寛永の頃(1624年~1645年)金屋村の端村西後庵の農民助左衛門という者闢きし所なり。
今の肝煎鈴木平右衛門という者その松葉なりという。
府城の西南に当り行程2里。
家数4軒、東西37間・南北20間、四方田圃なり。
東は村際にて
金屋村に界ふ。その村まで5町50間余。
西3町41間
大沼郡本組新堀村の界に至る。その村まで11町10間余。
南13間
大沼郡本組橋爪村の界に至る。その村まで8町10間。
北5町59間
北後庵村の界に至る。その村まで6町50間余。
また
辰巳(南東)の方1町30間
下野村の界に至る。その村まで7町。
戌亥(北西)の方7町41間
大島村の界に至る。その村まで10町余。
丑寅(北東)の方6町39間
下小松村の界に至る。その村まで13町40間余。
小名
北新田
本村の北4町20間余にあり。
家数4軒、東西11間・南北20間、四方菜圃なり。
山川
濁川
水利
宮袋堰
村より戌亥(北西)の方8町50間余にて宮川を引き
大島村の方に注ぐ。
最終更新:2025年07月07日 17:23