- 分類:長編小説
- 初出:「臨時増刊小説現代」1981年6月
- 雑誌時挿絵:文月信
- 初刊:1983年/講談社ノベルス
- 刊行回数:5回
- 入手:入手可(電子書籍あり)
あらすじ
瓦礫を薄くまとった焼野に、夕闇はゆっくりと降りてきた。
昭和二十年八月十五日――
正午に玉音放送があって、まだ数時間が経っていない。
その正午を期して、歴史は戦後という新しい時代に流れこんだのだが、雑音まじりのラジオで一人の神の声が告げた終戦は、大多数の国民の、まだ実感にはなっていなかった。忍び難きを忍んで、大本営の発表どおり、何とか希望を繋いできたか細い糸が、突如断ちきられたのである。
昭和二十三年十二月二十四日、横浜の安宿で右腕のない男、津上芳男が射殺された。二日後、日本人の娼婦が殺され、中国人の女・玲蘭による三角関係のもつれの果ての殺人と断定されるが、捜査の過程で津上の正体は元軍人で元ピアニストの寺田武史という男だと判明する。犯人の玲蘭は崖から身を投げ、死体は発見されぬまま事件は終結した。
二十数年後、作家の柚木はひょんなことから寺田武史の生涯に興味を持ち調べ始める。寺田が部下の指に遺したピアノの運指と、二枚の楽譜の謎。寺田はそれで何を伝えようとしていたのか? 柚木が寺田を題材にした小説を書き始めると、彼の元に奇妙な手紙が届く――。
登場人物
- 柚木桂作
- 小説家。鞘間重毅を題材にした「虚飾の烏」で名声を高め、続いて寺田武史を題材にした「無音の独奏」を執筆する。
- 柚木万由子
- 秋生鞆久
- 寺田武史(津上芳男)
- ピアニストの軍人。中国で玉砕したと思われていたが、右腕を失って帰還、津上芳男と名を変えて生活していた。昭和23年12月24日、玲蘭によって射殺される。
- 趙玲蘭
- 津上芳男と松本信子を殺害した中国人の女。崖から身投げし行方不明となる。
- 松本信子
- 鞘間重毅
- 太平洋戦争の影に暗躍した軍の重鎮。戦後、戦犯として逮捕される直前に自決。
- 鞘間文香
- 倉持タネ
- 村野きぬ
- 荒木茂三
- 津上芳男殺害事件を捜査した若手刑事。柚木パートでは孫のいる歳になっている。
- 橋場修平
- 津上芳男殺害事件を捜査するベテラン刑事。柚木パートでは既に故人。
- 山田治雄
- 寺田の部隊での部下。秋生のテレビ局に寺田の思い出を投書する。
- 瀬川喜秀
- 世界的に活躍する作曲家。「虚飾の烏」の映画に寺田の遺した楽譜を基にした交響曲を作曲する。
- 愛玲
- 小川玲子
解題
天才連城にして描き得た、美しくも壮大な逆転劇。 ――綾辻行人
あまりにも巨きく、絢爛たるトリック。 ――有栖川有栖
(講談社ノベルス復刻版オビより)
太平洋戦争を背景に置いた、連城三紀彦の第2長編。
「小説現代」の1981年6月臨時増刊号にて、「ミステリー・ルネッサンス!新探偵小説三人集」と題し、栗本薫「鬼面の研究」、井沢元彦「六歌仙暗殺考」とともに一挙掲載された(竹本健治の短編「けむりは血の色」もひっそり掲載)。同号には栗本・井沢との座談会「新感覚の探偵小説」(司会:石川喬司)も掲載されている。
掲載号の目次には《推理作家協会賞受賞記念特別作品!華麗な物語世界の魔》とあり、『絃の聖域』で吉川英治文学新人賞を受賞した栗本、『猿丸幻視行』で江戸川乱歩賞を受賞した井沢と、それぞれ受賞作を講談社から出した3人という取り合わせでの企画であったようだ。
また初刊がノベルスなのは、本作と『
夜よ鼠たちのために』のみ。
ショパンの葬送行進曲を聞くたび、なぜか砂塵舞う辺境の戦場を思い浮かべます。
この作品は、太平洋戦争を背景にした愛の物語であり、嘘八百のミステリーですが、すべて、そのショパンの十六の音が出発でした。
美しい名旋律をトリックにして、戦争というノンフィクションへの、自分なりの葬送行進曲を書いてみたかったのです。
(初刊ノベルス折り返し「著者のことば」全文)
楽譜とピアノの運指に隠された暗号を探る、超絶高難度の暗号ミステリー。連城作品ではほぼ唯一の暗号もの(未収録掌編「
別れ、の香り。」もある種の暗号ものか)。
また、夾竹桃をモチーフにした、
花葬シリーズの流れを汲む長編とも言える。
戦争をテーマにした作品はこの後『
黄昏のベルリン』や『
落日の門』へと続いていく。
最大のサプライズとなる部分がG・K・チェスタトンの有名短編のオマージュとなっているとよく指摘されるが、実際は連城はチェスタトンの当該作を読む以前に全く同じネタを構想しており、チェスタトンが同じネタを既に書いていることを知ってネタを練り直した結果が本作であるらしい。
――御自分ではチェスタトンみたいなトリックを書きたかったんですか、それとも作曲家っていうか音楽家の運命みたいなのを書きたかったんですか。
「僕が一番最初に思いついたトリックってのは、チェスタトンとおんなじトリックなんです。その時偶々知りませんでして、それで……上海かどっかを舞台にして、チェスタトンと殆ど同じ形で、僕の頭の中にあったんですよね。それが、「**」(引用者註:ネタバレのため伏せる。伏せ字の文字数はタイトルと一致しない)てのがあるという話を(竹本氏笑)、乱歩の『幻影城』かな、乱歩のトリック集成(『続幻影城』収載)、あれ読んだ時に顎然(ママ)としましてね。それでね、じゃちょっとやっぱり変えなくちゃいけないってんでね、もうちょっと、じゃあ太平洋戦争起こせないかって感じでね、起こしてみたんですけど。あんまり上手く起こせませんでした。(笑)」
(「地下室」1982年9月号 「特別例会報告4」より)
本作については、2007年の講談社ノベルス復刊版に寄せられた米澤穂信の解説が素晴らしい。米澤は『追想五断章』を書くにあたって本作をイメージしていたという。
本作の暗号は、技術的には極めて難易度が高い。読者が解くことはまず不可能だろう。
しかしその難しさは、本作の重要な要素である。ばらばらに配られた暗号と解読表によって、真のメッセージは幾重にも隠される。そこに、暗号製作者寺田武史の意志が滲み出ている。おそらくは、誰にも解かれないだろう暗号。それは虚空に放たれた呟きのようなものだ。
そして読者の視点から彼と彼の暗号を見るとき、声なき叫びと屈託が痛いほどに伝わってくる。謎が心情を代弁する。これはミステリの、理想の形の一つだ。それゆえに私は、本作『敗北への凱旋』を最高の暗号ミステリだと思う。
(講談社ノベルス復刊版、米澤穂信「解説」より)
米澤:単にリドルストーリーを書くだけなら比較的簡単なんです。ただ、なぜそういう風に書いたのか、なぜそう書かざるを得なかったのかというところを小説の着地点にしなければ、一つの小説にはなりませんからね。
私はどうも、言うに言えない思いをテキストに託す、というシチュエーションそのものが好きなようです。だから今回の『追想五断章』は、根本的には暗号ミステリでもあるんです。先程、執筆前に連城先生をイメージしたと言いましたが、具体的には『敗北への凱旋』のことを考えていました。実は『敗北への凱旋』が2008年に講談社から復刊されたとき、解説を書かせていただきました。この作品の暗号はとんでもなく難しいんです。ただ、難しければ難しいほど、「言わないでは済ませられないが言えないから、真意を暗号に託す」という葛藤の深さが伝わってくる。
暗号ミステリは、暗号にしなくてはいけない理由、つまり「なぜ言えないのか」が一番の読ませどころじゃないかと思います。実は私のデビュー作の『氷菓』からして、そういうシチュエーションなんですよ。
(RENZABURO掲載
米澤穂信『追想五断章』刊行記念インタビューより)
1999年にハルキ文庫《連城三紀彦傑作推理コレクション》の1冊として、2007年に講談社ノベルス《綾辻・有栖川復刊セレクション》の1冊として2度復刊されたが、いずれも比較的短期間で入手不能になってしまった。2021年、創元推理文庫として3度目の復刊を果たし、現在はそちらで入手可能。
ミステリ感想サイト・
黄金の羊毛亭には、作中の楽譜を元にしたMIDIファイルがある。→
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またニコニコ動画にも、鏡音リン・レンで作中の楽譜2「SOS」を演奏した動画がある。→
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各種ランキング順位
刊行履歴
初刊:講談社ノベルス/1983年11月5日発行
昭和二十三年十二月二十四日降誕祭前夜十時、横浜中華街から一キロほど離れた安宿の一室。床の中央に男が倒れていた。拳銃の弾丸が心臓に命中していた。右腕がない。男の名は津上芳男。津上が殺されて二日後、第二の事件で、津上の二人の女の一方が殺された。容疑者としてもう一人の女・玲蘭を追う。三人の男女の背景は?
(ノベルス裏表紙より)
新書/192ページ/定価620円/絶版
ブックデザイン/市川英夫 カバー・本文イラストレーション/上村一夫
文庫化:講談社文庫/1986年8月15日発行
片腕の男性ピアニストが遺した、美しい旋律の曲と詩の謎とは? 戦後間もなくの横浜中華街で発生した連続殺人事件は、戦前から戦後にかけての、男と女の、狂おしくも哀しい人生の終着だった。その真相を解く鍵は、被害者の男が遺した楽譜にあるという……。鬼才が構想豊かに描く長編ミステリー・ロマン。
(文庫裏表紙より)
文庫/234ページ/定価320円/絶版
解説/泡坂妻夫
カバー装画/村上みどり デザイン/菊地信義
再文庫化:ハルキ文庫/1999年3月18日発行
戦争によってその将来を断たれたピアニスト・寺田武史。戦後、非業の死を遂げた彼の生涯を小説にするべく取材を始めた柚木桂作は、寺田の遺した謎の楽譜や、彼の遺児と思われる中国人ピアニスト・愛鈴の存在を知る。調査をすすめるうちに徐々に明らかにされる、戦時下の中国と日本を舞台とした〝ある犯罪〟……。複雑にもつれあう愛憎劇に、楽譜による〝暗号〟を絡めて描く、長篇ミステリー。
(文庫裏表紙より)
日下三蔵編《連城三紀彦傑作推理コレクション》第6回配本(最終巻)
文庫/243ページ/定価640円+税/品切れ
解説/日下三蔵
装画/宇野亜喜良 装幀/芦澤泰偉
ノベルス復刊:講談社ノベルス/2007年8月6日発行
終戦後まもないクリスマスイブ、安宿で片腕の男の死体が見つかった。容疑者の中国人女性・玲蘭は彼の情婦をも殺し、自らも身を投げる。痴情のもつれと見られた事件の背後には、恐るべき陰謀と愛の悲劇が隠されていた。男が残した美しい旋律を手がかりに、戦争に翻弄された男女の数奇な運命が今、明かされる!
(ノベルス裏表紙より)
講談社ノベルス25周年記念《綾辻・有栖川復刊セレクション》第1回配本
※旧版にあった挿絵が削除されている。
新書/194ページ/定価800円+税/品切れ
解説/米澤穂信
カバーデザイン/坂野公一(welle design) ブックデザイン/熊谷博人・釜津典之
オリジナルカバーイラスト/上村一夫 オリジナルカバーデザイン/市川英夫
再々文庫化:創元推理文庫/2021年2月26日発行
終戦から間もない降誕祭前夜、焼け跡の残る横浜・中華街の片隅で他殺体となって見付かった隻腕の男。ピアニストとして将来を嘱望されながらも戦争に音楽の道を断たれた男は、如何にして右腕を失い、名前を捨て、哀しき末路を辿ったのか。そして、遺された楽譜に仕組まれたメッセージとは――美しき暗号が戦時下の壮大な犯罪を浮かびあがらせる、名匠の初期を代表する推理長編。
(文庫裏表紙より)
文庫/238ページ/定価780円+税/入手可(電子書籍あり)
解説/米澤穂信(講談社ノベルス復刊版からの再録+改稿)
装画/柳智之 装幀/岩郷重力+t.f
最終更新:2021年02月24日 19:15