会津郡南青木組湯本村

陸奥国 会津郡 南青木組 湯本(ゆもと)
大日本地誌大系第31巻 67コマ目
※国立公文書館デジタルアーカイブ「新編会津風土記33」より

この村温泉多く湧出る(ゆえ)名くという。

府城の東に当り行程34町余。
家数23軒、東西1町30間・南北25間。
北は山に連り南は黒川流れ、岩山高く(そばだ)ち山水の景極て勝れたり。
民家多くは山岩に倚り、2階或は3階の桟閣にて黒川の北岸に相並び、大抵家ごとに湯槽ありて遠近より湯治の者常に群集せり。因て村中に官より令せらるる掟条目の制札を懸く。

東25町計原組西田面馬渡3村の山に界ふ。
西4町小田村の山に界ふ。その村は西に当り12町。
巳(南南東)の方22町河渓村の界に至る。その村まで1里8町。
戌亥(北西)の方3町35間院内村の界に至る。その村まで7町20間。

山川

箕輪山(みのわやま)

村東1町40間にあり。
頂まで3町。
この北に木賊沢(とくささわ)という沢あり。多く木賊*1を産す(ゆえ)に名く。
その東南に抱石(たきいし)と称する山に峯あり。ここより田螺石を産す。径2、3寸に至るあり。形円に質堅く外は小石のかたまれるが如く、中は玲瓏(れいろう)として少く曇あり。磨て玉となし愛翫(あいがん)すべし。偶中に水を貯える物あり。白玉の類と見ゆ。

羽黒山

村北にあり。
雑木繁陰し8、9月の頃に至れば満山の紅葉殊に佳観(かかん)なり。
頂に羽黒神社を勧請す。

黒川

河渓村の境内より来り、西北に流るること26町、院内村の界に入る。
この川を左右にし1里余東南に溯れば河渓村に至る。
両山の間往々瀑布ありて、峭壁(しょうへき)怪岩(かいがん)の上に古木連なり、水清く山嶮くして春花秋葉の景尤も美はし。

雨降滝

村より巳(南南東)の方7町30間、黒川にあり。
数多の大石畳起し飛泉数級となりてこれに潟く。水沫散して雨の如く雙となき佳景の瀑布なり。
高7尺余。広10間。

温泉

村中にあり。
湧所1ならず。冷湯にて味淡く腫物・金瘡・打撲・中風・脚気・瘡毒等によしという。樋を地中に伏て民家に引く。
また村中に湯小屋1軒あり。総湯(そうゆ)といい、府より修補を加え浴する者の価を取らず。樵夫・農民の往来する者多く集まり浴す。性尤も勝れたり。
また黒川の南岸より出る所あり猿湯(さるゆ)と唱ふ。ここに(わずか)の滝あり猿湯滝という。
また黒川の中流岩間より湧出る所あり。目を洗えば明ならしむとて目洗湯という。

伏見滝(ふしみがたき)

※国立公文書館デジタルアーカイブ「新編会津風土記33」より
村より戌亥(北西)の方3町20間、黒川にあり。
滝上に府下よりこの村に通る路あり、眼下に見るを以て名く。
滝2あり、上を雄といい下を雌という。共に高1丈余・広6間計。左右に怪岩並出て松樹生茂れり。
また不思議滝(ふしぎがたき)ともいう。昔羽黒権現建立の時忽然として滝となる(ゆえ)に名くという。
路傍にある岩を砕けば中に「しのぶ草」の紋あり、画の如し「しのぶ石」と名く。

滝湯(たきのゆ)

伏見滝の上にあり。
側の山より出つ。家1軒あり、湯槽を設け筧を以てこれを引く

尼淵(あまがふち)

村の辰巳(南東)の方、黒川の流にあり。
両岸高く左右より喬樹陰映して水色縹碧なり。

関梁

橋2

一は村より8町巳(南南東)の方にあり。長5間半・幅8尺。
一はその南6町余にあり。長9間・幅8尺。
共に河渓村の通路、黒川に架す。

神社

羽黒神社

羽黒山の頂上にあり。
羽黒神社

温泉神社

祭神 清湯山主命(すがのゆやまぬしのみこと)
鎮座 不明
村北山腰にあり。
鳥居あり。堤沢村湯田右膳が司なり。

腰王神社

祭神 腰王神?
鎮座 不明
村より戌亥(北西)の方40間路傍にあり。
鳥居あり。東光寺これを司る。

古蹟

湯本寺蹟

村南黒川の南岸にあり。
浄土宗長命山と號し下野国真壁郡大澤圓通寺の末寺なりしとぞ。
何の頃にか良常という僧1宇を営み、運慶作の無量壽佛を本尊とす。
然るに江戸芝西福寺の僧(しき)りに蒲生秀行に訴えて彼の本尊を望みければ、ついに彼の僧に与うという。
寛文中(1661年~1673年)廃す。




余談。

会津東山温泉

東山温泉は行基が発見したと向瀧のHPに記載がありました
 天平年間(729~749)行基菩薩が会津地方を巡錫された際、東の山に異彩ある雲の棚引くのを見て奇異の念にうたれ、その雲を標として草を分け、岩を這いながら黒川(現在の湯川)の畔に出、流れに沿ってゆくと霧は次第に深くなった。
 山は重なり、谷は深まり、やがて轟々たる音がして、瀧のあるところへ出た。行基菩薩は身も心も洗われて見とれていると、どこから飛んできたのか烏がしきりと鳴く。それに気づいて良く見ると、不思議なことにその烏は三本足で、羽の色もまた尋常ではない。それにこの烏、木から木へと飛び移りながら、あたかも行基菩薩を誘導するかのようであった。
 行基菩薩は烏に導かれるままに黒川を溯ってゆくと、左方の岩間から湯気が盛んに立ち上っているのを発見した。錫杖を立ててよくよく検分してみると明らかに温泉である。行基菩薩は喜ばれること限りなく、紫雲の棚引く元はこれだったのだなと独り言しながら岩角に腰を下ろして休んでいると、峰の方で烏の鳴く声またしきりである。思わず仰ぎ見るとこれは不思議、軍荼利・妙見・聖観音の三尊が現れ給うた。行基菩薩はいよいよこの地が霊場であることを感得すると、この地に改めて三社権現を勧請し、この峰を羽黒山と称し、別当に東光寺を開山した。これが今日の東山温泉の発祥である。伏見ヶ瀧の南岸高台に平坦地があるが、この地は行基菩薩が三足の烏を見た霊場で、不動尊が祀られていた。
(参考:会津東山温泉向瀧 - 「東山温泉」発見の由来

尼ヶ渕

 蘆名家重心の1人娘千穂姫は東国一の美女で、彼女には許嫁がいましたが、領主直盛に見初められて悩み、湯川に見を投げてしまいました。
 その場所が「尼渕」です。
 運良く千穂姫は助け上げられましたが、智尚尼と名を改め、仏門に入ったといいます。
(参考:尼渕の碑の解説板)

しのぶ草

(写真:Impression Days様)
最終更新:2024年03月28日 19:52
添付ファイル

*1 シダ植物門トクサ科の植物