※このページには『真暗ノ記憶』に関するネタバレが含まれます。
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一話
幼い頃、この場所に連れてこられてから、
数年の月日が経った。
数年の月日が経った。
来るものを拒むような、外壁に刻み込まれたレリーフ。
開く度、軋みを上げる木製の扉。
廊下に落ちる、ステンドグラスに染められた日差し。
開く度、軋みを上げる木製の扉。
廊下に落ちる、ステンドグラスに染められた日差し。
魔法使いの学舎は、
変わらない姿でこの場所に建っている。
変わらない姿でこの場所に建っている。
ひとけのない休日の朝。
くせ毛の少女はこっそりと、学舎の調理室に忍び込んだ。
荷物を机に置いて、戸棚に手を伸ばす。
そこから、調理道具をひとつずつ取り出していく。
くせ毛の少女はこっそりと、学舎の調理室に忍び込んだ。
荷物を机に置いて、戸棚に手を伸ばす。
そこから、調理道具をひとつずつ取り出していく。
机の上に並んでいるのは、食材とレシピ本。
少女はエプロンをつけて、それらを交互に見る。
少女はエプロンをつけて、それらを交互に見る。
少女が混ぜ合わせた食材は、薄く伸ばされて生地になる。
用意したハートの型を手に取って、くり抜く。
小さなハート型になった生地を、温めたオーブンの中へ。
用意したハートの型を手に取って、くり抜く。
小さなハート型になった生地を、温めたオーブンの中へ。
しばらく待つと、甘く、やわらかい香りが漂い出した。
少女は、オーブンの扉についたガラスの窓から、
こんがりと色づくハート型のクッキーを眺める。
少女は、オーブンの扉についたガラスの窓から、
こんがりと色づくハート型のクッキーを眺める。
「美味しく、できるかな……」
学舎に入った子供達は共に生活をしていく。
100人単位の人数が集まれば、
誕生日が同じ月の子もたくさんいる事になる。
100人単位の人数が集まれば、
誕生日が同じ月の子もたくさんいる事になる。
来月は、少女と、クラスの友達の誕生日。
そんなわけで今、クラスの友達と交換するための、
プレゼントを作る練習をしていた。
そんなわけで今、クラスの友達と交換するための、
プレゼントを作る練習をしていた。
焼きあがったクッキーを一枚つまむ。
口に入れると、じゅわっと広がる芳ばしい香り。優しい甘み。
口に入れると、じゅわっと広がる芳ばしい香り。優しい甘み。
少女の口元がゆるむ。
練習であれば、十分合格点だろう。
あとは、ラッピングの練習をするだけ。
あとは、ラッピングの練習をするだけ。
少女は調理室を片付けて、寮の自室へと戻る。
机の上に文房具を用意して、
ラッピングのために頼んでいた、特別な布が届くのを待つ。
机の上に文房具を用意して、
ラッピングのために頼んでいた、特別な布が届くのを待つ。
練習用に包んだクッキーは、
隣の部屋にいる眼鏡の親友にあげることにしよう。
隣の部屋にいる眼鏡の親友にあげることにしよう。
少女の部屋に呼び鈴が響く。
ちょうど、ラッピング用の布が届いたみたいだ。
ちょうど、ラッピング用の布が届いたみたいだ。
うきうきした気持ちで扉を開けると……
そこには学舎の教師が立っていた。
不意の来訪に、驚いたことがばれないよう、
いつものように穏やかな微笑みで、
いつものように穏やかな微笑みで、
「どうされました?」と尋ねる。
こっそり調理室を使ったことへの言い訳を、
頭の中に巡らせながら。
頭の中に巡らせながら。
教師は少し神妙な顔つきで、
手紙を差し出す。
少女の、叱責を受ける、という予想は裏切られた。
差し出された手紙を見ながら、思わず、
手紙を差し出す。
少女の、叱責を受ける、という予想は裏切られた。
差し出された手紙を見ながら、思わず、
「手紙……ですか?」と口にしていた。
少しほっとしたような声色だったかもしれない。
その問いかけに教師は、
「内容を確認したら、報告に来なさい」とだけ言う。
「内容を確認したら、報告に来なさい」とだけ言う。
いぶかし気な表情で私が手紙を受け取ると、
それ以上は何も言わず、去っていった。
それ以上は何も言わず、去っていった。
少女は受け取った手紙を眺めながら、後ろ手に扉を閉める。
ぴんと張った真っ白な封筒、
裏にはしっかりと封蝋が押し付けられていた。
随分かしこまった手紙だ。
裏にはしっかりと封蝋が押し付けられていた。
随分かしこまった手紙だ。
机の引き出しから、ペーパーナイフを取り出して、
手紙を開封する。
手紙を開封する。
手紙は故郷にある病院からだった。
「なんでそんなところから……?」
少女はゆっくりと、紙面に綴られた文字を追う。
事務的に記載された簡潔な文章が彼女に伝える。
母が、倒れたと。
少女はその内容を反芻して、
指先が冷たくなっていくのを感じていた。
少女はその内容を反芻して、
指先が冷たくなっていくのを感じていた。
……普通の家族だったら、こんな時、
どんな反応をするのが正しいのだろう?
そんなことを考えてしまう時点で、
私の反応は間違っているに違いない……
どんな反応をするのが正しいのだろう?
そんなことを考えてしまう時点で、
私の反応は間違っているに違いない……
母が倒れたという内容を読んでも少女は、
取り乱したり、
悲しんだり、
心配したりもできず、
悲しんだり、
心配したりもできず、
ただその手紙を見つめたまま、立ち尽くしていた。
二話
石造りの街並みを通り過ぎ、視界に緑が増えていく。
肌に感じる空気も、学舎のある街より、透き通って感じる。
くせ毛の少女は、故郷へと続く道を進んでいた。
肌に感じる空気も、学舎のある街より、透き通って感じる。
くせ毛の少女は、故郷へと続く道を進んでいた。
数日前、故郷の病院から手紙を受け取った少女は、
その内容を学舎の教師に伝えた。
その内容を学舎の教師に伝えた。
倒れてしまった母。
その詳しい病状については、
直接会って説明させてほしいと書かれていた。
その詳しい病状については、
直接会って説明させてほしいと書かれていた。
教師と話し合った結果、
少女は一時的に帰省するよう命じられた。
少女は一時的に帰省するよう命じられた。
周りの景色が変わっていくごとに、
少しずつ故郷の気配が混じっていく。
その気配を感じる度、少女の心は重たくなる。
少しずつ故郷の気配が混じっていく。
その気配を感じる度、少女の心は重たくなる。
少女は、学舎を出るときから暗い表情だった。
見送りに出た教師が、心配の声をかけるほどに。
見送りに出た教師が、心配の声をかけるほどに。
学舎を出るとき、教師は、
「貴方の顔を見たら、きっとお母さまも元気になる」
と言った。
「貴方の顔を見たら、きっとお母さまも元気になる」
と言った。
確かに少女の心に影を落とすのは、母が原因だ。
でも、それは母が倒れたからではない。
原因は、母との過去にあった。
でも、それは母が倒れたからではない。
原因は、母との過去にあった。
少女は、自分を生んだ女性のことを、
「母」だと思ったことはなかった。
「母」だと思ったことはなかった。
「あなたなんて、生まれてこなければよかった……」
そんなことを、言われたのだから。
そんなことを、言われたのだから。
だから故郷は、少女にとって帰りたい場所ではない。
前に出す足も、目的地が近づく度に重くなっていく。
前に出す足も、目的地が近づく度に重くなっていく。
学舎で過ごすうちに忘れられたと思っていた、母への恐怖心。
見覚えのある景色が近づくにつれて、
嫌なことばかりが、鮮明に蘇ってくる。
嫌なことばかりが、鮮明に蘇ってくる。
太陽が照っているにも関わらず、少女の汗は冷たい。
革で作られた鞄の持ち手が、茶色く濁っている。
目的地である病院はもう目の前だ。
革で作られた鞄の持ち手が、茶色く濁っている。
目的地である病院はもう目の前だ。
あの建物の中に、母がいる……
病院の入り口には、木が植えられていた。
細い枝の先に、オレンジ色の果実を実らせている。
それを見て、ずっと昔に、母とここに来たことを思い出す。
細い枝の先に、オレンジ色の果実を実らせている。
それを見て、ずっと昔に、母とここに来たことを思い出す。
あのときも、木にはオレンジ色の果実が実っていた。
その日幼い私は、地に落ちた果実が気になって手を伸ばした。
それを見た母は、私の手を杖で叩きつけた。
私は、大声で泣いた。
母は、無言で私を睨んでいた。
それを見た母は、私の手を杖で叩きつけた。
私は、大声で泣いた。
母は、無言で私を睨んでいた。
少女の手の甲に、幼い日の痛みが蘇る。
ドアノブを握りしめ、病院の扉を開く。
目の前には受付があったが、そこには誰もいない。
目の前には受付があったが、そこには誰もいない。
少女は仕方なく、
手紙に記載されていた病室の番号を探し始める。
手紙に記載されていた病室の番号を探し始める。
白い病院には人の気配がなく、がらんとしていて、
そのまま忘れ去られ、風化してしまいそうに見える。
そのまま忘れ去られ、風化してしまいそうに見える。
いくつかの廊下を端から端まであるいても、
少女は誰ともすれ違わなかった。
動いているのは、窓辺で揺れるカーテンぐらいだった。
自分だけが取り残されたような不安に駆られる。
少女は誰ともすれ違わなかった。
動いているのは、窓辺で揺れるカーテンぐらいだった。
自分だけが取り残されたような不安に駆られる。
静謐な午後。
風が止んでしまえば、時間さえ止まっているように感じる。
風が止んでしまえば、時間さえ止まっているように感じる。
壁に取り付けられた番号をひとつずつ辿っていく。
103、104、105、106……
107。
ここが、母のいる病室のはずだ。
ここが、母のいる病室のはずだ。
少女はそっと、病室の中を覗き込む。
ベッドから身を起こし、窓の外を眺める女性がひとり。
ベッドから身を起こし、窓の外を眺める女性がひとり。
母だ。
「倒れた」と聞いていたが、寝たきりではないらしい。
後ろ姿は、昔よりも少し小さくなったように感じられた。
あるいは、自分が少し大きくなったのかもしれない。
後ろ姿は、昔よりも少し小さくなったように感じられた。
あるいは、自分が少し大きくなったのかもしれない。
少女は想像する。
振り返った時の、母の視線を、第一声を。
下を向いて、母から浴びせられる語気に耐える。
大丈夫、怖くない。
怖くない。
怖くない……
振り返った時の、母の視線を、第一声を。
下を向いて、母から浴びせられる語気に耐える。
大丈夫、怖くない。
怖くない。
怖くない……
ここでいつまでも立ち尽くしているわけにはいかなかった。
できるだけ足音を立てないように、足を踏み出す。
できるだけ足音を立てないように、足を踏み出す。
1歩目、……
2歩目、…………
3歩目、母が振り返りそうになる。
4歩目、母は、完全に振り返る。
2歩目、…………
3歩目、母が振り返りそうになる。
4歩目、母は、完全に振り返る。
そして、少女の想像は裏切られた。
母の視線は穏やかだった。
母は子供のように笑い、少女に向かってこう言った。
母の視線は穏やかだった。
母は子供のように笑い、少女に向かってこう言った。
「オバアチャン! きてくれたのね! あたし嬉しい!」
三話
穏やかな日の日差し、風に揺れるカーテン、白い病室。
母と少女は二人きりで、向かい合った。
母と少女は二人きりで、向かい合った。
母は子供のような無邪気さで、
ニコニコと笑顔を振りまいている。
ニコニコと笑顔を振りまいている。
それは、少女の記憶にある、どの母の姿とも違うもので、
本当に自分の母親なのか、不安になるくらいだった。
本当に自分の母親なのか、不安になるくらいだった。
少女の記憶の中の母は、厳しくて、冷たくて、
笑いかけてくれたことなんて、一度もない。
笑いかけてくれたことなんて、一度もない。
少女が転んで、母に助けを求めたときだって、
そっぽを向いて、先に進んでしまう。
手を差し伸べてすらくれなかった。
そっぽを向いて、先に進んでしまう。
手を差し伸べてすらくれなかった。
それなのに今は……
戸惑う少女の背中に、声がかけられる。
振り向くと、白衣を纏った老齢の医師。
振り向くと、白衣を纏った老齢の医師。
彼は「案内もできずにすみませんね」と謝る。
そして、病院の人手不足を嘆く。
そして、病院の人手不足を嘆く。
「あ、いえ……」と返事を返す少女から何か察したようで、
彼は一呼吸おいて、母の病状を説明し始めた。
彼は一呼吸おいて、母の病状を説明し始めた。
母は脳の認知機能に異常があるという。
家で倒れているところを、発見されたのは数日前のこと。
しかし、その時にはもう、症状が進みすぎていた。
しかし、その時にはもう、症状が進みすぎていた。
治療を施しても、脳機能は完全には回復しなかった。
母の意識は、子どもの頃に戻っているという。
少女は、医師の話を聞いても戸惑うばかりで、
どうしたらいいのか、わからなかった。
少女は、医師の話を聞いても戸惑うばかりで、
どうしたらいいのか、わからなかった。
医師は少し迷ってから、心を決めたように頷き、
話を切り出す。
話を切り出す。
まだ子供である貴方に、
こんな事を伝えるのは酷かもしれないが……
と前置きして伝えられた事実は、
母の余命がどれくらい残っているかもわからないということ。
こんな事を伝えるのは酷かもしれないが……
と前置きして伝えられた事実は、
母の余命がどれくらい残っているかもわからないということ。
そして、できるなら……。
子供に戻ってしまった母に、付き添ってあげてほしい、
ということだった。
ということだった。
少女は、話を聞き終えて、小さく息を吸う。
そして、少し考える時間が欲しい、とだけ返事をした。
医師は小さく頷いて「私は受付に戻るよ」と言った、
そして、少し考える時間が欲しい、とだけ返事をした。
医師は小さく頷いて「私は受付に戻るよ」と言った、
二人きりで取り残される、母と、娘。
目の前の壁には、折り紙で作られた星や、
動物達が貼り付けられていた。
母の病室は、子供部屋のように飾られている。
動物達が貼り付けられていた。
母の病室は、子供部屋のように飾られている。
この折り紙も母親が自分の手で折ったものなのだろうか?
少女が壁に貼り付けられた折り紙を眺めていると、
母はがさごそと、机の引き出しを開けた。
そこから、折り紙を出してきて、
母はがさごそと、机の引き出しを開けた。
そこから、折り紙を出してきて、
「ねぇ! いっしょに作ろう! あたしとっても上手だよ!」
と言い、少女の服の袖を掴む。
自分の母が、それも、一度も笑顔を見せたこともない母が、
私に甘えてくる。
そんな異様な光景を前にして、
少女は拒絶することしかできなかった。
パンッ……と咄嗟に、袖を掴む母の手を払う。
私に甘えてくる。
そんな異様な光景を前にして、
少女は拒絶することしかできなかった。
パンッ……と咄嗟に、袖を掴む母の手を払う。
少女の冷たい反応に、母は声をあげて泣き出す。
あんなに怖かった母が、
まるで幼い頃の自分のように泣いている。
少女の戸惑いは、やがて怒りに変わっていく。
あんなに怖かった母が、
まるで幼い頃の自分のように泣いている。
少女の戸惑いは、やがて怒りに変わっていく。
私を苦しめていた、記憶の中の母。
あれはいったいなんだったのか……
泣きわめく母に対して、死んでしまえとまで思う。
あれはいったいなんだったのか……
泣きわめく母に対して、死んでしまえとまで思う。
私は、酷い娘だろうか。少女は自問する。
病に臥せる母にさえ、優しい言葉もかけられない。
病に臥せる母にさえ、優しい言葉もかけられない。
病室の中には、母の泣き声だけがこだましていた……
四話
少女は、簡素な木製の椅子に腰かけて、
病室の窓に切り取られた風景を眺めていた。
病室の窓に切り取られた風景を眺めていた。
衝撃的な母との対面から幾日か過ぎたが、
まだ、しっかりと事実を飲み込めないでいる。
まだ、しっかりと事実を飲み込めないでいる。
医師と話し合った結果、
少女は暫く病院に滞在することになった。
学舎には、手紙を出してもらった。
少女は暫く病院に滞在することになった。
学舎には、手紙を出してもらった。
医師の懸命な治療の継続もあって、
母の容体は、ちょっとずつ変化していった。
それは、母の意識が、子供から、大人へと変化していく、
奇妙な時間だった。
そんな時間を、戸惑いながらも共に過ごしていく。
母の容体は、ちょっとずつ変化していった。
それは、母の意識が、子供から、大人へと変化していく、
奇妙な時間だった。
そんな時間を、戸惑いながらも共に過ごしていく。
対面した直後は子供の様に振る舞っていた母が、
翌週には少し大人びた表情をして、
恋愛の相談などを持ち掛けてくる。
翌週には少し大人びた表情をして、
恋愛の相談などを持ち掛けてくる。
数週間の間で、母の意識は少しずつ変化して、
いまでは成人くらいの精神年齢に達していた。
いまでは成人くらいの精神年齢に達していた。
子供の頃の母は、折り紙が好きだった。
少し大人になった母は、虫が苦手だった。
大人になっても母は、にんじんが嫌いだった。
目の前にいる母は……優しかった。
少し大人になった母は、虫が苦手だった。
大人になっても母は、にんじんが嫌いだった。
目の前にいる母は……優しかった。
でもそれは「娘の私」に向けられた優しさではないのだ。
その日、目を覚ました母は、いつもより具合が悪そうだった。
少し心細そうに、
少し心細そうに、
「オバアチャン、一緒にいてくれる?」と少女に問う。
少女は、母と視線を合わせる。
そして、少し勇気をだして答えた。
一緒にいるよ、と。
一緒にいるよ、と。
母は相変わらず、少女のことを、
「オバアチャン」と呼んでいた。
恐らく母の意識の中では、子供はまだ生まれておらず、
存在すらしていないのだろう。
「オバアチャン」と呼んでいた。
恐らく母の意識の中では、子供はまだ生まれておらず、
存在すらしていないのだろう。
少女は考えていた。
私は、母を嫌っていた。
母も私を嫌っていると思っていた。
私は母と、仲良くなりたかったのだろうか。
母は私と、親子でいたかったんだろうか……
母も私を嫌っていると思っていた。
私は母と、仲良くなりたかったのだろうか。
母は私と、親子でいたかったんだろうか……
でも、その答えまで辿り着くことなく、
別れの日は近づいていた。
別れの日は近づいていた。
幾日か過ぎ、母の容体は急変した。
衰弱した母の腕は、木の枝のように細くなっていた。
衰弱した母の腕は、木の枝のように細くなっていた。
母の意識は薄れていく。
医師は、今夜が最後の夜になるかもしれない、と言った。
医師は、今夜が最後の夜になるかもしれない、と言った。
少女はその日、眠らずに母の手を握り続けていた。
窓から月明りが差し込んで、部屋は薄明るい。
窓から月明りが差し込んで、部屋は薄明るい。
月光が母の苦しそうな寝顔を照らす。
ぴくぴくと瞼が動く。
母は目を覚ます。
ぴくぴくと瞼が動く。
母は目を覚ます。
「お水を飲む?」と問うと、母は小さく首を横に振った。
暫くして、母が口を開いた。
何か、悩んでいる様子だった。
そして「オバアチャンに相談があるの」と言う。
少し大人びた口調には、神妙な雰囲気さえあった。
何か、悩んでいる様子だった。
そして「オバアチャンに相談があるの」と言う。
少し大人びた口調には、神妙な雰囲気さえあった。
少女はただ頷いて、母の次の言葉を待つ。
その口から語られたのは、子供を産むことへの葛藤だった。
その口から語られたのは、子供を産むことへの葛藤だった。
母は、子供を産みたくないと言った。
「……やっぱり……そうか……」
母は私のことを求めていなかったのだ。
うなだれる少女に気付くことなく、母は言葉を続ける。
それは彼女が成人して暫くした頃の話だった。
それは彼女が成人して暫くした頃の話だった。
母は医師に、ある診断を下されたという。
それは精神に関する病だった。
それは精神に関する病だった。
その診断をきっかけに、夫とも別れることになったらしい。
少女はそんなこと、全く知らなかった。
自分が母と一緒にいた時間は短く、
複雑な大人の事情を理解できる年齢でもなかった。
今だって、話の内容についていくことで精いっぱいだ。
複雑な大人の事情を理解できる年齢でもなかった。
今だって、話の内容についていくことで精いっぱいだ。
精神の病は、母の人格を蝕んでしまうという。
母は、自分が病によって変わってしまうことが怖いと言った。
病は、自分のことも、周りの人も、傷付けてしまう。
そのことを、深く深く、思い悩んでいた。
母は、自分が病によって変わってしまうことが怖いと言った。
病は、自分のことも、周りの人も、傷付けてしまう。
そのことを、深く深く、思い悩んでいた。
もし産んでしまったら、きっと我が子を苦しめる。
お腹の中にいるこの子は、
お腹の中にいるこの子は、
こんなに……こんなに……
愛おしいのに……と。
少女の頬の上を、温かい何かが流れる。
それはポタポタと膝の上に落ちていく。
母の告白を聞いて、心の中で固まっていた何かが溶け、
涙となって流れ落ちていた。
それはポタポタと膝の上に落ちていく。
母の告白を聞いて、心の中で固まっていた何かが溶け、
涙となって流れ落ちていた。
母はそれ以上何も言わなかった。
再び閉じられた瞼。
瞼の下にある黒いくまには、
彼女の人生の苦悩が染みついているように見えた。
再び閉じられた瞼。
瞼の下にある黒いくまには、
彼女の人生の苦悩が染みついているように見えた。
音のない病室の中で、少女はぎゅっと、母の手を握る。
そして、病室に来てから初めて、目の前の女性ことを、
そして、病室に来てから初めて、目の前の女性ことを、
「おかあさん……」
と呼んだ。
長い夜が明けた。
その日は、少女の誕生日だった。
よく晴れた日差しが、少女と、少女の故郷に降り注ぐ。
手で日差しを遮りながら、少女は故郷を眺める。
その視線は、ここに来た時よりも、少し大人びていた。
その日は、少女の誕生日だった。
よく晴れた日差しが、少女と、少女の故郷に降り注ぐ。
手で日差しを遮りながら、少女は故郷を眺める。
その視線は、ここに来た時よりも、少し大人びていた。
今日、故郷の教会で母の葬儀が行われる。
少女は、白銀の礼服に袖を通す。
「おかあさん」のことを、見送るために。
少女は、白銀の礼服に袖を通す。
「おかあさん」のことを、見送るために。