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蒲原郡上條組室谷村

越後国 蒲原郡 上條組 室谷(むろや)
大日本地誌大系第34巻 51コマ目

この村應永8年(1401年)清野靱負某というもの開くという。

府城の西に当り行程17里16町。
室谷川を挟み東西2区に住す。
西の1区、家数16軒、東西1町30間・南北2町。
東の1区、家数5軒、東西30間・南北1町。
深山の間に住す。本組西南の村落、ここに至て(きわま)る。

東3里計陸奥国大沼郡大石組本名村の山に界ふ。
西3里18町余、村松領本郡川内谷下杉村の山に界ふ。
南5里18町計、川内谷下田村の山に界ふ。
北33町鑰取新田村に界ひ谷沢を限りとす。その村まで1里3町。

山川

御神楽嶽(みかくらがたけ)

村東3里18町計にあり。
数村入逢なり。
東は本名村の地に跨り、南は塩倉(しほのくら)という山に連なる。
(小川荘の条下に詳なり)

猩々森山(しやうしやうもりやま)(十二嶽)

村より辰巳(南東)の方5里計にあり。
一に十二嶽という。
この西に連れるを馬尾滝山(うまのおたきやま)という。
大沼郡大塩組と峯を界ふ。

赤柴山(あかしはやま)

村より巳午(南南東~南の間)の方11里余、山奥にあり。
下田村及び陸奥国会津郡大塩組蒲生村と峯を界ふ。

駒嶽(こまがたけ)

村より巳午(南南東~南の間)の方10里余、山入にあり。
頂上まで4里余。
岩山にて積雪深し。夏に至り残雪馬の形をなす。因て名くという。
南は蒲生村に続き、西は下田村に交わり、共に峯を界ふ。
奥越の界なり。
北は銀次郎・銀太郎という山につづく。この2山、昔銀太郎・銀次郎というもの始て踏みわけしとぞ。
その北に連り出るを霞嶽(かすみがたけ)という。これも高山なり。

矢筈山(やはすやま)

村より申酉(西南西~西の間)の方8里計にあり。
2峯並び聳ゆ。矢筈*1に似たる故名く。

鉛山

村南1里3町計にあり。
享保年中(1716年~1736年)抗を穿ち鉛を採る。今は廃す。

沼2

一は村東2町計、山中にあり。周700間余。
一は村より戌亥(北西)の方15町余にあり。周100間。

室谷川

水源を会津郡黒谷組叶津村八十里越の山中に発し、東北に流れ駒嶽・塩倉両山の間を経て村中に至り、北に流れ鑰取新田村の界に入る。
境内を経ること凡10里30町計。
広70間。

配手川(はいてかわ)

村より申酉(西南西~西の間)の方3里計、山中にあり。
水源は境内の山中より出、所々の渓流これに注ぎ、北に流るること5里18町余川内谷小面谷村の界に入る。
広30間余。

神社

熊野宮

祭神 熊野宮?
相殿 山神
鎮座 不明
村東2町、山上にあり。
鳥居あり。九島村齋藤丹後これを司る。

山神社

祭神 山神?
鎮座 不明
村東50間計、山上にあり。
鳥居あり。村民の持なり。

寺院

洞雲寺

村中にあり。
紫光山と號す。浄土宗津川町新善光寺の末山なり。
應永8年(1401年)清野靱負、京師より来りこの村を闢き、寺を草創し天台の僧長譽というものを請て開山とす。
天正5年(1577年)浄家の僧南慶住してより浄土宗となる。
慶長3年(1598年)火災にかかり堂宇焼失す。その年南慶再興し画像の弥陀を本尊とし客殿に安じ、相継て今に至るという。

虚空蔵堂

村西にあり。
洞雲寺、司る。
昔は村西「かさき原」という所に天台宗の寺あり。僧侶多く巨宏の梵宇なり。いつの頃にか頽轉(たいてん)し虚空蔵のみ遺りしに、天正年中(1573年~1593年)の火災に烏有(うゆう)す。その後村民力を(あわ)せこの所に再興せしとぞ。




余談:御神楽嶽神社。
神社明細帳に御神楽嶽神社の記載がありました。所在地は「越後国東蒲原郡西川村大字神谷字御神楽嶽」だそうです。祭神は伊佐須美神社と同じく伊弉諾命と伊弉冊命です。
越後佐渡デジタルライブラリー『神社明細帳 阿賀町』No.135より
最終更新:2020年10月24日 21:51
添付ファイル

*1 細い棒の先に叉(また)のついた、掛け物を掛ける道具