この村應永8年(1401年)清野靱負某というもの開くという。
府城の西に当り行程17里16町。
室谷川を挟み東西2区に住す。
西の1区、家数16軒、東西1町30間・南北2町。
東の1区、家数5軒、東西30間・南北1町。
深山の間に住す。本組西南の村落、ここに至て窮る。
東3里計陸奥国
大沼郡大石組本名村の山に界ふ。
西3里18町余、村松領本郡川内谷下杉村の山に界ふ。
南5里18町計、川内谷下田村の山に界ふ。
北33町
鑰取新田村に界ひ谷沢を限りとす。その村まで1里3町。
山川
御神楽嶽
村東3里18町計にあり。
数村入逢なり。
東は
本名村の地に跨り、南は
塩倉という山に連なる。
(小川荘の条下に詳なり)
猩々森山(十二嶽)
村より辰巳(南東)の方5里計にあり。
一に十二嶽という。
この西に連れるを
馬尾滝山という。
大沼郡大塩組と峯を界ふ。
赤柴山
村より巳午(南南東~南の間)の方11里余、山奥にあり。
下田村及び陸奥国
会津郡大塩組蒲生村と峯を界ふ。
駒嶽
村より巳午(南南東~南の間)の方10里余、山入にあり。
頂上まで4里余。
岩山にて積雪深し。夏に至り残雪馬の形をなす。因て名くという。
南は
蒲生村に続き、西は下田村に交わり、共に峯を界ふ。
奥越の界なり。
北は銀次郎・銀太郎という山につづく。この2山、昔銀太郎・銀次郎というもの始て踏みわけしとぞ。
その北に連り出るを
霞嶽という。これも高山なり。
矢筈山
村より申酉(西南西~西の間)の方8里計にあり。
2峯並び聳ゆ。矢筈に似たる故名く。
鉛山
村南1里3町計にあり。
享保年中(1716年~1736年)抗を穿ち鉛を採る。今は廃す。
沼2
一は村東2町計、山中にあり。周700間余。
一は村より戌亥(北西)の方15町余にあり。周100間。
室谷川
配手川
村より申酉(西南西~西の間)の方3里計、山中にあり。
水源は境内の山中より出、所々の渓流これに注ぎ、北に流るること5里18町余川内谷小面谷村の界に入る。
広30間余。
神社
熊野宮
村東2町、山上にあり。
鳥居あり。九島村齋藤丹後これを司る。
山神社
村東50間計、山上にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
寺院
洞雲寺
村中にあり。
紫光山と號す。浄土宗津川町新善光寺の末山なり。
應永8年(1401年)清野靱負、京師より来りこの村を闢き、寺を草創し天台の僧長譽というものを請て開山とす。
天正5年(1577年)浄家の僧南慶住してより浄土宗となる。
慶長3年(1598年)火災にかかり堂宇焼失す。その年南慶再興し画像の弥陀を本尊とし客殿に安じ、相継て今に至るという。
虚空蔵堂
村西にあり。
洞雲寺、司る。
昔は村西「かさき原」という所に天台宗の寺あり。僧侶多く巨宏の梵宇なり。いつの頃にか頽轉し虚空蔵のみ遺りしに、天正年中(1573年~1593年)の火災に烏有す。その後村民力を勠せこの所に再興せしとぞ。
- Google Map
- 室谷地区
- 昔の地図を見ると、この集落はもうすこし南側(田んぼが広がっている所)辺りにあったようです。東の1区は常浪川(室谷川)の対岸、大沼との間あたりにあったと思いますが、現在は無くなっているようです。
- 御神楽岳
- 貉ヶ森山(猩々森山)
- 雲河曽根山 - 馬尾滝山? 猩々森山の西、名前のある山です。
- 赤柴山 - 参考:新潟県と新潟県境の山
- 駒形山 - 駒嶽?
- 銀次郎山 / 銀太郎山 - 駒形山の位置を考えるとズレが大きい気がします。
- 霞嶽 - 不明。新潟県と新潟県境の山には矢筈岳の別名と記載あり。山行記録の所に銀太郎山・銀次郎山の記載もあります。
- 矢筈岳
- 鉛山 - 不明
- 大沼(村東)
- 沼(村の北西) - 不明
- 室谷川 - 現在の常浪川
- 配手川 - 現在の早出川(上流は今早出沢)の事かと
- 室谷神社(村の西の山上。旧熊野神社)
- 明治44年にこの地域の神社を熊野神社へ合併し社名を室谷神社と変えたようです。※越後佐渡デジタルライブラリー『神社明細帳 阿賀町』No.122より
- 室谷神社(常浪川の東側)
- 地図上には載っていますが社の有無は確認できませんでした。おそらく元の山神社があった所でしょう。
- 洞雲寺
- 虚空蔵堂 - 見当たらず。
- 室谷洞窟
- 室谷不動滝
余談:御神楽嶽神社。
神社明細帳に御神楽嶽神社の記載がありました。所在地は「越後国東蒲原郡西川村大字神谷字御神楽嶽」だそうです。祭神は
伊佐須美神社と同じく伊弉諾命と伊弉冊命です。
※
越後佐渡デジタルライブラリー『神社明細帳 阿賀町』No.135より
最終更新:2020年10月24日 21:51