会津郡原組崎川村

陸奥国 会津郡 原組 崎川(さきかは)
大日本地誌大系第31巻 24コマ目

この村の山の出崎を原川流るる(ゆえ)崎川と称す。或いは誤って佐知川村という。

府城の東に当り行程3里9町。
9区に分れり、総称を崎川という。

西南の端を崎川という。家数2軒、東西20間・南北10間。
ここより2町50間東を浜という。家数2軒、東西20間・南北10間。

また崎川より5町30間丑(北北東)の方を霧艸(きりのくさ)という。家数8軒、東西35間・南北1町10間。
ここより4町30間北を舟木(ふなき)という。家数7軒、東西47間・南北30間。
ここより3町西を石動(いするき)という。家数4軒、東西30間・南北12間。

また舟木より3町丑(北北東)の方を打越(うちこし)という。家数12軒、東西1町18間・南北30間。
ここより1町10間東を居穴(いあな)という。家数7軒、東西30間・南北30間。
ここより2町30間東を二本槻(にほんつき)という。家数1軒。
ここより30間寅(東北東)の方を布上という。家数9軒、東西45間・南北58間。

この9区山麓に連なりて西北に列布し東は湖水に()ふ。

東1町湖水と限りとす。
西17町51間西田面村の山界に至る。そこまで24町。
南46間東田面村に界ひ原川と限りとす。その村まで5町20間余。
北8町30間中田村の山界に至る。その村は亥子(北北西~北の間)に当り18町30間。
また申(西南西)の方5町32間原村の山界に至る。その村まで20町余。
酉戌(西~西北西の間)の方17町31間上馬渡村の山界に至る。その村まで27町余。


山川

原川

村南1町にあり。
原村の界より来り5町余、東北に流れ湖水に入る。

土産

鐵沙

湖浜に多し。兵器農器を製するに宜し。

関梁

村南5町余、原川に架す。
長5町・幅8尺。
隣村の通路なり。

水利

堤2

一は村西にあり。
一は村西50間余にあり。
共に周90間余。

神社

伊豆神社

祭神 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
相殿 伊勢宮
   山神
   羽黒神
   八王子神
   鬼渡神
鎮座 不明
村北1町にあり。
鳥居拝殿あり。原村丸山主計これを司る。

熊野宮

祭神 熊野神?
相殿 石動神
鎮座 不明
村東1町にあり。
鳥居あり。修験明壽院司なり

寺院

薬師堂

村南5町にあり。
何の頃の草創にか詳ならず。
天文3年(1534年)に回禄(かいろく)に罹れりという。同15年(1546年)安積郡横沢の地頭伊藤六某、黒川に参りし時湖上にて(しばしば)風難に逢い危かりしに、心中にこの薬師を祈り(つつが)なく渡ることを得たり。因てこの堂を再修せしとぞ。
もと長命寺とて天台宗の別当ありしという。

別当 明壽院

本山派の修験なり。
天文の頃(1532年~1555年)濃州*1より秀賢という者来り薬師寺と号す。
現住性俊は13世の孫なりとぞ。



最終更新:2020年03月03日 05:49

*1 美濃国。現在の岐阜県南部