四軒丁

陸奥国 若松 郭外 四軒(しけん)
大日本地誌大系第30巻 186コマ目

※国立国会図書館・万翠堂版新編会津風土記より

持筒町の北に並び、長1町余・幅9尺、家数11軒。
八角分蚕養宮村の地雑れり)

同心(どうしん)

持筒町より南に折れ行人町の末に通す。
長2町11間・幅3間余、家数66軒。
(八角分・蚕養宮村の地雑れり)

滝沢(たきざは)

蚕養宮村・八角分の民居にて、東に続き長町30間、家数64軒。
皆商売の居処なり。
町中にて滝沢組牛墓村に界ふ。
綿掛沢(わたかけさわ)といい橋を架す。長4間・幅2間5尺、勾欄あり。
(八角分・蚕養宮村の地雑れり)

寺院

南岳院

本山派の修験なり。
世系の初を詳にせず。
慶長の頃(1596年~1615年)秀譽という者初て大先達の号を下し賜り、会津四郡本山流の修験これに隷す。
相続て8世の今の元敬に至る。
元は田島組田島村にあり、後当麻丁に移り明和5年(1768年)に今の地に移るという。
古文書1通あり。如左(※略)。

蚕養口(こがひくち)

東黒川の民居にて持筒町よりここに折れていく通なり。
長2町20間余・幅3間、家数26軒。
(蚕養宮村・八角分・千石町分の民居雑れり)

蚕養國神社

この通の東頬にあり(蚕養宮村の条下に出す)
蚕養國神社

中村(なかむら)

東黒川八角分の民居にて、同心町より東に折れ北に廻りて滝沢町に出る小路なり。
家数9軒。
また同心町の西に小路あり。家数4軒、西中村という(蚕養宮村の地なり)。

地蔵堂

東の小路の中にあり(八角分の条下に出す)。

最終更新:2020年03月01日 07:27
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