会津郡橋爪組金屋村

陸奥国 会津郡 橋爪組 金屋(かなや)
大日本地誌大系第31巻 50コマ目

府城の西南に当り行程1里26町。
家数13軒、東西1町30間・南北58間。
四方田圃(たんぼ)なり。

東3町56間上荒井村の界に至る。その村まで5町。
西5町58間西後庵新田村に隣りその村際を界とす。
南38間下野村の界に至る。その村まで3町10間余。
北8町48間下小松新在家両村の界に至る。下小松村は寅(東北東)に当り10町30間余。
また戌亥(北西)の方5町36間北後庵村の界に至る。その村まで7町50間。

端村

西後庵(にしごあん)

永正の頃(1504年~1521年)比丘尼後庵という者住せしとて村の丑寅(北東)の方を今に比丘尼屋敷といい伝えれども如何なるものにか詳ならず。因て村名も後庵と云いしを、後に西の字を加ふという。
本村の未申(南西)の方4町20間余にあり。
家数9軒、東西1町30間・南北40間。
西は西後庵新田村に連なり、三方田圃(たんぼ)なり。

原野

秣場2

一は村北1町30間にあり。東西4町余、南北10間。
一派村より未申(南西)の方3町30間余にあり。東西1町余・南北3町20間。

寺院

願行寺

村中にあり。
金屋山と號す。本郡南青木組北青木村善龍寺の末山曹洞宗なり。
開基詳ならず。
慶長の頃中(1596年~1615年)圓壽という僧住すという。
本尊釈迦客殿に安ず。


最終更新:2020年03月09日 17:20