府城の西に当り行程11里30町。
家数30軒、東西8町・南北1町、深山の間に住す。
端村
滝沢新田
本村の南27町余にあり。
家数2軒、東西1町4間・南北30間、四方重山なり。
寛文元年(1661年)に開く。
山川
土埋嶽
村より辰巳(南東)の方18町にあり。
頂まで18町・周2里程。
近山に勝れて
高峻なり。
もと田代嶽という。何れの時にか地震して山の八分目より崩れ民家を埋む。因て土埋の名ありとぞ。
(
宝川村の伝える所と異なり。併せ見るべし)
大峠
村東にあり。
登ること8町。
宝川村の小名袖山に行く道なり。
田沢峠
村北にあり。
登ること8町。
焼山・福取両村に行く道なり。
袴腰山
端村滝沢新田の南にあり。
高100丈余。
雑木繁茂す。
北の方に伐降沢という小沢あり。洪水の後、時として人の首に似たる石流れ出ることあり。土俗人首石と名く。
田沢川
源を土埋嶽の諸渓より発し、西に流るること2里12町村南を過ぎて
上條組野村の界に入る。
広3間計。
神社
十二神社
村南、小高き所にあり。
鳥居あり。西村皆川下総これを司る。
十二山神社
村東、山上にあり。
鳥居あり。村民の持なり。
寺院
東善寺
村西、山麓にあり。
高明山と號す。高野山遍照光院の末寺真言宗なり。
縁起に、大同2年(807年)空海が開基にて、堂舎は大和国猿沢池の辺に住せし水口八右衛門という工匠造立せしとぞ。その後空也住して自ら太子の像を刻て境内に安ず。
天正18年(1590年)火災に罹り殿宇、什器及び太子の像も焼失たり。夫より世々太子守宗の僧侶住す。
寛永12年(1635年)順盛という僧住してより真言宗となり、相継て今に至るという。
また客殿の後に檜の老樹あり。圍1丈5尺。空海が栽えし所といい伝う。
本尊大日客殿に安ず。
- Google Map
- 田沢地区
- 滝沢地区(滝沢新田)
- 滝沢川の上流で袴腰山の北側にあった集落。大正時代の地理院地図にはかろうじて載っていました。
- 現在この地区の西側にこども里山体験王国というテーマパークがあるようですが、航空写真で見る限りゴルフ場なのかと…(元は津川カントリークラブというゴルフ場?)。
- 土埋山
- 大峠?
- 古惣座山の東側に袖山の地名のみ残っています。大正時代の地理院地図にも民家は載っていませんでした。
- 地図に無いのではっきりしませんが、田沢の東にある標高406mの山に登り、尾根沿いに古惣座山の山頂へ向い、東面を下り谷間を南下するルートのようです。
- 上のリンクは古惣座山へ向かう途中にある福島・新潟の県境の位置です。
- 田沢峠?
- こちらもはっきりとは分かりませんが、リンク先は村北に向うルートが福取・焼山(八木山)へ分岐する所です。
- 袴腰山
- 熊野神社(旧十二神社)? - 社確認できず。
- 十二山神社 - 見当たらず。
- 東善寺
余談。
この地区の神社は十二神社だったのですが今は熊野神社が鎮座しています。記事内でもなぜそうなったか言及していませんが、参考になりましたのでここにリンクを載せておきます。
熊野神社(阿賀町田沢〈たざわ〉)
最終更新:2020年11月01日 20:14