本二之丁

陸奥国 若松 郭内 本丁 本二之丁
大日本地誌大系第30巻 97コマ目

東西15町12間余・幅11間余。
家数65軒。
東の端より少し南に折れ本一之丁の端に出、西は諏訪通に通す。

東明寺趾

往昔、今の厩の地にありしという。
この寺盛なりし頃は、庭前泉石の勝ありて假山高く池水広く泛舟の興などありしという。
元和3年(1617年)郭外大町に移し築山を(こぼ)*1池水を埋て平地とす。その蹟より清水の湧出つるを老嫗(ろうう)の見出せしとて(うば)清水と名け今にあり。
慶長中(1596年~1615年)またここに正覺山成願寺という済家の寺を建立せしか、寛永10年(或いは16年ともいう)郭南允殿(せうどの)館に移せり。
※寛永10年=1633年、寛永16年=1639年

薬師堂趾

諏訪神社の前にあり。
いつの頃にか廃絶す。
後正保の頃(1645年~1648年)信州高遠より奇特山法恩寺という寺をここに移せしか、これも(ゆえ)有て廃せり。

神社

諏訪神社




最終更新:2022年10月26日 13:27

*1 壊すこと