河沼郡笈川組上垂川村

陸奥国 河沼郡 笈川組 上垂川(かみたるかは)
大日本地誌大系第33巻 101コマ目

府城の西北に当り行程2里8町。
家数17軒、東西38間・南北2町16間。
四方田畠にて東は黒川に()ふ。

東34間笠目村に界ひ黒川を限りとす。その村まで1町10間余。
西3町26間勝常村の界に至る。その村まで8町30間余。
南2町24間米丸村に界ひ黒川を限りとす。その村は巳(南南東)に当り6町50間。
北1町55間下垂川村の界に至る。その村まで2町余。
また
未(南南西)の方3町47間中目村の界に至る。その村まで14町50間余。

寛文の頃(1661年~1673年)まで垂川を樽川に作れり。

山川

黒川

米丸村の境内より来り、村東を経て戌亥(北西)の方へ4町20間余流れ下垂川村の界に入る。

関梁

村東1町余黒川に架す。
長9間・幅6尺。
隣村の通路なり。

寺院

徳正院

村中にあり。
福聚山と號す。開基の初詳ならず。
浜崎村遍照寺の末寺真言宗なり。
慶長の頃(1596年~1615年)正真のいう僧中興すという。
本尊地蔵客殿に安ず。

観音堂

境内にあり。