河沼郡青津組曲沼村

陸奥国 河沼郡 青津組 曲沼(まかぬま)
大日本地誌大系第33巻 111コマ目

村北にむかし大なる沼ありしに、その形6に曲れるゆえ村名とせしとぞ。

府城の西北に当り行程3里6町。
家数37軒、東西3町50間・南北2町、東は砂越村につづく。

西3町20間御池村の界に至る。その村は未(南南西)に当り10町30間。
南10町24間十日町村の界に至る。その村まで18町20間余。
北10町18間耶麻郡慶徳組大沢村に界ひ日橋川を限りとす。
また
戌(西北西)の方3町東河原村に隣りその村際を界とす。

四方田圃(たんぼ)にて北は川に近し。

山川

日橋川

村より丑(北北東)の方10町10間余にあり。
砂越村の境内より来り、10町余戌(西北西)の方に流れて東河原村の界に入る。

原野

大田原(おほたがはら)

村南3町50間田圃の中にあり。
東西19間・南北18間。
この中に高4尺・周6間の壇あり。人その地を踏めば響ありという。その来由を伝えるものなし。

神社

八幡宮

祭神 八幡宮?
鎮座 不明
村より丑(北北東)の方にあり。
鳥居あり。青木村修験良法院司なり。

権現神社

祭神 伝・金山彦命
鎮座 不明
村中にあり。
祭神及び鎮座の初詳ならず。
相伝て金山權現と称すれば金山彦命を祭るならん。
鳥居あり。良法院これを司る。

寺院

恩乗寺

權現社の北にあり。
沼嶋山と號す。真言宗笈川組勝常村勝常寺の末山なり。
開基詳ならず。
大永の頃(1521年~1528年)この地に3間四面の堂ありて勢至の古像を安ず。
亨禄元年(1528年)宥鑁という像来て中興し、件の像を本尊とし今に客殿に安ず。長1尺の立像なり。


参照

  • 会津地震 - 本地震以前はこの村内に越後街道が通っていたとのこと

外部リンク等


村名について

明治8年(1875年)、曲沼村・砂越村が合併し沼越村が発足。
明治22年(1889年)、青木村・青津村・沼越村・立川村・五香村・御池田村・三谷村・中泉村・合川村が合併し広瀬村が発足。
昭和30年(1955年)、坂下町・若宮村・金上村・広瀬村・川西村・八幡村が合併して会津坂下町が発足。

沼越地区の社寺

法人番号公表サイトで検索すると下記の登録がある。
法人番号 商号又は名称 所在地 備考
1380005008990 恩乗寺 河沼郡会津坂下町大字沼越字村東341番地 曲沼
7380005008770 黄金神社 河沼郡会津坂下町大字沼越字村東336番地 曲沼

6.神社
黄金神社 祭神:金山彦命 祭日:九月一日(旧八月一日) 字村東地内。鎮守神。
八幡神社 祭神:誉田別尊 祭日:四月十五日 昭和三十年(1955年)黄金神社に合祀
三島神社 祭神:大山祇神 祭日:八月二十二日 もと砂越の鎮守であったのを昭和三十年(1955年)黄金神社に合祀。
7.寺院
沼島山恩乗寺 真言宗 本尊:阿弥陀如来立像 像高:七十五糎 総高:百四十五糎
木造勢至菩薩立像 像高:八十五糎 縁日は一月・五月・九月・十一月の各二三日の四節。恩乗寺内に安置。もとは独立している。
太子堂 聖徳太子孝養像 像高:五十八糎 砂越地内にある。

弥宗(やそう)地蔵

肝煎大竹家十一代の弥右衛門、通称弥宗というものが村民と紛争を起こし、公事に負けて村民に家は壊され屋敷は分轄された。そのため大竹一家は他出し行方知れずになったので、村人はその怨念を怖れ地蔵を旧屋敷の一角に建てた。今の「弥宗地蔵」がそれである。
※ヤソ地蔵の由来は『会津坂下町史 1(民俗編)』にも記述がある。
最終更新:2025年10月30日 19:07