この村元和6年(1620年)に闢き新田町と称す。後今の名に改めしとぞ。
府城の北に当り行程5里8町。
家数81軒、東西1町・南北6町32間。
北端の2軒は安永8年(1779年)に北原新田村より水災を避けて移せし家なり。
四方田圃にて熱塩温泉に往く道なり。
東4町12間
五目組中村の界に至る。その村は寅卯(東北東~東の間)に当り16町10間余。
西3町30間
大荒井新田村の界に至る。その村まで4町50間余。
南9町51間
小荒井村の界に至る。その村まで10町21間余。
北57間
高畠村の界に至る。その村まで8町10間余。
また
辰巳(南東)の方9町18間
小田付組小田付村の界に至る。その村まで12町20間。
山川
押切川
村西3町10間余にあり。
高畠村の境内より北原新田村の地を過ぎこの村に来り、15町30間南に流れ
小荒井村の界に入る。
原野
カン原
村の丑寅(北東)の方1町20間余にあり。
東西1町・南北2町余。
水利
村松堰
高畠村の方より来り
小荒井村の方に注ぐ。
この堰は数村を過ぎてここに至れども当村より始て田地に
漑ぐゆえ村松堰と称す。
神社
湯殿神社
村の未(南南西)の方5町余にあり。
元和年中(1615年~1624年)この地の新田を闢きしより当社の鎮守とせり。
鳥居拝殿あり。上三宮村高村能登これを司る。
寺院
長泉寺
村中にあり。
松寶山と號す。浄土宗元和8年(1622年)授外という僧造立せり。
正保元年(1645年)上三宮村願成寺の末寺となる。
本尊弥陀客殿に安ず。
地蔵堂
境内にあり。
旧家
上野荘左衛門
この村の肝煎なり。彼が祖、葦名氏の臣金上遠江守盛備が一族勝左衛門というもの、金上の一字を取て氏を上野と称し
河沼郡坂下組金上村に住す。元和6年(1620年)にこの地の新田を闢き肝煎となり、相続いて今の荘左衛門に至るという。
家に蒲生・加藤両家より与うる文書あり。その文如左(略)。
最終更新:2020年08月01日 17:27