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本丁 > 本三之丁

陸奥国 若松 郭内 本丁 本三之丁
大日本地誌大系第30巻 107コマ目
※会津城下のまちわり - 会津若松史 第2巻より

東は寶積寺通より、西は少し北に折て桂林寺町口に至る。
長13町32間余、家数67軒。

この丁清水多し。桶輪を設け用水とす。
また舊事雑考 至徳元年(1384年)の記に、この丁に壽福寺という寺ありしよし見ゆれとも今その所詳ならす。

角場(かくば)

この丁の東土居際にあり。
足軽の炮術を(なら)ふ所なり。
(下凡、角場というものこれに倣ふ)

一桂院趾

この丁の中ころにあり。
蒲生氏の時郭外大町に移す。


参照・補足

  • 東側は学校が建てられ一部通行できない。
  • 会津工業高校付近から諏方神社の東側の入口までの通り。

外部リンク等

  • Google Map
    • 本三之丁旧三之丁の碑
    • 角場? - 宅地開発により消失。現在の工業高校の校庭のマウンド辺りにあった
    • 一桂院跡?
最終更新:2026年02月22日 22:36
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