会津郡橋爪組西後庵新田村

陸奥国 会津郡 橋爪組 西後庵新田(にしごあんしんでん)
大日本地誌大系第31巻 53コマ目

寛永の頃(1624年~1645年)金屋村の端村西後庵の農民助左衛門という者闢きし所なり。今の肝煎鈴木平右衛門という者その松葉なりという。

府城の西南に当り行程2里。
家数4軒、東西37間・南北20間。
四方田圃(たんぼ)なり。

東は村際にて金屋村に界ふ。その村まで5町50間余。
西3町41間大沼郡本組新堀村の界に至る。その村まで11町10間余。
南13間大沼郡本組橋爪村の界に至る。その村まで8町10間。
北5町59間北後庵村の界に至る。その村まで6町50間余。
また辰巳(南東)の方1町30間下野村の界に至る。その村まで7町。
戌亥(北西)の方7町41間大島村の界に至る。その村まで10町余。
丑寅(北東)の方6町39間下小松村の界に至る。その村まで13町40間余。

小名

北新田(きたしんでん)

本村の北4町20間余にあり。
家数4軒、東西11間・南北20間。
四方菜圃(さいほ)なり。

山川

濁川(にごりかわ)

村西1町20間余にあり。
橋爪村の境内より来り北に流るること6町50間、新堀村の地を過ぎ大沼郡高田組安田村の界に入り宮川に合す。
広3間。

水利

宮袋堰

村より戌亥(北西)の方8町50間余にて宮川を引き大島村の方に注ぐ。



余談。
いつ頃から濁川は氷玉川と名前が変わったのでしょうか?
濁川向」という地名は残っているようです。
参考:「会津盆地における条里型地割の分布 - 歴史地理学会 」(PDF)