府城の西北に当り行程2里18町。
家数22軒。
東西2区に住し、東住・西住という。その間1町16間を隔つ。
東住、東西1町24間・南北1町22間。
西住、東西1町10間・南北1町20間。
共に四方田圃なり。
村南、越後街道に一里塚あり。
東28間余
細工名村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り8町10間余。
西2町38間・北2町22間、共に
青津組村田村の界に至る。その村は北に当り3町20間。
南3町42間
下茅津村の界に至る。その村まで8町10間余。
水利
富川堰
寺院
真養寺
東住の東にあり。
創立の始分明ならず。曹洞宗久泰山と號す。
天正18年(1590年)より天寧村
天寧寺の末寺となるという。
弥陀を本尊とし客殿に安ず。
古蹟
館跡
東住の村中にあり。
東西1町・南北1町10間余。
民家となれり。
何れの事にか藤倉久太郎重信という者住せし所という。
参考・補足
- この地方が「海老沢ノ郷」と呼ばれた時代があり、南は田村山、北は立川の中間に位置し、その他にはほとんど村がなかった古い集落だと古老の言い伝えである。
- 天正十七年(1589)伊達政宗侵攻、もしくは天喜三年(1055)源頼義・義家親子の奥州征伐の際に兵火にかかった村
外部リンク等
- Google Map
- 海老澤地区
- 一里塚 - なし。かつては熊野神社近辺にあったか?
- 富川堰? - 細工名との間には(新)宮川が流れるようになった
- 真養寺
- 海老沢館跡
- 他
- 参考
海老沢地内一里壇見取図
村名について
明治8年(1875年)、海老沢村・細工名村が合併し海老細村が発足。
明治22年(1889年)、福原村・宮古村・金上村・海老細村・塚原村・開津村・新開津村が合併し改めて金上村が発足。
昭和30年(1955年)、坂下町・若宮村・金上村・広瀬村・川西村・八幡村が合併して会津坂下町が発足。
社寺
6.神社
熊野神社 祭神:伊弉冉神・速玉男神・事解男神 祭日:九月九日(旧九月九日) 権現堂地内。もとこの地にあったのを保科時代の頃真養寺境内に移し、さらに明治十一年に旧地に移築した。鎮守神
稲荷神社 祭神:宇賀御魂命 祭日:九月九日 西屋敷地内。
7.寺院
久泰山真養寺 曹洞宗 本尊:阿弥陀如来座像 像高:二十七糎 総高五十糎
観音堂 石造子安観音像 像高:四十六糎 総高:五十四糎
※真養寺の境内にあるお堂が観音堂か?
海老細地区の社寺
法人番号公表サイトで調べると下記の登録がある
| 法人番号 |
商号又は名称 |
所在地 |
備考 |
| 3380005008766 |
熊野神社 |
河沼郡会津坂下町大字海老細字権現堂635番地の1 |
海老沢 |
| 3380005009005 |
真養寺 |
河沼郡会津坂下町大字海老細字東屋敷甲528番地 |
海老沢 |
| 2380005009014 |
地蔵寺 |
河沼郡会津坂下町大字海老細字村南乙694番地 |
細工名 |
| 8380005009025 |
妙福寺 |
河沼郡会津坂下町大字海老細字村南乙694番地 |
細工名 |
最終更新:2025年11月12日 22:09