旧藤沢村の端村なり。文禄中(1593年~1596年)の洪水に田圃を押流し村民離散す。後田地を墾発し再び家居を営みしより分て1村とす。
府城の西北に当り行程7里18町。
家数27軒、東西5町・南北4町。
渓流に傍ひ両岸に散居す。
東1町54間
河隅村の界に至る。その村まで5町40間余。
西3町40間
藤沢村の界に至る。その村まで26町。
南2町48間
下村の界に至る。その村まで24町余。
北12町48間
早稲谷村の山界に至る。その村まで23町余。
端村
一郷
本村の東、河隅村の境内を隔て19町40間余にあり。
家数3軒、東西1町・南北2町。
山間に散居す。
地面、東西20町余・南北15町計。東は
慶徳組宮在家村に接し、西は
河隅村に続き、南は
小布瀬原村に交わり、北は
藤沢村に隣る。
一郷の小名 小布瀬川
一郷より寅(東北東)の方4町にあり。
家数13軒、東西36間・南北46間。
渓流に傍ふ。
山川
鷹待山
村より戌(西北西)の方12町にあり。
高30丈余。昔この山にて鷹を羅せし故に名くという。
またこの奥に狸森という山あり。昔狸多く住しという。
洲谷沢川
村中にあり。
村北の山中より出て、巳(南南東)の方に流るること3町余
河隅村の方に注ぐ。
神社
山神社
村西1町にあり。
鳥居拝殿あり。上三宮村高村能登が司なり。
最終更新:2020年09月04日 19:39