※このページには『真暗ノ記憶』に関するネタバレが含まれます。
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一話
少女が被差別身分となる、数ヵ月前
「ねえ、このドレス、やっぱり少し派手ではないかしら?」
お姉様は、そう言いながらも肩をそびやかし、
わたしに向かってドレスの裾をつまんでみせる。
お姉様は、そう言いながらも肩をそびやかし、
わたしに向かってドレスの裾をつまんでみせる。
純白のドレスには、繊細なレースがふんだんに重なり、
あちこちに小さなダイヤモンドが輝いていて、とてもきれい。
わたしは感嘆のため息をもらし、素直にお姉様を称賛する。
あちこちに小さなダイヤモンドが輝いていて、とてもきれい。
わたしは感嘆のため息をもらし、素直にお姉様を称賛する。
「お姉様、とってもお似合いよ。
今日はこの上ないお祝い事なのだもの、
これくらい素敵でなくっちゃ」
今日はこの上ないお祝い事なのだもの、
これくらい素敵でなくっちゃ」
満足そうにうなずいたお姉様は、鏡の前で回ったり、
身体をひねったり、髪を持ち上げてみたりと、
自分の姿にほれぼれしている様子だ。
身体をひねったり、髪を持ち上げてみたりと、
自分の姿にほれぼれしている様子だ。
わたしたちは、一国の王女として生まれた双子の姉妹。
わたしたちは同じ顔をしているけれど、
お姉様は明るくて、社交的で、賢く、人気者で、
まさに完璧なお姫様だ。
わたしたちは同じ顔をしているけれど、
お姉様は明るくて、社交的で、賢く、人気者で、
まさに完璧なお姫様だ。
内気で、鈍くて、賢くもなくて、友達も少ない......
そんな妹のわたしとは大違いなのだ。
そんな妹のわたしとは大違いなのだ。
お姉様は今日、西国の王子様のもとへ嫁いでいき、
結婚式が執り行われることになっている。
見たこともないくらい、盛大な式になることは間違いない。
だって、長く紛争が続いたこの東国と隣の西国との間に、
ようやく平和をもたらすことができるのだから。
結婚式が執り行われることになっている。
見たこともないくらい、盛大な式になることは間違いない。
だって、長く紛争が続いたこの東国と隣の西国との間に、
ようやく平和をもたらすことができるのだから。
この歴史的な王室同士の婚約は、この国の女王である、
わたしたちのお母様の手腕によるものだった。
わたしたちのお母様の手腕によるものだった。
その日は、朝から日差しの暖かな晴天だった。
宝石で飾り上げられた馬車に乗り込む前に、
お姉様はこちらに向き直り、
生まれ育った城を決意に満ちた目で見上げた。
宝石で飾り上げられた馬車に乗り込む前に、
お姉様はこちらに向き直り、
生まれ育った城を決意に満ちた目で見上げた。
「お母様。必ずや男の子を産み、次期王として育ててみせます。
どうかお母様もお元気で」
どうかお母様もお元気で」
お姉様はとても誇らしそうに、そう宣言した。
馬車が走り出した。
国境を超えるには数日かかるだろう。
太陽の光を受けていっそうきらきらと輝くその馬車は、
進む道の先をも明るく照らすようだった。
国境を超えるには数日かかるだろう。
太陽の光を受けていっそうきらきらと輝くその馬車は、
進む道の先をも明るく照らすようだった。
完璧な美貌! 完璧な結婚! 完璧な王子様!
一緒に生まれてきてから一度も、
わたしが何をやってもかなうことのない、自慢のお姉様。
一緒に生まれてきてから一度も、
わたしが何をやってもかなうことのない、自慢のお姉様。
お姉様の未来は、どこまでも華やかに彩られているのだ。
だって、それでこそ、わたしのお姉様なのだから。
だって、それでこそ、わたしのお姉様なのだから。
わたしは、見えなくなるまで馬車に手を振り続けていた。
......
............
..................
............
..................
少女はゆっくりと目を開けた。
そして、再び目を閉じる。
そして、再び目を閉じる。
夢を見ていたのだ。
お姫様になる夢だった。それも、一国の王女様だ。
悪夢でない夢を見ることは、珍しいことだった。
いかにも主人公らしいお姫様のほうにはなれなかったけれど、
もっと見ていたかったな、と少女は思った。
お姫様になる夢だった。それも、一国の王女様だ。
悪夢でない夢を見ることは、珍しいことだった。
いかにも主人公らしいお姫様のほうにはなれなかったけれど、
もっと見ていたかったな、と少女は思った。
諦めて目を開け、いつものすすけた天井をしばらく眺めた後、
硬いベッドから身を起こしてゆっくり立ち上がる。
さあ、たくさん勉強して、たくさんお手伝いして、
今日も一日いい子にしなければ。
硬いベッドから身を起こしてゆっくり立ち上がる。
さあ、たくさん勉強して、たくさんお手伝いして、
今日も一日いい子にしなければ。
「ママ、おはよう。
あのね、今日わたしが見た夢のお話、聞きたい?」
少女は、居間で忙しそうに手を動かす母親に明るく声をかけた。
母親は、顔も上げずにじゃがいもを剝き続けている。
あのね、今日わたしが見た夢のお話、聞きたい?」
少女は、居間で忙しそうに手を動かす母親に明るく声をかけた。
母親は、顔も上げずにじゃがいもを剝き続けている。
「夢の話なんてくだらないわよ。そんなこと言ってないで、
さっさとその辺のものを食べて学校へ行きなさいね」
さっさとその辺のものを食べて学校へ行きなさいね」
テーブルの上には、具のほとんどないスープとパンがあった。
少女はガタつく椅子に腰かけ、それらに手を伸ばす。
少女はガタつく椅子に腰かけ、それらに手を伸ばす。
パンは硬かった。この国で平民が手には入れられるパンは、
どれもこれもカチカチなので、少女はとっくに慣れている。
どれもこれもカチカチなので、少女はとっくに慣れている。
「今日の夢は特別。わたし、夢の中でお姫様だったんだ!」
母親は手を止め、ようやく娘に振り返った。
娘の顔をまじまじと見つめ、ようやく言葉をこぼす。
「ばからしい。うちは、平民階級なの。
どうやったって、貴族になんてなれないんだからね」
娘の顔をまじまじと見つめ、ようやく言葉をこぼす。
「ばからしい。うちは、平民階級なの。
どうやったって、貴族になんてなれないんだからね」
そんなことはわかっている。
この国で暮らす人々は、
子供ですら、階級制度を身に染みて理解しているのだ。
貴族と平民には大きな隔たりがある。
不満をためた平民の暴動を貴族が心配している......
この国で暮らす人々は、
子供ですら、階級制度を身に染みて理解しているのだ。
貴族と平民には大きな隔たりがある。
不満をためた平民の暴動を貴族が心配している......
そんな世の中ではあるが、少女はただ母親と、
他愛ないおしゃべりをしたかっただけなのだ。
がっかりしながら、少女は手早く食事を済ませた。
他愛ないおしゃべりをしたかっただけなのだ。
がっかりしながら、少女は手早く食事を済ませた。
「行ってくるね、ママ」
少女は身支度を整え、学校へ向かうために家を出た。
少女は身支度を整え、学校へ向かうために家を出た。
季節は、冬。雨の多い季節だった。
昨夜も雨が降ったので、あちこち水たまりだらけだった。
少女は立ち止まって、水たまりに映る自分の顔を眺める。
昨夜も雨が降ったので、あちこち水たまりだらけだった。
少女は立ち止まって、水たまりに映る自分の顔を眺める。
自分は、母親と似ていない。
父親にも、全然似ていない。
父親にも、全然似ていない。
少女は、両親からあまり愛されていないではと感じていた。
そしてそれは、この顔のせいではないかと思っていた。
水たまりに映る不安げな自分の顔を勢いよく踏みつけて、
少女は学校へと急いだ。
そしてそれは、この顔のせいではないかと思っていた。
水たまりに映る不安げな自分の顔を勢いよく踏みつけて、
少女は学校へと急いだ。
いっぱい勉強して、両親に褒めてもらいたい、その一心で......
二話
あ、やっとバラが咲いた。
この窓から見渡せる範囲で、左から13列目までの花壇には、
紅いバラが植えられている。
この窓から見渡せる範囲で、左から13列目までの花壇には、
紅いバラが植えられている。
このところずっとつぼみを固く結んでいたけれど、
昨日はいつもより暖かったみたいだから、
それでついに咲く気になったらしい。
昨日はいつもより暖かったみたいだから、
それでついに咲く気になったらしい。
大きな王城の中庭に広がるこの見事な花園は、
毎日何時間と眺めていたからとっくに見飽きてしまった。
この国に来た日から、「わたし」は、
............この部屋に軟禁されている。
毎日何時間と眺めていたからとっくに見飽きてしまった。
この国に来た日から、「わたし」は、
............この部屋に軟禁されている。
咲いたバラの数を窓から数えていると、
48まで数えたところで、この国の王子様と、
若くて美しいお姫様が並んで歩いてくるのが見えた。
48まで数えたところで、この国の王子様と、
若くて美しいお姫様が並んで歩いてくるのが見えた。
お妃様――――
それは、わたしの双子のお姉様だ。
それは、わたしの双子のお姉様だ。
続いて、取り巻きの貴族たちがぞろぞろと連れ立ってくる。
華やかで楽しそうな社会の場。
毎週この時間に、庭園でお茶会が開かれているのを、
わたしは知っている。
華やかで楽しそうな社会の場。
毎週この時間に、庭園でお茶会が開かれているのを、
わたしは知っている。
やがてこの部屋にまで、楽しそうな笑い声や、
ティーカップとソーサーが触れ合う音が届いてくる。
わたしはそっと窓から隠れつつ、外の声に耳を傾けていた。
ティーカップとソーサーが触れ合う音が届いてくる。
わたしはそっと窓から隠れつつ、外の声に耳を傾けていた。
「殿下、ご結婚されてから毎日お幸せそうですわね」
「妃殿下の美しさといえば、国民の注目の的ですもの」
「妃殿下の美しさといえば、国民の注目の的ですもの」
西国の王子様と、東国の王女だったお姉様の結婚を、
誰もが祝福していた。
そして今、国民と王室の最大の関心事は、
二人の間にいつ子が授かるか、ということだった。
誰もが祝福していた。
そして今、国民と王室の最大の関心事は、
二人の間にいつ子が授かるか、ということだった。
お姉様が嫁いだこの国に、間もなくわたしも呼ばれた理由。
――――それは、
お姉様の身代わりとして、王子様の子を産むためだった。
――――それは、
お姉様の身代わりとして、王子様の子を産むためだった。
「待ち遠しいですわ、王子か姫か......
どちらでもさぞかわいいでしょうね」
「王様ときたら、気の早いことに、
もう乳母を何人も用意しているのですって」
どちらでもさぞかわいいでしょうね」
「王様ときたら、気の早いことに、
もう乳母を何人も用意しているのですって」
嫁入りしてすぐ、お姉様のは子供を授からない身体だとわかった。
そしてわたしが、人目から隠されて国に連れて来られた。
わたしの姿は、誰にも見られてはいけないのだ。
そしてわたしが、人目から隠されて国に連れて来られた。
わたしの姿は、誰にも見られてはいけないのだ。
お姉様のために、わたしにできることがあるなら......
その想いだけでこの国へやってきたが、
お姉様がわたしの部屋を訪ねてくることは、
これまでに一度もなかった。
お姉様がわたしの部屋を訪ねてくることは、
これまでに一度もなかった。
「太陽が傾いてまいりましたわね」
「妃殿下、お身体を冷やしてはいけませんから、
お城へ戻りましょう」
「妃殿下、お身体を冷やしてはいけませんから、
お城へ戻りましょう」
部屋に夕陽が差し込み始め、にぎやかな声が遠ざかっていく。
どうやら、お開きのようだった。
どうやら、お開きのようだった。
この部屋を訪れるのは、夜ごと義務にように姿を見せる、
王子様だけだ。
今日もわたしは、暗く沈んでいく部屋を眺めて、
ため息をついた。
王子様だけだ。
今日もわたしは、暗く沈んでいく部屋を眺めて、
ため息をついた。
......
............
..................
............
..................
大きな鐘の音が響き、少女ははっとして意識を現実に戻した。
授業に集中できずに、今朝見た夢のことを考えていたのだ。
授業に集中できずに、今朝見た夢のことを考えていたのだ。
教室には、冬空の雲の切れ間から日差しが差し込んでおり、
すっかり正午になっていた。
すっかり正午になっていた。
今朝見た夢は、昨日の夢の続きだった。
まだ幼い少女には、全てを理解することはできなかったが、
貴族は親のいいつけに従い、
人形のように生きなければならないこともあるらしい。
貴族は親のいいつけに従い、
人形のように生きなければならないこともあるらしい。
少女は、自分が平民でよかったと思った。
大人になったらもう少しだけ、
自由に生きてみたいと思っていたのだ。
大人になったらもう少しだけ、
自由に生きてみたいと思っていたのだ。
ここは、平民階級の子供たちだけが通う学校。
生徒が平民ならば、教師も平民。
この社会は、階級でしっかりと区分けされている。
生徒が平民ならば、教師も平民。
この社会は、階級でしっかりと区分けされている。
気の早い子供たちが教科書をまとめ始め、
教室はにわかに騒がしくなった。
教室はにわかに騒がしくなった。
「それでは今日はおしまいです。
それから、先週の試験ですが......」
それから、先週の試験ですが......」
教師は少女を見やり、にっこり笑う。
「また彼女が学年で一番でした。
皆さんも見習って、しっかり勉強するように」
「また彼女が学年で一番でした。
皆さんも見習って、しっかり勉強するように」
少女はうれしくなり、思わず教科書を抱きしめた。
帰って母親に伝えようと、走って家路を急いだ。
帰って母親に伝えようと、走って家路を急いだ。
「ねぇママ聞いて。わたし、また試験で一番だったって!」
帰宅した少女は、居間で母親の後ろ姿を見つけ、声をかけた。
その声で振り返り、
ようやく娘が帰宅したことに気づいた母親の手には、
大きなカップが握られていた。
その声で振り返り、
ようやく娘が帰宅したことに気づいた母親の手には、
大きなカップが握られていた。
「わたし、いっぱいお勉強したら、将来お医者さんとか、
弁護士さんとかに、なれるかなぁ?」
弁護士さんとかに、なれるかなぁ?」
カップの中身をぐいとのどに押し込んだ母親は、
音を立ててカップを食卓に置いた。
音を立ててカップを食卓に置いた。
大きくついたため息から、お酒の臭いが漂ってきた。
母親は言った。
「ずっと勉強させられるお金なんて、うちにはないんだから。
そんな夢みたいなことを考えてないで、
今すぐ洗濯をしてきてちょうだい」
「ずっと勉強させられるお金なんて、うちにはないんだから。
そんな夢みたいなことを考えてないで、
今すぐ洗濯をしてきてちょうだい」
少女はしょんぼりして、
そのまま別室にある洗濯かごを取りに行った。
そのまま別室にある洗濯かごを取りに行った。
もしかしたら、母親と顔の似てない自分は、
本当の子じゃないのかもしれない。
本当の子じゃないのかもしれない。
不穏な思いつきに一瞬囚われた少女は、
それを振り払うように強くかぶりをふった。
それを振り払うように強くかぶりをふった。
母親のことは、大好きだ。
たとえ血がつながってなかったとしても......
愛し愛されたい思いは行き場がなく、
少女の胸を詰まらせた......
たとえ血がつながってなかったとしても......
愛し愛されたい思いは行き場がなく、
少女の胸を詰まらせた......
三話
庭園の花がすべて枯れ落ちた、寒い季節だった。
外の凍りつく寒さとは打って変わって、
熱気のこもりきった部屋に、産声が響いた。
外の凍りつく寒さとは打って変わって、
熱気のこもりきった部屋に、産声が響いた。
「残念ながら............女の子です」
赤ん坊を取り上げた女が、心から残念そうに言う。
赤ん坊を取り上げた女が、心から残念そうに言う。
わたしは汗だくになりながら、
産み落としたばかりのわが子を見やり、
本能的に手を差し出す。
産み落としたばかりのわが子を見やり、
本能的に手を差し出す。
抱かせてもらえるわけがなかった。
「......致し方ない、赤子は処分しておけ」
壁を背に立っていた王様は冷徹に言い放ち、
王子様と共に足早に部屋を出て行った。
壁を背に立っていた王様は冷徹に言い放ち、
王子様と共に足早に部屋を出て行った。
無表情のままその場に留まったのは、
王子様のお妃様である、わたしの双子のお姉様だ。
王子様のお妃様である、わたしの双子のお姉様だ。
「あなたたち、下がって」
お産の世話をしてくれた女たちにお姉様が声をかけると、
忙しく働いていた女たちは手を止め、一礼して部屋を出た。
お産の世話をしてくれた女たちにお姉様が声をかけると、
忙しく働いていた女たちは手を止め、一礼して部屋を出た。
お姉様と二人きりで向き合うのは、一年ぶりだろうか。
お姉様の婚礼のドレスを称賛したあの日以来だ。
感動の再会なのか、助けを乞うべきなのか、
わたしは動けずにいた。
お姉様の婚礼のドレスを称賛したあの日以来だ。
感動の再会なのか、助けを乞うべきなのか、
わたしは動けずにいた。
「ごめんね......本当にごめんね。
あなたが男の子を産んでくれさえすれば、
こんなことをせずにすんだのに......」
あなたが男の子を産んでくれさえすれば、
こんなことをせずにすんだのに......」
お姉様はそう言い、懐から短いナイフを取り出した............
............
生まれたての娘を抱き、
わたしは着の身着のまま城を逃げ出していた。
わたしは着の身着のまま城を逃げ出していた。
頭は混乱していた。
まさか、産んだばかりの娘を殺されそうになるなんて。
それも、最愛のお姉様に。
まさか、産んだばかりの娘を殺されそうになるなんて。
それも、最愛のお姉様に。
どうしてなのかと考えても、わたしにはわからなかった。
だって、わたしは賢くないから。
だって、わたしは賢くないから。
お姉様のためと思ってこの国へ来て、
お姉様のためにと思って代わりに赤ちゃんを産んだのに、
お姉様のために、お姉様のために、お姉様のために......
お姉様のためにと思って代わりに赤ちゃんを産んだのに、
お姉様のために、お姉様のために、お姉様のために......
行く当てはなかった。
行商人の馬車に乗せてもらい、一番揺られ、
気づいたときには見知らぬ辺境の街へたどり着いていた。
行商人の馬車に乗せてもらい、一番揺られ、
気づいたときには見知らぬ辺境の街へたどり着いていた。
厳しい冬の朝、雪まじりの雨が降りしきっていた。
子を産んだばかりの身体で無理したせいで、
高熱が出て頭がぼうっとしていた。
子を産んだばかりの身体で無理したせいで、
高熱が出て頭がぼうっとしていた。
ただ、小さな娘が雨に濡れて寒い思いをしないよう、
毛布でぐるぐる巻きにして、大切に抱きしめていた。
毛布の隙間から覗くと、平和そうな顔をして寝ている。
毛布でぐるぐる巻きにして、大切に抱きしめていた。
毛布の隙間から覗くと、平和そうな顔をして寝ている。
その顔は、まるで天使だった............
「大変、こっちに人が倒れてるよ!」
バシャバシャと耳元近くで水たまりに踏み入る音が聞こえ、
若い女性の声が頭上に響く。
「赤ん坊もいるぞ」
バシャバシャと耳元近くで水たまりに踏み入る音が聞こえ、
若い女性の声が頭上に響く。
「赤ん坊もいるぞ」
男の声も聞こえた。
「もうこの人は駄目だな......」
「可哀そうだね。こんな小さい赤ん坊を残して......」
「もうこの人は駄目だな......」
「可哀そうだね。こんな小さい赤ん坊を残して......」
頭上で交わされる会話は、まるで他人事のように聞こえる。
わたしは、行き倒れていたようだ。
近くで、娘の泣く声も聞こえている。
こんなに雨が強く降っているのに、何もしてあげられず、
無力に横たわっていた。
近くで、娘の泣く声も聞こえている。
こんなに雨が強く降っているのに、何もしてあげられず、
無力に横たわっていた。
でも、誰かが、見つけてくれたようだ。
力を振り絞って顔を向け、その男女を見やる。
力を振り絞って顔を向け、その男女を見やる。
どうか、その子をわたしの代わりに幸せに育ててください……
声に出したと思った言葉は、紡がれることはなかった。
声に出したと思った言葉は、紡がれることはなかった。
身体を打つ雨の冷たさが消え、
心地よい雨音もどんどん遠くなっていった。
心地よい雨音もどんどん遠くなっていった。
そして、わたしの意識は、永久に――――
途絶えた。
......
............
..................
............
..................
少女は、身も凍るような寒さの中を足早に歩いていた。
母親から、パンの配給を受け取ってくるように
言いつけられたのだ。
母親から、パンの配給を受け取ってくるように
言いつけられたのだ。
せめて厚着をしていこうとありったけを着込んできたが、
急に雨が降り出し、どんどん強まってきたのだ。
急に雨が降り出し、どんどん強まってきたのだ。
今朝の夢に見たのと同じ、冬の雨の日だった。
途切れることなく街を打つ雨音を聞きながら、
少女は夢に見た光景を思い返していた。
少女は夢に見た光景を思い返していた。
そういえば......
夢の中で行き倒れた「わたし」を助けてくれた夫婦は、
ママとパパに似ていたな、とふと思ったのだ。
夢の中で行き倒れた「わたし」を助けてくれた夫婦は、
ママとパパに似ていたな、とふと思ったのだ。
「ただいま............はいママ、これ!」
二つのお下げから水を滴らせながら帰宅した少女は、
上着の中からパンを三本取り出し、にっこりとした。
パンは少し濡れていたけれど、少女ほどではない。
二つのお下げから水を滴らせながら帰宅した少女は、
上着の中からパンを三本取り出し、にっこりとした。
パンは少し濡れていたけれど、少女ほどではない。
居間の暖炉で火にあたっていた母親は、
少女の様子を見て一瞬目を丸くし、
少しバツが悪そうにしてパンを受け取った。
少女の様子を見て一瞬目を丸くし、
少しバツが悪そうにしてパンを受け取った。
「ありがとう。ほら早く着替えて、家の中が濡れるから」
少女は、濡れて身体に張り付く服を着替えながら、
ただ一つのことだけを考えていた。
ただ一つのことだけを考えていた。
「ママは喜んでくれたかなぁ?」
四話
「いつまで寝ているの? いい加減起きなさい!」
女は、寝室のドアを乱暴に開ける。
いつもは自分で起きてくる娘が、昼前になっても出てこず、
様子を見に行ったのだ。
女は、寝室のドアを乱暴に開ける。
いつもは自分で起きてくる娘が、昼前になっても出てこず、
様子を見に行ったのだ。
「ほら、今日もパンの配給をもらってきてちょうだい」
そういいながら女がベッドから毛布をはぎとると、
まだ幼い娘が、赤い顔をしてぐったりと横たわっていた。
そういいながら女がベッドから毛布をはぎとると、
まだ幼い娘が、赤い顔をしてぐったりと横たわっていた。
「ママ......わたし、御熱あるみたい。
さむくて、あつくて、動けない」
さむくて、あつくて、動けない」
苦しそうにする娘の額に、母親は手を当てる。
たしかに、驚くほどに熱い。
たしかに、驚くほどに熱い。
そういえば昨日、おつかいに行かせた娘が、
大雨に打たれてかえってきたことに女は思い当たる。
大雨に打たれてかえってきたことに女は思い当たる。
女はため息をついた。
「仕方ないわね。今日は寝ておきなさい」
「うん、ありがとう............ママ」
「仕方ないわね。今日は寝ておきなさい」
「うん、ありがとう............ママ」
女が部屋から出ようとすると、後ろから呼び止められた。
振り向くと、娘が毛布を再び頭までかぶりながら、
珍しく甘えた声を出した。
振り向くと、娘が毛布を再び頭までかぶりながら、
珍しく甘えた声を出した。
「......わたし、りんごをすったやつ、食べたい。
......だめかなあ?」
......だめかなあ?」
女はしばし、毛布をかぶった娘の様子を見つめる。
娘が何かをお願いごとをするなんて、珍しいことだったのだ。
娘が何かをお願いごとをするなんて、珍しいことだったのだ。
女は何も言わず、後ろ手に扉を閉めた。
そして、娘が今よりもっと幼い頃に、
よくりんごをすってあげていたことを思い出していた。
そして、娘が今よりもっと幼い頃に、
よくりんごをすってあげていたことを思い出していた。
居間では、ちょうど当直から帰ってきた夫が、
上着を脱いでいるところだった。
「また雨が降ってきたよ。嫌になるな」
上着を脱いでいるところだった。
「また雨が降ってきたよ。嫌になるな」
女は、手早く温めたスープを食卓に出す。
夫は「これだけ?」と言いたげに妻の顔を見たが、
女は無視を決め込んだ。
夫は「これだけ?」と言いたげに妻の顔を見たが、
女は無視を決め込んだ。
諦めたように黙ってスープを飲んでいた夫が、
ふと思い出したように顔を上げた。
ふと思い出したように顔を上げた。
「あの子は?」
「熱があるみたい。今日は休ませておくわ。
まったく、使えない子」
「熱があるみたい。今日は休ませておくわ。
まったく、使えない子」
女は、夫と向かい合うように腰かけ、
食卓に置いていたりんごを手にとった。
「昨日のおつかいで雨に濡れて帰ってきたから、
それで風邪を引いたんでしょうね」
食卓に置いていたりんごを手にとった。
「昨日のおつかいで雨に濡れて帰ってきたから、
それで風邪を引いたんでしょうね」
女は小ぶりのナイフを使い、薄く薄く皮を剝き始めた。
「あの雨の中?
衛兵たちですら、駐屯所から出ないでいたくらいだぞ」
衛兵たちですら、駐屯所から出ないでいたくらいだぞ」
女はりんごを剥く手を止めて、夫をにらみつけた。
「いつ雨が降り出すかなんて、知りようがないじゃないの」
「いつ雨が降り出すかなんて、知りようがないじゃないの」
夫は、聞かなかったかのようにスープに没頭したふりをする。
女は再び手を動かし始めた。
女は再び手を動かし始めた。
ややあって、夫がぼそりとつぶやいた。
「冷たくあたるもんじゃない。あの子はいい子じゃないか。
俺たちにはもったいないくらいの」
「冷たくあたるもんじゃない。あの子はいい子じゃないか。
俺たちにはもったいないくらいの」
剥かれたりんごの皮が、食卓の上に折り重なっていく。
「そうね。あの子が本当に私たちの血を継いだ子だったら、
あんなふうにはとても育たなかったでしょうね」
「そうね。あの子が本当に私たちの血を継いだ子だったら、
あんなふうにはとても育たなかったでしょうね」
皮肉めいた言葉で反撃され、
夫は顔を伏せてまた何も言わなくなった。
都合が悪いと黙るのは、夫の癖なのだ。
夫は顔を伏せてまた何も言わなくなった。
都合が悪いと黙るのは、夫の癖なのだ。
女は、夫の空になったスープ皿を取り上げて台所へ向かい、
おろし金を持って戻ってきた。
おろし金を持って戻ってきた。
「だからこそ、私とは違うというのを見せつけられて、
嫌になるのよ」
女は、りんごをおろし金にかけ始める。
嫌になるのよ」
女は、りんごをおろし金にかけ始める。
りんごをすりおろす規則的な音は、
二人の気まずい空気を埋めていた。
「............そろそろあの子の誕生日だな」
二人の気まずい空気を埋めていた。
「............そろそろあの子の誕生日だな」
外の雨は、いつしか雪が混じり始めていた。
窓の外を見て、夫がぽつりとつぶやいた。
窓の外を見て、夫がぽつりとつぶやいた。
「まあ、本当はいつ生まれたのかはわからないが............
あの子を拾ったのも、今日みたいな冬の雨の日だったな」
あの子を拾ったのも、今日みたいな冬の雨の日だったな」
すりおろされて小さくなったりんごを時々持ち替えながら、
先ほどよりもややテンポの落ちた音が部屋に響く。
先ほどよりもややテンポの落ちた音が部屋に響く。
女は口を開く。
「どんどんあの女性に似てきたわね。
あの子もそろそろ気がつく頃よ。
自分が私たちににてないってことを」
「どんどんあの女性に似てきたわね。
あの子もそろそろ気がつく頃よ。
自分が私たちににてないってことを」
「まぁ確かに、あの女性はえらい美人だったな」
女は一瞬夫をぎろりとにらみつけたが何も言わず、
芯だけになったりんごを流しに放り投げ、立ち上がった。
女は一瞬夫をぎろりとにらみつけたが何も言わず、
芯だけになったりんごを流しに放り投げ、立ち上がった。
すりおろしたりんごを入れた器を持ち、
女は娘の寝ている部屋へ入った。
娘は、先ほどと変わらない赤い顔のまま寝入っていた。
女は娘の寝ている部屋へ入った。
娘は、先ほどと変わらない赤い顔のまま寝入っていた。
もしかしたら、
貴族として不自由なく暮らしていたかもしれないのに、
こんな貧乏な家にもらわれて可哀想にね......
貴族として不自由なく暮らしていたかもしれないのに、
こんな貧乏な家にもらわれて可哀想にね......
女はしばし娘の寝顔を見つめ、
そっと頬に手を伸ばそうとしてやめた。
代わりに、ベッド脇のサイドテーブルに器を置き、
音もなく部屋を後にした。
そっと頬に手を伸ばそうとしてやめた。
代わりに、ベッド脇のサイドテーブルに器を置き、
音もなく部屋を後にした。
あの子は、自分が私たちの実の子ではないと気付き始めている。
それでも、私たちに愛されようとがんばっている。
それでも、私たちに愛されようとがんばっている。
その純粋さ、素直さ、健気さ。
似ていないのは顔だけでないのだ。
心根の美しさまでが、私たちとは全く違うということを、
思い知らされる。
似ていないのは顔だけでないのだ。
心根の美しさまでが、私たちとは全く違うということを、
思い知らされる。
............あの日、
あの子を拾ったことは間違いだったのかもしれない。
あの子を拾ったことは間違いだったのかもしれない。
少女の傍らのりんごは、だんだん茶色にくすんでいく。
どんどん、どんどん、汚く醜い色に。
どんどん、どんどん、汚く醜い色に。
少女は何も気づかずに、深く眠り続けていた......