耶麻郡熊倉組西中明村

陸奥国 耶麻郡 熊倉組 西中明(にしなかみやう)
大日本地誌大系第32巻 76コマ目

この村もと中明という。明暦3年(1657年)東中明村を分てより西の字を冠らしむ。

府城の北に当り行程4里18町。
家数25軒、東西1町9間・南北2町10間。
四方田圃(たんぼ)なり。

東6町中里村の界に至る。その村は寅(東北東)に当り8町20間。
西4町上高額村の界に至る。その村まで12町。
南3町堂畠村の界に至る。その村は未(南南西)に当り10町。
北4町10間上勝村の界に至る。その村まで8町30間余。
また
丑寅(北東)の方1町53間東中明村の界に至る。その村まで8町50間余。
辰巳(南東)の方1町布流村の界に至る。その村まで6町。

山川

姥堂川

村東2町にあり。
東中明村の方より来り、南に流るること8町布流村の界に入る。

寺院

長福寺

村中にあり。
天正12年(1584年)浄土の徒本州岩城の産良残ここに来り、1宇を菅神の廃趾に建て自天山長福寺と號す。2世良圓慶長中(1596年~1615年)に寂しその後遂に廃絶せり。寛永19年(1642年)府下半兵衛町極楽寺の僧徒春察再興し極楽寺の末寺となれり。
彌陀を本尊とし客殿に安ず。

古蹟

館跡

村中にあり。
東西33間余・南北32間。
今民家となり僅かにその形を存す。
何の頃にか菅沼伊賀某という者居住すという。


最終更新:2020年07月15日 16:00