東西15町12間余・幅11間余。
家数65軒。
東の端より少し南に折れ本一之丁の端に出、西は諏訪通に通す。
東明寺趾
往昔、今の厩の地にありしという。
この寺盛なりし頃は、庭前泉石の勝ありて假山高く池水広く泛舟の興などありしという。
元和3年(1617年)郭外大町に移し築山を毀ち池水を埋て平地とす。その蹟より清水の湧出つるを老嫗の見出せしとて嫗清水と名け今にあり。
慶長中(1596年~1615年)またここに正覺山成願寺という済家の寺を建立せしか、寛永10年(或いは16年ともいう)郭南允殿館に移せり。
※寛永10年=1633年、寛永16年=1639年
薬師堂趾
諏訪神社の前にあり。
いつの頃にか廃絶す。
後正保の頃(1645年~1648年)信州高遠より奇特山法恩寺という寺をここに移せしか、これも
故有て廃せり。
神社
諏訪神社
最終更新:2022年10月26日 13:27