※国立国会図書館・万翠堂版新編会津風土記より
持筒町より南に折れ
行人町の末に通す。
長2町11間・幅3間余、家数66軒。
(八角分・蚕養宮村の地雑れり)
蚕養宮村・八角分の民居にて、東に続き長町30間、家数64軒。
皆商売の居処なり。
町中にて
滝沢組牛墓村に界ふ。
綿掛沢といい橋を架す。長4間・幅2間5尺、勾欄あり。
(八角分・蚕養宮村の地雑れり)
寺院
南岳院
本山派の修験なり。
世系の初を詳にせず。
慶長の頃(1596年~1615年)秀譽という者初て大先達の号を下し賜り、会津四郡本山流の修験これに隷す。
相続て8世の今の元敬に至る。
元は
田島組田島村にあり、後
当麻丁に移り明和5年(1768年)に今の地に移るという。
古文書1通あり。如左(※略)。
東黒川の民居にて持筒町よりここに折れていく通なり。
長2町20間余・幅3間、家数26軒。
(蚕養宮村・八角分・
千石町分の民居雑れり)
蚕養國神社
この通の東頬にあり(蚕養宮村の条下に出す)
→
蚕養國神社
東黒川八角分の民居にて、同心町より東に折れ北に廻りて滝沢町に出る小路なり。
家数9軒。
また同心町の西に小路あり。家数4軒、西中村という(蚕養宮村の地なり)。
地蔵堂
東の小路の中にあり(八角分の条下に出す)。
最終更新:2020年03月01日 07:27