耶麻郡木曽組船引村

陸奥国 耶麻郡 木曽組 船引(ふねひき)
大日本地誌大系第32巻 145コマ目

府城の西北に当り行程7里。
家数16軒、東西18間・南北2町42間。
宮古川を挟み住す。

辰(東南東)の方2町上林村の界に至る。その村まで15町。
西4町中反村の界に至る。その村まで10町。
南10町木曽村の界に至る。その村まで1里。
北12町58間堂山村の界に至る。その村は戌亥(北西)に当り11町。

また辰(東南東)の方3町余に1区あり。(たふけ)という。
家数12軒、東西4町・南北10間、山間に住す。

山川

宮古川

村中にあり。
堂山村の方より来り、辰巳(南東)に流るること10町計木曽村の界に入る。

関梁

中島橋(なかしまはし)

村中にあり。
長7間・幅5尺、宮古川に架す。

神社

総社神社

祭神
相殿 山神
   鬼渡神
鎮座 不明
村中にあり。
鳥居拝殿あり。上三宮村高村能登が司なり。

神社

泉養寺

村南にあり。
曹洞宗舟引山と號す。会津郡南青木組北青木村恵倫寺の末山なり。
天文12年(1543年)安誉という僧1宇を造営し住職すること50年その後退転し、慶長7年(1602年)越後国より昌傳という僧来て再興せり。
本尊釈迦客殿に安ず。



蛇足。
付近に中島という地名があります。昔はここに橋が架かっていたのでしょうか?
最終更新:2020年09月09日 18:55