この村昔は今の地より1町計北にありて月ごとに6度の市ありしかば西河市と書しとぞ。
府城の西南に当り行程2里18町余。
家数47軒、東西4町20間・南北1町。
西は
富岡村の端村新屋敷に続き三方
田圃なり。
村の戌亥(北西)の方下野街道に一里塚あり。
山川
津島清水
村北1町余にあり。
周6間。乳の出ざる婦人この水にて粥を炊き食すれば乳出るという。
土産
紙
質厚く堅強にして蠧まず。
手形證文の用に秀つ。
続に西勝紙という。
神社
熊野宮
村北1町50間余にあり。
鳥居幣殿拝殿あり。
安楽寺これを司る。
寺院
安楽寺
村中にあり。
榮壽山と號す。上野国世良田長楽寺の末山天台宗なり。
昔西林寺善宗寺とてこの地に2宇の道場あり。湯本村東光寺の住僧春盛という者、その圯廃せるを悲しみこの寺を建立すという。何の頃の僧にか詳ならず。
本尊弥陀客殿に安ず。
正覺寺
村北にあり。
浄土真宗西派府下徒町
浄光寺の末山なり。
元和2年(1616年)宗善という僧建立す。
本尊弥陀客殿に安ず。
古蹟
館跡
村北1町40間にあり。
何の頃にか佐瀬若狭(諱を失う)というもの住せりとぞ。
今は畠となり内城という字残れり。
光福寺跡
村北にあり。
浄土真宗にて文禄3年(1594年)道清という僧の開基なりとぞ。
何の頃にか廃して今は畠となる。
最終更新:2024年09月10日 18:02