府城の西に当り行程1里6町。
家数51軒。東西3町6間・南北3町24間。
四方田圃なり。
東2町42間
二日町村の界に至る。その村まで4町。
西5町42間
今和泉村の界に至る。その村まで6町。
南6町6間本郡橋爪組
柏原村の界に至る。その村は未(南南西)に当り12町余。
北3町
下荒井村の界に至る。その村は亥(北北西)に当り10町。
また丑(北北東)の方4町38間
蟹川村の界に至る。その村まで9町。
辰(東南東)の方7町本郡橋爪組
下米塚村の界に至る。その村まで11町余。
未(南南西)の方6町
東麻生村の界に至る。その村まで7町。
水利
思鑿堰
郡署
郡役所
村東にあり。
郡奉行と起き民事を統制せしむ。
南青木組飯寺村・高久組高久村・河沼郡坂下組坂下村・大沼郡高田組高田村の代官所これに隷す。
神社
諏訪神社
祭神 |
諏訪神? |
相殿 |
白幡八幡宮 |
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熊野宮 |
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羽黒神 |
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六所宮 |
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感應神 |
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伊勢宮 |
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雀神 |
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稲荷神 4座 |
勧請 |
不明 |
村より2町未(南南西)の方にあり。
鳥居拝殿あり。下荒井村坂内備前が司なり。
寺院
千葉寺
村中にあり。
求法山と號す。真言宗山城国醍醐三寶院の末寺なり。
何れの頃にか千葉某この地に来り、当寺と建立し隆譽という僧を開山とし、天文中(1532年~1555年)宥澄という僧再興せしという。
本尊大日客殿に安ず。
観音堂
境内にあり。
古蹟
御前河原
村より3町30間余未(南南西)の方にあり。
昔は大なる河原なりしに、鶴沼川の水道変じて後田圃を開き今僅かに残れりという。側に旗明神の旧趾もあり。
佐原十郎左衛門尉義連始てこの国に下向の時、幕を打ち旗を立て畫餉せし所といい伝う。高久組幕内村も本はこの邊にありしという。
館跡
村中にあり。
東西20間余・南北1町余。
民屋となり土手堀の形残れり。
何人の住せし処なることを知らず。
石佛
村西1町20間にあり。
高4尺余、田畝の中に立てり。
昔より石佛と称すれども来由を知らず。
壇4
村より辰(東南東)の方5町にあり。
高1丈計・周40間計、東西に並べり。
四壇と称す。
慶長の頃(1596年~1615年)逆修念佛の為に築きしという。
他
最終更新:2020年03月08日 08:53