大沼郡橋爪組橋爪村

陸奥国 大沼郡 橋爪組 橋爪(はしつめ)
大日本地誌大系第32巻 166コマ目

旧橋詰に作る。寛文中(1661年~1673年)今の文字に改む。

府城の西南に当り行程2里5町。
家数45軒、東西1町10間・南北3町15間。
四方田圃(たんぼ)なり。

東5町32間上荒井村の界に至る。その村は寅(東北東)に当り12町20間余。
西2町12間下中川村の界に至る。その村まで7町10間余。
南4町25間藤田村の界に至る。その村は未(南南西)に当り9町。
北8町西後庵新田村の界に至る。その村は丑(北北東)に当り8町10間。
また寅(東北東)の方4町1間下野村の界に至る。その村まで5町50間余。
未(南南西)の方2町高田組西勝村の界に至る。その村まで16町。
戌(西北西)の方8町新堀村の界に至るその村まで8町40間。

端村

田中(たなか)

本村の南4町にあり。
家数30軒、東西1町30間・南北1町10間。
四方田圃(たんぼ)なり。
この村もとは本村の西南1町10間余にあり。
養水の便によりここに移す。

小名

丸山(まるやま)

田中の東3町にあり。
家数7軒、東西45間・南北18間。
田圃の間に住す。
寛政3年(1791年)本村及び本郷大八郷両村の廃田を廃しこの村を開く。

山川

濁川(にこりかわ)

村より丑寅(北東)の方2町にあり。
上流を火玉川という。
本郷村の境内より来り、戌亥(北西)に流るること9町計小川(おかわ)に合し、また4町余北に流れ西後庵新田村の方に注ぐ。
広5間。

小川(おかわ)

藤田村の境内より来り、7町計北に流れ村、東1町濁川に入る。
広4間。

冷清水(ひやしみず)

村西1町にあり。
西勝村の田畝の間より出る。
清水処々にあり、相あつまりて川となり戌亥(北西)に流るること5町径、田地を潤し村北に至て濁川に入る。
広3間余。

関梁

村東2町にあり。
長6間・幅5尺。
府下往来の道濁川に架す。

神社

熊野宮

祭神 熊野宮?
相殿 伊勢宮 2座
   諏訪神
   鬼渡神
   冑神
   稲荷神
   蔵王神
鎮座 不明
村南1町計にあり。
鳥居拝殿あり。本郷村宗像出雲これを司る。

寺院

薬師寺

村中にあり。
醫徳山と號す。会津郡南青木組東光寺の末山天台宗なり。
縁起に、昔藤原秀衡鎌倉より薬師の像を求得て高館の城中に安置して崇敬浅からず。秀衡死後藤田村を領せし何某は秀衡の支族なれば、建久年中(1190年~1199年)彼の薬師を持来りここに安置せり(今境内の東にある薬師堂これなり。もとこの寺を千手院といいしに、この時今の寺號にあらたむという)。この頃上総国の産圓鑁という僧住せしゆえ中興の祖とす。
寛永17年(1640年)火災に罹り古記什宝を失し、薬師の像と恵亮が独鈷のみ災を免れ今に存す。
また経塚とて高1丈8尺・周45間計の古塚薬師堂の後にあり。彼の堂を建しとき佛経を埋めて供養せし所という。
本尊弥陀客殿に安ず。

薬師堂

薬師寺の東にあり。
薬師十二神将を安ず。
薬師寺司なり。

正法寺

端村田中にあり。
東川山と號す。府下徒町願成就寺の末山浄土宗なり。
開基の年代詳ならず。
旧ここより1町東の方にあり。天正中(1573年~1593年)法勝という比丘ここに移す。因て法勝を中興とせり。
本尊弥陀客殿に安ず。

墳墓

古塚

村西20間、菜圃(さいほ)の中にあり。
周3間余。
藤原泰衡が首を埋むといい伝う。

古蹟

館跡

村中にあり。
今民屋となり僅かに堀形存す。
いつの頃にか佐久新三郎忠常というもの住すという。
東西42間・南北31間。
戌亥(北西)の隅に槻の古木あり。
根幹8丈・周9尋余。