会津郡中荒井組中荒井村

陸奥国 会津郡 中荒井組 中荒井(なかあらい)
大日本地誌大系第31巻 40コマ目

府城の西に当り行程1里6町。
家数51軒。東西3町6間・南北3町24間。
四方田圃(たんぼ)なり。

東2町42間二日町村の界に至る。その村まで4町。
西5町42間今和泉村の界に至る。その村まで6町。
南6町6間本郡橋爪組柏原村の界に至る。その村は未(南南西)に当り12町余。
北3町下荒井村の界に至る。その村は亥(北北西)に当り10町。
また丑(北北東)の方4町38間蟹川村の界に至る。その村まで9町。
辰(東南東)の方7町本郡橋爪組下米塚村の界に至る。その村まで11町余。
未(南南西)の方6町東麻生村の界に至る。その村まで7町。

水利

思鑿堰(おもひぼりせき)

下米塚村の方より来り、田地の養水とし下荒井村の方に注ぐ。

郡署

郡役所

村東にあり。
郡奉行と起き民事を統制せしむ。
南青木組飯寺村・高久組高久村・河沼郡坂下組坂下村・大沼郡高田組高田村の代官所これに隷す。

神社

諏訪神社

祭神 諏訪神?
相殿 白幡八幡宮
   熊野宮
   羽黒神
   六所宮
   感應神
   伊勢宮
   雀神
   稲荷神 4座
勧請 不明
村より2町未(南南西)の方にあり。
鳥居拝殿あり。下荒井村坂内備前が司なり。

寺院

千葉寺

村中にあり。
求法山と號す。真言宗山城国醍醐三寶院の末寺なり。
何れの頃にか千葉某この地に来り、当寺と建立し隆譽という僧を開山とし、天文中(1532年~1555年)宥澄という僧再興せしという。
本尊大日客殿に安ず。

観音堂

境内にあり。

古蹟

御前河原(ごぜんかわら)

村より3町30間余未(南南西)の方にあり。
昔は大なる河原なりしに、鶴沼川の水道変じて後田圃を開き今(わず)かに残れりという。側に旗明神の旧趾もあり。
佐原十郎左衛門尉義連始てこの国に下向の時、幕を打ち旗を立て畫餉せし所といい伝う。高久組幕内村も本はこの邊にありしという。

館跡

村中にあり。
東西20間余・南北1町余。
民屋となり土手堀の形残れり。
何人の住せし処なることを知らず。

石佛

村西1町20間にあり。
高4尺余、田畝の中に立てり。
昔より石佛と称すれども来由を知らず。

壇4

村より辰(東南東)の方5町にあり。
高1丈計・周40間計、東西に並べり。
四壇(よつだん)と称す。
慶長の頃(1596年~1615年)逆修念佛の為に築きしという。




最終更新:2020年03月08日 08:53