府城の西南に当り行程17里14町。
家数31軒、東西2町20間・南北30間、山間に住し南に立岩川あり。
東50間
八総村の界に至る。その村まで8町。
西4町
熨斗戸村の界に至る。その村まで8町。
南55間
井桁村に界ひ立岩川を限りとす。その村は辰(東南東)に当り8町。
北1里15町
古町組多々石村の山に界ふ。
また
丑寅(北東)の方1里24間
高野組針生村の山界に至る。その村まで3里。
木地小屋
保上(保城)
本村の丑寅(北東)の方1里にあり。
家数9軒、東西30間・南北50間、山中に住す。
山川
立岩
村西1町にあり。
棟15丈・周18丈計、屏風をたてたるが如し。
村老の口碑(言い伝え)に、むかし一夜に涌出す。郷名の由て起る所なりと云う。
多く岩茸を産す。これを取れば必ず雨ふるとぞ。
立岩川
村南50間余にあり。
上流を岩下川と云う。
八総村の境内より来り、軽井沢合して西に流るること7町、
熨斗戸村の界に入る。
軽井沢
村東50間にあり。
境内の山中より源を発し、滝岐沢・大内沢・八木沢これに合し、西に流るること15町計、立岩川に注ぐ。
広8間。
関梁
橋
村東50間、軽井沢に架す。
超8町、隣村の通路、丸木橋なり。
神社
八幡宮
村北1町にあり。
鳥居あり。井桁村阿久津和泉が司なり。
山神社
村北4町にあり。
鳥居拝殿あり。阿久津和泉が司なり。
寺院
薬師堂
村東にあり。
草創の始を詳ならず。
修験金正院司なり。
古蹟
古碑
村北1町20間にあり。
高1尺6寸余・幅7寸余に厚1寸5分の黒色の石なり。
四方に緣を廻し、上に梵字蓮華座を刻み、下に花瓶一を彫り、右に貞和五年(1349年)、左に三月日とあり。
村民これを虚空蔵なりとて屋を設けて崇敬す。
また鰐口1口あり。
径9寸。銘に『奥州南山立岩圓福寺虚空藏堂之鰐口也于時應永十一年甲申五月十三日大旦那唯善房幷に諸旦施主各人敬白』とあり。
立岩の伝説
旧舘岩村の名前の由来となった(といわれている)立岩。大昔、大団坊(ダイタンボウ)という怪物が住んでいました。ある晩、巨大な岩がむくむくと出てきたのを見て腹を立てたダイタンボウが思い切り蹴り飛ばしたところ、岩の先が吹っ飛んで5km先の山にまっさかさまに落下しました。そして今でも落ちた岩を「逆さ岩」その地域を「
岩下」と呼んでいます。
このお話が元で立岩、のちに今の舘岩と言われるようになったとか・・・。
昔々、舘岩の上郷地区は大きな湖になっていて、人間の何十倍も大きな怪物/
大善坊が支配していた。
ある日、良い水に恵まれている此の地を狙って、流れ者の怪物/
大団坊が現れ、大善坊を睨みつけ、
「この地は今日から、おれ様のものだ、おとなしく出ていけ」
と、木々をも なぎ倒すような大声で威嚇する。
おとなしく大善坊が渡すはずもなく、
「わたせ!!」
「わたせるか!!」
と、しばらく言い争っていたが埒が明くはずもない。
ようやく、立岩の山頂から向かいの天狗岩の山まで飛んで勝った方が支配することとなった。
楽に飛べると過信した大団坊は、
「どうせ飛べないだろうが、先に飛んでみろ」
と挑発したしたので、大善坊が先に挑戦するや、みごと飛ぶことができた。
次いで大団坊が飛んでみると、相手の成功を見て動揺したのか、天狗岩の手前の湖岸に落ちてしまう。
再び挑戦しようと立岩の頂上に立ち上がった大団坊に向かって、大善坊が腹を抱えて嘲笑する。
「ワッハッハー、飛べるはずなどなかろー、ワッハッハー」
しばらくの間、大団坊は天狗岩を睨みつけていたが、飛べそうにないと悟るや、悔しさのあまり立岩を力いっぱい蹴飛ばしたため、岩が割れて一里も離れた裏山へ飛んでいってしまった。
勝負に負けた大団坊は、2度と姿を見せることがなかった。
いつしか、飛んで行った先の集落は 「
岩下村」、岩その物は 「
逆岩」 と呼ばれるようになった。
しばらく経って村人たちが、お堂を建てて薬師如来を祀ったところ、お参りすると力強く元気な子供に育つと云われるようになった。
天狗岩の場所が不明ですが…。とりあえず本村と岩下村との位置がわかる地図です。
木地小屋の保城見取り図
最終更新:2025年07月17日 21:13