- 分類:長編小説
- 初出:「小説推理」1990年2月号・3月号
- 初刊:1990年/双葉社
- 刊行回数:3回
- 入手:古書のみ
あらすじ
どこまでも殺されていく僕がいる。
いつまでも殺されていく僕がいる……
高校教師・横田勝彦のもとに、匿名の男子生徒から「僕は殺されようとしています。助けてください」というメッセージが届く。苗場直美らクラスの生徒たちの協力を得て、メッセージを送ってきた生徒を突き止めた横田。そこへ送られてきたのは〝自分はこれまでの生涯に七度殺され、今まさに八度目に殺されようとしている……〟という、謎の手記だった……。
主な登場人物
解題
1990年に「小説推理」誌上に分割掲載され、同年に刊行された、90年代に刊行されたものでは唯一の恋愛要素のないミステリ長編。
『
私という名の変奏曲』を思わせる、〝7回殺された僕〟という強烈な謎が読者を惹きつける。
一見、同じようなトリックでも、著者の手にかかると無限の物語が生まれてくるようで、まさに錬金術師と呼ぶに相応しい手練れぶりであります。ミステリーから遠ざかりつつある著者だが、ファンとしては、このままどこまでもミステリーを書き続けていってほしいものだ。
(香山二三郎『日本ミステリー最前線 1995年版』より 初出:「小説推理」1990年5月号)
ミステリであることが明確であったおかげか、「このミステリーがすごい!1991年版」13位、「週刊文春ミステリーベスト10」1990年版9位と、90年代の連城作品では唯一、各種年間ランキングの上位にランクインした。
非常に初期新本格的な雰囲気の作品であるが、そういう初期新本格に苦い顔をしていた世代の評論家には、上の世代である連城の書いた本作は受け入れられやすかったのかもしれない。
久方ぶりのパラノイアックな連城ミステリの世界をどうぞ。思うにこれは連城のベストワンだ。人間心理の迷宮を探っていくと、必ず異貌の謎(ミステリ)に行き当たる。それを過度に図式化する方向に突撃する怪作がいくつかあった。『
暗色コメディ』『
私という名の変奏曲』など。被害者と加害者が一瞬にして転換する。というより二者が不分明な灰色の世界が読者に残される。
この作品では、冒頭に、七度殺され、今、八回目を殺されようとしている男の異様な手記が置かれている。多少ケレンが目立つが、この文体、連城ファンをうならせてやまない実に映像美なのだ。そこから一転して赤川式青春ミステリの進行となる。被害者は誰か。犯人は? 高校生活が舞台、探偵役は教師と同級生。
一人称の叙述(ナラティブ)をトリック化する方向も、逢坂剛『水中眼鏡(ゴーグル)の女』のような職人芸の頂点をみる一方、一部の新本格派学生小説に濫発されるので食傷気味。果たして連城はこの傾向での第一人者を証明できるか。ウマク騙して欲しいと軽く読んでいたら背筋が寒くなった。
犯人も被害者も追いつめられるように読者も追いつめられる。どこまでもいつまでも殺されて、というメッセージは、今日の「空中ブランコに乗る子供たち」の現状の明晰な投影だと思える。
(「サンデー毎日」1990年7月1日号 野崎六助「サンデーらいぶらりぃ」より)
どこまでも殺される――このフレーズはミステリーの謎以外のところで、一体、どんなテーマを秘めているのだろうか。これは、たとえば、はじめ、横田という教師が探偵役として乗り出しながらも、何故、謎ときのイニシアティブを奪われていくのか、何故、子供から大人へと成長していく過程にある、いってみれば矛盾の総合体である女生徒がこの事件を解決しなくてはならないのか、という問題とも密接に関わってくるのである。
結論からいえば、それは直美たちの属する世代が「どこまでも殺されて」いく世代だからではないのか。人は子供の頃、自分の将来について幾つもの夢を持ち、様々な可能性を抱いている。だが、大人になるということは、そうした様々な夢や可能性を一つ一つ潰していくことによって成り立っているのではないのか。己れの才能の未熟、家庭の事情、不慮の事故等で、夢や可能性は〝どこまでも殺されて〟いく。そして、最後に残ったほんの一握りの可能性を糧にして人は、ようやく大人の世界へと足を踏み出していくのである。
(中略)
とびきりの技巧に酔いながらも、それを超えたテーマやモチーフを内包しているのが連城三紀彦作品の特長だとするならば、本書はそのことを教えてくれる格好のテキストといえるだろう。
(双葉文庫版 縄田一男「解説」より)
1993年に双葉文庫で文庫化されたが、なぜかその2年後には新潮文庫から解説も縄田一男のまま再刊されている(その後も双葉社で作品を出しているため、何か揉めたということではないようだ)。本作よりも『
落日の門』を絶賛している縄田一男の解説は、双葉文庫から新潮文庫で若干の加筆があるがほぼ同内容である。新潮文庫版でも
花葬シリーズに関する勘違いが訂正されずに残っているのは謎。
なお新潮文庫版は、4年後の1999年に『
隠れ菊』新潮文庫版が出たときにはもう既刊リストから消えている。同じく91年に新潮文庫入りし94年にはリストから消えた『
私という名の変奏曲』新潮文庫版といい、いくらなんでも消えるのが早すぎではないだろうか……。
各種ランキング順位
- 年間
- このミステリーがすごい! 1991年版 13位
- 週刊文春ミステリーベスト10 1990年版 9位
- オールタイム系
刊行履歴
初刊:双葉社/1990年5月30日発行
激賞!!
【長篇本格推理小説】
常識を越える謎――戦慄の結末
この作品は日記や告白の記述のトリックを最大限に活用した秀作として文句ない。
特に複数の登場人物や語り手の視点を入れ替えることによって戦りつすべき結末を迎える手際は心憎いばかりと言えよう。
共同通信配信(文芸評論家)縄田一男
(単行本初版オビより)
単行本/247ページ/定価1262円+税/絶版
装画/牧美也子 装幀/岸顕樹郎
文庫化:双葉文庫/1993年6月15日発行
僕は殺されることにも慣れてしまったが、同時にまた憎まれることにも慣れていた。子供の頃から、まわりの誰もが僕を憎み、そのうちの何人かが僕を殺そうと決心するまでにその憎悪を募らせたのだ。僕が自分でも気づかずにいるちょっとした目つきや小さな仕草だけでも人が僕を殺したいほど憎むことを、何度も殺されて僕は知りつくしてしまっていた。
(文庫裏表紙より)
文庫/260ページ/定価456円+税/絶版
解説/縄田一男
カバーイラスト/牧美也子 カバーデザイン/古澤隆人
再文庫化:新潮文庫/1995年8月1日発行
「どこまでも殺されていく僕がいる。いつまでも殺されていく僕がいる」七度も殺され、今まさに八度めに殺されようとしているという謎の手記。そして高校教師・横田勝彦のもとには、ある男子生徒から「僕は殺されようとしています。助けて下さい」という必死のメッセージが届く。生徒たちの協力を得て、殺人の阻止と謎の解明に挑む横田。周致な伏線と驚愕の展開に彩られた本格推理長編。
(文庫裏表紙より)
文庫/268ページ/定価427円+税/絶版
解説/縄田一男(双葉文庫版に加筆)
カバー装画/中山尚子 デザイン/新潮社装幀室
最終更新:2018年06月14日 01:45