府城の東北に当り行程5里1町余。
家数11軒、東西54間・南北56間、四方田圃なり。
東1町43間
北高野村の界に至る。その村まで3町40間余。
西3町・北2町34間、共に
猪苗代城下本町の界に至る。本町は北に当り4町50間。
南59間
下堂観村の界に至る。その村まで3町20間余。
また
未申(南西)の方2町
百目貫村の界に至る。その村まで4町20間。
神社
熊野宮
祭神 |
熊野宮? |
相殿 |
伊勢宮 3座 |
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稲荷神 2座 |
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熊野宮 2座 |
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八幡宮 2座 |
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湯殿神 |
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山王神 |
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金神 |
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加那伊神 |
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田子神 |
勧請 |
不明 |
村の戌亥(北西)の方にあり。
鳥居あり。小平潟村佐瀬主殿が司なり。
古蹟
地正院迹
村中にあり。
神野寺の末山なりしという。
慶長15年(1610年)廃せり。
地名について:
谷地(やち)という地名は八千代(やちよ)に変わった。
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- 八千代 - 猪苗代町史 [第3集] (歴史編)
熊野神社
天徳三年(959)八月伊弉冊命、 伊弉諾命の二神を勧請、
延宝年間(1673~81)に天照皇大神、品陀和氣尊、石疑姫命の三座を合祀
その後寛文年間に「加那伊神」「伊勢神」「八幡神」をあわせ
磐里村の総鎮守となったことが記されている。
この社には
家津美御子大神(スサノオの命の事)は祭られていないようです。
合祀した神ですが、
品陀和氣尊(応神天皇)は八幡宮の神と同意です。石疑姫命(金神の事か?)は
川東組金曲村の金鑄神社の祭神と同じなので、猪苗代湖の北東地区では鏡、もしくは鋳造に関する何かがあったのかもしれません。
ところで相殿神の加那伊神(かない?)とは一体何の神様でしょう?
福島県東白川郡棚倉町一色にカナイ神という地名があり、その地に
鐘鋳神社が鎮座しているのですが関係あるのでしょうか?
ちなみにその社は鋳物師の氏神様らしいです。
ということは、金鋳神の当て字でしょうか?
参考:
神社探訪 狛犬見聞録
また田子神はおそらく
川東組山潟村の田子神社の祭神と同じ神でしょう。
最終更新:2025年07月23日 21:32