大沼郡大塩組山入村

陸奥国 大沼郡 大塩組 山入(やまいり)
大日本地誌大系第33巻 79コマ目

府城の西に当り行程16里33町。
家数16軒、東西45間・南北1町20間。
東は山に傍ひ西南は山入川を帯び、北は田畝なり。

東18町大岐村の界に至る。その村は辰巳(南東)に当り28町。
西1里田沢村の山界に至る。その村は戌亥(北西)に当り2里。
南1里18町計会津郡黒谷組泥島村の山界に至る。その村まで3里。
北23町横田村の界に至る。その村まで30町。

端村

石塚(いしつか)

本村より戌亥(北西)の方17町にあり。
家数9軒、東西34間・南北1町10間。
西北は山に倚り東南は山入川に傍ふ。

山中(やまなか)

本村より申(西南西)の方25町にあり。
家数5軒、東西1町32間・南北28間。
山間に住す。

鹿子沢新田(かのこさはしんでん)

本村より未申(南西)の方21町にあり。
家数3軒、東西30間・南北24間。
北は山に倚り三方田圃なり。

沼岐(ぬままた)

本村の南16町にあり。
家数7軒、東西28間・南北1町13間。
南北は山に傍ひ東西は田圃なり。

鮭立(さけたて)

本村より巳(南南東)の方8町にあり。
家数17軒、東西35間・南北1町42間。
東北は山入川を帯び西南は田圃なり。

藤倉(ふちくら)

鮭立より巳(南南東)の方11町にあり。
家数9軒、東西35間・南北1町42間。
西は山に倚り三方田圃なり。

宇津野(うつの)

鮭立の東5町にあり。
家数2軒、東西30間・南北17間。
北は山に倚り三方田圃なり。

山川

金石鳥屋山(かないしがとややま)

村南1里5町、数山の奥にあり。
南は会津郡黒谷組小川村泥島村及び和泉田組小林村に界ひ峯を限りとす。

打喰峠(うちくひとうげ)

端村鮭立より巳(南南東)の方1里にあり。
和泉田組布沢村にゆく路なり。

境沢(さかひのさわ)

村東18町大岐村の界にあり。
天正中(1573年~1593年)伊達政宗が将大波玄蕃この邊に伏兵を置き山内氏勝が後へを絶て大に勝利を得たりという。

山入川(やまいりかわ)

村西にあり。
大岐村の境内より来り、端村鮭立の東にて藤倉沢来り注ぎ、西北に流れ村西を過ぎ北に折れて横田村の界に入る。
この村の境内を経ること1里余。広5間。

関梁

橋2

一は端村石塚の南40間にあり。長9間・幅7尺。
一は端村鮭立の北にあり。長6間・幅7尺。
共に山入川に架す隣村の通路なり。

神社

山神社

祭神 山神?
鎮座 不明
村北2町山麓にあり。
鳥居拝殿あり。横田村雪澤摂津が司なり。

熊野宮

祭神 熊野宮?
相殿 稲荷神
鎮座 不明
端村沼岐より亥(北北西)の方20間余にあり。
鳥居拝殿あり。雪澤摂津が司なり。

龍神社

祭神 龍神?
鎮座 不明
端村鮭立より戌亥(北西)の方4町にあり。
鳥居拝殿あり。雪澤摂津が司なり。

毘沙門神社

祭神 毘沙門?
鎮座 不明
端村藤倉より寅(東北東)の方1里30間にあり。
鳥居拝殿あり。村民の持なり。

山神社

祭神 山神?
鎮座 不明
端村宇津野の東20間余にあり。
村民の持なり。

旧家

喜藤次

山内譜代の旧臣須佐下総信重が10代の孫なり。下総父大膳信治と刑部大輔氏勝に仕ふ。
磨上の戦に氏勝塔寺村にて義廣常州に出奔し政宗黒川に入る事を聞き、直に黒川に攻入り政宗と戦わんとす。川口・野尻・布沢等固留れども従わず下総信重・高根沢佐馬助・中丸新左衛門と共に辞を尽して諫め諸卒に再挙を約し一先横田に帰る。政宗横田を攻るに及で父子并戦功あり。越後の加勢来加り氏勝只見川を渡て横田原にて合戦せし時、大膳信清は力量人に勝れたる者にて馬上に長刀を打振い敵多く薙倒し味方横田に入る。
信重が嫡孫下総信親という者より村長となり今に至る。

喜太郎

須佐大膳信清が2男門之丞信基が後なり。信基父兄と共に山内氏勝に仕ふ。政宗横田を攻し時、氏勝自ら布沢に向い松坂峠にて散々に敗れ後、陣の諸士険阻に隔られ救う事を得ず。信基1人踏留て敵に当り氏勝辛うじて横田に帰りしという。



古地図

※地理院地図(大正年測図/昭和6年要部修正)
最終更新:2024年05月02日 21:14
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