河沼郡野沢組藤村

陸奥国 大沼郡 野沢組 (ふち)
大日本地誌大系第33巻 164コマ目

府城の西北に当り行程5里。
家数28軒、東西4町・南北3町。
東は只見川に近く西は山に()ひ南北は田圃(たんぼ)なり。

東4町[[牛沢組平井村>河沼郡牛沢組平井村]に界ひ只見川を限りとす。その村は卯辰(東~東南東の間)に当り15町。
西1里17町50間青坂村に界ひ鶴峯山を限りとす。その村まで1里23町50間。
南3町40間牛沢組八坂野村に界ひ只見川を限りとす。その村まで24町。
北8町20間片門村の界に至る。その村は丑寅(北東)に当り25町50間余。
また
未申(南西)の方20町50間牛沢組椿村の界に至る。その村まで30町50間。

端村

上藤(かみふち)

本村より未申(南西)の方4町にあり。
家数23軒、東西4町・南北1町。
東南は只見川に傍ひ西北は平山なり。

大牧(おほまき)

本村より寅卯(東北東~東の間)の方4町にあり。
家数7軒、東西1町32間・南北20間。
東は只見川に臨み三方は平山なり。

長窪(なかくほ)

本村の西1里にあり。
家数10軒、東西53間・南北40間。
牛沢組柳津村にゆく道をはさみ山間に住す。

山川

鶴峯山(つるがみねやま)

端村長窪より戌亥(北西)の方20間にあり。
頂まで5町。青坂村と峯を界ふ。
雑木多し。

塩峯峠(しほみねとおげ)

端村上藤より未(南南西)の方1町30間にあり。
頂まで2町30間。椿村と峯を界ふ。

只見川(たたみかわ)揚川(あかのかわ)

俗に揚川という。下同。
端村大牧の東にあり。
椿村の境内より来り、丑寅(北東)の方に流れ東に折れ34町流れて片門村の界に入る。
広50間。
小舟を以て牛沢組の諸村に通す。
川中に姫淵という所あり。水至て深くその色藍の如し。旱歳にはここに雨を祈る。

長窪の西17町にあり。
周3町吉沢沼(よしさはぬま)という。

清水

上藤より酉戌(西~西北西の間)の方3町20間にあり。
四方に石を甃し径5寸計のわずかの清水なり。その色油の如し。

水利

堤5

一は村より酉戌(西~西北西の間)の方11町計にあり。
周3町、坂下堤(さかしたつつみ)という。慶安3年に築く(1650年)。
一は端村上藤より戌亥(北西)の方5町計にあり。
周1町20間、沢田堤(さはたつつみ)という。萬治元年(1658年)に築く。
一は村より戌亥(北西)の方8町にあり。
周1町10間森沢堤(もりのさはつつみ)という。萬治2年(1659年)に築く。
一は村より酉戌(西~西北西の間)の方8町計にあり。
周1町50間吉沢堤(よしがさはつつみ)という。
一は村より戌亥(北西)の方10町にあり。
周1町3間菅沢堤(すけのさはつつみ)という。

神社

御稷神社

祭神 御稷神?
相殿 熊野宮
   山神
   石神
鎮座 不明
村北1町40間にあり。
鳥居あり。上野尻村平野左仲が司なり。

御稷神社

祭神 御稷神?
相殿 稲荷神
   宗像神
   白山神
   天神
   大明神
   第六天神
鎮座 不明
端村上藤より戌亥(北西)の方50間にあり。
鳥居あり。清野飛騨これを司る。

寺院

真光寺

村より申(西南西)の方2町にあり。
慶長2年州智という僧建立し会津郡中荒井組出尻村にあって日根山心光寺と號す。後ここに移し恵日山真光寺を改む。
曹洞宗会津郡南青木組北青木村善龍寺の末寺なり。
本尊釈迦客殿に安ず。

薬師堂

境内にあり。

墳墓

石塔

端村上藤より戌亥(北西)の方3町にあり。
高3尺5寸、『舘荘院殿全嚴元公居士』と彫付けあり
城四郎重範(長茂)が墓なりという(片門村の条下を併せ見るべし)。

古蹟

館跡

村西3町、1段高き所にあり。
東西3町12間・南北1町7間。
猿戻城という。
往昔この村は越後にゆく別経なりし故、城四郎長茂ここに築いて封疆(ほうきょう)*1を守りし所にして28館の一なりという。



余談。
会津古塁記には『藤村猿戻城 東西七十間南北九十間槻木森山に有り。永延二年戊子城四郎重範築いて成らず討死す。是八舘之元也俗曰城四郎長茂と有大に誤也其間百九十四年違』と記載されています。城四郎長茂はこの城を築いたのに入城する事無く討死してしまったんですね。なお、端村上藤の北西に彼の墓があるとの事ですが、どこにあるのかさっぱりわかりませんでした。
参考:会津古塁記