この村も土人集り義家朝臣の馬を扶け泥濘を渡せし故村名となりしといい伝う。
上下の名を分ち別村たりし年代を詳にせず。
府城の東に当り行程2里27町余、家数31軒。
東西1町3間・南北2町58間。
白川街道にあり。
村北に一里塚あり。
西は山に傍ひ三方に田圃あり。
東9町30間
崎川村の界に至る。その卯辰(東~東南東の間)に当り27町余。
西25間
本郡郷南青木組院内村の山に界ふ。
南2町20間
西田面村の界に至る。その村まで4町20間余。
北1町28間
下馬渡村の界に至る。その村は亥(北北西)に当り5町50間。
小名
源治郎屋敷
本村より巳(南南東)の方5町40間余、白川街道にあり。
家数2軒。
東西14間・南北42間。
西は山に傍ひ三方に田圃あり。
山川
冬坂峠
村西15町にあり。
昔府下より通る往還ありし処なり。滝沢の新道開きしより後廃せり(滝沢組
滝沢村の条下に詳なり)。
頂より東に臨めば湖光鏡の如く芩翠相映し
佳景の地なり。
山形南北に長く支分して数峯となり、原・西田面・下馬渡・赤井等の諸村に分ち属す。
館山
村より寅(東北東)の方13町にあり。
登ること1町余、鵜浦入道聖親(中田村の条下に出す)という者住せし処という。
赤井川
村東5町余にあり。
西田面村の境内より来り北に流るること8町、下馬渡村の界に入る。
水利
堤
村より申(西南西)の方2町30間にあり。
周60間余。
神社
天子神社
村中にあり。
祭神詳ならず。或云、天津彦穂瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)なりと。
鳥居幣殿拝殿あり。
神職 竹俣丹波
萬治の頃(1658年~1661年)善大夫某という者あり。その先詳ならず。
今の丹波唯重は4世の孫なりとぞ。
麓山神社
館山の上にあり。
鳥居あり。竹俣丹波が司なり
寺院
虚空蔵堂
村西2町山麓にあり。
造立の年代詳ならず。
昔福聚山大満寺という真言の別当あしりが久しく退転せり。
文禄中(1593年~1596年)本寺村
恵日寺の僧玄弘という者この堂を修造し、寛文中(1661年~1673年)西田面村興泉寺再修せり。
興泉寺これを司る。
古蹟
古碑
村中にあり。
高4尺計の野面石なり。
『今此三界皆是我有其中 衆生悉是吾子觀應元年庚寅七月日』と彫付あり(觀應元年=1350年)。
来由を詳にせず。
最終更新:2023年06月19日 19:38