寛文の初(1661年~)まで行津を名目津に作れり。
府城の東北に当り行程3里30町。
家数9軒、東西29間・南北1町、西は山に倚り東は田圃なり。
東3町
新在家村の界に至る。その村まで8町10間余。
西1町
桜川村に界ひ
経塚山と限りとす。その村は未(南南西)に当り1町。
南50間
西窪村の界に至る。その村まで7町。
北3町50間新田村(『北3町、
五十間新田村』の誤りと思われる)の界に至る。その村まで6町。
この村昔神田某という者領知せしという。その遠孫この村と
塩川組下利根村にあり。
また袋新田とて端村あり。今は
土田新田村に居を移す。
神社
稲荷神社
村西1町30間にあり。
鳥居あり。三城潟村佐野壱岐が司なり。
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- 行津 - 猪苗代町史 [第3集] (歴史編)
最終更新:2025年07月25日 20:52