府城の西北に当り行程1里12町余。
出羽国米沢街道に傍ひ、南北2区に分れその間20間余を隔つ。
南の1区、家数21軒、東西1町20間・南北1町31間。
北の1区、家数8軒、東西32間・南北48間。
共に四方田圃なり。
村西に一里塚あり。
東1町3間
鶴沼村の界に至る。その村まで4町余。
西5町32間
下吉田村の界に至る。その村まで5町30間。
南2町27間
上高野村の界に至る。その村は巳(南南東)に当り8町40間余。
北3町52間
東森台村の界に至る。その村まで6町50間余。
また
未(南南西)の方2町32間
中地村の界に至る。その村まで10町。
申(西南西)の方3町50間
上吉田村の界に至る。その村まで7町20間余。
戌(西北西)の方6町2間
界沢村の界に至る。その村まで12町余。
亥(北北西)の方2町12間
中森台村の界に至る。その村まで9町20間余。
水利
平沢堰
吉田堰
寺院
観音堂
村中にあり。
1間半四面、東向。
至徳元年(1384年)葦名直盛黒川に城郭を営みし時この地に注連をはり良尊という僧をして禳災せしめ、工匠の居宅を構え材木を択びしとぞ。営築の功成て後直盛この堂を造立し良尊を別当とす。
伊達氏の乱(1589年)に兵火に罹り焼失し、ひとり観音の像災を免れしという。
長1尺の金像なり。
別当 千福寺
境内にあり。三王山と號す。
府下
大町一桂院の末寺真言宗なり。
嘉慶元年(1387年)良尊開基す。
本尊大日客殿に安ず。
山王神社
境内にあり。
昔良尊葦名直盛の為に山神を祭しとき一石一字の経文を埋めその上に勧請せし所という。
最終更新:2023年11月01日 18:07