- 分類:連作短編集
- 初出:「月刊カドカワ」1987年3月号~1988年2月号(全12回)
- 雑誌時挿絵:高田麻香
- 初刊:1988年/角川書店
- 刊行回数:2回
- 入手:古書のみ
解題
角川書店がかつて発行していた文芸誌「月刊カドカワ」に「
新・雨月物語」と題して連載された連作。
上田秋成『雨月物語』をモチーフとしており、各話のタイトルも『雨月物語』の本文から採られている。
連作ではあるが、それぞれの物語は完全に独立している。また『雨月物語』を読んでいなくても、読むのに全く支障はない。
なお最終話「
その終焉に」では、雑誌時では冒頭に『雨月物語』とこの連作の関係性についての作者の述懐があるが、単行本化の際にばっさりとカットされている。
単行本化にあたり、『夢ごころ』と改題された。ちなみに文庫化のみの『
花堕ちる』を除けば、角川書店から刊行された唯一の連城作品。
この作品は「新・雨月物語」として月刊カドカワ誌に発表したものです。表題の「夢ごころ」も一話一話の題名もすべて上田秋成の「雨月物語」の中の言葉からとったものですし、「雨月物語」を連想させる話や具体的に下敷きにさせてもらった話もありますが、あの名作古典とは無関係な、現代の男と女の話として読んでいただければと思い、表題を変えました。それを一言お断りしておきます。
(単行本巻末より)
収録作は半分ぐらいはミステリとして読めるが、ほかは恋愛小説だったり幻想怪異譚だったりと様々。どちらかといえば皆川博子などの幻想小説が好きな人向けの作品集だろう。
また文庫版の小森収の解説は、91年当時の連城三紀彦論としては出色の内容であろう。
連城三紀彦の書くものは、ミステリであったり、恋愛小説であったりするかもしれません。そのふたつの要素を兼ね備える場合もあるでしょう。しかし、同時に、ミステリや恋愛小説と括ってしまうことに、強く抵抗するものを小説それ自体が持っています。それは一言でいえば、コストパフォーマンスを無視した妄執を描いている点であり、それゆえに連城三紀彦の書くものは、ミステリとしても恋愛小説としても、破格であってユニークである、という位置を取り続けることになります。
たとえば、近年の傑作『
飾り火』は、ひとりの女の手によって、ある平凡で幸福な家庭が完膚なきまでに壊されてしまいます。その謀りごとの手の込みようといったらないのですが、そこでは、ミステリでよく問題になる、一体なぜそんな手の込んだことをする必要があるのか、という謀りごと(トリック)の必然性の問題が、いつもあっさりと解決されているのです。トリックの必然性とは、犯行が露顕した時のマイナスと、犯行の手間を秤にかけて決めるという常識を、連城三紀彦はいとも簡単に覆してみせました。恋に狂えば、人は手間暇など度外視した行動に出るのだ、という心理=真理が、そこでは働くからです。同時に、トリッキーで破天荒な行為でなければ描けない恋愛が、この世にはあることを、それはさし示してもいました。読者をひっかけてやろうとする、ミステリ作家連城三紀彦が先なのか、ある愛の形を描くためにトリッキーな手法を用いる、恋愛小説家連城三紀彦が先なのか、私には分かりません。というよりも、後先の問題ではなく、そういう体質のひとりの作家がいると考える方が正しいように、私には思えるのです。
(角川文庫版 小森収「解説」より)
収録作
第六話 鬼
第十一話 性
刊行履歴
初刊:角川書店/1988年5月31日発行
人は恋をした瞬間に、一匹の幻を飼う。
いつの世にも人の心に湿原に咲く耽美な愛の物語。
(単行本オビより)
単行本/251ページ/定価980円/絶版
イラストレーション/黒田征太郞 デザイン/桜庭文一+K2
文庫化:角川文庫/1991年12月10日発行
今夜、あなたはとうとうこの家へ、戻ってきました。私のもとへと、八年間いろいろなことがありながらそれでも妻であり続けた女のもとへと…、失踪した夫の美しい俤を愛し、門灯を絶やさずに待った女の決着を描く「
忘れ草」。新婚旅行に向う車中で、ラグビー部の先輩との灼けるような想い出と激しい夢を見続ける男の時間を映す「陰火」……。
人は恋をした瞬間に、一匹の幻を飼うことになる。いつの世にも人の心の湿原に咲く耽美な愛、十二篇。
(文庫折り返しより)
文庫/238ページ/定価379円+税/絶版
解説/小森収
カバーイラスト/村上みどり デザイン/高橋雅之+K2
最終更新:2018年12月23日 21:58