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陸奥国 若松 郭外 千軒道 木戸千軒(きどせんげん)
大日本地誌大系第30巻 186コマ目
※国立公文書館デジタルアーカイブ『新編会津風土記23』より

馬場町大町との間にありて東西の通なり。
両端に木戸あり(ゆえ)にこの名あり。

寺院

東雲寺

この通の北頬にあり。
境沢山と號す。材木町秀長寺の末山曹洞宗なり。
始めは高久組界沢村にありといい伝えれどもその詳なることを知らず。
天正の頃(1573年~1593年)殿宇荒廃せしを、存祝という僧領主に請てこの地に移す。故に存祝を以て中興とす。
本尊釈迦客殿に安ず。

満福寺

東雲寺の西に並べり。
浄土真宗京師東本願寺の末寺なり。
天文6年(1537年)清玄という僧京師に至り本願寺10世證如に請て寺號を受け、城南黒川の傍に一寺を建て中島満福寺と號す。
大3世重玄水災を患て領主に訴え文禄元年(1593年)この地に移れり。
本尊弥陀客殿に安ず。
鐘楼門あり。懸る所の鐘・径2尺2寸余。
『寶永七庚寅年八月初二日釋圓比丘』と彫付あり。
(寶永7年=1710年)

本光寺

満福寺の西に並べり。
浄土真宗京師西本願寺の末山なり。
永禄3年(1560年)唯心という僧、地を葦名氏に請て当寺を開き本願寺を號すという。

相伝う。
天正中(1573年~1593年)蒲生氏郷、本郡に移るに及て江州*1堅田慈教寺の住僧訴る旨あり。
氏郷慈教寺に命じ子弟の内1人木地挽を率いて会津に供すべしとあり。
三男了性という者、木地挽頭・佐藤和泉その子新助等5人と共に本郡に来る。この時当寺無住なりし(ゆえ)了性をして住せしむ。
今所々木地挽当寺の旦越たる者多きはこの因ある故なりとぞ。
(木地挽の事耶麻郡川東組酸川野村の条下を併見るべし)
本尊弥陀客殿に安ず。

寶物

正像末和讃 十三首
親鸞筆といい伝う。

本行寺

この通の北頬にあり。
寶壽山と號す。滝沢町妙法寺の末山法華宗なり。
文禄元年(1593年)日受という僧建立す。

三十番神社

境内にあり。


外部リンク等

最終更新:2026年02月13日 00:26
添付ファイル

*1 近江国。現在の滋賀県