会津郡南青木組上雨屋村

陸奥国 会津郡 南青木組 上雨屋(かみあまや)
大日本地誌大系第31巻 74コマ目

この村旧上天屋に作る。寛文中(1661年~1673年)今の字とす。

府城の南に当り行程2里15町。
家数19軒、東西1町5間・南北2町53間。
宇都宮街道を挟み住す。
東は山に倚り、北は宮内村に続き、西南は田圃(たんぼ)なり。

東18町余面川沢村の山に界ふ。
西5町大沼郡本組穂谷沢村に界ひ、南8町大沼郡本組馬越村に界ひ、共に鶴沼川を限りとす。
また
巳(南南東)の方6町39間南原村の界に至る。その村まで14町余。

山川

餓鬼岩(かきいわ)

村南1町余、路傍にあり。
数丈の巉岩(ざんがん)なり。
砕けて細石となり常に崩る。

鶴沼川

村西5町にあり。
南原村の境内より来り、戌亥(北西)の方に流るること10町宮内村の界に入る。

原野

松原

村西にあり。
東西1町50間余・南北10町。
土人余松河原(よまつかわら)と唱ふ。

水利

門田堰(もんでんせき)

村より未申(南西)の方にて鶴沼川を引き、宮内村の方に注ぐ。

寺院

浄金寺

村比が智山下にあり。
曹洞宗松屋山と號す。北青木村恵倫寺の末山なり。
開基を詳にせず。
天正中(1573年~1593年)傳室という僧再興す。
本尊観音客殿に安ず。


最終更新:2020年03月19日 16:09