東は
寶積寺通より、西は少し北に折て桂林寺町口に至る。
長13町32間余、家数67軒。
この丁清水多し。桶輪を設け用水とす。
また
舊事雑考 至徳元年(1384年)の記に、この丁に壽福寺という寺ありしよし見ゆれとも今その所詳ならす。
角場
この丁の東土居際にあり。
足軽の炮術を肄ふ所なり。
(下凡、角場というものこれに倣ふ)
一桂院趾
この丁の中ころにあり。
蒲生氏の時郭外大町に移す。
参照・補足
- 東側は学校が建てられ一部通行できない。
- 会津工業高校付近から諏方神社の東側の入口までの通り。
外部リンク等
- Google Map
- 本三之丁、旧三之丁の碑
- 角場? - 宅地開発により消失。現在の工業高校の校庭のマウンド辺りにあった
- 一桂院跡?
最終更新:2026年02月22日 22:36