大沼郡大谷組大谷村

陸奥国 大沼郡 大谷組 大谷(おほたに)
大日本地誌大系第33巻 56コマ目

府城の西に当り行程10里余。
家数30軒、東西32間・南北3町24間。
山間に住す。
西は大谷川に臨み南北に田圃(たんぼ)あり。
村中に官より令せらるる掟条目の制札あり。

東15町45建黒沢村の山界に至る。その村は辰(東南東)に当り30町余。
西14町15間宮下村の山に界ふ。
南22町20間浅岐村の界に至る。その村は未(南南西)に当り26町50間余。
北13町57間宮下村の界に至る。その村は戌亥(北西)に当り26町10間余。
また寅(東北東)の方19町40間小野河原村の界に至る。その村まで27町余。

小名

中居(なかい)

本村の北4町にあり。
家数15軒、東西48間・南北1町24間。
山間に住す。
西は大谷川に傍ひ南北に田圃あり。

端村

鳥海(とりのうみ)

本村おり戌(西北西)の方10町にあり。
家数18軒、東西16間・南北1町16間。
山間に住す。
東北は大谷川に傍ひ南に田畝あり。

山川

柄倉山(からくらやま)

村より未(南南西)の方25町余にあり。
頂まで10町計。
宮下村と峯を界ふ。

不動曽根山(ふとうそねやま)

村より未申(南西)の方6町20間にあり。
頂まで5町。
上に高3丈・周26間の石あり。土人不動石という。

石神峠(いしかみとおげ)

村より寅(東北東)の方3町小野河原村に往く道にあり。
登ること13町。
昔伊佐須美明神、御神楽嶽より博士山へ遷座の時神輿のいこひし所とて、頂に高8尺・周4間の石あり。石神という。因てこの名ありとぞ。

大谷川

浅岐村の境内より来り、村西を過ぎ1里9町北に流れ宮下村の界に入る。
広6間。

関梁

橋4

一は小名中居にあり。長6間半。
一は村南2町30間余にあり。長6間半。
一はその南13町50間計にあり。長6間半。
共に丸木橋なり。
一はその南3町30間計にあり。長10間・幅6尺。
皆隣村の通路大谷川に架す。

神社

十二神社

祭神 十二神?
鎮座 不明
村中にあり。
鳥居拝殿あり。砂子村三浦大隅が司なり。

山神社

祭神 十二神?
相殿 伊豆神
   赤城神
   幸神
鎮座 不明
村中にあり。
鳥居あり。三浦大隅が司なり。

春日神社

祭神 春日神?
勧請 不明
端村鳥海より丑寅(北東)の方山麓にあり。
鳥居幣殿拝殿あり。三浦大隅これを司る。

寺院

圓福寺

村中にあり。
曹洞宗大谿山と號す。
寛正5年(1464年)春海という僧開基す。
天正元年(1573年)寒堯という僧住してより会津郡南青木組天寧村天寧寺の末山となる。
本尊釈迦客殿に安ず。

薬師堂

村より亥(北北西)の方1町50間余にあり。
創建の年代詳ならず。
昔源道寺(古蹟の条下と併せ見るべし)の本尊なりという。寺廃して後上平(うはたひら)という所に1宇を建立し、その後またここに移すという。
圓福寺これを司る。

古蹟

館跡

村北8町40間にあり。
東西48間・南北42間。
治承の頃(1177年~1181年)石川刑部某という者住し、高倉宮の為に亡されしといい伝う。

寺跡

村北6町40間にあり。
昔大同山源道寺とて石川刑部が菩提所ありしという。
宗旨及び何の頃廃せしや詳ならず。
この地に古き塚9あり。一を経塚と唱え、一を上人塚と称し、余の7を石川塚という。
高2尺余より6尺計に至る。