会津郡高久組鶴沼村

陸奥国 会津郡 高久組 鶴沼村
大日本地誌大系第31巻 35コマ目

昔この邊に鶴沼という沼あり。村名これに因るという。

府城の西北に当り行程1里19町余。
家数15軒、東西1町2間・南北1町15間、四方田圃(たんぼ)なり。

東1町36間沼木村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り11町50間余。
西6町10間下高野村の界に至る。その村まで4町余。
南4町42間上高野村の界に至る。その村まで8町余。
北1町51間余木流村の界に至る。その村まで8町10間余。
また
戌亥(北西)の方4町12間東森台村の界に至る。その村まで6町10間余。

水利

平沢堰

上高野村の方より来り数派となり田地に灌ぐ。

寺院

松明寺

村中にあり。
曹洞宗鶴沼山と號す。府下材木町秀長寺の末寺なり。
元和2年(1616年)行脚の僧来て一宇を草創せしという。
後無住となりしを葉山という僧中興し地蔵を本尊とし客殿に安ず。


最終更新:2020年03月05日 16:26