ため息の時間

  • 分類:長編小説
  • 初出:「すばる」1990年3月号~1991年2月号
  • 雑誌時挿絵:不定(毎号別)
  • 初刊:1991年/集英社
  • 刊行回数:2回
  • 入手:古書のみ(電子書籍あり)

あらすじ

 子供の頃、僕はリリアンを編むのが巧かった。

僕は今からこの雑誌に、一年前に僕自身に起こった恋愛事件についての小説を書こうとしている。僕はセンセイとその奥さんを同時に愛してしまった……。ああ、誤解しないでほしい。この小説を書いているのは〝連城三紀彦〟だが、僕は連城三紀彦ではない――。

登場人物

  • 僕(平野敬太)
    • 画家。
  • センセイ(辻井秋一)
    • イラストレーター。
  • 奥さん(洋子)
    • センセイの妻。
  • 康子
    • 「僕」の元交際相手。
  • 連城三紀彦
    • この小説を書いている作家。

解題

純文学誌「すばる」に連載された、連城三紀彦作品中、最大の怪作にして問題作。
本作についてはここに記すべきことのほとんどは濱田芳彰による文庫版解説に書かれているので、長くなるがまとめて引用する。ちなみに濱田芳彰は、連城のエッセイにたまに登場する「助手」である。

 この小説は恋愛小説である。
 主人公の「僕」がホモセクシャルであることを除けば、三角関係を描いたクラシックな恋愛小説であって、しかも、心理の襞までも描くような丹念な描写と、ドラマのもたらす波紋では、恋愛ものでも定評のある連城氏の作品の中でも一、二を争う秀作であろう。
(中略)
 だが、お読みになれば一目瞭然、これは決してただの恋愛小説ではない。
 連城三紀彦は作家としてオールラウンドプレーヤーで、恋愛、ミステリーはもちろん、時にはポルノや喜劇も、そしてホラー作家としての腕も一流……これは評論家の香山二三郎氏の指摘だが、まさにその通りである。しかも、恋愛小説の中にドンデン返しや恐怖があり、推理にも恋愛が大きな比重を占めるなど、ジャンルに括られない作風であり、連城小説というジャンルがあるとでも言えば一番当を得ているであろうか。
 本作でも第一章は恋愛小説としてスタートしながら、第二章では早くもそれは裏切られてミステリーが同時進行し始める。エッセイミステリーとでもいうのか、「〝僕〟という語り手が誰なのか」というミステリーが、一種の暴露小説、スキャンダル小説の匂いを撒き散らしながら断続的に挟まれ、恋愛小説を傷つけ、壊し、裏切ってゆくのだ。
 だが、もっと大きな裏切りがある。
 この小説は月刊誌『すばる』に一年にわたって連載された小説だが、連載小説にあるはずの約束事を意図的に壊し、傷つけている。
 まず、タイトルが二つあること。連載スタート時は『リリアン』だった題名が、早くも翌月には『ため息の時間』に変わり、その変更の理由は本文中で説明されるが、それが本当に作者の意図的な嘘なのか事実なのか(前に意図的とは書いたものの)判然とせず、そこにまたミステリーが生じる。
 また、ラストシーンが連載の途中で出てきたり、発端が「僕のフライング」と称して何度も書き換えられたり……連載小説が持つはずの方向性は攪拌され、逆流を起こす。
 ではそれなら『ため息の時間』は連載小説として異端児なのか?
 答えは「否」である。
 むしろこれは連載時に読まれるべき小説であって、連載という形式を徹底的に裏切ってゆくことで、逆に連載ならではの面白さを引き出そうとしたものだった。連載と同時に読んでいた筆者は、毎月スリリングな思いを楽しんだものである。
 残念ながら、単行本化された段階ではこの面白さは味わえないが、それでも小説自体、絶えずフィクションが事実を裏切り、事実がフィクションを裏切り返し、不協和音の連続のような二重奏が徐々に協和し一つの旋律を――恋愛小説を紡ぎ出してゆく過程には充分スリルは楽しめる。
 連載小説を裏切ることで連載小説を純化させ、小説を裏切ることで小説の純化を試み、そして、作者は恋愛小説を傷つけ裏切り続けることで、逆に恋愛小説としての純度を高めようとしたのではないか。
(集英社文庫版 濱田芳彰「解説」より)

 この小説の連載中、氏の周囲にいる人たちはモデル探しに躍起になっていた。
 ゴースト・ライターなどという言葉で煙にまいているものの、「僕」はその風貌と環境からやはり連城氏当人だろうという声が多く、センセイについても最初は本文中にも出てくるシナリオ作家のA氏という声が圧倒的だった。わざわざ本文中で断っているのが怪しい……A氏とは事実、傍目には漫画のような面白い関係であって、「あの二人は危ない」と周囲は冗談半分で噂していた。
 当のA氏でさえ、「このセンセイのモデルは自分かもしれない」と疑っているらしい、という話や、
「最近連城さん、Aさんと支笏湖へ行った? このあいだ小説にそう書いてなかった?」
 と知人が訊いてきた話、それから編集者が「小説を私物化して凄いラヴレターを書いてしまうとは……」と言ったという話を連城さんは筆者に上機嫌の声で語っている。
 だが、こんな風にモデルの詮索をしたり、それを事実として語ったりすること自体、すでに作者の術策に落ちている。
 前にも書いた通り、連城氏のおそらく一番身近にいる筆者は、この小説を完全なフィクションとして読み、相変わらず小説の中では嘘の上手い人だなと思っていた。
(集英社文庫版 濱田芳彰「解説」より)

「シナリオ作家のA氏」とは、脚本家の荒井晴彦のこと。エッセイ集『一瞬の虹』を読むと、本作の中で描かれる「センセイ」の振る舞いが荒井晴彦をモデルとしていることは一目瞭然である。
つまり、端的にまとめると連載形式を逆手に取った暴露小説風のメタフィクション恋愛ミステリーであり、連城三紀彦×荒井晴彦のナマモノBLを連城三紀彦自身が書いたというおそろしくややこしい上に業の深い作品である。
恋文』『もうひとつの恋文』『あじさい前線』などの実話モデル小説群の行き着いた果てのような作品。この路線のその後の作品には同じ「すばる」に連載された実験作『悲体』がある。

なお、連城三紀彦自身は本作について「青春と読書」1991年7月号掲載のエッセイ「嘘のような本当のような……」で、「活字は嘘つきである。」という書き出しから、以下のように語っている。

 小説はいい。最初から嘘という大前提があるから、むしろ巧く嘘をつけない時に編集者や読者に後ろめたさを覚えるが、エッセイを書いている時がいけない。
 一応実体験をもとに書くものの、実話どおりに話を進めたり本音の全部を語りつくすだけの枚数がもらえないし、そんなことをしていては読者を退屈させる。ハショったり話をふくらましたりで事実を曲げるのはしょっちゅうである。三人の旅が一人旅になったり、場末の居酒屋で飲んだ焼酎が高級フランス料理店のワインに変わる。坊主も裸では暮らせないから法衣を着る、同じように自分の書く貧弱な現実に多少の見栄を着こませたくなったりもするのだ。
 極端な例では、離婚寸前の夫婦を実話では仲直りしたのにエッセイの中で別れさせてしまったこともある。これは絶対に僕だけではない。あの、巧みな語り口で本音を語りつくしているとしか思えない林真理子さんのエッセイの中で、「断言するが多くの作家は小説の中でよりエッセイの中での方が嘘をついている。」とかの一文を読んだことがあるし、僕もまた機会あるごとに、「僕の場合エッセイは実話を基にしたフィクションと思ってもらった方がいいほど嘘つきで、小説の方が正直です」と弁解し続けてきた。
 確かに僕の場合、小説の方が嘘を書いたはずなのに、後で読み返したりすると、エッセイより生に自分の本音が流れだしているのに気づいて、思わず赤面することがある。
(中略)
 書いている当人がわからない以上、僕の書いたものが活字になった時、嘘と事実の間を揺れ動いてしまうのも当然だが、僕にはどうも活字自体が勝手に嘘をついたり事実を語ったりする生き物だという気もする。活版印刷の活字は凹凸から産みだされるが、その凹凸に似た嘘と事実の表裏一体をもった困った生き物である。最初に「嘘つき」と断定したが、嘘が書かれていても事実のような気にさせ、事実が書かれていても嘘の可能性を残してしまうわけのわからない生き物、と言った方が僕の感じとっているものに一番近くなる。
 そんな活字の性格を利用して去年「すばる」に『ため息の時間』という小説を連載させてもらった。実話を前提にしたフィクションという前提で、ある恋愛事件を書き進め、活字にどれだけ嘘を語らせられるか、どれだけ事実を語らせられるか試したのだが、利用するつもりの活字のワルな性格に利用されふり回され、結果としてああいう小説になってしまった。
(「青春と読書」1991年7月号掲載 「嘘のような本当のような……」より)

なお、単行本の装画を描いている〝平野敬太〟とは作中の「僕」のことで、この絵を描いたのは連城三紀彦本人。文庫版の装画は〝連城三紀彦〟の名前で描いている。

また、単行本では各章の区切りに計6回分、作者自身による註が付されているが、文庫版では全てカットされている。

刊行履歴

初刊:集英社/1991年7月10日発行


この恋愛事件はこれまでのようには書けない……
僕とセンセイと奥さんの衝撃の〝愛のかたち〟。編み目の裏表のような、嘘と真実。からみあう駆けひき。新しい恋愛小説の登場。
(単行本オビより)

単行本/251ページ/定価1165円+税/絶版
装画/平野敬太 装幀/上原ゼンジ

文庫化:集英社文庫/1994年10月25日発行


洋画家の僕は、「センセイ」と呼んで敬愛する十歳年上のイラストレーター辻井秋一とその妻洋子のふたりを、同時に愛してしまった。愛し合うこと、騙し合うこと、そして傷つけ合うことを繰り返し、からみ合う人間関係の終着駅はどこなのか? 現代の恋愛の先端を、スリリングな展開と叙情味豊かな筆で描く。
(文庫裏表紙より)

文庫/260ページ/定価427円+税/絶版/電子書籍あり
解説/濱田芳彰(コラムニスト、連城三紀彦の助手)
カバー/連城三紀彦

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最終更新:2019年08月21日 00:25