し、2021年には主要打者を相次いで故障で欠きながらもトレードでの穴埋めに成功し、アストロズを下して26年ぶりの世界一を達成。2023年にはナ・リーグ初のシーズン300本塁打を達成し、ツインズに並ぶタイ記録となるシーズン307本塁打と30球団最多の104勝を挙げてポストシーズンに乗り込んだが、フィリーズに1勝3敗で地区シリーズ敗退を喫した。
○ハンク・アーロン(外野手)
長らくベーブ・ルースをも上回る通算755本塁打のMLB記録を持ち、両リーグでその年に最も活躍した打者を表彰する「ハンク・アーロン賞」にその名が残る名スラッガー。
通算6858塁打・2297打点は現在でもMLB記録であり、通算240盗塁と俊足も光った。
その実績に反して彼の存在はさほど注目されておらず、1970年代に入ってウィリー・メイズの本塁打数を塗り替えた頃になってようやく脚光を浴びるようになったが、それと同時に白人至上主義者による執拗な嫌がらせや脅迫も経験していた。
1977年に王貞治が彼の記録を上回る756本目を放って
世界新記録を更新した際、アメリカメディアの多くは日本の球場の狭さや投手レベルを引き合いに出したが、彼自身は王の記録達成に心から敬意を表して祝福し、以降も長い親交を持つようになった。
一方で現在のMLB記録を持つ
バリー・ボンズに対しては薬物疑惑があることから非常に辛辣な評価を下しており、彼も含めた薬物疑惑のある選手の記録に対してはアスタリスク(参考記録)を付けるべきだと主張していた。
背番号「44」はブレーブスとブルワーズで永久欠番に指定されている。2球団で永久欠番に指定された初の野手でもある。
○トミー・アーロン(
一塁手・外野手)
ハンクの弟。1962年~1971年のうちメジャーでプレーした実働7年間は常にチームメイトで、1969年にはチームメイトとしてリーグ優勝決定シリーズに出場した初の兄弟になった。合計768本塁打はMLB史上2人で最も多くのホームランを記録した兄弟でもある。
兄が殿堂入りを果たした2年後の1984年8月、白血病によって45歳の若さで死去。
○トム・グラビン(投手)
サイ・ヤング賞を2度受賞し、通算305勝は同世代のランディ・ジョンソンをも上回る名左腕。682先発は一度もリリーフ経験がない投手としては最多を誇る。
通算の投球内容は同時代の他の300勝投手と比較するとそれほど派手な数字ではないものの、多彩な変化球と要所を抑える巧みな投球術できっちりと試合を作る計算の立つ投手であり、クオリティ・スタートの数は約63.9%にあたる436試合を記録。怪我にも強く、1988年から20年連続で規定投球回に到達しローテーションを守り続けたワークホースである。
ゴールドグラブ賞の受賞経験はないが守備や牽制の評価は高く、シルバースラッガー賞を4回受賞するなど打撃にも長けていた。
背番号「47」は球団の永久欠番に指定されている。
○ジョン・スモルツ(投手)
サイ・ヤング賞1回に最多奪三振2回を受賞するなど通算213勝・154セーブを誇るエース兼守護神。特に
スライダーの名手として知られた。
1990年代は先発として活躍。1996年には最多勝に輝くものの、トミー・ジョン手術を機にクローザーへ転向。2002年に最多セーブを記録し、晩年に再び先発へと転向して2006年に最多勝に返り咲くなど波乱万丈なキャリアを送った。
背番号「29」は球団の永久欠番に指定されている。
○グレッグ・マダックス(投手)
通算355勝に4年連続サイ・ヤング賞を誇り、100球未満で完封する「マダックス」の由来にもなった投手。
技巧派投手の頂点とも呼ばれ、球速は最高でも140km/h半ばながら精密機械と称されるコントロールと変幻自在な変化球で相手打者の芯を外し、凡打の山を築いた。これは「投手にとって最も過大評価されている記録は奪三振であり、27個のアウトを27球で取るのがベストである」という持論に基づくものである。
史上最多となる通算18度のゴールドグラブ賞を誇る卓越したフィールディングも大きな武器だが、その一方で走者に対するクイックや牽制などに対しては「盗塁を許しても点に結びつくケースは17%に過ぎない」(本人談)と無関心と呼べるほど注意を払っておらず、その姿勢を
イチローに利用されてしまったこともある。
背番号「31」はブレーブスとカブスで永久欠番に指定されており、ブレーブスの黄金期を支えたグラビン、スモルツと揃って資格初年度で殿堂入りした。
○チッパー・ジョーンズ(
三塁手)
19年のキャリアをブレーブスで全うしたフランチャイズ・プレイヤーで、MLBを代表する強打のスイッチヒッター。
スイッチヒッターとしては歴代3位となる通算468本塁打に通算で3割を超える打率を残すなど強打と巧打、四球数が三振数を上回るほどの抜群の選球眼も持ち合わせていた。
常勝軍団を牽引したこともあってアトランタでは英雄視され、背番号「10」は引退翌年に球団の永久欠番に指定されている。
野球殿堂にも97.2%の圧倒的な得票数を得て資格初年度で殿堂入りを果たしている。
○アンドリュー・ジョーンズ(外野手)
10年連続ゴールドグラブ賞を獲得した、球史に残るオランダ出身の守備の名手。WARという指標ではMLBでもトップクラスの数字を持つ。打撃でも30本塁打をコンスタントに記録し、51本塁打を挙げて本塁打王に輝いた年もある。
引退直前の最晩年は来日し、
楽天で活躍。走力面での衰えからか指名打者での出場が多かったが打棒は健在で、球団史上初のリーグ優勝と日本一に貢献。
巨人との
日本シリーズでは指名打者の使えない東京ドームで守備につき、随所でかつて名手と呼ばれたゆえんとも言える守備能力の片鱗を見せた。MLB通算383本塁打・1289打点はNPBの助っ人選手として最高記録である。
背番号「25」は球団の永久欠番に指定されている。2026年に資格9年目にして殿堂入りを果たし、第6回WBCではオランダ代表の監督を務めた。
○マーク・デローサ(内野手・外野手)
現役時代は堅実な守備と複数のポジションをこなす器用さが魅力のユーティリティープレイヤーとして活躍。
2023年の
第5回WBCでは「銀河系打線」と称されたスーパースター軍団を揃えたアメリカ代表の監督を務め、侍ジャパンと史上初の日米決勝戦を演じた。彼もまた「
今夜勝利したのは、野球界だ」との名言を残した。
2026年の第6回大会でもスーパースター軍団を揃えたチームを率いて雪辱の舞台に挑んだが、決勝でベネズエラに敗れてあと一歩及ばなかった。
○ジェシー・チャベス(投手)
2008年にパイレーツでデビュー後、2025年に引退するまで史上最多となる11回のトレードを経験したジャーニーマン。最も長く所属したブレーブスを筆頭に9球団を渡り歩いた。
☆ロナルド・アクーニャJr.(外野手)
2018年にメジャーデビューすると、いきなり地区シリーズ第3戦でポストシーズン史上最年少の満塁本塁打を放ち強烈な印象を植え付けたベネズエラ出身の5ツールプレイヤー。
2023年には第5回WBCに出場すると、シーズンでも史上5人目かつ最年少で40-40を達成。盗塁は73個を数え、打率も.337というハイアベレージを残してMVPに選出された。
2度の前十字靭帯断裂という選手生命を左右するレベルの故障を経験しながら復活を遂げる不屈の精神の持ち主。
彼も「エスコバー一族」の一人。2026年の第6回WBCでは一族の1人であるマイケル・ガルシアとともに出場し、チームのリードオフマンとして活躍。侍ジャパンとの準々決勝でも先頭打者本塁打を放つなど優勝に大きく貢献した。
☆クリス・セール(投手)
ホワイトソックス時代にはドラフト会議から約2か月と異例の速さでメジャーデビューをした期待の若手左腕。細身ながら速球は最速160km/hに達する。
2013年は防御率3.11ながらもチームの無援護により11勝14敗と負け越してしまったが、リーグ5位の投球回とそれを超える奪三振を記録するなどエース級の成績を残した。
2024年からブレーブスに移籍し、サイ・ヤング賞を受賞。
☆
金河成(
遊撃手)
俊足・強肩ともに揃った凄まじい守備範囲が持ち味のコリアン。パドレス時代の2023年には韓国人選手として初のゴールドグラブ賞にも輝いた。
2019年の第2回プレミア12では侍ジャパンとの決勝で先制2ランを放つ活躍を見せ、大会ベストナインに選出された。
2025年シーズン終盤にウェイバーでブレーブスに移籍。移籍後初本塁打が逆転3ランとなるセンセーショナルなデビューを飾っている。
☆ロベルト・スアレス(投手)
日本の
阪神で絶対的守護神と評されたクローザー。
兄のアルバートも2019年~2021年に
ヤクルトに所属しており、NPBではいずれも史上初となる「外国人兄弟投手が別のチームに所属しながら同じ試合に登板」「兄弟同日セーブ」の記録を達成している。
一方、先発を務めていた
ソフトバンク時代の2019年には初回に50球を投じながら無失点に抑えるという怪投を見せたこともある。
2022年からパドレスでMLBに復帰し、2026年より3年契約でブレーブスに加入。
◇マイアミ・マーリンズ
(
イチロー:2015~2017、田澤純一:2017~2018)
略称は「
MIA」。本拠地球場はローンデポ・パーク。MLB最南端に位置するチームでもある。チーム名はマカジキを由来とし、「勇猛果敢なファイターであり、勇気を試す敵」という意味が込められているとされる。
1993年の球団拡張によって「フロリダ・マーリンズ」として誕生した新興チームで、1997年には当時最速となる球団設立から5年目での世界一を達成。
創設以来地区優勝の経験がなく、2003年も含めて2度の世界一はどちらもワイルドカードから達成している。
財政面の厳しさからスター選手を大放出する「
ファイヤー・セール」が有名で、過去に4度が行われており、1997年には懲罰として2000年のオールスターの開催権を剥奪されてしまった。
そのような事情もあって観客動員はMLBの中でも例年のように最低クラスに伸び悩んでおり、300万人以上を記録したのは創設1年目の1993年のみで、200万人すら2回のみと苦戦が続いているが、2025年はヤンキース相手に球団史上初のスイープを達成するなど優勝戦線をかき乱す活躍も光った。
本拠地のローンデポ・パークは中南米にも身近な場所に立地しているためか、WBCでは2013年の第3回大会から1・2次ラウンドの球場として使用されている。
特に日本中を狂喜乱舞の渦に巻き込んだ2023年の第5回大会からはメイン会場として位置付けられており、準決勝・決勝では歴史に残る名勝負が繰り広げられて侍ジャパンが14年ぶりの王座奪還を果たした。
続く2024年には
大谷翔平がMLB史上初となる50-50を達成したこともあり、日本での知名度も上昇しつつある。
○ルイス・カスティーヨ(
二塁手)
ゴールドグラブ賞3度を誇る両打ち二塁手のルイス・カスティーヨ。
強打者揃いのイメージが強いドミニカンには珍しくとにかく転がすことを徹底していたアベレージヒッターで、選球眼の高さや盗塁も持ち味だった。2001年には長打がわずか22本ながらOPS.806という好成績を残している。
たびたびファイヤー・セールを敢行するチームの中で10年間所属し、出場試合数や安打数の球団記録を保持している。
○ホセ・フェルナンデス(投手)
右投手のホセ・フェルナンデス。
2013年には12勝6敗・防御率2.19の好成績を残して新人王を受賞し、サイ・ヤング賞の投票でも3位に入るなどリーグで唯一勝率4割以下になるほど低迷したチームの中で一際目立つ成績を残しており、21歳という若さもあって将来が嘱望されていた。
しかし、2016年のシーズン途中にボート事故によって26歳という若さで亡くなった。彼の死を悼み、背番号「16」は正式な永久欠番でこそないが空席の状態が続いている。
○
マイク・バウマン(投手)
2024年9月19日のドジャース戦にて、大谷にMLB史上初となる50-50を決める50号2ランを献上した投手。
オフにNPB入りを目指してFAになり、ヤクルトと契約。クローザーとして期待されたものの16試合の登板に終わり、1年で退団した。
○クレイトン・マッカロー(監督)
現役時代はメジャー経験はなかったが、2007年~2014年にはブルージェイズ傘下で監督を務めて通算629勝を記録。
2021年からはドジャースの一塁コーチを務め、2024年には大谷と走塁改革に取り組んで50-50に大きく貢献。出塁した際にお互いのヘルメットをぶつけ合う「ヘッドバンプ」も話題になった。
2025年からはマーリンズの監督を務める。
☆ヘスス・ティノコ(投手)
レンジャーズ時代の2022年10月4日のヤンキース戦にて、アーロン・ジャッジにア・リーグ新記録となる62号本塁打を献上した投手。2023年は日本の
西武でもプレーしていた。
2024年途中よりマーリンズに所属。
☆サンディ・アルカンタラ(投手)
160km/hを超える速球2種とチェンジアップでゴロと三振を稼ぐドミニカン。
2022年には228.2回を投げて6度の完投を記録するフル回転の活躍を見せ、球団史上初のサイ・ヤング賞に輝いた。
しかし、その代償で2023年にトミー・ジョン手術を受け、2024年を全休。2025年に復帰し、全体的にイマイチな成績ながらもイニングは稼ぐというらしい活躍を見せると、2026年には完全に復活し、8月前半で年間規定投球回に到達する脅威のイニング消化力を見せている。
◇ニューヨーク・メッツ
(柏田貴史:1997、吉井理人:1998~1999、野茂英雄:1998、
新庄剛志:2001, 2003、小宮山悟:2002、
松井稼頭央:2004~2006、
石井一久・高津臣吾:2005、高橋建:2009、高橋尚成:2010、
五十嵐亮太:2010~2011、
松坂大輔:2013~2014、青木宣親:2017、
千賀滉大:2023~)
略称は「
NYM」。本拠地球場はシティ・フィールド。チーム名は都会っ子を意味する「Metropolitans」を短縮したもので、かつて存在した「ニューヨーク・メトロポリタンズ」に由来する。
1962年の球団拡張によってアストロズとともに誕生した、アメリカ最大の都市ニューヨークのもう1つのチーム。地元では本拠地の立地から「クイーンズ」として親しまれており、同じ街にある「ブロンクス」ことヤンキースとの対戦は「サブウェイ・シリーズ」と呼ばれるMLB屈指の人気カードで、実際に選手が地下鉄で球場に訪れるのも名物になっている。
1958年にドジャースとジャイアンツが西部へ移転し、ニューヨークからのナ・リーグ球団消滅を機に球団を取り戻す機運が高まったことをきっかけに創設され、チームカラーの青とオレンジはニューヨーク市旗および元ニューヨークの両球団に由来するものである。
名門たるヤンキースとは対照的に結成以来お荷物球団扱いだったが、1969年に創設8年目で球団史上初の世界一を達成するなど一気に躍進を遂げて「
ミラクルメッツ」と呼ばれ、1986年にも2勝3敗・あと1球で敗退という絶体絶命の窮地から連勝して世界一を達成した。
その後は振るわない時期が続き、15年ぶりに進出した2015年のワールドシリーズでも自滅同然の試合が続いて敗退。
2020年には大資産家のスティーブ・コーエンが球団の95%を買収してからは一転して金満球団になっており、積極補強の姿勢に転じている。
在籍経験のある日本人選手は30球団最多の14人。
本拠地のシティ・フィールドではメッツの選手が本塁打を放った際にバックスクリーンから出てくる「ホームラン・アップル」が名物。元々は旧本拠地のシェイ・スタジアムから恒例になっており、移転に際して4倍の大きさになった2代目に新調された。
初代も球場の外に展示されており、待ち合わせスポットとして利用されている。
○ドワイト・グッデン(投手)
速球と鋭い12to6カーブを武器に三振を量産したパワーピッチャー。奪三振に長けた投手の愛称「ドクターK」の由来でもある。
しかし自己管理能力が低く、コカイン依存に陥ったことでキャリアは徐々に後退。一時は復活を果たしたものの、1年目と2年目に見せた圧倒的な輝きには及ばず、通算194勝で引退した。
引退後もコカインが手放せなかったようで、数度逮捕されるなど暗い話が多い。
○マイク・ピアッツァ(捕手・指名打者)
野茂とバッテリーを組んだことで知られるイタリア系アメリカ人捕手。背番号「31」は球団の永久欠番に指定されている。
ドラフト全体の1389巡目という超低順位指名から這い上がった苦労人でもある。
いわゆる「打撃型捕手」の筆頭で、シルバースラッガー賞の常連だった一方で守備面では長らく低評価が続いていた。
2006年の第1回WBCにはイタリア代表として出場しており、引退後もイタリア代表でコーチを務め、2019年から監督に就任。2023年の第5回WBCでは準々決勝で侍ジャパンと対戦した。
○アレックス・オチョア(外野手)
2003年~2008年には日本の
中日・
広島でもプレーし、中日では2度のリーグ優勝に貢献。
日米でサイクル安打を達成した唯一の選手であり、2005年にはセ・リーグ史上初となる開幕戦サヨナラ満塁本塁打を放っている。
○ロベルト・ペタジーニ(一塁手・外野手)
日本のヤクルト・巨人・ソフトバンクで活躍したベネズエラ出身スラッガー。2003年の推定年俸7億2000万円はNPB歴代5位で、野手としては現在でも史上最高額である。この年にはNPB通算80000号本塁打を放った。
長打力と選球眼を武器にMVP1回・本塁打王2回・打点王1回・最高出塁率2回・最多勝利打点1回のタイトルを獲得した一方、膝痛や外野守備難がネックでもあり、巨人に加入した2003年の開幕戦では
右翼手として出場したところ、バックホームの際に
捕手の頭を大きく超える大暴投をしてしまい「ペタキャノン」と揶揄された。
○
新庄剛志(外野手)
2001年と2003年に所属。イチローとともに日本人野手初のメジャーリーガーで、「敬遠球をサヨナラ打」「オールスター初の単独本盗」など派手なパフォーマンスで球界を沸かせた「SHINJO」。
2002年はジャイアンツに所属しており、日本人史上初のワールドシリーズ出場選手になった。2004年から
日本ハムに加入し、2006年の開幕直後に引退を表明。44年ぶりの日本一を花道に勇退した。
2020年には48歳ながら現役復帰を目指して
12球団合同トライアウトに参加しており、2022年からは日本ハムの監督を務める。この年のみ登録名を「BIGBOSS」に変更するなど現役時代さながらの派手なパフォーマンスの一方で若手中心のチームを鍛え上げ、2024年から2年連続2位と躍進が続いている。
○デビッド・ライト(三塁手)
2004年のプロ入りから2018年の引退までメッツ一筋で活躍したフランチャイズ・プレイヤー。
2014年後半から怪我で精彩を欠き続けたが、2013年までは10年連続で2桁本塁打を達成していた。
2018年の引退後はスペシャルアドバイザーを務めており、背番号「5」は球団の永久欠番に指定されている。
☆フランシスコ・リンドーア(遊撃手)
プエルトリコを代表する天才遊撃手「Mr.Smile」。代表で同ポジションの選手を他へ回すほど守備評価が高く、打撃面でもインディアンス時代の2018年には38本塁打を記録するなど強打で知られる。2024年には大谷とのMVP論争が白熱した。
一方で2021年は絶不調で、この時期に毎回リンドーアの打率を取り上げるYoutubeチャンネルがあったせいでネタ選手としての一面も持ってしまっている。
☆千賀滉大(投手)
育成からソフトバンクのエースにまで出世した、落差十分のゴースト・フォークを操る投手。
2023年から海外FAで加入し、育成出身選手初のメジャーリーガーに。メジャー1年目にして12勝・200奪三振の活躍を見せる剛腕ぶりを披露したが、2024年以降は故障や不振もあって成績が振るわず、地元メディアからも厳しい評価が相次いでいる。
☆フアン・ソト(外野手)
卓越した打撃技術と選球眼を誇るドミニカン。ナショナルズ時代の2019年には球団史上初の世界一に大きく貢献した。
2024年はヤンキースに所属し、打率.288・41本塁打・109打点の好成績でリーグ優勝に貢献。ドジャースとのワールドシリーズでもチーム唯一の打率3割超えと気を吐いた。
オフにFAになり、複数球団による争奪戦の末に同じ街のメッツへ移籍。大谷をも上回る15年総額7億6500万ドル(約1147億円)というMLB史上最高額の契約を結んだ。
移籍初年度はシーズン前半こそ不振に陥ってファンからブーイングを浴びることもあったものの、後半に持ち直して結局平年通りの高いパフォーマンスを見せ、盗塁数も3倍近くに伸ばし自身初の30-30を達成。盗塁王にも輝いた。
☆デビン・ウィリアムズ(投手)
「エアベンダー」と呼ばれる、スライダーの回転でスクリューボールのように曲がり落ちる魔球チェンジアップを操るクローザー。
ブルワーズ時代の2023年には第5回WBCにも出場し、侍ジャパンとの決勝ではこの試合で本塁打を放った村上宗隆と岡本和真という日本が誇る両主砲から三振を奪うなどその威力を見せつけた。
その後はヤンキースを経て2026年からメッツに加入。
◇フィラデルフィア・フィリーズ
(井口資仁:2007~2008、田口壮:2008)
略称は「
PHI」。本拠地球場はシチズンズ・バンク・パーク。「フィリー」は地元の略称かつフィラデルフィア市民の通称。
1883年から存在する、
スティーブ・カールトン、マイク・シュミット、ピート・ローズなどのスターを出した独立宣言の地・フィラデルフィアの名門。「阪神ファンを濃くしたような」ファンの熱狂度は30球団トップクラスで、敵味方関係なくヤジも強烈とされる。
マスコットキャラクターの「フィリー・ファナティック」はまさにそんな熱狂的フィリーズファンという意味を持つ名前で、デザイン会社が同じことから日本の広島のマスコット「スラィリー」にそっくり。
かつて日本のヤクルト・近鉄で活躍したチャーリー・マニエル監督の下で2007年~2011年まで地区5連覇を達成し、2008年・2009年のリーグ連覇に2008年の世界一など、強豪の名を欲しいままにしている。
その後はしばらくの再建期を経て、2021年にブライス・ハーパーが球団14年ぶりのMVPを獲得。2022年途中にロブ・トムソン監督が就任してからは4年連続ポストシーズン進出や地区連覇を達成するなど上昇傾向に入ってきている。
○リー・リッチモンド(投手)
フィリーズの前身にあたる「ウースター・ルビーレッグス」時代の1880年、MLB史上初の完全試合を達成した投手。
だが、その5日後にはモンテ・ウォードが達成したことにより、「唯一の完全試合達成者」という称号は短いものに終わった。
○チャック・クライン(右翼手)
同時受賞でこそないが打撃タイトルを制覇した選手の1人で、三冠王に683試合目で通算1000安打というMLB最速記録など数々の実績を持つ。
だが、彼の最大の特徴は背番号を一定せず、毎年のように変えていたことだろう。使用した番号は「3」「6」「4」「32」「36」「1」「26」「14」「29」「8」の10個にも及び、番号変更は12回も行った(「3」と「26」は2回使用)。
このような事情もあり、フィリーズでは番号の代わりにデビュー当時のチームロゴ「P」を永久欠番扱いで表彰するという特殊なものになっている。同様の例は他にもいるが、いずれも背番号のない時代の選手だったことが多い点を踏まえても彼の異例さが目立つ。
○マイク・シュミット(三塁手)
18年間のキャリア全てをフィラデルフィアで過ごしたフランチャイズ・プレイヤーで、三塁手として歴代最多の通算548本塁打にナ・リーグ記録となる本塁打王8回、ナ・リーグ最長タイとなる9年連続30本塁打などの輝かしい実績を持つ「史上最高の三塁手」。
背番号「20」は球団の永久欠番に指定されている。
○チェイス・アトリー(二塁手)
2000年代最高とも言われた二塁手。
3割・30本塁打を期待できる打力、通算盗塁成功率88.1%を誇る走力、ゴールドグラブ賞こそ縁がなかったものの指標では高い数値を記録していた守備など全盛期は走攻守全てを兼ね備え、常に全力プレーを怠らない姿勢も評価されていた。
キャリア中盤から怪我がちになって通算安打は2000安打に届かず、本塁打も300本に満たないなど通算成績では伸び悩んだが、近年のWARが重要視される傾向から、通算で60を超えるWARを残した彼は殿堂入りが期待されている。
一方で危険な併殺崩しを何度も敢行しており、何人もの選手を病院送りにし、最悪の場合は選手生命そのものを暗転させたという暗い実績も持っており、後に危険な併殺崩しを禁止するルール「チェイス・アトリールール」に名前を残すことになってしまった。
☆J.T.リアルミュート(捕手)
毎年のように2桁本塁打を放つパンチ力と俊足が持ち味の捕手。
守備面ではポップタイムの速度が非常に速く、2018年から5年連続でメジャー1位を記録している。
☆ブライス・ハーパー(外野手・一塁手)
アマチュア時代から天才打者として知られ、16歳だった2009年にはNBAファイナル、NHLスタンレーカップといった主要スポーツイベントの期間中でありながら米国の最大手スポーツ雑誌『スポーツ・イラストレイテッド』で「
BASEBALL'S CHOSEN ONE」の異名とともに表紙を飾った経歴も持つスーパースター。
高い期待度そのままにナショナルズから全体1位指名を受け、2012年にメジャーデビューして新人王を受賞し、2015年には本塁打王とMVPを獲得するなどスターへの階段を順調に歩む。
2019年からは13年契約でフィリーズに移籍。当時は過大評価とも言われたが、移籍後に打撃の安定感が段違いに高まり、2021年には6年ぶりのMVPを獲得した。2022年に肘を故障して以降は主に一塁手でプレーしていたが、2026年途中にルイス・アラエズが加入したことで再び外野手として出場するようになった。
吉田正尚の憧れの選手であり、
オリックス入団時には彼のナショナルズ時代の背番号である「34」を希望するほど。
☆カイル・シュワーバー(捕手→外野手→一塁手・指名打者)
現代に蘇りしアダム・ダン。三振・四球・本塁打の多さに加えて鈍足・守備難まで共通しており、本当に生まれ変わりかと疑うレベル。一方でポストシーズンでは普段とは打って変わってシュアなバッティングを見せることも。
2016年のカブスの世界一メンバーの1人でもあり、4月に靭帯断裂の大怪我を負ったことでシーズンはわずか2試合の出場に終わったが、ワールドシリーズで復帰して世界一に貢献している。
その後はレッドソックスを経て2022年よりフィリーズに加入。2023年にはダンすらなし得なかった
打率1割台で40本塁打・100打点を達成しており、それ以外にも「打率1割台の1番打者」「打順と打率の割に104打点」「40本塁打到達時点で単打39本」などの珍記録を残している。
侍ジャパンとの第5回WBC決勝でも
ダルビッシュ有から1発を放ったこともあって日本でも話題になり、
打率が上がるたびになぜか残念がられるという不思議な現象が起きた。
2025年は打撃の安定感も高まり、初の全試合出場を達成して球団史上2人目の50本塁打に到達。大谷と熾烈な本塁打王争いを繰り広げた末に1本差で勝利した。
オールスターでは試合こそ無安打だったものの、延長戦として行われたホームランダービーでは3スイングともスタンドまで叩き込んでナ・リーグを勝利に導き、MVPに輝くというらしさ全開の活躍を見せた。
☆トレイ・ターナー(遊撃手)
MLB最多タイとなる3度のサイクル安打を達成した遊撃手。2023年の第5回WBCでは準々決勝のベネズエラ戦で逆転満塁本塁打、準決勝のキューバ戦では2本塁打、侍ジャパンとの決勝でも先制本塁打を記録するなど大会タイ記録の5本塁打と大暴れし、大会ベストナインにも選出された。
☆ヨアン・デュラン(投手)
2025年途中にツインズから来たクローザー。最速167km/hの直球はさることながら、平均でも140km/hを優に超えるカーブにスライダー、160km/hに迫るスプリットなど全ての球種が規格外の球速を誇っている。
☆ルイス・アラエズ(内野手)
悪球打ちを得意とするベネズエラ出身のアベレージヒッター。卓越したコンタクト能力に加え積極的に打ちに行くため三振も四球も少なく、近年の長打重視のMLBにおいては珍しく単打と打率を重視したWARという指標に逆行している選手。
脚も速くないが小技に優れ、バントヒットも多く記録している。その打撃スタイルはイチローやカスティーヨと比較される。
2022年から3年連続の首位打者、2024年から2年連続の最多安打を獲得している。中でも首位打者のタイトルはツインズ・マーリンズ・パドレスと全て異なる3球団で達成するという珍記録も持っている。さらに2022年にはジャッジ、2024年には大谷という現代の二大スーパースターの三冠王を阻む快挙(?)も達成している。
WBCでは普段とは一転して長打を量産するスタイルに化けることでも知られ、2026年の第6回大会では優勝に貢献した。
◇ワシントン・ナショナルズ
(伊良部秀輝:2000~2001、吉井理人:2001~2002、大家友和:2001~2005、小笠原慎之介:2025)
略称は「
WSH」。本拠地球場はナショナルズ・パーク。「
Nats」と略されることもある。同名のチームは過去に複数存在し、そのうちの1つはワシントン時代のツインズがセネタースとともにナショナルズの呼称を用いていた。
現在のチームは1969年の球団拡張によってロイヤルズ・パイロッツとともに誕生し、史上初の国外チームとしてカナダ第2の都市モントリオールに本拠地があった「
モントリオール・エクスポズ」が首都ワシントンD.C.に移転して2005年に誕生した7代目。
エクスポズ時代は人気低迷に悩まされて年間観客動員数が100万人を割る年もあり、歴代オーナーの不手際もあってチームの人気と知名度はますます低下の一途をたどっていく。晩年には深刻な財政難にも陥り、マイナーをも下回る年間観客動員数を記録した上に2002年にはオーナー自ら球団を手放すという異常事態にまで発展した。
紆余曲折を経て2005年にワシントンに移転してからも下位が定位置だったが、エクスポズ時代にはあり得なかった250万人を超える観客動員数を記録するなど人気そのものは大幅に上昇。成績も
スティーブン・ストラスバーグやハーパーといった逸材を全体1位で指名するなど着実な戦力補強が芽を結び、2012年にナショナルズとして初の地区優勝を達成。
その後の2019年にハーパーを放出したものの、ストラスバーグ、マックス・シャーザー、パトリック・コービンの3本柱を軸にワイルドカードから悲願のワールドシリーズ進出を果たすと、アストロズとの史上初の「外弁慶シリーズ」を制して球団史上初の世界一を達成した。
しかし、2021年以降は再び不振になり、主力のソト、シュワーバー、ターナー、シャーザーを放出し、再建モードに突入中。
なお、エクスポズ時代には4人が永久欠番に指定されていたが、ワシントンに移転してからは1から始めるという意味で2005年をもって失効し、現在はあくまで「エクスポズの永久欠番」という位置付けで使用が可能になっている。
ナショナルズとしての最初の永久欠番は2022年のライアン・ジマーマン(背番号「11」)である。
○ラスティ・スタウブ(外野手)
エクスポズ時代の永久欠番選手の1人(背番号「10」)。卓越したミート力を誇り、23年間の通算11229打席で888三振しかしていない。
1993年に永久欠番に指定された。
○ゲイリー・カーター(捕手)
エクスポズ時代の永久欠番選手の1人(背番号「8」)。捕手を中心に一塁・三塁・外野もこなせるユーティリティーで、オールスターとワールドシリーズの両方で1試合2本塁打を放つなど大舞台での活躍も光った。
1993年に球団史上初の永久欠番に指定された。
○アンドレ・ドーソン(外野手)
エクスポズ時代の永久欠番選手の1人(背番号「10」)。通算438本塁打・314盗塁を記録した俊足強打の選手。
1997年にスタウブと連名で永久欠番に指定されており、後から追加で登録された史上初のケースでもある。
○ティム・レインズ(外野手)
エクスポズ時代の永久欠番選手の1人(背番号「30」)。4年連続盗塁王に輝くなど歴代5位となる通算808盗塁を記録したスピードスターで、出塁・得点・単打・三塁打・四球・盗塁の球団記録を持つ。
晩年はオリオールズでメジャーデビューした息子とともに史上2組目の親子メジャーリーガーになり、親子揃っての同時出場も実現している。
2004年に永久欠番に指定されたが、ワシントンに移転したことで2005年に失効したためにその期間は短いものに終わった。
○ウォーレン・クロマティ(外野手・一塁手)
1984年~1990年に日本の巨人に所属し、首位打者や最高出塁率などのタイトルを獲得して3度のリーグ優勝と1989年の日本一に大きく貢献した、球団史に残る名助っ人。
1989年8月には規定打席をクリアした上で打率4割を達成していたものの、チームは優勝争いの最中だったことから出場を続けたためにNPB史上初の4割打者を逃してしまった。
○デニス・マルティネス(投手)
1991年、MLB史上13人目にしてアメリカ出身以外の選手では史上初となる完全試合を達成したニカラグア出身投手。
記録達成時に実況が叫んだ「エル・プレジデンテ、エル・パーフェクト!」の台詞はその後のエクスポズファン精神を示す共通語になり、長らくラテンアメリカ投手最多の245勝を記録。2017年に新しく開場した母国の国立スタジアムは2021年まで「エスタディオ・デニス・マルティネス」と冠されていた。
引退後の2013年には第3回WBCに挑む予選でニカラグア代表の監督を務めた。
○デーブ・マルティネス(外野手・監督)
2018年からナショナルズの監督を務め、2019年にはシーズン中に心臓カテーテル手術を受けながらも復帰し、アストロズを下して球団史上初の世界一に導く。
その後は一転して4年連続5位と低迷し、2025年7月に解任された。
○ヴラディミール・ゲレーロ(外野手)
2000年代を代表する俊足強打の外野手で、ドミニカ共和国出身の野手として初の殿堂入りを達成したエクスポズ時代最後のスター。
デビュー2年目から12年連続打率3割に30本塁打7回など巧打と強打、2002年に30-30を達成するほどのスピードを持ち合わせていた。悪球でも構わず打ちに行くバッドボールヒッターであり、エンゼルス時代に指導したマイク・ソーシア監督曰く「彼のストライクゾーンは鼻からつま先まで」。
イチローのレーザービームに対し、バズーカと呼ばれた歴代でもトップクラスと言われる強肩を持つ一方で守備は決して上手くはなく、外野手として6年連続最多失策を犯すなどとにかく大雑把な一面が目立った。
ブルージェイズに所属する息子のJr.は若くして本塁打王を獲得するなど打撃面では父譲りながら、優れた選球眼・一塁手としてゴールドグラブ賞を獲得した堅実な守備・鈍足とプレースタイルは全くの対照的。
○大家友和(投手)
日本の横浜に入団するも泣かず飛ばずだったが、高卒5年目のオフに一念発起して渡米し、マイナー契約から這い上がってメジャーリーガーになった不屈の投手。
MLB通算成績は51勝68敗・防御率4.26と一見微妙ではあるが、実に1070イニングを投げ、通算178先発とメジャーのローテーションをしっかり守り抜いており、MLBでのサービスタイムも野茂以来日本人2人目となる10年を記録。
晩年は一度古巣の横浜に戻った後、今度は各地の独立リーグをナックルボーラーとして渡り歩き、その雑草魂で2016年まで32年間現役を続けた。
○マイク・バシック(投手)
2007年8月7日のジャイアンツ戦にて、ボンズにアーロンの記録を更新する通算756号本塁打を献上したことで知られる投手。
父も元メジャーリーガーで、1976年8月23日に現役最終年のアーロンと対戦しており、親子で755本塁打を放った打者と対戦したことになる。
○ライアン・ジマーマン(一塁手・三塁手)
ノースカロライナ州とはいえ「ワシントン」の生まれで、2005年に移転したばかりのナショナルズに入団し、低迷期から世界一まで16年間ナショナルズ一筋を貫いた「ミスターナショナル」。
背番号「11」はナショナルズとして初の永久欠番に指定されている。
○
スティーブン・ストラスバーグ(投手)
実働13年間と短いながら、ドラフト史上最高と言われたナショナルズ一筋のフランチャイズ・プレイヤー。平均球速150km/h中盤、最速166km/hを記録する剛腕で20~30年に1人の逸材とも言われ、2019年には獅子奮迅の働きを見せて球団史上初の世界一に大きく貢献。ワールドシリーズMVPにも選出された。
しかし、その後は致命的な故障によって選手生命どころか日常生活を送ることすら怪しい状態に立たされてしまい、2023年をもって引退した。
○エドウィン・ジャクソン(投手)
14球団を渡り歩いたジャーニーマン。
2021年の東京五輪ではアメリカ代表として銀メダル獲得に貢献し、2022年に引退。
○ジョーイ・メネセス(一塁手・外野手)
2019年に日本のオリックスに所属していたが、
ドーピング問題によって6月末に契約を解除されたお騒がせ助っ人。
その後もマイナー暮らしが続いたが、2021年の東京五輪ではメキシコ代表として出場すると、2022年には30歳にして念願のメジャー初昇格を達成。初試合でいきなり本塁打を打つ鮮烈なメジャーデビューを飾った。
○小笠原慎之介(投手)
緩急を駆使したピッチングで打者と勝負する左腕。
2025年からポスティングシステムによってナショナルズに2年契約で入団。2005年の大家以来20年ぶりにしてワシントン移転後に加入した初の日本人選手であり、他球団を経由せずに直接入団するのも初めてである。
オープン戦で結果を残せずにマイナーへ降格したものの、主力の故障によってメジャーに昇格。7月7日にメジャーデビューを果たしたが2回途中4失点と振るわず、試合終了後にはマルティネス監督が解任された。
2026年に至っては開幕メジャーどころか逆に2Aへ降格という状況からスタート。そのままメジャーに上がることなく6月に帰国。奇しくもシーズン中に阿部慎之助監督が辞任していた巨人に入団した。
☆マイルズ・マイコラス(投手)
パドレスやレンジャーズでは成績を残せずにマイナーとメジャーを往復していた投手だったが、2015年に日本の巨人に移籍すると成長を遂げ、2017年には8年ぶりとなる外国人開幕投手に指名された。
2018年よりカージナルスからのオファーでメジャー復帰を果たすと、派手な活躍はないもののイニングイーターとして奮闘。2026年からはナショナルズに所属する。
たびたび日本メディアの取材にも応じており、自らがプレーしていた頃の広島の若き主砲だった鈴木との対戦で「エキサイトするところがあるね」と述べ、メジャー挑戦の夢を果たした菅野と再会した時には談笑するなど、日本に深い思い入れがある。
中地区
1994年の3地区制導入によって新設。2013年にアストロズがア・リーグ西地区に移籍するまでは全地区中最多の6チームで構成された地区だった。
◇シカゴ・カブス
(福留孝介:2008~2011、田口壮:2009、高橋尚成:2013、
藤川球児:2013~2014、和田毅:2014~2015、川﨑宗則:2016、上原浩治:2017、
ダルビッシュ有:2018~2020、
鈴木誠也:2022~、
今永昇太:2024~)
略称は「
CHC」。本拠地球場はリグレー・フィールド。チーム名は子熊に由来している。
1870年に「シカゴ・ホワイトストッキングス」として創設された、ブレーブスと並ぶMLB最古参の老舗チーム。1994年より東地区から移転。
本拠地のリグレー・フィールドもフェンウェイ・パークに並ぶ長い歴史を持つ球場で、あちらと違って構造自体は比較的標準的だが、フェンスがツタに覆われていることが特徴。打球が中に入るとエンタイトル二塁打になる。こちらも中央のスコアボードは手動式。
歴史的経緯によりナイター設備の設置が非常に遅かったことでも知られ、現在でもその影響からかデーゲーム開催が多い。
同じ街のホワイトソックスとの対戦は「クロスタウン・クラシック」と呼ばれ、勝者にはトロフィーが授与されるなど大きな盛り上がりを見せる人気カードになっている。
メジャー屈指の人気チームでもあり、人気面ではホワイトソックスを凌駕する。ホワイトソックスが市南部で人気があるのに対し、カブスは市北部での人気が高い。
1906年には2001年のマリナーズに並ぶMLBタイ記録である
シーズン116勝を達成したが、「ビリー・ゴートの呪い」なる有名なジンクスや2003年の「スティーブ・バートマン事件」もあり、リーグ優勝は1945年、世界一に至っては1908年を最後に達成できていなかったが、長い雌伏の時を経て2016年には悲願のリーグ優勝。ワールドシリーズでもインディアンスを下し、
108年ぶりというとんでもないブランクの末に世界一を達成した。
○アーニー・バンクス(遊撃手・一塁手)
守備負担の大きい遊撃手ながら40本塁打以上5回・本塁打王2回を記録するなど通算512本塁打を放ったパワフルな選手。
カブス一筋「Mr.Cub」の愛称でファンから愛され、NBAのマイケル・ジョーダンが登場するまではシカゴ最高のスポーツ選手でもあった。背番号「14」は球団の永久欠番に指定されている。
ただし、個人として優れた成績を残しながらもチームはワールドシリーズどころかシーズン勝ち越しすらままならない低迷期であり、個人の奮闘が勝利につながらないことを「アーニー・バンクス症候群」と呼ばれ、後に日本のネットスラングでも「なおマ」「なおエ」という類義語が生まれた。
○サミー・ソーサ(外野手)
歴代9位となる通算609本塁打を放った名スラッガーで、アメリカ以外の選手では
アルバート・プーホールズに次いで歴代2位を誇るドミニカン。
1998年にはマーク・マグワイアとともに熾烈な本塁打王争いを繰り広げ、惜しくも4本差で敗れたものの1994年からの232日間に及ぶ長期ストライキから大きく落ち込んでいたMLBの人気回復の立役者になった。シーズン66本塁打は本塁打王以外での最高記録。
しかし、かねてから薬物問題が噂されており、引退後の2024年には事実上使用を認めて謝罪した。
○タフィ・ローズ(外野手)
日本の近鉄・巨人・オリックスで活躍し、通算13年間で外国人選手最多となるNPB通算464本塁打を記録した名助っ人。
近鉄時代の2001年にはパ・リーグ記録となるシーズン55本塁打を放ってリーグ優勝に大きく貢献し、MVPを受賞。ヤクルトとの日本シリーズでも2本塁打を放っており、日本シリーズで本塁打を放った最後の近鉄選手でもある。
その反面気性の荒い性格でも知られ、NPB記録となる通算14回の退場処分を受けたことでも有名。王貞治をNPB史上最高の打者と評価している。
○
マット・マートン(外野手)
日本の阪神において球団野手助っ人最長タイとなる2010年~2015年の5年間に渡って所属し、右打者・外国人およびセ・リーグ記録となるシーズン214安打の実績を誇る安打製造機。
引退後はカブスの球団スタッフを務めた後、悠々自適の生活を送っている。
○
アルフォンソ・ソリアーノ(
左翼手・二塁手)
ナショナルズ時代の2006年に当時史上最速で40-40を達成した選手。
実はカープアカデミーで才能を認められたことで日本の広島でキャリアをスタートさせたという異色の経歴の持ち主で、そのために
外国人唯一の日米通算2000安打を達成している。
すなわち名球会への入会資格がある希少な外国人選手ではあるが、いかんせん
NPBでは通算2安打しか放っていないこともあり、現在に至るまで入会は果たされていない。
○アンソニー・リゾ(一塁手)
2015年に31本塁打を記録しながら死球も30を数えるという珍記録を樹立したイタリア系アメリカ人スラッガー。年間最多死球も3回記録している。
一方で2016年には108年ぶりの世界一に輝いたチームで中心選手の1人だった。ポストシーズンでは後半で大暴れして前半の不振を帳消しにする活躍を見せている。
晩年はヤンキースに移籍したがあまり活躍できず、2025年にカブスと1日契約を結んで引退した。
○和田毅(投手)
「松坂世代」の最後の投手。
2003年のプロ1年目から4年ぶりとなる日本一の胴上げ投手になるなどの大活躍で新人王を受賞し、2010年にはキャリアハイとなる17勝を挙げてMVPに輝く。
2012年より海外FAでオリオールズに加入したが、怪我の影響もあってメジャーでは1試合も投げることなく2014年にカブスへ移籍し、2年間で21試合に登板。2016年からは古巣に復帰し、2022年には41歳ながら自己最速となる149km/hを記録するなど健在ぶりを見せつけた。
しかしながら2019年頃から苦しんでいた怪我によってついに限界を感じ、2024年をもって引退。これにより「松坂世代」の選手・福岡ダイエーホークスに在籍歴のある選手・近鉄と対戦経験のある投手全員がNPBから引退した。
○
藤川球児(投手)
2000年代の阪神の勝利の方程式「JFK」のFで、「火の玉ストレート」と呼ばれる強力な速球を武器に日米通算245セーブを挙げたクローザー。
2020年の引退後は解説者や評論家の傍らで阪神の球団本部付特別補佐(SA)を務めており、2025年から監督に就任。球団史上初となる新人監督としてのリーグ優勝を達成している。
○林昌勇(投手)
日本では2009年の第2回WBC決勝でイチローが決勝打を放った時の投手として有名な韓国人選手。この年を含めた2008年~2012年には日本のヤクルトに所属しており、クローザーとして活躍した。
○ジョー・マドン(監督)
現役時代はメジャー経験はなかったが、2008年にはレイズを率いて球団史上初のリーグ優勝を達成し、「レイズ旋風」を巻き起こすと、2016年には長年のジンクスに終止符を打ってカブスを108年ぶりの世界一に導くなど、MLBを代表する名将として知られる。
2020年からはエンゼルスの監督に就任したがなかなかチーム状態は上向かず、2022年6月に解任された。
☆鈴木誠也(外野手)
広島のリーグ3連覇に大きく貢献し、特に2018年以降は長く4番を務めた後、2022年からポスティングシステムで移籍した「神ってる男」。
怪我がちではあるが打棒は健在で、左打者が多い日本人メジャーリーガーの中では貴重な右打者として活躍。さらに傑出度でもMLB上位に位置する活躍を見せている。
2019年の第2回プレミア12では侍ジャパンの4番として史上初の3試合連続本塁打を記録するなど優勝に大きく貢献し、大会MVPに輝いた。
2023年の第5回WBCにも選出されたが怪我で無念の辞退。ユニフォームはチームに同行し、メンバーの手で表彰台に掲げられた。
☆ピート・クロウ=アームストロング(外野手)
高い身体能力を誇る若手外野手。愛称は「PCA」で、刈り上げた金髪に青い星のマークが入った独特なヘアスタイルの時期もあった。
2023年にメジャーデビューを果たし、続く2024年には123試合に出場するなどブレイク。日本で行われた2025年の開幕戦にも来日し、一躍日本でも話題の人になった。
その名前の長さからユニフォームの背ネーム部分が脇の近くまで書かれており、マイナー時代には「CROW-」と「ARMSTRONG」の上下2段に分けられていた。
☆ダニエル・パレンシア(投手)
2023年にメジャーデビューし、2025年途中から守護神に定着したベネズエラ出身投手。
2026年の第6回WBCでもクローザーとして活躍し、胴上げ投手になった。
☆
今永昇太(投手)
「投げる哲学者」の異名を持つ
DeNAのエース。
2019年の第2回プレミア12では鈴木とともに侍ジャパンの優勝に貢献し、2022年6月7日の日本ハム戦では札幌ドーム史上初のノーヒットノーランを達成。2023年の第5回WBC決勝では先発を務め、シーズンでも初のタイトルとなる最多奪三振に輝くと、2024年からポスティングシステムでカブスに入団。
三振を取れるサウスポーながら高めを捉えられて被弾する場面も目立ったため、さらなるパワー自慢揃いのMLBでは不安視されていたが、蓋を開けてみれば異常なまでの高品質速球で空振りを量産し、奪三振能力は全体でも最上位に位置。1年目から15勝3敗・防御率2.91の好成績を残す。
2025年はドジャースとの開幕戦を東京ドームで迎えることもあり、日本人左腕初の開幕投手に指名。4回を無安打無失点に抑える好投で好スタートを切ると終盤まで安定して試合を作る活躍を見せたが、後半戦に被弾が増加するなど前年に比べて安定感に欠ける活躍に終わった。
☆マット・ショウ(内野手)
マイナー時代の2024年には第3回プレミア12にアメリカ代表として出場し、大会打点王とベストナインに輝く活躍を見せた若手内野手。
東京ドームで行われた2025年の開幕戦でメジャーデビューを果たした。
☆ジャスティン・ディーン(外野手)
2025年にドジャースでメジャーデビューし、代走や守備要員として18試合に出場。ブルージェイズとのワールドシリーズ第6戦では9回裏、左中間フェンスにスポッと挟まったボールをすぐに処理せず、即座にエンタイトル二塁打をアピールするという好判断で勝利に貢献し、球団史上初の連覇につなげた。
2026年よりカブスに加入。
☆タイラー・オースティン(一塁手)
2016年にヤンキースでメジャーデビューするといきなり初打席で初本塁打を放つ。
その後は3球団を転々とし、2020年~2025年の6年間は日本のDeNAに所属。2021年の東京五輪ではアメリカ代表として銀メダル獲得に大きく貢献すると、2024年には来日初の規定打席に到達して最後の最後で逆転首位打者に輝くなど
26年ぶりの日本一に大きく貢献した。危険を顧みないハッスルプレーは当時の
三浦大輔監督からも「手本になる選手」と評価されていたが、そのためにたびたび負傷離脱するスペランカー体質も特徴。
2026年からカブスに加入し、今永と再びチームメイトになったが、スプリングトレーニング中に膝の手術で故障者リスト入りするというらしい船出を見せ、早くも前途多難になっている。
◇シンシナティ・レッズ
(秋山翔吾:2020~2021)
略称は「
CIN」。本拠地球場はグレート・アメリカン・ボール・パーク。1994年より西地区から移籍。
プロ野球最古のチームである初代「シンシナティ・レッドストッキングス」の創設地をホームに、1881年に同名のチームとして創設された歴史を持つ。かつてはこれに敬意を表して、レッズは全球団に先駆けて必ず本拠地で開幕戦を行っていた。
赤地に白色の「C」のロゴマークが広島東洋カープ・
中央大学・智弁学園和歌山高校に似ているとよくネタにされる。
1970年代にピート・ローズらを擁した「ビッグレッドマシン」と言われた黄金時代を築いた。
長らく日本人選手が入団していなかったが、2020年に秋山翔吾が入団したことにより、MLB全球団に日本人選手が所属したことになった。
○ウィル・ホワイト(投手)
1882年の球団創設時から3年連続で開幕投手を務めた草創期の大投手。
先代レッズに所属していた1879年にはMLB記録となるシーズン75先発・75完投・対戦打者2906人・680.0イニングの偉業を達成している。
○ジョニー・ヴァンダー・ミーア(投手)
1938年にMLB史上唯一となる2試合連続ノーヒットノーランの偉業を達成した投手。
2試合目は前回登板から4日後であり、最終的に21回と2/3イニング連続無安打のナ・リーグ記録を作った。
○フランク・ロビンソン(外野手・監督)
MLB史上初となる両リーグMVPを筆頭にワールドシリーズMVP・オールスターMVP・三冠王・ゴールドグラブ賞などのありとあらゆる栄誉を獲得した。
引退後はアフリカ系アメリカ人として初の監督になり、エクスポズ最後にしてナショナルズ初の監督でもある。
背番号「20」はレッズ・オリオールズ・ガーディアンズで永久欠番に指定されており、史上2人目となる3球団での永久欠番選手になっている。
○ジョニー・ベンチ(捕手)
17年のキャリアをレッズで全うし、ビッグレッドマシンの中軸かつ扇の要として黄金期を牽引したフランチャイズ・プレイヤー。
新人王とともに捕手としては史上初の新人によるゴールドグラブ賞を獲得し、引退までにMVP2回・GG賞10回・本塁打王2回・打点王3回と錚々たるタイトルを獲得するなど「史上最高の捕手」の呼び声も高い。
資格初年度での殿堂入りを果たし、背番号「5」も球団の永久欠番に指定されている。
○ピート・ローズ(内野手・外野手・監督)
いずれもMLB記録となる通算3562試合出場・15861打席・14053打数・4256安打・シーズン200安打10回などの輝かしい偉業を持ち、晩年は兼任監督も務めていたが、監督に専念していた1989年に野球賭博が発覚したことで永久追放処分を受けた。
とはいえ、あまりに大きすぎる功績が惜しまれて限定的な評価は認められており、2016年には球団殿堂入りと背番号「14」が永久欠番に指定されている。
○ジョー・モーガン(二塁手)
ビッグレッドマシンの一員としてレッズ黄金期を牽引した名二塁手。
通算2517安打・268本塁打を記録した打力、通算1015三振に対して通算1865もの四球を選んだ選球眼、通算689盗塁を決めながら8割以上の成功率を誇る脚力、5度のゴールドグラブ賞を受賞した守備力と全ての能力を兼ね備えた万能二塁手で、1975年・1976年と2年連続でMVPを受賞し、通算rWARは100を超える。
資格初年度にして殿堂入りを果たし、背番号「8」は球団の永久欠番に指定されている。
○デーブ・コンセプシオン(遊撃手)
19年間レッズ一筋でプレーしたフランチャイズ・プレイヤー。
ビッグレッドマシンの守備の要としてモーガンとキーストンコンビを組み、ゴールドグラブ賞にも5回選出。うち4回はモーガンとコンビで受賞している
背番号「13」は球団の永久欠番に指定されている。
○バリー・ラーキン(遊撃手)
19年のキャリアをレッズで全うしたフランチャイズ・プレイヤー。
コンセプシオンと入れ替わる形でレギュラーを獲得し、1990年代を代表する遊撃手へと成長した。
守備力はさることながら、遊撃手初の30-30を達成してシルバースラッガー賞を9度受賞するなど打力と走力も備えた総合型遊撃手としてのパイオニアでもある。
後に殿堂入りを果たし、背番号「11」は永久欠番に指定されている。
○アダム・ダン(外野手・一塁手・指名打者)
三振・四球・本塁打に偏った打撃成績という、ある意味男のロマンのような選手。
恵まれた体格から生み出される特大の1発で通算462本塁打を記録した一方、とにかく三振が非常に多かったことでも有名。通算2379三振は歴代3位で、試合数を超える三振数を多々記録するなど極めて三振が多く、最多三振記録を超えそうになった2012年は最終戦を監督の温情で欠場したほど。
その一方で卓越した選球眼も持ち合わせており、2002年と2008年には出塁率4割をクリアするなど、通算でも打率.237を1割以上上回る.364を記録。いつしか日本の野球ファンの間で本塁打・四球・三振の合計割合を示す「アダム・ダン率」なる指標が確立されている。
また鈍足かつ守備難でも有名で、アメリカ代表として出場した第2回WBCでは侍ジャパンとの準決勝で笑撃衝撃の守備を見せたことで話題になった。あまりにも守備が酷すぎたため、リーグ有数の打力を見せながらWARが0近辺になったこともある。
2011年に指名打者制のあるア・リーグのホワイトソックスに移籍してからは指名打者専任になり、2014年8月にアスレチックスへ移籍。シーズン終了後に引退した。
○ジョーイ・ボット(一塁手)
卓越した選球眼を武器に3割を打つミート力と100試合以上出場したほとんどの年で毎年20本塁打以上を放つ長打力を持ち合わせたカナダ出身スラッガー。
2023年までレッズ一筋で17年間プレーし、2024年8月に引退。
○
トレバー・バウアー(投手)
名門のカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)時代にはゲリット・コールと2枚看板を形成し、野球にもデータ研究などを積極的に活用するMLB屈指のインテリ投手。
2020年には短縮シーズンとはいえサイ・ヤング賞を受賞しており、2023年と2025年には来日してDeNAに所属。
完投にこだわる姿勢は往年のOBからも高く評価されており、それ以外にも野球に真摯な言動や旺盛なファンサービス精神、
打ち込まれた相手投手を気遣うなどの聖人ぶりでファンを虜にしている。
一方で女性問題を筆頭に数々の奇行でも知られるお騒がせ選手としての一面も持ち、MLBからは依然として敬遠されている。
○秋山翔吾(外野手)
西武時代の2015年にNPB記録となるシーズン216安打を放った安打製造機。
2019年オフに海外FAで渡米したが、怪我や不振もあって結果を残すことができずに2022年途中に帰国。MLB挑戦によって新しい環境でプレーしたいという気持ちもあり、奇しくもレッズとロゴが酷似している広島に入団した。
○マット・デビッドソン(三塁手・一塁手)
豪快なスイングから放たれる長打が魅力の選手。2023年は日本の広島でもプレーし、秋山と再びチームメイトになった。
現在は韓国リーグでプレーしており、NPBよりも打高とはいえ2024年には46本塁打を放つという大暴れを見せた。
ちなみに投手としてMLBで6試合・韓国で1試合の登板経験があり、野手登板とは思えないクオリティの高い投球を披露した。2018年には大谷とともにルース以来となる「3登板・15本塁打」の珍記録を達成している。
○スコット・ハイネマン(外野手)
相次いで新外国人選手を失った2021年の巨人が8月に急遽獲得した、レッズで秋山と外野のレギュラーを争っていた選手。
9月11日に来日初出場を果たすといきなり二塁打を放つ。新戦力として期待されたが、来日時から体重が大きく減るなどの原因不明の体調不良に悩まされ、9月末に検査のために帰国。そのまま退団になってしまった。猛帰国賞。
わずか10試合の出場で4安打2打点という成績にとどまるなど、この年の新助っ人3人は総外れになってしまった。
☆エリー・デラクルーズ(遊撃手)
現在のMLBを象徴するスピードスターの1人。
2023年にデビューするといきなり1打席で二盗・三盗・本盗を決めるなどそのスピードで球界を震撼させ、2024年には67盗塁を決めるなど走力での活躍は目覚ましく、2年連続20本塁打を放つパワーも持つ。
一方では218三振を喫し、守備も強肩ながら粗さが目立つ。長所と短所がどちらも目立つロマン型野手として密かな人気を集めている。
☆エウヘニオ・スアレス(三塁手・遊撃手)
2018年の日米野球にMLB選抜として来日したこともあるベネズエラ出身スラッガー。「ジーノ」の愛称で知られる。2019年と2025年には49本塁打を放ち、手に死球を受けても数日で復帰するなどタフネスさも特徴。
2022年にマリナーズへ移籍し、22年ぶりのチームのポストシーズン出場に大きく貢献。2025年はシーズン前半のダイヤモンドバックス時代にMLB史上19人目となる1試合4本塁打を記録し、マリナーズ復帰後は24年ぶりの地区優勝に貢献。ポストシーズンでは不調だったが、リーグ優勝決定シリーズ第5戦で決勝満塁本塁打を放って汚名を払拭した。
2026年よりレッズに復帰。シーズン前の第6回WBC決勝ではハーパーの2ランで同点に追いつかれた直後の9回表に決勝打を放ち、大会優勝に導いた。
◇ミルウォーキー・ブルワーズ
(野茂英雄:1999、マック鈴木:2001、野村貴仁:2002、大家友和:2005~2006、斎藤隆:2011、青木宣親:2012~2013)
略称は「MIL」。本拠地球場はアメリカンファミリー・フィールド。「ブリュワーズ」と表記されることもある。チーム名は名産であるビールの醸造職人を意味する。
同名のチームが複数あり、その1つが現在のオリオールズである。現行のチームは1969年の球団拡張によってロイヤルズとともに結成された「シアトル・パイロッツ」を前身とし、財政難から翌年にミルウォーキーに移転してきた4代目。
当初はア・リーグ西地区だったが、東地区・中地区を経て1998年よりナ・リーグへ移籍。移籍後のリーグ優勝経験がなく、通算でもレイズやマリナーズとともに世界一の経験がないチームの1つ。レイズやマーリンズと同様に低予算の地方球団としても知られ、主力の放出も多いが、2011年の移籍後初の地区優勝を皮切りに地区優勝を5回達成するなど地道な育成でコンスタントに結果を残している。2020年にはアストロズとともに勝率5割未満からポストシーズン進出をナ・リーグで初めて達成。
日本では何度も打率3割を記録していた青木宣親がメジャーでは2年連続で失敗したこともあり、この球団を通してメジャーリーグの厳しさを知った人も多いかもしれない。
本拠地のアメリカンファミリー・フィールドではその立地もあってホットドッグよりソーセージの販売が多く、ブルワーズの選手が本塁打を放った際に左中間にある滑り台を球団マスコットのバーニー・ブルワーが滑り降りるのが名物。6回表終了後にはソーセージの着ぐるみたちが競走を行う「ソーセージ・レース」も行われており、1999年には当時在籍していた野茂も参加している。
このようなイニング間の着ぐるみによるレースは日米のさまざまな球団でも広く行われるようになった。
○テディ・ヒゲーラ(投手)
ア・リーグではメキシコ人選手初の20勝を記録した投手。日本では現役末期にメジャーリーグに挑戦した江夏豊と最後のメジャー枠を争ったことでも知られる。
引退後は2006年の第1回から2013年の第3回までのWBCでメキシコ代表の投手コーチを務めるなど、今もメキシコ野球の重鎮として活動中。
○ロビン・ヨーント(遊撃手・外野手)
19年のキャリアをブルワーズ一筋で終えたフランチャイズ・プレイヤーで数々の球団記録を保持するレジェンド。
歴代20位となる通算3142安打を放ち、遊撃を守った1982年と
中堅手に転向した1989年にMVPに輝いた。異なるポジションでのMVP受賞は史上3人目の快挙であった。
資格初年度で殿堂入りを果たし、背番号「14」は球団の永久欠番に指定されている。アメリカンファミリー・フィールドの設計にも関わっている。
○ポール・モリター(内野手・指名打者・監督)
類稀なバットコントロールを武器に歴代9位となる3319安打を放ったヒットメーカー。
主に1番打者として起用され、歴代10位となる33本の先頭打者本塁打を放ち、通算504盗塁を記録するなどスピードにも優れており「The Ignitor」の愛称通り打線の火付け役として活躍した。3000安打・200本塁打・500盗塁した数少ない選手の1人でもあり、MLB史上最も洗練された攻撃型プレーヤーの1人とも評される。
その反面、守備についてはバッテリーを除く全ポジションでの出場経験があるもののそこまで評価が高くなく、1987年以降は主に指名打者としての出場が多くなった。
ア・リーグ一筋・フルタイムでの指名打者として息の長い活躍を続け、ツインズ時代の1996年には40歳かつ9本塁打ながら打率.341・キャリア最高の113打点・225安打を記録。
資格初年度にして「指名打者」として史上初の殿堂入りを果たし、背番号「4」は球団の永久欠番に指定されている。
○
デーブ・ニルソン(捕手)
野茂とバッテリーを組んだことや2000年に日本の中日にて「ディンゴ」の登録名でプレーしたことでも知られるオーストラリア出身捕手。
2000の年のシドニー五輪と2004年のアテネ五輪ではオーストラリア代表として出場し、侍ジャパンを苦しめた。
引退後の2018年からはオーストラリア代表の監督を務めており、2023年の第5回WBCでは同国初のベスト8を達成。
○青木宣親(外野手)
NPB史上唯一となる2度のシーズン200安打を放った安打製造機。2012年からポスティングシステムでブルワーズに入団。
その後はロイヤルズ・ジャイアンツ・マリナーズへの移籍を経て、アストロズ時代の2017年には日米通算2000安打とイチローに続いて2人目となる日本人野手登板を達成。ブルージェイズ・メッツでもプレーした後に2018年からヤクルトに復帰し、大黒柱としてリーグ連覇と2021年の日本一に貢献。
2024年をもって引退し、現在はGMを務める。
○ドミンゴ・サンタナ(外野手)
2017年には30本塁打を放ち、マリナーズ移籍後の2019年にはイチローの引退試合にもなった日本での開幕戦で満塁本塁打を放ったこともあるドミニカン。
2021年からは日本のヤクルトに所属。リーグ連覇と2021年の日本一に大きく貢献し、2023年途中に3年契約を結ぶなど近年のNPBでも屈指の優良助っ人になっているが、何かと故障が多いスペランカー体質も特徴。
☆クリスチャン・イエリッチ(外野手)
日本・セルビア・ドイツ・オランダなどさまざまな国からの血を引く移民国家アメリカらしい家系を持つアベレージヒッター。
ブルワーズ移籍後に本格的に長打力が伸び、2018年・2019年と2年連続で三冠王に迫る成績を残した。特に後者では打率・出塁率・長打率・OPSの全てでリーグ最高の成績を残している。
その後の3年間は不調に陥り、不良債権化が危惧されたものの復調。2025年には故障の影響でほぼ指名打者専任になったが、リードオフマンとして活躍している。
2023年の第5回WBCでは侍ジャパンへの加入が検討されていた。ちなみに彼自身はアメリカ代表として2017年の第4回WBCに出場し、優勝に貢献している。
☆ジェイコブ・ミジオロウスキー(投手)
2025年にメジャーデビューした怪物右腕。デビュー戦でいきなり5回を無安打に抑える好投を披露し、スタットキャスト導入以降では球団史上最速となる102.3マイルを記録。次の登板でも6回をパーフェクトに抑え、先発投手がデビューから11イニングを無安打に抑えるという近代MLB初の記録を樹立した。
2026年は開幕投手を務め、9回95球・15奪三振・1安打・無四球の快投でマダックスを達成。さらにこの試合で球速が公式記録されるようになった2008年以降で先発投手最速となる104.5マイル(約168.1km/h)を記録した。
ポケモンのファンとして知られ、2025年のオールスターでは
ルギアが裏地にプリントされたジャケットを着用してセレモニーに参加した。8月にはポケモンカードで
リザードンを引き当てて大喜びする様子がMLBの公式アカウントに投稿されている。
☆アントニオ・センザテーラ(投手)
速球とスライダー・カーブ・チェンジアップを駆使してゴロの山を築くベネズエラ出身投手。ロッキーズ時代の2020年には安定した投球で5勝3敗・防御率3.44とローテーションの一角として活躍した。
しかし、トミー・ジョン手術から復帰した2025年は奪三振能力の低さや味方の拙守もあって登板するたびに打ち込まれ、ロッキーズの歴史的低迷もあってチームが10勝する前に自身が10敗。1イニングすら投げられず9失点するなど失態を重ねた結果、最終的にはリリーフに回されてしまったが、その派手な炎上ぶりで日本でも主にネタ的に密かに話題を集めるようになっている。
2026年の第6回WBCではベネズエラ代表に選出されたが、ドミニカ共和国戦で登板した際に期待通り手痛い1発を浴びた際にも謎の盛り上がりを見せた。しかし2位通過になったことでアメリカやドミニカ共和国とは決勝まで当たらなくなり、スキーンズとの対決を回避するなどめぐり巡って大会に優勝につながったとする意見もある。
シーズンでもリリーフとして出発したが前年とは打って変わって好投を披露し、TDLでブルワーズに移籍。
◇ピッツバーグ・パイレーツ
(桑田真澄:2007、岩村明憲:2010、高橋尚成:2012、
筒香嘉智:2021~2022)
略称は「
PIT」。本拠地球場はPNCパーク。チーム名は1890年のプレイヤーズ・リーグの創設と解散の混乱に乗じて他球団の選手をこっそり引き抜いた際、「盗人行為」との批判を自ら
海賊と開き直ったことに由来するという。1994年より東地区から移籍。
1882年創設の古豪だが、1992年の地区3連覇後はアメリカプロスポーツでも最悪となる20年連続負け越しを喫していた。
しかし2012年はA.J.バーネットの復活や走攻守揃ったアンドルー・マカッチェンを軸に戦力が整い、途中で首位を奪うなど善戦。続く2013年にはダルビッシュから82勝目を挙げて勝ち越しを確定させ、不名誉な記録にようやく終止符が打たれた。
惜しくも地区シリーズではカージナルス相手に敗退したものの、それでもチームの大きな躍進に地元ピッツバーグには歓喜が湧き起こり、これをきっかけに2015年まで3年連続でポストシーズンに進出。その後は再び低迷しており、再度の巻き返しを狙う。
本拠地のPNCパークはアレゲニー川沿いにあり、外野席から望める鮮やかな黄色のロベルト・クレメンテ橋と高層ビル群が1つになった光景は屈指の美しさと評判。この景観を生かすためにスコアボードは左翼に設置し、照明灯も右翼側には設置されていない。右翼方向はフェンスが高い分狭くなっており、アレゲニー川に直接飛び込むこともある。
○コニー・マック(捕手・監督)
MLB黎明期に活躍した捕手。プロ野球監督としては珍しくスーツ姿で指揮をとっていたことでも有名。
1894年からの3年間はパイレーツで選手兼任監督を務め、その後は共同経営者としてフィラデルフィアで結成されたアスレチックの発足メンバーになり、初代監督に就任。1901年から1950年までの50年間に渡って在任し、リーグ優勝9回・世界一5回に導く。53年かけて積み上げた通算3731勝・3948敗はMLB記録である。
○ラルフ・カイナー(外野手・解説者)
1946年~1952年にかけて7年連続本塁打王の記録を持つ強打の外野手。
しかし記録が途切れてからは故障続きで思うような打撃ができず、32歳の若さで引退した。
引退後はメッツお抱えの名物解説者として51年もの長きに渡って活躍。1962年に誕生したばかりの新興球団を中継スタッフとしての立場から支え続けた。
2014年に死去。選手としてパイレーツで、解説者としてメッツでそれぞれ永久欠番に指定されており、選手と選手以外の双方で顕彰されている唯一の人物になっている。
○ロン・ネッチアイ(投手)
マイナーに所属していた1952年に9回27奪三振の偉業を達成した投手。四死球・失策・振り逃げで走者を出しているためにノーヒットノーランであり、1つだけ内野ゴロでアウトを取った以外は全て三振で奪った。
大記録の達成によって一躍時の人になり、1952年には念願のメジャーデビューを果たしたが、12試合で1勝6敗・防御率7.08と振るわず、31奪三振に対して32与四球と三振が四球を下回ってしまった。
○ロベルト・クレメンテ(右翼手)
18年間パイレーツ一筋のメジャー生活において、打っては通算3000安打に首位打者4回・シーズン打率トップ10入り13回、守っては「クレメンテのところに飛んだら進塁を諦めろ」と言われたほどの強肩で通算267捕殺・外野手での最多タイのゴールドグラブ賞12回という実績を挙げたヒスパニック系メジャーリーガーのパイオニア。
1972年12月に大地震が発生したニカラグアへ支援活動を行うために渡航しようとした際、搭乗していたチャーター機がカリブ海に墜落したことで38歳の若さで死去。その死を悼み、通常は引退後5年としている野球殿堂入りの被投票資格が特例で短縮されたことで翌年に殿堂入りを果たし、背番号「21」は球団の永久欠番に指定された。
現在も慈善活動に尽くしたメジャーリーガーに贈られる「ロベルト・クレメンテ賞」や本拠地のPNCパークから見える「ロベルト・クレメンテ橋」に名前が残っており、右翼フェンスの高さは彼の背番号にちなんで「21」フィートである。
ちなみにプロ入りはドジャースだったが、黒人排斥の風潮からマイナーでも満足な出場機会を得られなかった。
○ビル・マゼロスキー(二塁手)
17年間のメジャー生活全てをパイレーツ一筋で活躍した、球団では存命する最後の永久欠番選手(背番号「9」)。
通算138本塁打ながら通算守備率.938を記録し、ゴールデングラブ賞8回という守備の名手だったが、1960年のワールドシリーズでは現在でも史上唯一となる「3勝3敗の第7戦でのサヨナラ本塁打」というド派手な一発で世界一に導いた。
○ウィリー・スタージェル(一塁手・外野手)
21年間のメジャー生活全てをピッツバーグで過ごしたフランチャイズ・プレイヤー。通算475本塁打は球団記録である。
1973年にはドジャー・スタジアムでの場外本塁打を放っており、1979年には精神的支柱として世界一に大きく貢献。史上最年長となる39歳でMVPに選出されただけではなく、現在でも唯一となるシーズン・リーグ優勝決定シリーズ・ワールドシリーズのMVP三冠の快挙を達成している。
背番号「8」は球団の永久欠番に指定されている。2001年4月9日、PNCパークでの公式戦初開催日の未明に死去。
○トニー・ペーニャ(捕手・監督)
現役時代は捕手として活躍したトニー・ペーニャ。
2003年からはロイヤルズの監督を務め、リーグ最優秀監督賞を受賞。しかし、2004年は一転して104敗を喫して最下位に沈み、2005年もリーグワースト記録となる33試合で8勝25敗と振るわなかったことから5月に解任された。
2013年の第3回WBCではドミニカ共和国代表を率いて大会史上初となる全勝で優勝に導いた。
○桑田真澄(投手)
PL学園高校時代は清原和博との「KKコンビ」で一世を風靡し、プロ入り後も巨人で故障に苦しみつつも長年に渡ってエースを務めた投手。1994年の中日との優勝をかけた最終決戦「10.8」の胴上げ投手としても知られる。
2008年から39歳にしてメジャーリーグに挑戦。マイナー契約とはいえパイレーツ初の日本人選手になり、投手陣が壊滅的なこともあってメジャーに昇格。39歳70日でのメジャーデビューは当時の日本人選手最年長で、一時は中継ぎに定着しかけたが、やはり年齢的な衰えは隠せず、現役を引退した。
引退後は解説者や評論家として活動する傍ら早稲田大学大学院で知見を深め、2010年に首席で修了。2021年からチームに復帰し、2025年まで投手コーチ・ファーム総監督・二軍監督を歴任した。
○グレゴリー・ポランコ(外野手)
2014年~2021年の8年間で通算96本塁打を放ったドミニカン。
2022年に来日して巨人に入団。24本塁打を放って同じくこの年入団したアダム・ウォーカーとともに球団史上初の「入団1年目の新外国人選手によるアベック20本塁打」を記録した。
2023年からは
ロッテに移籍しており、26本塁打を放って千葉移転後初となる本塁打王のタイトルを獲得した。
「ボールがよく見える」という理由で神宮では好相性を誇る。
○ホセ・オスナ(一塁手・三塁手・外野手)
2017年は215打席で40三振、2019年も285打席で48三振というコンタクト率の高さと内外野の複数ポジションを守れるユーティリティー性が売りのベネズエラ出身選手。
2021年からはサンタナとともに日本のヤクルトに入団。NPBではほぼ一塁手として出場し、故障も少ないことから毎年のように110試合以上に出場。サンタナとのコンビでリーグ連覇と2021年の日本一に大きく貢献し、2022年も
CSMVPに日本シリーズ敢闘選手賞を受賞するなど気を吐いた。
2024年途中に3年契約を結ぶなどチームに欠かせない存在になっている。
○
筒香嘉智(一塁手・三塁手・外野手)
DeNAが誇る主砲。2020年からポスティングシステムで渡米し、レイズやドジャースを経て2021年途中に移籍。
その後はマイナーや独立リーグでもがき続けた末に2024年4月に帰国し、義理を通して古巣へ復帰。復帰戦でいきなり逆転3ランを放つなどファンを沸かせた。
後半は代打出場も多くなったが、ソフトバンクとの日本シリーズ第6戦では先制本塁打を放つなど4打点を挙げて26年ぶりの日本一に貢献。優秀選手賞を受賞した。
○アンドリュー・マカッチェン(中堅手)
オールスター5年連続出場、ゴールドグラブ賞2年連続受賞、シルバースラッガー賞4年連続受賞などの記録を持つMLB有数の外野手。
2013年はチームの不名誉な記録を止めてポストシーズンに導いたことが評価され、MVPを受賞。2018年から各球団を転々とした後2023年に復帰し、6月に通算2000安打を達成した。
☆ポール・スキーンズ(投手)
高校卒業後の2年間は空軍士官学校に入学していたという異色の経歴を持つ投手。
2024年にメジャーデビューすると安定した投球を続け、野茂以来5人目となる新人選手のオールスター先発登板の快挙。最終的には23試合で11勝3敗・防御率1.96の好成績を残し、新人王に選出された。
続く2025年は10勝10敗ながら30球団唯一の1点台となる防御率1.97と圧倒的な数字を残し、サイ・ヤング賞に選出された。
2026年の第6回WBCでは愛国心を胸にアメリカ代表のエースとして活躍し、大会ベストナインに選出された。
☆カービー・イエーツ(投手)
パドレス時代の2019年には41セーブを挙げてセーブ王に輝いたクローザー。MLBでは珍しくスプリットを中心に投げる投手である。
日本では2018年の日米野球第1戦で柳田悠岐に逆転サヨナラ2ランを浴びた投手としても知られる。
2026年途中にパイレーツへ加入。
◇セントルイス・カージナルス
(田口壮:2002~2007、ラーズ・ヌートバー:2021~2026)
略称は「STL」。本拠地球場はブッシュ・スタジアム。「カーディナルス」と表記されることもある。チーム名はカトリック教会の高位聖職者の称号である枢機卿、およびその衣に似た色合いを持つ地元の州鳥ショウジョウコウカンチョウを意味する。1994年よりパイレーツとともに東地区から移籍。
1882年から存在する、リーグ優勝19回・世界一11回の実績を誇る名門球団。カブスとはライバル関係にある。
2019年には前年途中にプロ未経験ながらスカウト・コーチを経て就任したマイク・シルト監督の元で地区優勝およびリーグ優勝決定シリーズ進出を果たし、最優秀監督賞を受賞。
安定して上位に食い込み続ける名門球団だが、近年はヤディアー・モリーナ、アダム・ウェインライトの引退など戦力入れ替えの時期が続き、やや成績が落ち込んでいる。
○スタン・ミュージアル(外野手)
「The Man」の愛称で親しまれたカージナルス一筋のフランチャイズ・プレイヤー。
歴代4位となる通算3630安打に加えて475本塁打を記録した強打の外野手で、首位打者にも7度輝いている。
1958年の日米野球でも来日し、稲尾和久や杉浦忠といった日本のエースからも本塁打を放った。
人格者として知られ、引退後はGMとしてカージナルスの世界一に貢献した。
打撃部門の球団記録をほぼ総ナメしており、背番号「6」は球団の永久欠番に指定されている。
○ロジャース・ホーンスビー(二塁手・監督)
首位打者7回・3度の打率4割・MLB初となる2度の三冠王にナ・リーグ記録となるシーズン打率.424などのさまざまな記録を残した「史上最高の二塁手」。
通算23年間のキャリアの中で半数は選手兼任監督としてプレーしており、1925年には監督として指揮をとりながら打率.403・39本塁打・143打点で選手兼任監督唯一の三冠王という異次元の成績を残している。
キャリアの大半を背番号のない時代に過ごしたため、最も在籍期間の長かったカージナルスではチームロゴの「SL」が永久欠番扱いになっている。正式に指定されたのは1963年の死去をもってだが、表彰自体は1937年のオフであり、正式な永久欠番第1号であるゲーリッグよりも1年半ほど早いことからこちらが永久欠番第1号として扱われることもある。
○ブルース・スーター(投手)
通算300セーブに4年連続を含めたセーブ王5回を誇る、MLBにおけるクローザーの草分け的存在の投手。スプリットボールを世に最初に広めた人物とも言われる。
当時のクローザーは8回から登板することも珍しくなく、彼もご多分に漏れずに100イニング以上登板した年が5回ある。
2006年に先発経験のない投手としては史上初となるアメリカ野球殿堂入りを果たし、背番号「42」はジャッキー・ロビンソンと連名で球団の永久欠番に指定された。
○オジー・スミス(遊撃手)
「The Wizard of Oz」の異名を取った守備型ショートストップの頂点。
見る者を魅了する華麗な守備は印象だけでなく数字にも表れており、通算8375補殺はMLB記録でゴールドグラブ賞13度も遊撃手としては歴代最多。
キャリア最序盤は打力に乏しかったもののカージナルス移籍後は改善され、通算2460安打・580盗塁を記録している。
○トニー・ラルーサ(二塁手・遊撃手・監督)
1989年途中~1995年にはアスレチックスの監督を務め、1989年にはジャイアンツをスイープして15年ぶりの世界一を達成。
1996年からはカージナルスを指揮し、2006年にはタイガースを下して史上2人目となる「両リーグでの世界一監督」になった。5年ぶりの世界一を達成した2011年をもって勇退し、背番号「10」が球団の永久欠番に指定された。
2021年からは2年間ホワイトソックスの監督も務めており、監督として通算2902勝を記録している。
○マーク・マグワイア(一塁手)
歴代11位となる通算583本塁打を放ったスラッガー。
1998年にはソーサと熾烈な本塁打王争いを展開して全米を熱狂させ、最終的にシーズン70本のMLB新記録を樹立して4本差で勝利した。
しかし、この年打率.303・37本塁打・122打点・28盗塁でMLB史上初の「400-400」を達成しながら2人の影に完全に隠れてしまったボンズのプライドを大いに刺激し、スピードを捨ててまでパワーに特化するきっかけになったと言われる。
当の彼自身も薬物に手を出していたことを引退後に告白しており、2016年には殿堂入り資格を失った。
○
アルバート・プーホールズ(内野手)
10年連続打率3割・30本塁打・100打点を達成した、MLB最高の打者の1人としても呼び声高いドミニカン。通算703本塁打は歴代4位で、アメリカ以外の選手では史上最多を誇る。
通算426併殺・一塁手としてシーズン185捕殺はMLB記録。
エンゼルスやドジャースに移籍し
て死刑囚化した時期もあったが、最後は古巣に戻った。引退を表明して望んだ2022年は前半こそイマイチだったが、オールスターに出場してからは突如全盛期を思い出したかのように爆発。史上4人目となる通算700号に乗せるなど往時の輝きを取り戻してカムバック賞を受賞し、チームを地区優勝に導いて勇退した。
2026年の第6回WBCではドミニカ共和国代表の監督を務めた。
○田口壮(外野手)
オリックス時代はイチローとともに鉄壁の外野陣を形成した守備の名手。
メジャーではスーパースターになったイチローとは対称的ないぶし銀のスーパーサブとして活躍。守備走塁に加えて勝負強い打撃も持ち味で、ポストシーズンで相手守護神からしばしば本塁打を放つなど意外性も持ち合わせており、カージナルスとフィリーズの2球団で世界一に貢献。
中でも2006年のカージナルスでの世界一の際には右翼を守っており、世界一の瞬間をグラウンドで味わった初めての日本人選手になった。
○ヤディアー・モリーナ(捕手)
18年間カージナルス一筋で活躍したプエルトリコ出身の名捕手。
ロケットランチャーとも称された強肩を生かした送球と守備面の評価が高く、2008年から8年連続を含む9回のゴールドグラブを受賞するなど現役最高捕手とも名高かった。通算刺殺数15122は捕手としてはMLB記録である。
WBCにもプエルトリコ代表の大黒柱として第1回大会から出場し、2大会連続の準優勝に貢献している。2022年に現役を引退し、プエルトリコ代表の監督に就任した。
3兄弟の末弟で、長兄のベンジー・次兄のホセもMLBで捕手として活躍した。3兄弟が揃って2つずつチャンピオンリングを獲得しており、これはMLB史上初の快挙である。3人合計6個のチャンピオンリングはギネス記録にも認定された。
2人の兄はエンゼルスで一緒に所属していた期間があり、兄弟がともに捕手として同一チームに同時期に所属していたのは近代MLB初の事例である。ヤディアーは兄とチームメイトになったことはなかったが、2013年の第3回WBCではホセとともに選出されている。
○アダム・ウェインライト(投手)
モリーナと1年違いでこちらもメジャー生活をカージナルス一筋で18年投げ続け、最多勝を2度獲得したエース。晩年は故障にも悩まされたが、通算200勝を達成した2023年をもって勇退した。
モリーナとのバッテリーでの先発出場は325試合を数え、MLBの先発では史上最多である。
引退後は歌手になるとのこと。
○
呉昇桓(投手)
韓国リーグ記録となる通算427セーブ・シーズン47セーブを誇るコリアン守護神。2014年からの2年間は日本の阪神でもプレーし、2014年にはCSMVPに輝くなど2位からの
日本シリーズ進出に大きく貢献した。日米も含めて3か国で通算549セーブの実績を持つ。
2025年をもって引退。
○金廣鉉(投手)
幾度となく侍ジャパンとの日韓戦に登板しては好投を見せた「日本キラー」。
2023年の第5回WBCでは侍ジャパンとの試合に先発し、ダルビッシュとの懐かしいマッチアップが話題になったが、3回途中4失点と振るわなかった。
西地区
1969年の球団拡張によって創設。
◇アリゾナ・ダイヤモンドバックス
(斎藤隆:2011、平野佳寿:2018~2019、
ラーズ・ヌートバー:2026~)
略称は「
ARI(AZ)」。本拠地球場はチェイス・フィールド。チーム目は地元に生息するダイヤガラガラヘビに由来する
が球団のマスコットキャラクターはオオヤマネコのバクスター・ザ・ボブキャットである。
名前の長さから「Dバックス」と表記されることもあり、ユニフォームでも「Diamondbacks」が全て表記されたのは初代ののみで、これ以降の胸文字は「Arizona」または「D-Backs」と表記されている。
1998年の球団拡張によってデビルレイズとともに誕生した球団。2001年にマリアーノ・リベラへポストシーズン唯一の黒星をつける逆転サヨナラ勝利でヤンキースの4連覇を阻止し、マーリンズの記録を更新する創設4年目で世界一という史上最速の偉業を達成している。
2010年オフにはダルビッシュの獲得に名乗りを挙げ、最大総額65億円を用意するとの報道があったが実現せず、2011年オフに斎藤隆を獲得したことで初の日本人選手になったが、怪我で成績が振るわなかった。
なお、2017年から就任したトーリ・ロブロ監督は2000年に日本のヤクルトでプレーしており、その縁から2023年の春季キャンプで
古田敦也が臨時コーチをしている。
本拠地のチェイス・フィールドはアリゾナという年間を通して温かい地域にあることや海抜332mという高所に位置することから打球が飛びやすく、打者有利の球場として知られる。中堅が深くフェンスが高いために本塁打は出にくいものの、複雑な形状の外野フェンスから長打が出やすい。
さらに右中間の外野席にはプールがあり、直接打球が飛び込む「プール・ショット」が発生することもある。
○
金炳賢(投手)
アンダースローながら最速150km/hを超える速球を誇るコリアンサブマリン。
1999年にメジャーデビューし、2001年にはアジア人初のワールドシリーズ出場を果たした。2011年には日本の楽天にも入団したが、
一度も一軍で登板することなく退団。それなりのメジャー経験のある外国人投手が一軍登板なく終わったのは異例。
一方、日本では2006年の第1回WBC準決勝にて代打で登場した今大会絶不調の福留孝介が先制2ランを放った時の投手としても有名で、実況の松下賢次アナウンサーの「
生き返れ福留!」とともに長く語り継がれている。
○アレックス・カブレラ(一塁手)
2000年代に主に日本の西武で活躍し、2度のリーグ優勝と2004年の日本一に大きく貢献。ローズに並ぶパ・リーグ記録であるシーズン55本塁打を記録するなどNPB通算357本塁打を放ったベネズエラ出身スラッガー。
来日当初から圧倒的な長打力でNPBを席巻し、しばしば本拠地の
西武ドームの場外に飛び出す特大の本塁打を放った。あまりに強すぎるパワーが災いして天井に直撃してしまうことも少なくなく、後に外野のフェア地域の天井に当たった場合に限り「認定本塁打」が適用されるというグラウンドルールが改訂され、2005年には推定飛距離180mとも言われる新ルール適用第1号となる本塁打を記録した。
近鉄時代のローズとは激しい本塁打王争いを繰り広げており、2003年には50本塁打を放ちながら1本差でタイトルを逃すというハイレベルな対決だった。2008年と2009年にはオリックスでチームメイトになっている。
○ランディ・ジョンソン(投手)
身長208cmを誇る長身サウスポー投手。左投手としては歴代最多となるサイ・ヤング賞5回を誇り、歴代2位の通算4875奪三振を記録するなど「
MLB最高のサウスポー」との呼び声も高い。
2001年のヤンキースとのワールドシリーズでは第2戦と第6戦の先発勝利に加え、第7戦でも連投して3勝を挙げて球団史上初の世界一に大きく貢献。シリーズMVPに選出された。
実績もさることながら
投げた球が飛んできた鳩に直撃して殺してしまったという「バードストライク」も有名。さすがに本人もショックを受けたらしく、その日は炎上してしまった。
プライベートではドラム演奏が趣味で、その腕前もプロ級。日本のメディアに出演した際にはザ・ドリフターズの加藤茶とドラム対決をしたこともあった。
引退後はフォトグラファーに転身。
NFLの公式カメラマンとして活動する姿も目撃されている。
背番号「51」はマリナーズとダイヤモンドバックスでそれぞれ永久欠番に指定されている。
○カート・シリング(投手)
2001年にはジョンソンと合わせて43勝・665奪三振を記録し、ポストシーズンでも3試合連続完投勝利の活躍を披露して球団史上初の世界一に大きく貢献。ジョンソンと2人でワールドシリーズMVPに選出された投手。
○トーリ・ロブロ(内野手・監督)
現役時代は7球団を転々とし、上記のように2000年には日本のヤクルトに所属。
引退後はブルージェイズやレッドソックスでコーチを歴任し、2017年からダイヤモンドバックスの監督に就任。1年目からチームを6年ぶりのポストシーズン進出に導いた功績を評価されて最優秀監督賞を受賞し、2023年には22年ぶりのリーグ優勝とワールドシリーズ進出を達成した。
NPBでの経験を生かして犠打も積極的に行っており、時間厳守や早出特練、身だしなみや球場環境の手入れといった野球への姿勢も徹底させている。
○
平野佳寿(投手)
オリックスを代表する
劇場王鉄腕リリーバー。
2018年からダイヤモンドバックスに加入し、日本人投手最多となる75試合に登板する鉄腕ぶりをここでも発揮した。
その後はマリナーズへの移籍を経て2021年より古巣に復帰し、リーグ3連覇に貢献。2023年にはNPB史上初となる日米通算200セーブ・200ホールドの快挙を達成し、さらにパ・リーグ初となる
日米通算250セーブを挙げて名球会入りを果たした。
2024年にはNPB単独での250セーブも記録している。
○チアゴ・ビエイラ(投手)
2013年の第3回と2026年の第6回WBCにブラジル代表として出場経験があり、2020年~2022年の3年間で日本の巨人に所属し、NPB最速となる166km/hを計測した剛速球の持ち主。
それ以外にも日本シリーズ最速となる164km/h、オールスター最速となる163km/hをそれぞれ計測し、外国人投手のNPB記録となる32試合連続無失点を達成するなどさまざまな記録を持つ。
2024年6月にダイヤモンドバックスへ加入したが、2025年にトミー・ジョン手術を受けたことで自由契約になった。
当時の原辰徳監督からは努力家で研究熱心な姿勢を評価されていた。普段は明るく陽気な性格だが試合になると性格が変わり、打者を抑えた際には激しい雄叫びを上げることも多い。
☆コービン・バーンズ(投手)
ブルワーズ時代の2021年には開幕から無四球で58奪三振というMLB記録を叩き出し、サイ・ヤング賞も受賞したエース。翌年にもリーグ1位の243奪三振を記録し、投手陣の主軸を担っていた。
2025年からダイヤモンドバックスに加入したが、6月にトミー・ジョン手術を受けたことでシーズンを終えた。
☆ノーラン・アレナド(三塁手)
2013年にロッキーズでデビューして以来10年連続でゴールドグラブ賞に輝くなど高い守備力を誇る三塁手。
打撃は当初中距離タイプという触れ込みだったが、本拠地の環境もあってパワーにも開花。総合力の高い三塁手として活躍していたが、近年は中距離タイプに逆戻り。打者有利の本拠地のチームで打棒復活なるか。
☆ラーズ・ヌートバー(外野手)
若きリードオフマンかつ切り込み隊長。日本人の母を持つハーフで日本名は「榎田達治」。
2023年の第5回WBCでは史上初の日系侍ジャパン選手として招集。当初は懐疑的な声も多かったものの、長打力のある打撃にボール球を見極められる選球眼、安定した守備や出塁時の「ペッパーミル・パフォーマンス」で日本中を虜にし、14年ぶりの優勝に大きく貢献。
2026年のTDLでダイヤモンドバックスに加入。
☆林昱珉(投手)
マイナーに所属する、将来を渇望される台湾出身の若手サウスポー。アジア人らしからぬ両腕の刺青が特徴。
2024年の第3回プレミア12にも出場し、台湾のエースとして活躍。当初はスーパーラウンドでの侍ジャパン戦に先発する予定だったが、順位の関係で翌日の決勝での再戦が決定したため、罰金を払ってまで登板を回避。
満を持して臨んだ決勝では日の丸打線を4回1安打無失点に抑える好投を披露し、優勝に大きく貢献した。
◇コロラド・ロッキーズ
(吉井理人:2000、マック鈴木:2001、松井稼頭央:2006~2007、菅野智之:2026~)
略称は「COL」。本拠地球場はクアーズ・フィールド。
1993年の球団拡張でマーリンズとともに誕生した、ロッキー山脈のただ中にあるデンバーを本拠地とするチーム。キリスト教信仰を重視しており、日曜日には礼拝も行われている。
2007年にワイルドカードから球団史上初のリーグ優勝を達成したが、ワールドシリーズではレッドソックスに4連敗のスイープで敗退しており、通算でもレイズ・マリナーズ・ブルワーズとともに世界一の経験がないチームの1つ。マーリンズと同様に地区優勝の経験もない。
2025年は開幕から前年のホワイトソックスすら凌駕するほどの異次元の負けっぷりを披露。40試合を終えた時点で2度の8連敗を含めた7勝33敗と最下位を独走し、6月1日には59試合で50敗という近代MLB最速記録を樹立。
最終成績は43勝119敗で、辛うじて前年のホワイトソックスよりは勝てたものの、4位のダイヤモンドバックスにすら37ゲーム差をつけられただけでなく、得失点も597得点に対して1021失点と4桁を記録。その差はマイナス424点で、これは1932年のレッドソックスが記録したマイナス349点をも上回るMLBワースト記録を樹立した。
本拠地のクアーズ・フィールドは標高1600mの高地にあり、「マイル・ハイ」と呼ばれる。空気抵抗の少なさと低気圧から打球が非常に飛びやすく、変化球が曲がりにくくなるなど恐ろしいまでの打者有利の環境であることから「投手の墓場」とさえ呼ばれる。
フィールド自体はかなり広いが、その立地ゆえに当初は広い球場を嘲笑うかのように打球が飛び交い、多数の長打が量産される狂った打者天国であった。それゆえに伝統的に強打者が揃っており、極めて投低打高が顕著なチーム。
このような地獄の環境で1996年9月17日、ドジャースの野茂英雄が開場以来初にして現在でも唯一のノーヒットノーランを達成。その投球は完全試合に匹敵する偉業と讃えられている。
現在ではこの球場で試合をする場合に限りボールを湿らせることが例外として認められ、フィールドの広さもあって本塁打数は抑えられるようになった。これは野茂のノーヒットノーランが雨の日に達成されたことをヒントに発案されたものだという。
この球場で1-0のスコアで終わった試合は1995年4月26日の開場から10年後の2005年7月9日までなく、かつこれまで11回しか起きていない。
○ダンテ・ビシェット(外野手)
黎明期のロッキーズを支えた強打の外野手。1995年には40本塁打・128打点で2冠に輝き、翌年は31本塁打・31盗塁で30-30を達成した。
なお、1999年に記録した打率.298・34本塁打・133打点は一見優秀な成績ながら、球場補正を加味した貢献度であるwRC+という指標ではリーグ平均程度にあたる100にとどまっており、当時のクアーズ・フィールドの狂った環境を示す成績として話題になることがある。
メッツに所属する息子のボーも父と同じく守備難の強打者として活躍している。
○ラリー・ウォーカー(外野手)
エクスポズで育ち、1997年にはカナダ出身選手として初のMVPを受賞。通算2160安打・383本塁打・1311打点はカナダ出身者の最多記録である「史上最強のカナディアン」。
引退後も国際大会でカナダ代表のコーチを歴任するなど未だにカナダ野球の重鎮として活躍しており、2020年に背番号「33」が球団の永久欠番に指定され、さらに球団史上初のアメリカ野球殿堂入りを果たした。
○トッド・ヘルトン(一塁手)
17年間のメジャー生活全てをコロラド一筋で活躍したフランチャイズ・プレイヤー。一塁手としては史上3人目となる8年連続打率.315以上を記録し、2007年の球団史上初のリーグ優勝に大きく貢献。
首位打者と打点王の二冠に輝いた2000年には規定打席をクリアした上で一瞬だけ打率4割を達成していたが、当時はMLBのスコアボードで事細かに選手の打撃成績を表示していなかったために誰も気がつかず、結局4割打者誕生はならなかった。
背番号「17」は球団選手初の永久欠番に指定されている。
○チャーリー・ブラックモン(外野手)
2008年のドラフト指名からそのキャリアをロッキーズ一筋で貫いたフランチャイズ・プレイヤー。
打者有利の本拠地の恩恵も受けて2017年には首位打者を獲得。4度のオールスター出場に2度のシルバースラッガー賞にも輝いた名手であり、名実ともにチームの屋台骨を支え続けた。
2024年に突如引退を発表。引退試合は大谷が所属するドジャース戦で行われ、日本でも大谷が現役最後の安打を放ったブラックモンに対し、ボールボーイに記念ボールを残しておくよう指示する相手への敬意を欠かさない粋な仕草などが注目を集めた。
なお、デビュー以降伸ばし続けてきた分厚い髭に覆われたイカつい風貌に反して、学生時代は学業でも優秀な成績を収めたインテリでもあり、また自身のSNS上では「チャック・ナッツィー」としてネタツイートやおもしろ画像などをなどもしきりに投稿している。
☆カイル・フリーランド(投手)
地元のデンバー産まれで高校もデンバー、プロ入り後はファンだったロッキーズ一筋で活躍するエース。2018年には投手地獄の本拠地で17勝7敗・防御率2.85・173奪三振という見事な成績を残してポストシーズン進出に大きく貢献した。2023年の第5回WBCでは代替選手としてアメリカ代表にも選出されている。
2025年にはチームの大不振もあってリーグ最多の17敗を喫したが、それでもなお年中投壊気味のロッキーズにおいてイニングイーターとしての役割を全うしている。
☆クリス・ブライアント(三塁手・外野手)
カブス時代の2015年には新人王に輝き、続く2016年はMVPを受賞するなど108年ぶりの世界一に大きく貢献した選手。
2022年から7年契約でアレナドとトレバー・ストーリーを放出したばかりのロッキーズに加入したが、新天地では怪我もあって攻守ともに不振に陥っている。
☆菅野智之(投手)
MVP3回・沢村賞2回を誇る巨人のエースにして原辰徳前監督の甥。
2025年に海外FAでオリオールズに加入。下位に低迷するチームにあって35歳という高齢かつ初のMLB挑戦という状況にありながら1年間ローテーションを守り、30試合に登板して10勝10敗の成績を残した。
MLBでもその制球力は健在だったが、リーグワーストとなる33被本塁打を浴びるなど指標面では先発投手における最底辺クラスながら、それでも2桁勝利という結果を残したことから「指標では測れない投球術を持っている」「巨人時代の負け運が回収された」と評されることが多い。
2026年はロッキーズに加入。
◇ロサンゼルス・ドジャース
(野茂英雄:1995~1998, 2002~2004、石井一久:2002~2004、木田優夫:2003~2004、中村紀洋:2005、斎藤隆:2006~2008、
黒田博樹:2008~2011、前田健太:2016~2019、ダルビッシュ有:2017、筒香嘉智:2021、
大谷翔平・
山本由伸:2024~、
佐々木朗希:2025~)
略称は「
LAD」。本拠地球場はドジャー・スタジアム。
1884年にニューヨークはブルックリンで創設された名門球団であり、このチーム名は地元民が頻繁に運転されていた路面電車を「避ける人たち」と呼ばれていたことに由来する。1958年にロサンゼルスへ移転してからは人気・実力ともに同じ街のエンゼルスを凌駕しており、リーグ優勝24回・世界一9回はいずれもリーグトップクラス。
ナ・リーグの雄としてヤンキースとはワールドシリーズで12回対戦しており、これはポストシーズン全体でも最多の対戦カードになっている。州間高速道路5号線でつながっているエンゼルスとの対戦は「フリーウェイ・シリーズ」と呼ばれる。
野球の試合作りをマニュアル化した『ドジャースの戦法』という書籍を世に出し、巨人の「V9」の基礎になったり、ユニフォームのデザインがほぼそのまま
星野仙一監督時代の中日に採用されたりと、日本の野球にも多大な影響を与えたことでも知られる。
1995年に野茂が入団したことで一気に日本での知名度が上がり、日本では終わった選手とされていた斎藤隆が大活躍するなど日本人選手の獲得にも積極的。
1988年を最後にリーグ優勝から遠ざかったが、2012年からオーナーがグッゲンハイム・グループに代わったことで積極補強に転じ、2020年には32年ぶりの世界一を達成。
大谷に
山本由伸という日本人スター2人を
合計約10億ドルで獲得した2024年は43年ぶりの対戦になったヤンキースを下すと、佐々木朗希などを加えた2025年はブルージェイズとの死闘の末に球団史上初の連覇を達成した。
本拠地のドジャー・スタジアムは現在のMLBの球場では非常に珍しい左右対称構造の「普通の」球場で、フェンスが低く本塁打が出やすいことを除けば投打中立の球場。その特性上オリンピックやWBCの会場にもよく使われ、2009年の第2回WBCでは侍ジャパンが連覇を達成したのもこの球場である。
チームの人気もあり、当球場で販売される「ドジャー・ドッグ」は世界で最も有名なホットドッグとも言われている。
地元の温暖な気候もあり、2000年4月17日から2019年10月3日まで1471試合連続雨天中止なしのMLB記録を作っている。
2026年からはユニクロとのパートナーシップ契約で球場内に「ユニクロフィールド・アット・ドジャー・スタジアム」の名称が掲出されたが地元を含めて大不評との話。
○ビル・バーゲン(捕手)
通算打率.170・2本塁打(柵越えなし)・出塁率.194・OPS.395・シーズン打率.139など、ありとあらゆる打撃面でのワースト記録に顔を出す球史に残る「打てない野手」。投手並みの打撃と揶揄される選手は多いが、彼の場合は本当に投手並みかそれ未満の打力だった。
しかし当時は極端な打低環境であり、守備面に関しては毎年5割近い盗塁阻止率にシーズン100補殺9回を誇り、その他の守備評価でも軒並みプラスを記録するなど捕手としては非常に優秀だったため、通算947試合に出場している。
○ジャッキー・ロビンソン(二塁手・一塁手)
有色人種排除の方針が確立されていた中で初めてアフリカ系アメリカ人選手としてデビューした「近代MLB初の黒人メジャーリーガー」。
28歳という遅いメジャーデビューではあったが、全盛期の黒人差別とも戦いながら首位打者1回・盗塁王2回、1949年のMVPなど中心選手としてドジャースを牽引。1955年には球団史上初の世界一に貢献した。
有色人種のMLB参加の道を開いた彼の栄誉を称え、1997年以降はMLB全球団共通で背番号「42」が永久欠番に指定されている。
また、1947年より表彰が始まった新人王の初代受賞者でもあり、1987年以降は「ジャッキー・ロビンソン賞」という副賞名として彼の名前が刻まれている。
○ロイ・キャンパネラ(捕手)
10年間のメジャー生活全てをドジャース一筋で活躍した黒人系捕手。通算盗塁阻止率.574は500試合以上出場した捕手の中では歴代最高記録である。
チームがロサンゼルスに移転した1958年の開幕前に交通事故を起こして下半身不随になり、車椅子が手放せない体になってしまったことで現役を引退。1959年には一度もプレーすることのなかったロサンゼルスで引退試合が行われ、観客から大歓声と総立ちの拍手を送られた。この試合はオープン戦ながら当時のMLB史上最多となる93,103人を動員した試合として半世紀近く記録に残った。
背番号「39」は球団の永久欠番に指定されている。また、球団では2006年より最も勇気とリーダーシップを発揮した選手を選出する「ロイ・キャンパネラ賞」にその名が刻まれている。
○ドン・ニューカム(投手・外野手)
1956年から制定されたサイ・ヤング賞の初代受賞者として知られる投手。
1962年には日本の中日に外野手として入団。1958年以降は結果を残せずに故郷で酒屋を営んでいたところ、中日に説得されて打者として来日したが、MLBでは投手以外での出場経験がなかったために急造外野手と看做されても仕方がなかった。家族の日本との往復旅費や一戸建ての自宅と自家用車も提供される好条件で、実際のところは親善大使という側面が大きかったが、それでも元メジャーリーガーの入団は衝撃的な事件と受け取られ、一般紙でも大々的に取り上げられた。
一般に「日本初のMLB経験者の外国人プロ野球選手」とされるが、実際は1953年にNPBで1か月間プレーしていたレオ・カイリーが初である。ただし彼は実質的にはアルバイト契約に近い扱いであり、朝鮮戦争の休戦に伴う進駐軍からの除隊の上での電撃退団という経緯を辿ったため、元メジャーリーガーの本格的なNPB入団は彼が初と言える。
シーズンでは81試合に出場したが、1年のブランクの間にすっかり太ってしまっており、「まるで2台のピアノを運んでいるよう」と形容された。翌年も引き続きプレーするようにオファーを受けた際は親善大使気取りで発言し、これを聞いたセ・リーグ広報は「今シーズンも日本でプレーしたいと思ったら、もっとファイトを見せることだ」と応酬。結局彼が再来日することはなかった。
日本での印象は「古い時代に実際よくいた傲慢なメジャーリーガー」程度で非常に悪いが、アメリカでは自身がアルコール依存症に苦しんだ経験を活用して薬物・アルコール啓発活動家として多大な功績を残し、また「黒人は人間ではない」とまで言われるほど黒人差別が激しかった時代にMLB初の黒人投手としてデビューし、ロビンソンやキャンパネラらとともに黒人選手の道を切り開くなど黒人差別を乗り越えた人物としても名高い。バラク・オバマ元大統領からも「あの人がいなければ今のアメリカはない(意訳)」とまで活動家としてのその功績を称えられている。
○トミー・ラソーダ(投手・監督)
現役時代はわずか26試合の登板に終わったが、1976年~1996年の21年間に渡ってドジャースの監督を務め、地区優勝8回・リーグ優勝4回・世界一2回に導く。退任後は背番号「2」が球団の永久欠番に指定され、2000年のシドニー五輪では当時72歳という高齢ながらマイナー選手を中心に編成されたアメリカ代表の監督を務め、金メダル獲得に導いた。
大の親日家としても知られ、星野監督にドジャースのユニフォームデザインの使用を快諾し、監督晩年には渡米したばかりの野茂を指導。退任後の2001年にはその縁で近鉄のスペシャルアドバイザーを務め、ドジャースのマイナー選手たちを次々と日本に送り込んで球団最後のリーグ優勝に貢献し、2006年にはこの年から始まったWBCの親善大使を務めた。2017年の第4回WBC準決勝では野茂とともに始球式に登場している。
2021年に93歳で死去。球団の永久欠番選手では最も長く存命した人物でもあった。
○
サンディ・コーファックス(投手)
12年間のキャリア全てをドジャース一筋で活躍した、球団では存命する最後の永久欠番選手(背番号「32」)。
若手時代は球速こそ速かったもののコントロールが全くなかったが、フォーム改造や投球スタイルを変更したことで制球が向上。その才能を開花させる。
しかし登板過多による怪我を理由に30歳の若さで引退。まさに「太く短く」を体現した投手と言える。
○ボビー・バレンタイン(内野手・外野手・監督)
監督として日米通算1600勝を挙げた指揮官。日本では2度に渡ってロッテの監督を務め、特に
2005年は伝説を作って外国人監督史上初の日本一を達成し、この年から始まった「アジアシリーズ」の初代王者にも導いた。
○マイク・ソーシア(捕手・監督)
現役時代はドジャース一筋で活躍した捕手。
引退後は2000年~2018年に渡ってエンゼルスの監督を務め、2002年には球団史上初の世界一に導いており、最終年の2018年には渡米したばかりの大谷を指導。2021年の東京五輪ではアメリカ代表を率いて銀メダルを獲得し、いったんは退任したものの2024年の第3回プレミア12で再び就任した。
○野茂英雄(投手)
トルネード投法で名を馳せ、渡米時は石を投げられながらもそれを活躍で黙らせた、日本人メジャーリーガーのパイオニアになった選手。
いずれもアジア人史上初の偉業となるノーヒットノーラン2回・最多奪三振2回・新人王を達成。
2度のノーヒットノーランはいずれも打者有利の球場であるクアーズ・フィールドとオリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズで達成。この他、同じく打者有利の球場のフェンウェイ・パークで被安打1本のみの準完全試合を達成したこともある。
それ以外にも日本人初となるMLB通算100勝、史上初となる日米通算200勝、日本人記録となるMLB通算123勝などさまざまな記録を持つ。
○エリック・ガニエ(投手)
2002年~2004年のわずか3年の全盛期に圧倒的な輝きを残したクローザー。84試合連続セーブのMLB記録を持ち、2003年には55セーブを挙げる活躍でリリーフ投手ながらサイ・ヤング賞を受賞している。
○
ジェフ・ウィリアムス(投手)
2000年代の阪神の勝利の方程式「JFK」のJであるオーストラリア出身セットアッパー。
2000年のシドニー五輪では準決勝で侍ジャパンと対決し、日の丸打線を沈黙させて銀メダル獲得に貢献した。
○デーブ・ロバーツ(外野手・監督)
返還直後の1972年に
沖縄県で生まれ、日本人の母親を持つ日系人でもある。
現役時代は通算243盗塁を記録するなど俊足の外野手として活躍。UCLA時代に残した109盗塁は現在も歴代記録として残っている。
中でもレッドソックス時代の2004年にはヤンキースに3連敗して後がなくなったリーグ優勝決定シリーズ第4戦にて9回1点ビハインドから代走で登場し、絶体絶命の局面から盗塁を決めてその後の4連勝、ひいては世界一への逆転に流れをつないだことで有名。
引退後はMLB初の日本出身監督になり、2016年からはドジャースの監督を務める。2020年はレイズを下して日系監督として初の世界一に導くと、2024年・2025年には大谷を筆頭とするMVPトリオや山本らを率いて球団史上初の連覇を達成した。2026年には監督として69人目となる通算1000勝を史上最速の1606試合で達成した。
○
中村紀洋(三塁手・一塁手)
近鉄時代は「いてまえ打線」と呼ばれた強力打線で4番を務めた選手。
2004年の球団消滅後は形式上オリックスに分配された後、ポスティングシステムでドジャースとマイナー契約。その後メジャーに昇格したものの17試合の出場に終わり、1年で帰国して本格的にオリックスでプレー。
その後は中日・楽天・
横浜→DeNAを渡り歩くという激動のキャリアを送った。
○クレイトン・カーショウ(投手)
2014年にはMVPとサイ・ヤング賞を同時受賞するなどドジャース一筋でエースとして活躍した左腕。18年間で通算223敗96敗を記録し、.699と高い勝率を誇った。
一方でポストシーズンではしばしば打ち込まれるなど苦戦しており、逆ポストシーズン男としても知られる。
2025年には左投手として4人目となる通算3000奪三振を達成。球団史上初の連覇を花道に勇退した。
2026年の第6回WBCではアメリカ代表として選出され、何球でも投げられると意気込んでいたものの、登板のないまま準決勝からチームを離脱した。
日本でのドジャース戦中継の影響もあって「大谷のチームメイトの凄い投手」という文脈で語られることが多い。
○
黒田博樹(投手)
2004年のアテネ五輪にも出場した元広島のエース。日本人投手史上初の先発勝利数のみで日米通算200勝かつ大卒投手初の先発200勝を達成した人物でもある。
2008年から海外FAでドジャースに加入したが、好投を見せながらも毎年のように打線の援護に恵まれなったことでも知られる。
その後はヤンキースへの所属を経て、2015年よりMLBからの高額オファーを断ってまで古巣に復帰。2016年のリーグ優勝を花道に勇退し、背番号「15」は球団投手初の永久欠番に指定された。
メジャーデビューの同期であるカーショウとの交友でも知られる。
○エイドリアン・ゴンザレス(一塁手)
2014年には打点王に輝いたメキシカン。兄のエドガーとはパドレスでチームメイトの時期があり、2010年と2012年には日本の巨人にも所属していた。
左右に打ち分ける打撃技術と逆方向にも本塁打を打てるパワーを兼ね備えており、ドジャース打線を牽引した。
☆ミゲル・ロハス(内野手)
内野の全ポジションで堅実な守備を見せるベテラン。2014年にドジャースでメジャーデビューし、マーリンズを経て2023年からドジャースに復帰している。
2025年からは加入した佐々木に背番号「11」を譲って「72」に変更。ブルージェイズとのワールドシリーズ第7戦では敗退まであと2アウトという絶体絶命の場面から起死回生の同点本塁打を放ち、球団史上初の連覇に大きく貢献した。
圧倒的点差がついた試合では野手登板することもあり、チームメイトのフォームを真似て投球したこともあった。
☆エンリケ・ヘルナンデス(内野手・外野手)
内外野の各ポジションを守れるプエルトリコ出身ユーティリティーで、ロハスと同じく野手登板の経験もあり、捕手以外の全ポジションで出場経験がある。登録名にもなっている「キケ」という愛称で親しまれる明るい性格のムードメーカー。
ロハスとのトレードで2015年よりドジャースへ移籍し、2020年に32年ぶりの世界一に貢献した後レッドソックスへ移籍。2023年途中にドジャースへ復帰し、球団史上初の連覇に大きく貢献した。
2017年のリーグ優勝決定シリーズでは1試合3本塁打を放つなどポストシーズンでは高い勝負強さを誇る。
☆ウィル・スミス(捕手)
ドジャース一筋で活躍する捕手のウィル・スミス。
2019年にメジャーデビューするとたちまち正捕手の座をつかみ、長打力のある勝負強い打撃と強気のリードで3度の世界一に大きく貢献。
中でも2025年のブルージェイズとのワールドシリーズでは7試合73イニングをフル出場し、逆王手をかけた第7戦では延長11回表に決勝本塁打を放って球団史上初の連覇に導いた。
☆ムーキー・ベッツ(外野手・二塁手・遊撃手)
小柄ながら攻守に優れたスター。特に守備に優れており、外野手としては歴代でもトップクラスで内野でもリーグトップクラスの守備を見せる。打撃面でも7度のシルバースラッガー賞を受賞しており、脚こそ速くないが高い技術でそれを感じさせない走塁貢献も見せる5ツールプレイヤーである。
レッドソックス時代の2018年には5年ぶりの世界一に大きく貢献し、MVPを受賞。2020年からドジャースに移籍し、攻守両面でチームを牽引している。
これだけの実績を誇りながら、ドラフト指名順位は全体172位と比較的遅めであり、中~下位指名から這い上がった選手の代表例としても知られる。
☆フレディ・フリーマン(一塁手)
通算2200安打・300本塁打を誇る強打のベテラン一塁手。ブレーブス時代の2020年にはMVPを受賞。
2022年よりドジャースに加入し、2024年以降は大谷・ベッツとの強力なMVPトリオを構成している。
ワールドシリーズでも高い勝負強さを誇り、2024年にはシリーズ初となる逆転サヨナラ満塁本塁打にブレーブス時代から続く6試合連続本塁打の活躍でシリーズMVPに選出されると、2025年にも2年連続となるサヨナラ本塁打を放つなど球団史上初の連覇に大きく貢献した。
☆
大谷翔平(投手・指名打者)
日本が誇る稀代の二刀流。「
規定投球回・規定打席の投打ダブル規定到達」「
50-50」を筆頭に長いMLBの歴史の中でも史上初となる偉業を幾度となく打ち立て続けており、しばしば「
惑星最高の選手」「
ユニコーン」などと形容される。
ついには先発投手と指名打者を兼任できる「
大谷ルール」なるルールが制定されるなど、野球の概念そのものに影響を与える存在にすらなっている。
☆
山本由伸(投手)
オリックスでは3年連続MVP・沢村賞・投手4冠を含めたタイトル総なめに2リーグ制後初の2年連続ノーヒットノーランを達成。
投手史上最高額となる12年3億2500万ドルの契約を結んで入団したドジャースでもその能力を遺憾なく発揮しており、中でも2025年のワールドシリーズで記録した歴史的な快投は語り草になっている。
WBC・ワールドシリーズ・プレミア12・オリンピック・日本シリーズの5冠を達成した史上初の人物でもある。
☆テオスカー・ヘルナンデス(外野手)
強肩強打を誇るドミニカン。本塁打を打ったチームメイトにヒマワリの種を投げつける祝福の儀式を行う選手としても有名。
2024年からドジャースに加入。オールスターのホームランダービーでは球団史上初の優勝を達成し、シーズンでもキャリアハイとなる33本塁打を放ち、主にMVPトリオに続く4番を務めて4年ぶりの世界一に貢献。
オフには移籍の噂もあったが最終的に3年6600万ドルの契約で残留し、球団史上初の連覇に貢献した。
☆トミー・エドマン(内野手・外野手)
二塁・三塁・遊撃に外野を高い守備力で守るユーティリティー性にスイッチヒッター、そして俊足が武器の韓国人ハーフ。
2024年途中にカージナルスから移籍し、球団史上初の連覇に大きく貢献。
一方、日本の野球ファンの間では韓国代表として出場した2023年の第5回WBCにおいて、オーストラリア戦で1点ビハインドの9回2死から盗塁失敗でゲームセットになったことで「
鳥谷になれなかった男」としても話題になった。
☆ブレイク・スネル(投手)
2018年と2023年にサイ・ヤング賞を受賞した左腕。
ジャイアンツ時代の2024年にはノーヒットノーランを達成しており、2025年からドジャースに加入。
☆佐々木朗希(投手)
2022年に史上最年少で完全試合を達成した「令和の怪物」。
2025年からポスティングシステムでドジャースにマイナー契約で入団し、オープン戦で結果を残したことでメジャーに昇格。
右肩の痛みで故障した時期はあったものの、ブルペン事情が厳しいリリーフとして9月に復帰してからは好投を見せ、球団史上初の連覇に大きく貢献。23歳での世界一は日本人最年少。
☆タナー・スコット(投手)
パドレス時代の2024年には「大谷キラー」として存在感を発揮したリリーバー。
2025年から4年総額7200万ドルの契約でドジャースに加入したが、10度のセーブ失敗があるなど1年を通して不安定な投球に終始し、山本と大谷の勝ちを合計5度も消してしまった。
☆ウィル・クライン(投手)
2025年途中に移籍。ブルージェイズとのワールドシリーズ第3戦では延長戦が長引く中、山本以外でブルペンに残った最後の投手として10番手で登板。15回表から4イニング72球を投げ抜き、フリーマンのサヨナラ本塁打を呼び込んだことで影のMVPとして称賛された。
これまでメジャーでは36球が1試合最多で、メジャーでの総投球数の約14%を投げたロングリリーフになった。キャリアを通してもここまで投げたのは大学時代に捕手から投手に転向した直後以来と言われ、これまで全くの無名だった彼の名声を一躍押し上げた試合になった。
☆エドウィン・ディアス(投手)
プエルトリコ出身のトップクローザー。登場曲「Narco」が非常に有名で、球場に演奏者を呼んで生演奏させるという派手なパフォーマンスで知られる。
メッツ時代の2022年オフに5年総額1億200万ドルの契約を結んでいたが、年が明けた2023年の第5回WBCにて準々決勝進出決定後の歓喜の輪の中で右膝の膝蓋腱を全断裂する重傷を負い、1年を棒に振ってしまった。幸い2024年の復帰後には以前と変わらないパフォーマンスを見せている。
2025年をもってオプションでFAになり、2026年より3年6900万ドルの契約でドジャースに加入。
☆タリック・スクーバル(投手)
最速160km/hの直球とスライダーやチェンジアップなどの変化球を交えて三振の山を築く左腕。タイガース時代の2024年に覚醒してからは10年ぶりのポストシーズン進出を大きく手繰り寄せ、2年連続のサイ・ヤング賞に輝いた。
一方、2026年の第6回WBCではスキーンズと並んでアメリカ代表のエースとして期待されたが、実際にはシーズンの調整も兼ねて1次ラウンドのイギリス戦のみ登板すると表明したことが物議を醸した。一時は心境の変化もあって再登板の可能性も模索されたが、結局は当初の予定通り代表を離脱してチームに戻った。
2026年8月のトレードデッドラインでドジャースに電撃加入。
☆ジオバニー・ガイェゴス(投手)
マイナーに所属。日本では2023年の第5回WBC準決勝にて、この試合絶不調だった村上に逆転サヨナラ打を浴びたことで知られる選手。
シーズンでも悪い流れを引きずったように打ち込まれ、2024年途中に放出されてからはツインズ傘下を経てドジャースとマイナー契約を結んだ。
◇サンディエゴ・パドレス
(大塚晶文:2004~2005、井口資仁:2008、牧田和久:2018、ダルビッシュ有:2021~、松井裕樹:2024~)
略称は「SD」。本拠地球場はペトコ・パークで、2006年の第1回WBCでは侍ジャパンがこの球場で優勝した。「パドレス」はスペイン語で神父を意味し、地元の歴史にちなむものである。
1969年の球団拡張によってロイヤルズ・パイロッツ・エクスポズとともに誕生した、西海岸のサンディエゴに本拠地を構えるチーム。その立地からメキシコに関わりの深い選手を獲得することも多く、メキシコの野球ファンに向けたアピールも行っている。
創設から6年連続最下位という厳しい幕開けになったが、1984年に球団史上初の地区およびリーグ優勝を達成。1998年にも14年ぶりの地区およびリーグ優勝を達成したもののワールドシリーズではヤンキースに4連敗で敗退し、2005年・2006年と地区連覇して以降は2020年までポストシーズン進出を逃すなど、レイズ・マリナーズ・ブルワーズ・ロッキーズとともに世界一の経験がないチームの1つ。
本拠地のペトコ・パークは外野が広く、形状が複雑で海風も強いために打者不利の球場として知られており、そのために伝統的に高い投手力を誇るのがチームカラー。
かつては資金力が枯渇していたが、2010年代後半からはTDLで毎年のように超大型トレードを成立させるなど派手な動きを見せることで有名になった。この際大量の若手選手を放出しているため、元パドレス傘下のメジャーリーガーも球界に数多く在籍している。
そうした積極的な補強策が実り、2020年以降はポストシーズン進出が増加するなど上昇傾向に入ってきている。
○ランディ・バース(一塁手)
1985年に阪神を球団史上初の日本一に導いた、長いNPBの歴史の中でも史上最強との呼び声高いレジェンド助っ人。
この年はシーズンと日本シリーズの両方でMVPに選出されており、NPB記録となるシーズン打率.389や外国人選手最多となる2度の三冠王など数々の輝かしい実績を誇る。
いつしか彼の存在は阪神ファンの間で神格化されるようになり、以降も新外国人選手を獲得しては彼のような活躍を願ってスポーツ紙などの各メディアが「バースの再来」という言葉を使うようになっているが大きく期待を裏切られるのが大半である。
一方、MLB時代は5球団を転々としており、その長打力から「ニューヨークからロサンゼルスまで飛ばす男」と呼ばれたこともあったが、速球に弱いという弱点があったことからわずか9本塁打にとどまっていた。
加えて幼少時に足を複雑骨折していたことから全力疾走ができない状態であり、レギュラー獲得には至らなかった。
○トニー・グウィン(外野手)
パドレス一筋のフランチャイズ・プレイヤーで、「Mr.Padre」の愛称で地元では絶大な人気を誇った。
通算3141安打・首位打者8回を誇る稀代のヒットメーカーで、レギュラーとして定着した2年目から引退するまでシーズン打率3割を一度も下回ることはなく、通算打率.338は戦後の選手としては最高であり、1994年には.394もの高打率を残した。
ステロイドとは無縁だったが噛み煙草のヘビーユーザーであり、その影響か引退後に唾液腺癌を患い、54歳の若さでこの世を去ってしまった。
背番号「19」は球団の永久欠番に指定されている。
○トレバー・ホフマン(投手)
マリアーノ・リベラに次ぐ歴代2位となる通算601セーブを誇るMLB屈指のクローザー。球速は140km/h台ながら質に優れ、チェンジアップを組み合わせて多くの空振りを奪った。通算の奪三振率は軟投派としては破格の9.4、全盛期には11.4を記録している。
また、登場曲の「Hells Bells」が非常に有名で、彼の登板時には同曲の鐘の音とともに「Trevor Time」と表示される演出があった。1998年から始まったこの演出は今やMLBにとどまらず、世界の球界でメジャーになった「クローザーの登場演出」の先駆けと言える。
背番号「51」は球団の永久欠番に指定されている。
数々の栄誉を称え、ナショナル・リーグの最優秀救援投手賞は「トレバー・ホフマン賞」の名を冠されている。
○大塚晶文(投手)
長らく近鉄で守護神として活躍し、中日への移籍を経て2004年からMLBデビュー。
2006年の第1回WBCでもクローザーとして活躍し、胴上げ投手になった。
☆フェルナンド・タティスJr.(遊撃手・外野手)
2021年から14年契約を結んだパドレスの若きスター。
2022年にはシーズン開幕前のバイク事故やシーズン中の薬物問題で不良債権化すら危惧されたが、2023年に外野手にコンバートしてゴールドグラブを受賞し復活を遂げた。
父親も元メジャーリーガーで、1イニング2満塁本塁打という唯一の記録を持つ。親子揃って「4月23日」に「ドジャー・スタジアムで2本塁打」を放つというMLB史上初の同じ日・同じ球場で2本塁打を記録している。
☆
ダルビッシュ有(投手)
日本が誇るスーパーエース。2009年の第2回WBCでは大会連覇の胴上げ投手になった。
2021年からパドレスに所属し、2022年オフには40代まで続く6年契約というメジャーでも異例の契約を勝ち取った。
2023年の第5回WBCでは前回の歓喜を知るリーダーとしてチームを牽引し、14年ぶりの王座奪還に大きく貢献した。
☆松井裕樹(投手)
長らく楽天で守護神を務め、2023年には史上最年少で通算200セーブを達成。2024年から海外FAでパドレスに加入した。
入団会見では2023年の第5回WBCで薫陶を受けたダルビッシュが所属していたことが決め手になった理由の1つであると語っている。
☆ホセ・イグレシアス(内野手)
さまざまな球団を渡り歩くジャーニーマンの1人。エンゼルス時代には本塁打を打った大谷を真っ先に出迎える人として日本でも少し話題になっている。
これだけなら並みのメジャーリーガーと大差ないが、なんと彼はメッツに所属していた2024年に歌手としてメジャーデビューしており、オールスターでも歌唱。
さらにチームでは彼のシングル『OMG』を元にしたパフォーマンスが好評になるなど、誰もが予想しなかった方向性でのブレイクを果たしている。
☆メイソン・ミラー(投手)
2025年のTDLでアスレチックスから来た、「死神」の愛称を持つクローザー。
2024年には55試合で104奪三振という圧倒的な奪三振率を記録し、2026年の第6回WBCではアメリカ代表のクローザーとして活躍。シーズン前の時期ながら160km/以上の速球を連発し、シーズンが開幕してからも他球団を震撼させている。
☆ウォーカー・ビューラー(投手)
ドジャース時代の2024年、ヤンキースとのワールドシリーズ第5戦で4年ぶりの世界一の胴上げ投手になった右腕。
その後はレッドソックスやフィリーズを経て2026年はパドレスに所属。
◇サンフランシスコ・ジャイアンツ
(村上雅則:1964~1965、新庄剛志:2002、藪恵壹:2008、田中賢介:2013、青木宣親:2015)
略称は「SF」。本拠地球場はオラクル・パークで、2013年の第3回WBCではドミニカ共和国がこの球場で優勝した。
1883年にニューヨークで誕生した古豪で、日本の読売ジャイアンツのデザインモデルになり、NFLにはかつての球団名である「ニューヨーク・ジャイアンツ」をそのまま冠したチームがあるなど大きな影響を及ぼした名門。
ドジャースとはニューヨーク時代からのライバル関係で、1958年にはヤンキースの圧倒的な人気に押されて揃って西海岸に移転し、MLB最西端の球団になっている。本拠地のドジャース戦では「BEAT LA」の大合唱が起こり、近年ではダイヤモンドバックスやパドレスも行っている様子が見られる。
サンフランシスコ移転後は世界一とは縁が途切れていたが、2010年にレンジャーズを下して半世紀ぶりの世界一に輝くと、2012年は三冠王カブレラを擁する強力打線のタイガースをスイープ、2014年もワイルドカードから這い上がってロイヤルズを下すなど3度の世界一を達成した。
本拠地のオラクル・パークの右翼外には海が広がり、そこにノーバウンドで着弾する場外本塁打は「スプラッシュ・ヒット」と称され、ボンズの打ち込むホームランボールを目当てにボートで待ち構えるファンも多かった。公式にはジャイアンツの選手のみをカウントするが、メディアではチームの区別なく「スプラッシュ・ヒット」として総称されている。
日本人では2025年7月12日に大谷が初めて記録。右打者の達成は2024年9月15日のエリオット・ラモスが初めてである。
なお、構造自体はかなりの打者不利の球場であり、右翼は狭い分フェンスが高く、右中間は約128mもあることから特に左打者には非常に不利になっている。
○ミッキー・ウェルチ(投手)
MLB黎明期に活躍した、史上3人目となる通算300勝を達成した投手。1884年には当時のMLB記録となる9者連続奪三振を達成している。
1889年9月10日には試合中に負傷したハンク・オーデイの代打として打席に入り、これが「MLB史上最初の代打」として記録された。当時のルールでは選手が試合中に負傷するなど、打席に立てなくなった場合にのみ文字通り代打が認められており、彼はこのルールの適用第1号になった。
○ウィリー・メイズ(中堅手)
通算3283安打・660本塁打・338盗塁・ゴールドグラブ賞12回と走攻守全てを兼ね備えたコンプリート・プレイヤーにして「史上最高の中堅手」。中堅手として通算2829試合出場・7024刺殺はMLB記録。ボンズの名付け親でもある。
インディアンスと対戦した1954年のワールドシリーズ第1戦では大飛球をほとんど振り向くことなく全速力のまま背面でキャッチするスーパープレーを披露し、勢いそのままに4連勝でスイープしてニューヨーク時代最後の世界一を達成したため、「ザ・キャッチ」と呼ばれる。
なお、実際のところはシリーズ通算で打率.239・0本塁打と振るわず、逆シリーズ男として知られる。
現役晩年にはメッツに所属しており、背番号「24」は両球団で永久欠番に指定されている。
○ゲイロード・ペリー(投手)
通算314勝に加え、史上初となる両リーグでサイ・ヤング賞を受賞した投手。兄のジムも通算215勝を挙げている。
だが、彼の最大の特徴は成績よりも常習的な
スピットボールボーラーであることが挙げられる。
当然ながらバレたら即刻退場だが、逆に言えば審判が現行犯で証拠を押さえない限りは不問に付されるのが暗黙の了解でもあり、事実彼は引退前年の1982年8月23日まで一度も退場処分を受けることなく巧妙に隠し続けたという。
8球団を転々とするジャーニーマンでもあったがジャイアンツの在籍が最も長く、背番号「36」は球団の永久欠番に指定されている。
○村上雅則(投手)
日本はもとよりアジア人初のメジャーリーガー。1964年にアジア人初のメジャー勝利投手になったが、当時の日本は東京五輪の真っ最中だったことから日本での扱いは小さかった。
もっとも、彼は南海ホークスから野球留学で入団した言わばレンタル移籍の身であり、ジャイアンツとしては正式に獲得する方向だったとされ、彼自身もメジャーに残りたがったが、球団から帰国の要請が出たため、泣く泣く帰国したという。
そもそも当時のNPBの野球留学制度自体「現地で化ければ儲けものだが、最悪は野球協約に基づく選手の帰属権を維持したままの体のいい人員整理やアメリカ球界の交流維持の道具」程度のもので、彼の例にしても南海はメジャー昇格など夢にも思っていなかった。
○ティム・リンスカム(投手)
身長180㎝とMLBでは比較的小柄な体型ながら入団1年目から活躍し、2008年・2009年と2年連続でサイ・ヤング賞を受賞。2014年まで6年連続で2桁勝利を挙げた。地元での人気が高く、特に若い女性からの人気が高かった。
その圧倒的な実力ゆえに殿堂入り待ったなしかと思われていたが、2012年から目に見える形で球速が低下したことで打ち込まれる試合が増加。それでも2013年・2014年には2年連続でノーヒットノーランを達成するなど全盛期を彷彿させるピッチングはあったものの、2015年はケガによる影響もあってわずか15試合の先発に終わり、移籍したエンゼルスでも振るわなかった。
最終的に278試合(270先発)で110勝89敗・防御率3.74と通算成績だけ見ると歴史に名を残す選手とは言い難いが、全盛期は名投手たちをも圧倒する成績を残しており、2010年に56年ぶりの世界一に輝いたのは間違いなく彼の力あってこそ。記録よりも記憶に残る選手だったのは間違いないだろう。
○
バリー・ボンズ(外野手)
いずれもMLB記録となる
通算762本塁打・シーズン73本塁打を筆頭に到底ここに書ききれないような量の実績を持つ、1990年代から2000年代前半を代表する最強打者。
しかしながら薬物問題や不遜な人間性など黒い噂も多く、賛否両論という声がこれほどまでにふさわしい選手も存在しないだろう。
2000年代前半の彼はそれはもう凄まじい打者であり、「
無走者で敬遠される」「
ワールドシリーズでは徹底的に勝負を避けられる」「
勝負を避けられすぎてシーズン232四球(うち120敬遠)・出塁率6割」など異常とも言える逸話を多く残している。
一方で1990年代は走攻守に優れた5ツールプレイヤーとして名高く、薬物を抜いても凄まじい身体能力の持ち主だったこともまた事実。有名な「
満塁敬遠」もこの時期のエピソードである。
しばしば「
天才にチートを使った結果」などとも例えられつつも「薬物を使用したからといって誰もが彼のようになれるわけではない」という擁護意見も多い。
その人間性とは裏腹に親日家として有名で、日本人選手やメディアには好意的に接しており、各選手を高く評価している。
背番号「25」は球団の永久欠番に指定されている。名付け親のメイズとは父のボビーを通じて交流が深く、彼がジャイアンツに移籍する際にメイズの永久欠番である「24」を希望し、本人からも快諾を得たもののファンやメディアからの強い反対を受けたために父がつけていた隣の「25」にした逸話がある。
○ジェフ・ケント(二塁手)
主にボンズの後ろを打ち、通算2461安打に加えて二塁手としては歴代最多となる377本塁打を放った強打の二塁手。
2000年にはMVPに輝き、9年連続20本塁打以上を記録するなど数字だけを見れば殿堂入りも有力視されるほどの実績を残したが、結局果たされることなく資格を喪失した。
その理由として、白人至上主義であることからボンズとは犬猿の仲であり、チームメイトの新庄ら有色人種に対しても憚ることなく差別的な発見を繰り返していたことなどが理由に挙げられた。2007年に現役選手に対して行われた「最も嫌われている選手の」アンケートでは薬物に手を染めたボンズに次ぐ約20%の得票を得てしまっている。
もっとも薬物疑惑とは無縁の人物という評価もあり、2025年には時代委員会の選出によってアメリカ野球殿堂入りを果たした。
○マディソン・バンガーナー(投手)
5年連続で2桁勝利をマークした2010年代前半のエース。
2014年のロイヤルズとのワールドシリーズ第7戦では5回からリリーフ登板し、そのまま最後まで投げ切って胴上げ投手になるなど2勝1セーブの活躍で2年ぶりの世界一の立役者になり、シリーズMVPに選出された。
投球だけでなく打撃も抜群で、2015年には5本塁打を放ち、代打で起用されたこともあった。
しかし2010年代後半からは怪我もあって不調に陥り、2020年に5年契約で移籍したダイヤモンドバックスでも復活できず、2023年4月に解雇されてしまった。
○バスター・ポージー(捕手)
実働13年と短いながら、キャリアの全てをサンフランシスコで過ごしたフランチャイズ・プレイヤー。
中距離打者ではあるが通算で3割の打率を残した打撃技術に加えてゴールドグラブ常連の高い守備力を誇る名捕手で、3度の世界一や2017年の第4回WBC優勝に大きく貢献。
引退後は共同オーナーを経て2025年から編成本部長を務める。
また、「コリジョン・ルール」が生まれたきっかけになった選手でもあり、別名「バスター・ポージールール」とも呼ばれる。
○ウィル・スミス(投手)
7球団を転々とした左投手のウィル・スミス。
2021年はブレーブス、2022年はアストロズ、2023年はレンジャーズと異なる3球団で3年連続世界一を経験しており、北米4大プロスポーツリーグを含めても史上初の事例になっている。
ドジャースに所属する
同姓同名の捕手は別人だが、彼もまた2020年・2024年・2025年に世界一を経験しているため、結果的には
ウィル・スミスが在籍するチームが6年連続世界一になる珍事が発生している。
ブレーブス時代の2020年にはリーグ優勝決定シリーズ第5戦で直接対戦しており、ポストシーズンで初めて同姓同名の選手が対戦した例になった。
☆李政厚(外野手)
韓国球界のレジェンドであり、日本の中日にも所属経験のある李鍾範の息子で、父と同じく「韓国のイチロー」の二つ名を持つコリアン。
韓国リーグでは本塁打こそ少ないながらシュアなバッティングで活躍。歴代最高打率を引っ提げて2024年からメジャーに挑戦している。
2026年の第6回WBCではキャプテンを務め、準々決勝進出をかけたオーストラリア戦では攻守でチームをけん引して2009年以来のベスト8進出に大きく貢献した。
追記・修正はメジャーリーグで活躍した人がお願いします
- カブスのWS優勝はBTTFでもネタにされていてあちらは2015年優勝と1年違いのニアピンだったという奇跡 -- 名無しさん (2026-03-16 11:47:17)
- アリーグは10年以上に前にページがあって、ナリーグは無かったのか!?と思ったら、元は1つのページを分割して分けたわけね。納得 -- 名無しさん (2026-03-16 15:23:52)
- クアーズ・フィールド -- 名無しさん (2026-03-17 03:17:59)
- ポケモン大好きクリス・セールとジェイコブ・ミジオロウスキー -- 名無しさん (2026-07-04 22:42:01)
最終更新:2026年08月10日 00:58