打ち切り(テレビ番組)

登録日:2018/09/03 Mon 19:21:13
更新日:2025/09/04 Thu 21:20:04
所要時間:約 158 分で読めます






「人類の毛の自由と平和は、必ず守って見せる!」

「みんなー、元気でねなのらー♪」

「えぇーーっ!? ここで終わりー!?」



この項目では、テレビ・配信番組における打ち切りについて、その背景事情や具体的な様相について紹介していく。

以下に関しては別項目参照。


【概要】

テレビ番組の放送期間については、例えばアニメやドラマは最初から「1クール13話」「1年間(4クール)52話」等と期間・回数が決まっているものが多い。
一方でニュースやバラエティ、映画などは「いつまで放送するか」が決まっていない事が多い。

前者の場合、当初の放送予定よりも短期間での放送終了は「打ち切り」となり、大変不名誉な事とされる。
逆に後者の場合、終わり処の見極めが非常に難しいため、『トリビアの泉』(2002~2006)や『プロジェクトX~挑戦者たち~』(2000~2005)の様に、いかに人気番組であってもその最後は「打ち切り」と呼ばざるを得ないものが多い。

アニメは1990年代辺りまでは1作品2クール(半年)の作品が多数見られたが、娯楽の増加や製作費の高騰も相まってか、2010年代以降は1クールだけ放送して配信の再生数やSNSの反応が良ければ続編を作る、或いは元から人気の高いIPでも編成の都合及び長期展開を想定して、1クール放送したあと一度別の番組を1クール挟んでから2クール目という「分割クール」の傾向が増えた。
前者の場合は、仮に(原作有りで)原作のストーリー途上で放送終了したとしてもスケジュール上は予定通りなので打ち切りではない。後者もスケジュール通りだが、もし前半の不振等から後半が放送されず終了した場合は打ち切りとなる。

番組のレベルが高くても、延々と続けたがためにマンネリ化が指摘され、後述する視聴率不振になる事もある。一概にマンネリ=悪いとも言えないものの、視聴者層が年をとったり世代交代したりして需要が低下するパターンも多々。
そういう場合は改編の半年前位に終了が告知され、終了記念企画(豪華ゲスト、過去企画の復活等)を行い、視聴者側にも充分な心の準備を持たせたうえで最終回が作られる。

バラエティ番組等でも「ビッグネームが出てたりセットが派手だったりなど明らかに大きな予算が掛かっている」「内容が多数回の放送を前提としている」など明らかに長期予定、またはそれを強く目指していると推察できる作品が短命で終わるという事も時々ながら見られる。
そういったケースの場合「惜しまれつつ終わる」という事はまず無く、大半は単に「失敗」など直接的にネガティブな言葉で表される。
更に言うと、その打ち切り後にひっそり始まった番組が思わぬ人気を博し長寿番組となるのもよくある話だったりする。

なお、この記事で扱う「打ち切り」は、地方局で遅れて放送されたものが編成の都合で打ち切られた場合は含まない。
それはアニメ過疎地域等の問題である。


【視聴率低迷による打ち切り】

最も多いパターン。
民放は基本的に他社のCMを流してスポンサー料を貰うのが収益の1つとなっているが、そもそもCMの目的は「多くの人にCMを観て貰い、自社の製品を知って(買って)貰う」事である。
故に視聴率が低い(=CMも見られていない)と判断されればスポンサーが撤退してしまう事があり、結果的にその番組で収益を上げるのが困難になって打ち切りとなるのである。

但し、関連グッズの売り上げが良かったり、スポンサー側が辛抱強く番組続行を要請するなど、スポンサーにとって気にならない事情*1があれば、低視聴率でも続行とされるケースがある。
もちろんその結果が奇跡の大逆転か、醜態を晒し続けた末の無残な失敗なのかはその時点では誰にも判らないのだが……。

かつて視聴率において、録画勢は基本的にCMを飛ばすため意味がほとんどないとされていたが、レコーダー付きテレビ受信機の普及もあり、2016年からはオンエアから7日間(168時間)以内に録画再生で視聴された割合を示す「タイムシフト視聴率」の調査が開始された。
また、2010年代以降は動画配信サービスの台頭もあり、民放でも2015年からテレビ番組の見逃し配信サービス「TVer」を開始した。

これらの状況の変化から、2020年4月よりテレビ視聴率の調査方式がリニューアルされ、民放が重視する視聴率が「世帯視聴率」から「個人視聴率」に変わる事になった。
これに伴い、テレビ朝日を除く*2各局では購買・消費意欲の高い13~49歳層の視聴率を重視するようになり、世帯視聴率が高くても個人やタイムシフト率が低く、視聴者層が高齢者に偏った番組を打ち切る例が増え*3、NHKもこの方針を取るようになった*4
前述のTVerの普及後はテレビ局側もTVerの再生回数を指標とすることが増え、2025年からはこれを視聴率に編入。民放連側も定例会見で「もはや世帯視聴率は時代にそぐわない」という見解を示している。

【路線変更絡みの打ち切り】

視聴率不振に陥った場合、打ち切りの前にしばしば行われるのが路線変更である。
現在の路線は視聴者にウケないと判断され、テコ入れとして新しいコーナーを設けたり番組のカラーを変更したりする。とはいえ全く新しい事を行って視聴率が回復する保証はないという理由から、一度成功した番組のフォロワーと化す事が多い。
しかし多少なりとも不評は改善されても、それまでのマイナスを打ち消して人気作となる成功とまではいかず、結果として少数派とはいえ旧来のファンからも見捨てられ、打ち切りとなってしまうのはよくある話である。

昭和の特撮番組に顕著で、『ウルトラマンレオ』(1974~1975)、『仮面ライダーX』(1974)、『ブルースワット』(1994~1995)などが有名か。*22
特に、『ジャッカー電撃隊』『シルバー仮面』『マイティジャック』等、「高学年・大人受けを狙ったが失敗して王道的な子供向け路線に変更、評価は上がったが打ち切りは免れず」というパターンが多い。
この辺りは路線変更(特撮)の項も参照。

保守思考が根強いヲタ界隈では路線変更は基本的に評判が悪い。
平成以降の著名な例を挙げると、路線変更を決定して製作、4クールを放送しきった『仮面ライダー響鬼』は「路線変更さえなければ…」「響鬼は前半まで」という評価が一時期幅を利かせており(路線変更に対して怒りを抑えきれなかった主演俳優の細川茂樹が、後半のメインライターである井上敏樹が書いた最終回脚本を書き直すという異常事態を招いた)、
逆に路線変更を拒否して3クールに放送短縮(事実上の打ち切り)を決めた『ウルトラマンネクサス』は、それによってストーリー面・アクション面でも質が上がった点もあって、新旧問わずファンからは「よくぞ路線変更せずに作り上げた」という評価が一般的になっている。*23

ただ、 「路線変更は改悪」と決めつけるのは良い判断ではない。
例えば初代『仮面ライダー』は初期の怪奇路線を転換した事で、後述の『ルパン三世』は第2シリーズから子供向けを意識した事で、どちらも現在まで続く人気シリーズとなったのだ。バラエティ番組でも『Qさま!!』はその良い例だろう。

前述した『響鬼』についても、放送当時から「言われる程じゃない」「ガラッと変わったのは事実だけど嫌いじゃない」「むしろ英断だった」「前半の『方が』面白かっただけで後半も面白い」「なんならこっちの方が好み」という旨の声は一部の井上信者を除いた上でも存在し、当時こそ否定派に押し切られた感はあるものの、時を経た現在はリアタイ勢が大人になった事も影響し再評価する動きが増えつつある*24
何より『響鬼』は路線変更に踏み切った事で、その後ニチアサ平成仮面ライダー放送枠を10年以上維持し続ける成果に繋げている。その後の仮面ライダーシリーズの隆盛はアニオタ諸君も知るところだろう。

一方の『ネクサス』は母体としていた「ULTRA N PROJECT」が頓挫することとなり、(本作が全ての原因というわけではないが)唯でさえ放漫経営・杜撰な経理などによる数十年以上の赤字体質が続いていた円谷プロの業績悪化に拍車がかかり、2007年に 倒産寸前に陥った円谷プロがTYOに経営権を譲り渡す結果を招いてしまった という事実だけは念頭に置くべきである。
そもそも放送短縮となったのは、いくら内容が大人向けだったとはいえ本来のメイン視聴者である児童層から支持を得られなかった事の裏返しな訳で、焼け石に水な本末転倒な状態になっていた結果である点を忘れてはならない。

【不祥事による打ち切り】

不祥事が発生すると多くの場合番組はあっという間に打ち切られる。
内容は様々だが、やらせや捏造や盗作の発覚、出演者やスタッフ・芸能事務所の不祥事や軋轢、収録中の事故、その他視聴者からクレームが多数寄せられ、それが概ね事実であった場合などなど。
ただ、死亡事故などの大事に発展せずに済んだ場合、元の番組が打ち切られても関連番組の放送は継続されたり、問題個所の対策を強化した後継番組が作られる例はある。
また、ドラマや映画の場合は「不祥事を起こした人物の出演部分を削除」「キャラクターはそのままに演者を交代」「別の役者が演じる新キャラに交代」などの措置が取られるケースがある。
演者側の不祥事の場合、特に該当人物の色が濃い冠番組などの場合は番組の根幹が揺らぐことから打ち切りを余儀なくされ、それが報道・情報系の番組であれば当人のみならず家族の不祥事すらも打ち切り要因となり得る。

幸いにしてサブカル作品とはあまり縁のない打ち切り理由だが、主演の杉浦太陽が誤認逮捕された『ウルトラマンコスモス』(2001~2002)はかなり危なかった。

やはり不名誉な理由であるために、この類のものはそれまでの内容に関わらず叩きの対象にされやすい。
背景には「過剰なまでの視聴率追求」「局側のチェック体制の不備」「プロダクションへの丸投げなど杜撰な制作体制」が報じられることが多く、それがずっと繰り返されているため自浄能力作用が無いと見られていることも叩かれやすい一因。
中には「話は良かったのに…」と擁護される事も無い訳ではないが…。

【とばっちりによる打ち切り】

その番組自体に罪はないが、実際の事件と勝手に結び付けられる、あるいは別の問題とこじつけられて非難の対象にされるというはた迷惑なパターン。
必殺仕置人殺人事件(1973)など大昔から存在するが、近年は深夜アニメなどのオタク向けコンテンツが非難のやり玉に挙がりやすいため恐ろしい。
影響が皆無とまでは言わないものの、コンテンツが膨大に存在する昨今、「一切ゲームもマンガも所持せずアニメも見ない」人物の方が希少になりつつある。
なおこのようなパターンの場合、後に許されて後継番組の制作が行われたり問題のシーンを上手く誤魔化したりして再放送などがおこなわれるケースもちょくちょくある。
ちなみに騒がれていないのに打ち切るなどするというのは、念のために予防線を張っておくという意味合いが強い。

【製作の都合による打ち切り】

ここまではテレビ局側が放送を中止するパターンについて述べたが、逆に番組制作側の都合で制作を続けられなくなってしまうパターン。
制作会社の経営不振や倒産、主要スタッフ(特にディレクターやプロデューサー)や関係者の退社・蒸発などもある。
制作会社の倒産など会社が無くなってしまった場合、権利関係の問題で映像ソフト化が難しくなる。
それ以外では制作費の高騰が挙げられる。特に「 出演者のギャラが高騰しすぎた 」という例が多く、海外ドラマでシリーズ作品終了のきっかけは大抵がこれ。日本では一部のバラエティ番組がこれが原因で打ち切られる事がある。


【出演者の都合による打ち切り】

上の亜種であり、番組の核となる主演が出演出来なくなるため視聴率等に関係なく打ち切られてしまう。
その一方、番組出演者が撮影中・直前に出演不能になっても終了しない事も結構あり、アニヲタ的には初代『仮面ライダー』での仮面ライダー1号出演不能→仮面ライダー2号登場→1号復帰が分かりやすい例。
他には『渡る世間は鬼ばかり』は「岡倉夫妻と娘たち」が主人公なため、夫妻が他界しても物語は続き(岡倉大吉役の藤岡琢也が病気療養中及び死後は宇津井健が代役を務め、宇津井の死後「大吉没後」編SPドラマが制作された。
1974年のNHK大河ドラマ『勝海舟』では当初主演だった渡哲也が急病により降板後、松方弘樹が代役を務めた…等の例がある。

体調面以外では出演タレントがそれまで所属していた芸能事務所から独立した際、前の事務所がテレビ局に働きかけ、レギュラー番組が軒並み打ち切られることがある*50
直近の例としては元SMAPメンバー3名(香取慎吾・草彅剛・稲垣吾郎)がジャニーズ事務所退所後、長寿だった「『ぷっ』すま」を筆頭とした番組が続々打ち切られることになった。この件で香取は後日配信番組で「 独立するとこんなにテレビに出られなくなるのか 」と心境を暴露して話題となった。

【スポンサーの都合による打ち切り】

民放局で稀に発生する事態。番組のスポンサーが撤退してしまうパターン。
主に「スポンサー企業の経営方針の変更や経営不振」「関連商品が売れずCMの効果が見込めない」「不本意ながらスポンサー企業が不祥事を起こしてしまい、番組及び企業のイメージ悪化を避ける」等が理由として挙げられる。
とはいえ複数社提供が基本となった現在では、1社提供の番組が多かった頃よりは発生率は減った。

『ズバット』や『レイズナー』の様に 視聴率は良かったが、関連商品の売り上げ不振 による打ち切りなんて事も。

【ネタ切れによる打ち切り】

番組で扱うネタが枯渇してしまったパターン。
末期になると明らかなネタの水増しや使い回しが散見される様になったり、扱われる話題が目に見えて新しくなったりといった現象が多発する事が多く、場合によっては路線変更による迷走や視聴率低下といった他の打ち切り要因を招く原因になるケースも少なくない。
最悪の場合やらせに手を出してしまう事もある(上でも幾つか例に挙げている)。
特に視聴者投稿をメインに据えた番組(トリビアの泉とか)はその性質上ネタの供給が安定しているとは言い難く、常にネタ切れの危機に脅かされている。
一方で番組人気や制作体制その物の問題という訳ではないため、打ち切りの理由としては比較的ポジティブな理由であり、中には後々特番として復活したり様式を変えた別番組として仕切り直すなどして延命に成功するケースも。


【ネットチェンジに伴う打ち切り】

地方の民放局ではテレビ黎明期から平成初頭までの間、非常によく見受けられたパターン。
地方民放局は最初の1〜2局目が開局する際に、複数のキー局のネットワークに加盟してそれぞれの系列から番組を放送するクロスネット局でスタートすることが多く、後年新たに単独ネットする系列局が開局した際、既存局から系列キー局や準キー局が制作していた番組が新規局へと移籍するため打ち切りとなる。
この場合、基本的には それまで放送していた局としては打ち切り となっただけで、新たに開局した系列局が放送を引き継ぐので、一時的に見られなくなるケース*72はあっても、エリア全域で全く見られなくなるというケースは殆どない。更に、新規開局時のエリア内ネットワーク網の薄さを加味し、スポンサーからの意向があった場合には開局後直ちに移行せず半年〜1年程度既存局での放送を継続する事例もあった。
一方で、局の方針や編成の都合から新規局への移行も既存局での継続も叶わなかった場合、番組単位では文字通りの打ち切り、つまり終了となってしまった例もある。
そして本項で紹介するケースの場合は、上記のパターンとはまた違う 「既存局同士の系列交換」や「既存局の一存による系列変更」に伴って起こった物 となっている。

  • 東リクイズ・イエス・ノー(1974~1975)
1975年4月に行われたネットワークの腸捻転解消*73に伴う打ち切り例。
毎日放送制作で、児玉清が司会の視聴者参加型クイズ番組。
○×クイズで30人抜きをすれば賞金100万円というルールだったが、あまりに難易度が高すぎたため半年後に5人抜きに変更。
それでも視聴率は伸びず、結果開始から1年で打ち切られた。

終了後同枠は朝日放送制作となり、司会とスポンサーを引き継いで新たに開始したのが『パネルクイズ アタック25』である。

  • テレビ朝日系列における中央競馬中継
競馬中継といえばフジとテレ東と独立局のイメージが強いが、実はテレ朝系も中継していたのはご存じだろうか?
中央競馬でテレビ朝日(当時はNETテレビ)は1959年の開局から東京競馬場開催分を中継し、フジは中山競馬場開催分を担当していた。
しかし関西で中央競馬を制作し、当初ネットワーク関係を組む予定だった関西テレビがフジテレビ系列となり、競馬中継も関西テレビと同じ系列であるフジテレビに統一することになったため、1962年には自社制作での中央競馬の中継を終了した。

もう一つが北海道の系列局である北海道テレビ(HTB)。
土曜競馬中継は1970年にテレビ東京の土曜競馬中継を札幌・函館開催時に差し替える形で放送し、一時期テレビ朝日にもネットしていた。テレビ北海道が1989年に開局した時にテレビ東京の土曜競馬中継は移行されたものの、1993年にTVh函館中継局が開局するまではJRA側の都合で自社制作を続けていた。
その後1995年・96年にFNS27時間テレビの影響で中継ができない北海道文化放送に代わり札幌スプリントステークスを中継。これを最後に競馬中継から撤退した。

  • 山形テレビにおけるフジテレビの番組(1993)
山形テレビは元々フジテレビ系列局であったが、様々な事情によりテレビ朝日系列へのネットチェンジを決定した。
しかし、明確な理由も説明しないままネット離脱を伝えたためフジテレビ側は激怒。
全ての番組のスポンサー交渉を山形テレビだけ単独で行わせるというペナルティを課したものの、山形テレビの気持ちは動かず、結局1993年3月31日をもってフジテレビ系列を脱退した。
これにより、山形テレビで放送されていたフジテレビの番組がほぼ全て打ち切られることとなった*74

翌日からはテレビ朝日の番組が放送されることとなったものの、当時数多くの人気番組を抱えていたフジテレビに対し、テレビ朝日は『ドラえもん』『徹子の部屋』『ニュースステーション』位しか人気番組がない状態。当然県民が納得するはずがなかった。

更にフジテレビは山形テレビだけでなく、ネットチェンジに協力したとみなした山形放送に対しても番組販売を拒否したため、残る一局のテレビユー山形において『サザエさん』など一部が放送されるに留まった*75
このような状況に県民の不満が爆発し、署名運動やフジテレビの後押しによって1997年、フジテレビ系列局のさくらんぼテレビが開局した。これにより民放が4局揃ったため、ある意味結果オーライとも言えるだろう。
ちなみに山形テレビは最初テレビ朝日系列局として開局する予定だったが、前述した服部天皇の鶴の一声でフジテレビ系列局となったため、このネットチェンジはある意味当然の判断ともいえる。


【サービス終了に伴う打ち切り】

番組を流すチャンネルそのものが運営終了 というあんまりなケース。
2000年代以降は新たにCS放送局が多数開局したが、小回りが利く一方採算面では地上波以上にシビアなため、開局から10年持たずに放送終了する例も少なくない。
近年は前述した様に動画配信サービスが普及したが、サービス自体も過当競争になりつつあるため、今後オリジナル番組についてはサービス終了→打ち切りでそのまま封印作品となってしまうリスクも生じるようになった。
内村さまぁ~ず』の様に配信先を転々としながら継続する番組もない訳ではないのだが…

  • 山口放送の関門テレビ局
日本の民放では数少ない1局2波体制の成立および消滅という珍しいケース。
テレビ開局当初山口県と福岡県の地理的事情から、下関市周辺は事実上福岡の放送局の放送エリアであり、下関をエリアとする山口放送関門テレビ局が1961年7月14日にVHF4chの予備免許を受けたが、その際に以下のような規制がかかった。
  • 電波が少ないため、同じ4chを使うRKB毎日放送や中国放送などを視聴する視聴者に配慮して西と南への電波を規制する。
  • 徳山本局からのフィルムネット番組、自社制作番組を50%以上放送する。
  • 九州朝日放送、RKBテレビ、テレビ西日本でも放送されている番組は、1日の放送時間に対して3分の1以下とする。
そのため、日本テレビ系の番組を放送していた徳山本局とは違い、主に主に福岡局が放送しないフジテレビ系列・NETテレビ系列のマイクロネット番組、フィルム番組、自社制作番組を放送していた。
1964年にテレビ西日本がフジテレビ系列になり福岡から日本テレビ系列が消滅したため規制がなくなり、なおかつUHF帯の使用可能などの技術革新が進み、下関が福岡の放送局のエリアではなくなったため、独自編成を取りやめた。

  • 2012年3月の第一興商スターカラオケ終了
その名の通りカラオケなどの音楽番組を放送していたCS放送チャンネルなのだが、2009年10月から新たに昭和のアニメや特撮の放送を開始した。
しかし放送ペースはなぜか2週1話という超鈍足ペース。つまり全話放送するには本来の2倍の年月がかかってしまう事になる。
2011年、運営元の第一興商はテレビ放送からの撤退、および当チャンネルの放送終了を公表。
当時放送されていた『鉄腕アトム』、大場久美子の『コメットさん』は全話放送できないまま、チャンネルの終了とともに途中で打ち切られた。
……それにしても第一興商は『アトム』を8年もかけて放送するつもりだったのだろうか。

  • 2016年6月のNOTTV停波
NTTドコモの子会社として設立した携帯電話向けのマルチメディア放送局で、2012年4月に開局した。
しかし放送を受信するには専用のチューナーとドコモとの回線契約が必須…とハードルが非常に高く利用者数は伸び悩み、2015年に翌年6月での停波・放送終了を発表。
これに伴いオリジナル番組は軒並み打ち切りとなったが、『AKB48オールナイトニッポン』のサイマル放送はSHOWROOMに、『もう!バカリズムさんのH!』はフジテレビONEにそれぞれ移行して継続した。
マルチメディア放送は地上アナログ放送終了で空いたVHF帯の有効活用を狙ったものだが、同時期に急速に普及した動画配信サービスに太刀打ちできず、現在同帯を使った放送局は存在しない。

  • 2023年のGYAO!サービス終了
ヤフーが運営する動画配信サービスで、テレビ番組の見逃しや『木梨の貝。』等のオリジナル番組を配信していた。
2023年1月にヤフーおよびLINEを運営するZホールディングスがGYAO!とLINE LIVEの同年3月末終了を発表し、オリジナル番組については同月内で全て打ち切りとなった。
なお『M-1グランプリ』については予選会が公式YouTube、ワイルドカードがTVer、反省会がLeminoへそれぞれ移行して配信が実施されているほか、『木村さ~~ん!』も2024年1月から木村の公式YouTubeで配信を再開している。

  • 2025年のBS松竹東急放送終了
2022年に開局した放送局で、同時に開局したBSJapanext(現:BS10)・BSよしもととともに「新BS3局」とも呼ばれる。
その名の通り松竹系の映画やテレビドラマを放送するが、これ以外にも歌舞伎中継やプロ野球オリックス・バファローズ主催試合、アニメにニュースなど様々な番組をラインナップしており、実写版「かりあげクン」など自社制作の番組も数多く放送していた。
しかし、広告収入の伸び悩みから撤退を表明し2025年6月30日限りでの放送終了が決定。
これに伴い前述した自社番組は全て6月末で打ち切りとなった。
…だが、終了2週間前にCATV大手のJ:COMが買収を表明し、7月以降も「J:COMBS」として継続が決定。
存続が急遽決まったことからか7月以降は大半の番組を入れ替え、放送時間も大幅に短縮*76した暫定編成となっており、本格的な開局は10月を予定している。


【お色気番組の打ち切り】

テレビ黎明期から深夜帯は様々なお色気番組が放送されてきたが、現場や視聴者に好評でもPTAや局の上層部からはあまりいい顔をされず、低俗番組とクレームが入って番組終了、あるいはネット打ち切りとなった番組も数多い。
一方在阪局のように「エログロは麻薬のようなもの、一度手を出すと過激な映像を求めてきりが無くなってしまう」との判断から制作・ネット受けをしなかった例もある。

1980年代後半以降になると女性の社会進出や風営法の大規模な改正という社会情勢の変化から、深夜番組も女性層を重視するようになり、視聴率を度外視したマニアックなバラエティや若者向けのドラマといった現在の路線へシフトするようになり、お色気番組はそのほとんどが姿を消した。
とはいえテレビ東京やサンテレビのようにコンプラの波をかいくぐりながら作り続けている局もあるので、やはりお色気は欠かせないコンテンツなのだろう。

本項ではお色気とはいえない番組も入っているが、便宜上それらも含めて記述する。

  • 23時ショー(毎日放送・1971)
  • 11PM(山形放送・1978)
  • 11PM・ミセス&ミセス(山口放送・1978)
『23時ショー』はNETテレビ(現・テレビ朝日)で放送されていた深夜番組で、過激なお色気コーナーを売りとしており、裏番組の『11PM』としのぎを削っていた。
毎日放送は金曜放送分の制作も担当していたが、1971年に「内容が低俗すぎる」として放送を打ち切った。このような理由でのネット打ち切りはテレビ史においてこれが初である。
打ち切りの背景には前述の理由のほか、お笑い路線で行きたいMBS側とお色気路線を維持したいNET側の対立も一因としてあった。

『11PM』は1965年から1990年まで放送された深夜番組で、月・水・金曜が日本テレビ、火・木曜が読売テレビ制作だった。
山形放送では当時の社長・服部天皇服部敬雄が低俗な内容の改善を要求するも、日本テレビ側が応じなかったため1978年に打ち切り。
山口放送では上述2番組のほか、『ウィークエンダー』『お昼のワイドショー』などの番組で低俗化が進んでいることを訴えるも、改善が見られなかったため前者の2番組を1978年に打ち切った。
余談だが、『11PM』は時事問題や麻雀や釣りにオカルトに、音楽ライブに温泉や新車レビュー、果ては地方局とタッグを組んだご当地特集など様々な企画を放送しており、後年語られる程 お色気に特化した番組ではない

  • 3分勝負15ラウンド(1976)
フジテレビのバラエティ番組。
ドラマやクイズなど様々なジャンルの3分番組をオムニバス形式で放送するという内容であった。
お色気要素があるものも多く、その中の1つの「上から油が流れるすり鉢に水着姿の女性達を入れ、上にある商品を目指して這い上がる姿をカメラで舐め回すように下から撮影する」という企画が当時のフジテレビ社長の逆鱗に触れ、わずか3か月で打ち切りとなった。

この手の番組はフジテレビの十八番…と思われがちだが、当時のフジは「母と子のフジテレビ」というキャッチフレーズの下、ファミリー健全路線の編成を組んでいた事が打ち切りの一因となっている。

  • 女子プロレス中継 世界選手権シリーズ(1968~1970)
東京12チャンネル(現・テレビ東京)の女子プロレス中継番組。
単発で放送された特別番組が22.4%と高視聴率を獲得したためにレギュラー化され、その後も常時15%の視聴率をキープする程根強い人気を誇った。
しかし上層部の会議において、お色気番組2本を放送するのは不要として、同時期に人気を博していたドラマ『プレイガール』のどちらかの打ち切りを迫られることとなる。プロデューサーの説得も虚しく、上層部は当番組を打ち切り、『プレイガール』を存続させることを決定した。
当時は女性が男性ばりのアクションを見せる番組に対し「低俗」「エログロ」とみなす風潮が根強く、そうした世論の高まりが原因とも言われている。

  • さんまのサタデーナイトショー(1981~1984)
テレビ東京の深夜番組。司会は明石家さんま
深夜帯にもかかわらず視聴率10%台と好調で、当時のテレビ東京の全番組の中で最高視聴率であった。
しかし「局の最高視聴率がお色気番組というのは体裁が悪い」という上層部の夫人の抗議で打ち切り決定。さんまはこの件を相当根に持っていたらしく、以降テレビ東京制作番組の出演は2018年の『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』まで待つこととなる。

  • 民放キー局制作の土曜深夜ワイドショー番組(1984~1986)
1983年にフジテレビで開始した『オールナイトフジ』が、AV紹介や風俗店レポートなど過激なお色気路線で人気を博したことから、1984年10月以降各キー局が同種の番組*77を開始し、それまで不毛の地と言われていた土曜深夜枠を大きく盛り上げることとなった。
ところが、その過激な内容が国会で取り上げられる程に問題となり、翌1985年3月に管轄の郵政省(現:総務省)から深夜番組自粛の通告が来たことで、『オールナイトフジ』を除く全番組が1986年3月までに打ち切りとなった。
TBSのみ非お色気路線だったのだが、視聴率低迷で終了というある意味まっとうな理由だった。
その一方、元祖でもある『オールナイトフジ』は85年4月からお色気路線を全廃し、最終的には91年まで続くというロングランぶりを見せた。その後も復刻版やオマージュ番組が制作されている。

  • スーパージョッキー(1983~1999)
日本テレビで日曜午後に放送されていたバラエティー番組。
同枠で放送されていた「TVジョッキー」をビートたけし・たけし軍団メインでリニューアルしたもの。
一応幕間にアイドル歌手の歌コーナーはあったものの大半は芸人達による体を張ったネタが多く、あの「熱湯風呂(熱湯コマーシャル)」を生み出したのもこの番組である。
打ち切りの理由について、司会だったたけしは「当時の日テレ社長が民放連の会長に就任した際、番組の風紀向上を謳ったところ、『だったらあんたの所のスーパージョッキーを打ち切れ!』という意見が噴出したため、打ち切らざるを得なくなった」と語っている。しかし単に企画自体のマンネリ化などによるものという説もあり、上記の話の真偽は不明。
むしろこんなお色気&過激リアクション芸番組がここまで長続きしたことが凄いが。尤も前期はネットスポンサーがあったのが途中から全編ローカルセールスになっており、その影響で途中から深夜の録画放送にした系列局もあった。

  • モザイクな夜→モザイクな夜V3(1993~1996)
北海道テレビの平日月~木深夜の帯番組。
当初はコントやドキュメンタリーなど様々な内容を放送していたが、開始半年でネタ切れとなり「人気ストリッパーの札幌公演レポート」「大人のおもちゃの通販コント」など下ネタ路線に転向。
その後は項目に記した道を辿り、結局1996年の秋改編で終了。
終了の際「一日だけでも自社番組枠を残してほしい」と編成に嘆願した結果水曜日の枠が残されることとなり、そして始まったのが『水曜どうでしょう』である。


【その他】

「枠が足りなかった」というとんでもない理由で、地上波ではごく中途半端にしか放送されていない。
『カウボーイビバップ』はテレ東規制に巻き込まれ、比較的刺激の低い数話しか流さなかったが、一応WOWOW(地上波終了後)で放送された。
『バブルガム2040』は最終2話をVHSおよびDVDで収録されたが、厳しい言い方をしてしまえば作品を舐めているとしか思えないだろう

いずれもTBSテレビ制作のアニメで、「TBSの編成の事情」というパターンで打ち切られた例。
『レディレディ!』も『ダイの大冒険』も視聴率も関連商品の売り上げも上々だったが、スポンサーの断りもなく打ち切られてしまった。
一応、『レディレディ!』は放送局をテレビ東京に移して『ハロー!レディリン』という新シリーズが放送されたが、ローカル枠だったため視聴できなかった人は少なくはないだろう。
『ダイの大冒険』に関してはタカラから発売されていたミニフィギュア玩具「ダイコロ」シリーズの売り上げも上々で、竜騎衆ラーハルトの試作品も作られていた。

…が、TBSがフジテレビのバラエティ対策として片っ端から人気番組を打ち切って月曜から木曜の19時台に「ムーブ」という帯のバラエティ番組の時間枠を作ろうとしたのが運のつき。この番組も編成の事情に巻き込まれて中途半端に打ち切られてしまった。
ついでに言うと『笑ゥせぇるすまん』を番組内アニメとして放送していた『ギミア・ぶれいく』も打ち切られており、司会だった大橋巨泉はその体制を最終回で批判した*78
この件で制作元の東映アニメーションは完全にキレたのか、これ以降TBS系列で放送した東映アニメは2007年の『ラブ★コン』のみである。
当然のことながら、2020年からの『ダイの大冒険』の再アニメ化もテレビ東京系列の放送となり、こちらは原作最後までアニメ化された。

なお、肝心の「ムーブ」は『上岡龍太郎の男と女ホントのところ』以外は視聴率が出せずに1年で打ち切り*79
テコ入れで「ザッツ!」へと改名されるも半年程度で 枠が消滅
唯一好評だった『関口宏の東京フレンドパーク』は半年後に『関口宏の東京フレンドパークⅡ』へとリニューアルされ一躍人気番組になったが、こちらは前述した2009年の「総力報道~」の改編に巻き込まれる形で終了に追い込まれた。

こうした改編が行われる最大の理由として、編成部長や社長といった 上層部の交代 が挙げられる。
オードリーの若林曰く、テレビ局で新社長が真っ先にやることは「社長が交代してよかったという実績を上げる」であり、その方針として改編を提案することが多いのだとか。
前述の「ムーブ」新設はTBSが野村証券の損失補填問題で大きく揺れていた時期で、新ロゴ「ミクロコスモス」の制定に代表されるイメージ回復策として改編を実施したものなのだが…
その後、TBSは改編失敗に加えビデオ事件などの不祥事もあり、世間からの信頼を大きく失い冬の時代を迎えることになる。

余談だが、「大型バラエティ枠の開始に伴う放送時間変更」は日本テレビの2009年4月改編による「サプライズ」の新設がある。
こちらは帯新設よりも既存の人気番組(『笑ってコラえて』『ぐるナイ』『名探偵コナン』)を19時台から移動させるのが目的だったらしく、3番組は移転後も今なお続いている。
「サプライズ」枠も「ムーブ」と似たような感じになり1年で終了となったが*80、火曜分だけは『火曜サプライズ』として単独番組化し2021年3月まで放送された。
同時期に改編を実施したTBSよりはまともな実績を残したといえよう。

『B'tX』は1年放送を念頭に置いていたのか、原作のストックが追いつくのを何とか避けるためアニメオリジナルエピソードで水増したり、エックスに似た黒い麒麟のB't・シャドーエックスとそれを駆る黒いバトルギアを纏った謎のドナー・黒騎士を登場させたり…と工夫したが局の都合で打ち切られた
しかし、アニメの方はOVA『B'tX NEO』で完結しており、シャドーエックスは原作漫画にも登場、作品自体は無事に幕を閉じている。
また、海外での評価は高かったのか、日本では未発売に終わった『ソリッドスキャンキット』のマックス、マドンナ、リュカオン、五色の燐光を発動したエックスなどが発売されている。

  • 追跡(1973)
関西テレビ制作のドラマ。
第15話として予定されていた「汚れた天使」を試写会で見た関西テレビの重役が「内容が非常識」と判断し*81、次話の「灰色の天使」への差し替えを一方的に決定。
これに同作品を手掛けた唐十郎が「放送しなければ関西テレビと絶縁する」と激怒し、主演の中村敦夫をはじめとする出演者とスタッフ、更には中村の事務所の先輩にあたる初代黄門様こと東野英治郎も同調するという事態に発展した。
しかし関西テレビは差し替えを強行。これにより全出演者・スタッフが撮影をボイコットしたため、全16話で打ち切られた。
なお「汚れた天使」は後に行われた唐十郎の自主上映会で日の目を見ることとなった。

ドラゴンクエストⅨ 星空の守り人』発売直後の2009年8月にチバテレビ夕方5時台のアニメ枠で再放送されるも、6話放送したところで
ドラゴンクエストの放送について
「ドラゴンクエスト」は放送権利の問題で急遽放映できなくなりました。ご了承下さい。
と同局ホームページで公表、視聴者にはよくわからない理由で打ち切られてしまった。
……アニメの『ドラクエ』は余程打ち切りと縁が深いらしい。こんな理由でご了承できる人はそういないだろう。
なお、『ドラクエ』打ち切り後のこの枠では『らんま1/2』が放送され、こちらは無事全話完走している。

ローカル局では膨大な話数を抱える1話完結形式の作品を穴埋め等の目的で一部のみ再放送することはそう珍しいことではない。
しかし、このように完結した続き物の作品が打ち切られるのは余程の事と言える。

封印作品にも名を連ねる1973年放送の日本テレビ版のお話。
本放送後もしばらくは再放送が行われており、それどころかテレ朝版がもう始まっている1979年7月には作者の出身県である富山県の富山テレビで再放送が開始された*82が、わずか9回で打ち切りとなった。
これを最後に再放送は行われなくなったため、日本テレビ版が公の場に出た最後の機会となった。
打ち切りの理由について、『封印作品の謎』の著者である安藤健二が小学館元専務の赤座登に行ったインタビューによると、
「作者の藤子・F・不二雄が再放送に憤慨し、小学館と藤子スタジオが連名で放送中止を求める警告状を送った」とされている。
一方テレビ朝日元編成部長の高橋浩は、自著『視聴率15%を保証します!』において、「テレビ朝日版が同年4月に放送を開始した事を踏まえて、子供達を混乱させないため小学館に日テレ版を封印して貰った」という別の理由を述べている(詳細は封印作品の項目も参照)。

いつか復活する日を信じたスタッフにより、最終回のエンディングでは敢えて 「次回をおたのしみに」 というメッセージが流された*83
テレビ朝日の大山版でもこれを踏まえて
  • 放映第1作は『ゆめの町ノビタランド』を選び、『未来の国からはるばると』から始めない。
  • のび太とドラえもんの出会いは特番の回で放映する*84
  • ピンクのワンピースに原作と異なる栗色の髪というしずかのキャラ設定を引き継ぐ。
という対応がとられており、一応全く無かったことにはなっていなかったようだ。

当初は他のTVシリーズのガンダム同様に4クール予定だったが、3クールに短縮された。
また、打ち切りが決まる以前の段階で放送枠が夕方から早朝に移行していた*85ガンダムの公式ギャグ漫画は数あれど、「本放映が始まるからと他の主人公を朝から叩き起こす」ネタが許されるのはガロード位だろう。
その理由は編成上の都合とも、当時の放送局がアニメを軽視していたことによるとも、はたまた『新世紀エヴァンゲリオン』となるとロボアニメとして相手があまりに悪かったともされているが、真相は定かではない。
とはいえ、放送期間が短くなったことで終盤はかなりの急展開であったものの、フロスト兄弟が集めてきたよくわかんないエースパイロットに新型機をあてがってけしかける展開がちゃんと全員やっていたりと(よく設計コンセプトがネタにされるコルレルはこの枠で登場)、全体として切られたエピソードは無いようである。

当時としては高視聴率を取っていたが、『ドラゴンボール改』を放送したいというスポンサー等の思惑、リーマンショックによるのっぴきならない情勢もあって、100話というキリの良いところで打ち切りになった。
しかしタイアップしていたバンダイのおもちゃ関係の売上が芳しく無く、世界的な大不況で巻き返しも見込めなかった事などが絡み合って、DBの放映時間帯として都合の良い鬼太郎が真っ先に切られてしまったものとされる。
視聴率自体は高く、定期的にネットニュースのアニメカテゴリでトップを飾り、シリーズ構成の三条陸も長期シリーズとして続けていきたいと語っており、 3年目のゴーサインもでていた が、100話打ち切りが劇場版公開前に決定してしまった。
既に3年目に繋ぐプロットを作っていた事から、最終話は四十七士覚醒に纏わるエピソードであり、目玉おやじが普通にお決まりの「四十七士決定じゃー!」という呼びかけを行うなど 完全に普通の回 だった。
しかし急遽打ち切りが決まったおかげで、その話のラストで鬼太郎が視聴者に向けて「僕たち妖怪の百の物語はこれで終わりです」と語りかけるシーンが作られ、典型的な打ち切りエンドにせざるを得なかった。

幸いにも映画『劇場版 ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!』は制作中だったこともありそのまま公開に漕ぎ着けた。またテレビシリーズで覚醒しなかった四十七士もこちらで「東映特撮の追加戦士の紹介のノリで半覚醒し、四十七士全員で力を合わせて最強の敵に立ち向かう」という真の最終回 っぽい 内容は実現した。

関係者の言動や行動を省みると、後々時間帯を変更したうえで続編を放送、という構想及び可能性もそれなりにあったようで、何度か再開に漕ぎ着けそうな雰囲気を出していた。が、放送終了から一年後に田の中勇と郷里大輔が相次いで逝去し、一気にトーンダウン。その後はほとんど音沙汰がなくなってしまった。
その後、構想の一つにありながら実現しなかった「足跡の怪」のリメイクは後年の第6シリーズで実現している。
こちらは5期より短い97話で終了したが、打ち切りではなく当初の予定通り。

  • 名犬ラッシー(1996)
全26話が制作されたが、最終話が野球中継により放送されず。
元々『名犬ラッシー』は1年4クールかけて放送される予定だったのだが、何らかの事情で半年2クールに短縮され、第26話は「野球中継が雨天中止になったら放送される」といういわゆる雨傘番組であったため、第25話で打ち切りとなった。
ただ第26話の内容はそれまでの話の後日談であり、ストーリーが尻切れトンボになった訳ではない。

  • さんまのナンでもダービー(1993~1995)
アスリートや運動自慢のタレント達、名馬達をもじったポニーがレースを行い、ゲストが誰が1着2着かを予想してベットし当てるという、競馬をモチーフとしたテレビ朝日のクイズ番組。
ウマ娘などで話題に出る事がある「競馬史上最強ポニー」ナリタブラリアン号、主戦兼メイン調教師の森安輝正ジョッキーが出演していたのがこれ。
視聴率的には悪くなかったが、ゲストとして出演した野村沙知代(野村克也夫人)が収録中に横暴な態度を取ったり、途中でスタジオから出たりと次々と問題を起こし、さんまと大喧嘩を起こす騒動に。
しかしテレ朝側はあろうことか『さんまの方が謝罪するように』と沙知代の肩を持ち、これにさんまが激怒。テレ朝と絶縁宣言をし、1995年9月に打ち切りとなった。
以降さんまはテレ朝でのレギュラーは持たなくなったが、近年では『アメトーーク!』の年末企画「さんまVS若手芸人」に出演するなど、完全に縁を切った訳ではない。
一方、大阪のABCテレビでは全国ネットの特番や関西ローカル番組で出演機会が多い。

特番が急遽野球中継に差し替えられ、それに激怒した松本が収録をボイコットし、最終的には番組打ち切りで手打ちとなった。
もともと人気番組だったことに加え、打ち切りの経緯についても一、二を争う知名度を誇る。
詳細は当該項目参照。

  • ザ・スクープ(1989~2002)
テレビ朝日の報道ドキュメンタリー番組。
桶川ストーカー殺人事件では警察の怠慢と隠蔽を告発する内容の報道を行い、日本記者クラブ賞を受賞する快挙を成し遂げている。
2002年に番組の終了が予定されていることが明らかになると、弁護士や教授、ジャーナリストによる「『ザ・スクープ』存続を求める会」が発足、更に「テレビ番組は誰のものか?―テレビ朝日『ザ・スクープ』打ち切りを問う―」と題したシンポジウムが開催される程の事態となった。
だがこうした活動も虚しく、9月28日をもってレギュラー放送は終了、その後は年に5回放送をめどとして放送されていたが、2018年8月12日に放送された回を最後にそれ以降は制作されず、29年間の歴史に幕を閉じた。
打ち切りの理由であるが、これがよくわからない。
出演者の都合か、スポンサーの都合か、ネタ切れかのどれかだと思われるが、推測の域を出ず断言はできない。
過去に不祥事*86を起こしたこともあるが、1993年のことであるためこれが打ち切りの直接の原因であるとは考えにくい。

異世界での風俗店のレビューをするという漫画原作のアニメ(詳細は項目参照)。 令和最初 の打ち切りアニメとなった。
性的な内容ゆえ、「無修正ver」「裏オプver」「通常ver」に分けて制作されるなどしていたが、まず北米の配信サイト・ファニメーションにおける配信が停止され、TOKYO MXで第4話、サンテレビで第5話を以て「 編成上の都合 」という名目で正直誰が見ても明らかな理由から放送打ち切りとなった。
第7話時点では地上波で残るのはKBS京都のみとなり、全話完走できるのかどうか…と心配されていたが、その後岐阜放送・びわ湖放送・奈良テレビでも放送が始まり、むしろ 打ち切り前より放送局が増える という謎の展開をたどっている。
「むしろ何故放送までこぎつけられたのか」 とする意見も見られる。
TOKYO MXでは打ち切り後の差し替え番組が船番組であったため、「Nice boat.を意図してるんじゃないか」とか言われた。

  • 夜の巷を徘徊する(2015~2021)
マツコ・デラックスの冠番組。テレビ朝日で放送。
その名の通りマツコが夜の街に繰り出して様々な施設を訪問するもので、テロップやナレーションを極力使わない演出もあって異色の旅番組として人気を博した。
2020年の新型コロナウイルスの流行に伴いロケが出来なくなってしまい、同年6月以降はスタジオ収録でタイトルも『 夜の巷を徘徊しない 』に変更して新作の放送を再開。
しかし内容的に他のマツコの冠番組と変わらなくなったことや、時勢的に夜間ロケが再開できる可能性が見込めないと判断され2021年3月をもって終了。その後、2024年6月に単発特番として復活を果たした。
前述の雛壇系バラエティ同様、この手のロケ番組も新型コロナウイルスの流行を大いに受けたジャンルの一つ。

  • 2000年代前半のフジ深夜アニメにおける打ち切り
放送機器メンテナンスやスポーツ中継の延長などによる放送時間の消滅によって 予定していたスケジュールで放送ができなくなり
連続放送などの措置を取っても放送期間内に放映しきれなくなった結果打ち切られるという、かなり特殊なケース。
上記のTBSの「編成の事情」と同ケースだが、また違った理由による局の都合の打ち切り。
放送されなかった残りのストーリーはスカパーやBSで放送された。

当時のフジ深夜アニメではこの他にも深夜アニメの放映トラブルが常態化しており、結果フジにおける深夜アニメ放送そのものへの信頼が失われる事となった。
詳しくは2000年代初頭フジテレビ深夜アニメ問題にて。

  • NHK学校放送 小学校低学年向けの理科・社会科番組(1992)
打ち切りより廃止と言うべきだが、学習指導要領の改定により1991年度(1992年3月)をもって終了した。
文部省(当時)の定めた教育カリキュラムから小学1・2年の理科と社会科が無くなり、それに沿って対応する番組も終了せざるを得なくなったのだ。
該当番組は小1理科『なんなんなあに』、小1社会『それいけノンタック』、小2理科『はてなはてな』、小2社会『はたらくひとたち』の4つ。
いずれも1950年代~1960年代(!)からタイトルや内容を変えつつ長年放送されてきた番組で、パペットによる番組キャラと、お姉さん・お兄さん・おじさんなどの人間キャラやナレーターとの掛け合いで進行するのがテンプレとなっていた。
終了当時小学生だった子なら「やったくん、めるちゃん、のっくちゃん、どんとのおじさん」「ノンタック」「ポトリ、グラ、ひこ兄さん」「ケンちゃん、フムフム」などのキャラ名に覚えがあるのでは。
もうちょっと上のお兄さんお姉さんなら「みるちゃん、きくちゃん、なんだろうくん」「ヌウくん、ピコちゃん」「カンちゃん、サッちゃん」「ペペ、モコ、ひとみ博士」「タンちゃん、ペロくん」などの方に馴染みがあるかもしれない。

翌1992年度からは理科と社会科に代わり生活科が導入され、学校放送でも小1・小2それぞれに対応した生活科の番組が開始されることとなる。
小1には新番組『あしたもげんきくん』、小2には前年度から先行放送されていた『とびだせたんけんたい』が割り当てられた。

なお、小学3〜6年生向けの理科・社会科も、履修学年が4学年に縮小される関係で授業内容の入れ替えが生じた為、この前後の年度から番組のリニューアルや年度毎の単元差し替え*87が行われるなどの影響が及んだ。この為、移行前の録画ビデオを授業で使っていた小学校では「下級学年の授業で上級学年の学校放送の録画テープを視聴する」珍事が発生する事もあった。

  • アイアンキング(1985・テレビ埼玉再放送時)
本来ラスト2話は前後編構成で、前編の第25話ではアイアンキングが宇虫人(宇宙人ではない)タイタニアンに憑依されて怪獣クリケットンと共に街を破壊するシーンで終了。
しかし次の第26話で憑依が解けタイタニアンとクリケットンを倒す…はずが、あろうことか当該再放送時はこの後編を放送せず打ち切ったため、 「ヒーローが街を破壊し続けて終わり」 というとんでもないバッドエンドになってしまった。
また、アイアンキングの容姿がウルトラマンに似ていたため、「ウルトラマンが街を破壊し続ける最終回がある」という都市伝説が生まれ、伊集院光が『やりすぎ都市伝説』で取り上げる事態にまで至った。

  • BSジャパンにおける地上波番組のサイマル放送(2000)
2000年12月1日に開局したテレビ東京系のBS局・BSジャパン(現・BSテレ東)では、当初「テレビ東京が映らない地域でも番組がリアルタイムで見られる」事を目的とし、放送番組の実に7割が地上波の同時放送となっていた。
…のだが、音事協による出演者の肖像権を理由とした激しい抗議や、出演者のギャラをめぐるトラブルが発生したため、半月程でその殆どが打ち切られてしまった。
その後は一部の生放送を除いて地上波の番組は時差放送となっているが、独自編成の拡大によりこれらの番組は減少傾向にある。

  • BS FUJIハイビジョンナイター(2001)
BSフジのプロ野球中継。
横浜ベイスターズヤクルトスワローズの主催試合で対巨人戦以外の試合を水曜・日曜に約20試合程をハイビジョン生中継で放送し、BSデジタル放送の利点を活かし、特別会員のみが参加できる双方向システムを使ったゲームなどの企画も盛り込まれていた。
しかしBSデジタル放送は当時加入件数が少なくいまひとつ盛り上がらなかったのに加えて、シーズンオフに横浜ベイスターズの親会社が変わったことなどの事情もあり、BSフジは僅か1年でプロ野球中継を取りやめることになった。
それ以降はメジャーリーグ中継やオールスターゲーム・日本シリーズのサイマル放送程度に縮小されたが、2008年以降は公式戦の放送を再開し、現在は『BSフジLIVE プロ野球(西暦)』のタイトルで主にヤクルト戦を中継している。

「裏番組『夕焼けニャンニャン』の存在」「国内におけるおもちゃの売り上げの低迷」「海外でおもちゃを完売させ売る物がなくなった為」と様々な要因が重なっての打ち切り。
但し、女性層を中心にキャラクター人気は高く続編のOVAや声優達によるライブも展開され、『スーパーロボット大戦』には常連の参戦作となっているなど需要は高く、言わば「時代が早すぎた」のかもしれない。

  • ついでにとんちんかん(1987~1988)
週刊少年ジャンプ連載の、えんどコイチのギャグ漫画のアニメ化
下ネタ当たり前、 エイズやら黒人やらをネタにしたクレームもののギャグ まで飛ばす作品ながらもアニメ放送はつつがなく行われていた。
が、第42話放送を控えた1988年9月19日に昭和天皇が吐血。以後、翌年1月まで続いた天皇の闘病を鑑みて日本国内の行事やイベント、テレビ番組で自粛ムードが生まれ、このアニメも第42話の放送は中止、翌週の第43話をもって打ち切りとなった。


【番外】
『ボルテスV』は日本での放送完結間もない1978年からフィリピン国営放送で放送開始され、「放送時間には子供が町から消える」と言われる程の人気を獲得し最高視聴率58%というバケモノじみた人気があった。
しかし、当時のフィリピンにて独裁を敷いていた大統領、フェルディナンド・マルコスの鶴の一声で物語終盤に打ち切りという事態になった。
一説には最終回の「主人公達が父親の母星に行き、独裁政治を打ち破る」流れが反体制運動に発展する事を恐れたのではないかともいわれている……
が、後にNHKが再調査をしたところ、「過度に暴力的な内容」「戦時中を経験した世代が日本の作品に反発していた事」、そして「政治家へ便宜を測っていなかったために契約が打ち切られた事」が理由であると判明。
その後、1986年に発生した革命によりマルコス独裁政権が倒れ、ようやく残りのエピソードを放送する事が出来た。
なお、現在でもフィリピンにおける『ボルテスV』人気は根強く、2020年には東映の許可を得て実写ドラマ版の制作が発表され、2023年5月よりGMAにて全90話が放送された。
どうも 凝りすぎて CG班の負担がやばいらしく「5話1エピソードでボルテスが出撃するのは大抵5話目」などもあったが、基本的には元祖ボルテスのファンからも好評。国内でもスパロボチームの寺田統括Pが褒めるなど評価はそれなりに得ている。

テレビ朝日で半年間に渡って放映されたクイズ番組。
「大魔王に攫われたお姫様(野村真季アナウンサー)を助けるため、選ばれた子供達が宇宙に旅立って大魔王の手下(浅草キッド)とクイズバトルをする」というストーリー仕立ての子供向け番組である。
番組終了の経緯自体に特筆するような物はないものの、問題はその内容。
この番組では「子供達が勝つと子供達を乗せた宇宙船が大魔王に近づき、負けると遠ざかる」というシステムを採用していたのだが、
クイズが(恐らく)やらせ無しだったのが仇となって ストーリー進行がなかなか安定しない(子供達の成績に左右されるから) という問題を抱えていた。
その上、 よりにもよって最終回で子供達が敗北 *88という最悪パターンのシナリオに。
しかし、最終的にはキレたお姫様が「こんな終わり方、嫌!」と巨大化して大魔王の本拠地を踏みつぶし爆散→宇宙に輝く子供達の顔をバックにナレーション「この戦いは、今もどこかで続いている」…という超展開で幕引きするオチとなった。
もう全部あいつ一人でいいんじゃないかな

かつてはプロ野球シーズン中の火曜~日曜のゴールデンタイムでホームゲームが日本テレビ・NHK*89で、ビジターゲームが各局で合計100試合近くが放送されていたが、視聴率の低迷を受けて2000年代後半以降に地上波全国中継の取りやめまたは衛星放送への移行が開始された。
土日祝日についてはデーゲーム*90へと移行し継続している例が多いが、ナイターに至ってはNHK・日本テレビ・フジテレビを除いて撤退し、残った局でも年間1~4試合程度と単発特番に毛が生えた程度の本数しか放送されなくなってしまった。
視聴率低迷の原因は「2004年の球界再編問題の影響による巨人およびプロ野球ファンの減少」「視聴者の関心が2002年のFIFAワールドカップの日韓開催以降国際大会のあるスポーツ全般へと移り、キー局がそれに関連した大会の中継に力を入れる様になった」「レギュラー番組の度重なる休止延長に伴う録画失敗で、野球中継に嫌悪感を持つ視聴者が増加」等が挙げられている。
なおアニメ制作陣側にしては納期が伸びるので野球中継は神様みたいな存在だった
この中継廃止は巨人のチーム作りにも影響を与えており、2010年代後半以降FA補強に失敗するようになったのは「テレビ中継が廃止され巨人に憧れを持たなくなった」点も理由のひとつと言われている。
本項では野球中継が原因で打ち切りになった番組も多数紹介されているが、その野球中継も今や本項で紹介されるジャンルになった点は諸行無常を感じさせる。

  • 2時間ドラマ
2時間ドラマは最初から単発作品の場合はともかく、特に告知なしにシリーズ作品でも新作が放送されないまま実質打ち切りとなる事が多い。
2010年代以降は民放各局の2時間ドラマ枠がバラエティや映画も含めた単発特番枠に移行する形で消滅し、その傾向が強くなった。
『外科医 鳩村周五郎』は2時間ドラマでは珍しい連続もので、7作目で主要登場人物の1人が失踪、気になる終わり方をしたのだが、約10か月後に放送された8作目は 何事もなかったかの様に無関係のストーリーが展開された *91
その後は1話完結がメイン(12、13作は前後編)となり、連続2時間ドラマとは強調されていない。「連続もののストーリーを打ち切って路線変更、シリーズは継続」というこれまた珍しい作品となった。
その一方、最終回と銘打たれる事もある。『元祖!混浴露天風呂連続殺人』『家政婦は見た!』*92『万引きGメン・二階堂雪』『天才刑事・野呂盆六』『おばさんデカ 桜乙女の事件帖』『西村京太郎トラベルミステリー』『終着駅シリーズ』等が該当。
なお、2000年代までは撮影してから放送まで複数年単位で時間が空くこともあったため、打ち切りかどうかは1年経った程度では判断できるとはいえなかった。

科捜研の女』シリーズでおなじみだったドラマ枠だが、『おみやさん』のように主演の渡瀬恒彦の死去により終了となったものや、『京都迷宮案内』『京都地検の女』の様に新作が作られないまま打ち切りとみられる場合もある。
2022年秋改編で新たに火曜21時台がドラマ枠になったのに伴い、本枠は同年9月を最後に廃止された。

放映開始時点で「ここで打ち切るためお話を終わらせないといけない」が決まっていたレアケース。
メタルヒーローシリーズ第17作。いわゆるニチアサキッズタイムに放映されていた特撮ヒーロー番組。
放送・販売成績は十分好調だったのだが、3月の 放映開始直前 に東映特撮の生みの親の一人・石ノ森章太郎が逝去。 「石ノ森の一周忌企画として1月末頃に何か新番組を始めたい」 ということで、急遽終了が1か月前倒しされた。
かなり早期に終了が決定したため、トラボルト関係などの「通しで進めるストーリー」をしっかり完結できたこと、元々1話完結のストーリーが大半だったことから、制作上の問題は特に起きず後年のメタルヒーローシリーズ全体の企画でもしっかり扱われている。
そしてロボタック放映完了後の1999年には、「石ノ森がリメイクしたいと東映に相談していたことがあった」「石ノ森が挙げた中で『人造人間ハカイダー』として実現した『人造人間キカイダー』と違い、この時点では一度も公式リメイクを行っていなかった」として『がんばれ!!ロボコン』のリメイクが一周忌企画に決定。
メタルヒーローシリーズそのものを終了し、『燃えろ!!ロボコン』が放映される運びとなった。YouTube東映特撮公式だと平成ロボコンもメタルヒーローにカウントしてるっぽいが。
また、もしこれが宇宙刑事やレスキューポリスみたいな作品からロボコンに移行だったら急な路線変更で賛否両論だったかもしれないが、
「ビーファイターシリーズ(虫モチーフ)→カブタック(低頭身のファンシーロボットがビーファイターのようなデザインに変身)→ロボタック(モチーフが脊椎動物でカブタック同様に低頭身ファンシーと高頭身のカッコイイデザイン使い分け)」
といった、ここまでの流れでファンシーなロボットがいっぱい出てくる非バトル路線の作風にうまくずらしていったのも功を奏した。

メタルヒーローシリーズはこれで完結とされ、単体での作品は『宇宙刑事ギャバン THE MOVIE』までの休止期間を挟むことに。
一方ロボコンも好評なまま1年を完走。その翌年に『仮面ライダークウガ』が放映され、平成ライダーが始まる歴史にバトンをつないだ形になったほか、こちらも後に『がんばれいわ!!ロボコン』として再度の新作制作が行われた。



追記・修正は、打ち切られたあの番組達に思いを馳せながらお願いします。

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最終更新:2025年09月04日 21:20

*1 初期の『クイズダービー』も低視聴率に苦しんだがロート製薬側の要請で続行となり、これが後に功を奏する事になる。

*2 テレビ朝日では、日本の人口比率および出資するインターネットテレビであるABEMAとの兼ね合いからこの方針を取らない事を公言している(例外としてABCテレビは他局同様の方針を取っている)。

*3 番組によってはBSデジタル放送や配信で継続・復活したものもある。

*4 NHKは公共放送として持続可能な放送を目指す、つまり若い人にも受信料をきちっと収めてもらいたいという目的が大きい。

*5 当然枚数が足りないのだが、この時点で16枚目(入手できなかった回があるので19枚目ではない)なのに「不思議なこともあるものじゃ、今まで集めたパズル(15枚)が膨張して余すところこれだけ(残り1枚分)になっちゃった。」という強引を超えた展開で解決した。

*6 もっとも「タイムボカンシリーズ」は本来コメディ寄りの作風であり、『イッパツマン』はストーリーが徐々にシリアス化していくなど、むしろ路線としては異質。『イタダキマン』は路線を元に戻したと言った方が適格かもしれない。

*7 ちなみに再放送版は第一部と第二部が地続きになるように編集されている。

*8 最後の方の台本は半分以上が真っ白でほぼアドリブだったという。

*9 メインキャラの過去をはじめとした重い展開、一部のエピソードの舞台が性風俗場である遊郭であるなど

*10 13時台後半枠を2局が共有する形となっていたのは、それまでMBSとCBCがこの枠を15分ずつに分割してそれぞれドラマを放送していたものを統合した為。

*11 通常は現場録音が困難な場合、アフレコなどの音声別録りが行われる事が多い。

*12 2019年の『ノーサイド・ゲーム』の様にヒットした例もあるため、一概には言えないが。

*13 その後、読売テレビ制作のドラマ枠は2008年から木曜深夜の『プラチナイト』枠で復活しており、2020年1月からはそれまで日本テレビ単独だった日曜ドラマ枠で2クールおきに制作を担当している。

*14 「欽」は「オールスター家族対抗歌合戦」で司会を務めた萩本欽一のこと。

*15 翌年には長らく続いた日テレの『歌のトップテン』、フジテレビの『夜のヒットスタジオ』も終了している。

*16 打ち切り翌週の電波少年には4名が「大石恵三」名義でゲスト出演している。

*17 笠井はそれまで情報番組のキャスター歴は長かったが報道番組のキャスターは初めて、記者の笹栗はキャスター業自体が初めてだった。

*18 BSのニュース番組は他局含め原則1回で1つのテーマを掘り下げるものが多く、政治討論の企画も多い。また、各局に共通して芸能・スポーツネタは一切扱わない硬派な内容である。

*19 昼は『プライムニュース デイズ』、夕方は『プライムニュース イブニング』にそれぞれリニューアルし、最終版は前番組『THE NEWSα』から「α」を引き継いで『プライムニュースα』とした。

*20 初回でアレを連想させる場面があったとBPOで取り上げられる、ある回の放送直後にゲストの逮捕が発覚し、その回が即刻配信停止になる…など。

*21 『ジョンソン』との社長宅被りの件もあり、「この手の企画は低予算で撮れて低視聴率でもスポンサーが付きやすいからと局側が入れたのでは?」と推測する声も挙がっていた。

*22 『レオ』の場合はオイルショックによる影響もあったので多少は致し方ないが。

*23 脚本を手掛けた長谷川圭一曰く「放送短縮が決定した時点で脚本:村井さだゆき・監督:阿部雄一(現・アベユーイチ)による第4クールの回がクランクイン直前であった」とのことで、後に未放映のエピソードやお蔵入りとなったプロットの一部も公開されている。

*24 詳しくは項目を参照して貰いたいが、『響鬼』は路線変更の時点で撮影現場が破綻寸前であった事が広く知られるようになった点も大きいだろう。

*25 当時は現在以上に野球ファンの治安が悪いケースが散見され、早慶戦もそのひとつだったことには留意する必要がある。

*26 たけしは番組対抗特番に勝手にこのプレートを作って乱入した事もある。

*27 日本でもテレビ朝日の深夜で放送されていた。

*28 被害者のプライバシーを無視している、遺族感情を考えない制作側の自己満足など。

*29 番組で設定した1クールの平均視聴率13%に届かなかったためと、マンネリ化や不祥事が相次いだことによる。

*30 実験前と実験から1週間後との血糖値に変化が全く見られなったのか、実験前の血糖値より実験から1週間後の血糖値が、実験前のものより更に低下したのか、正常範囲外に増加したのかは不明

*31 有罪判決を受けた後は、初公判で公言した通り芸能界から足を洗い、都内でバーテンダーとして社会復帰している。

*32 いわゆる反社会的勢力との関係を持つこと。

*33 山口本人の事務所への申し出による。

*34 防御用のスパッツを履いているとはいえ、風でスカートを捲らせるなど。

*35 当時「ハコイリ♡ムスメ」のメンバーだった菅沼もにかが未成年飲酒で事務所をクビになったり、48グループのメンバーによる使用禁止の裏垢が発覚する、更にそこでジャニーズJr.と繋がったことも発覚する事例が複数回起こるなど。

*36 これは次番組『さまスポ』で出演者が言及している。

*37 SNSで公開されている絵や画像を使う事。

*38 例:「怪我や事故などで数年のブランクの後復帰した人物をそのまま消えていった天才扱いする」「そもそもプロに志願していない人物をドラフト会議で指名されなかったためプロになれなかった悲劇の天才とする」など。

*39 特にヤクルトの投手伊藤智仁を取り上げた回では「わずか2か月半で消えた天才」と番組側が強調しており、ヤクルトファンを中心に「あまりにも強引、でっち上げすぎる」と批判されていた。

*40 事前にスタッフが検証した時には浮かなかったが、本番では1.3m程浮いてしまったらしい。

*41 木本は7月9日放送分から番組を欠席しており、その間同じ松竹所属の芸人が代理で司会を務めていた。

*42 当初は収録済みの26日放送回については放送する予定だったが、前日に急遽別番組への差し替えが決定した。

*43 カマキリ先生自体は『インセクトランド』以外でも昆虫を扱ったEテレ子供番組でよく香川が扮して登場していたキャラクターである。

*44 当人は最終的に納得したそうで、本編も子供と一緒に見ていたらしい。

*45 延期後の放送の際も暁美ほむらの台詞の一部がカットされたため、TV放送版では数秒間無音になる部分が存在する。この部分の台詞は映画『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [後編] 永遠の物語』で聞くことができる。

*46 各局の年越し番組にセイコーがスポンサーに入ること。

*47 元々日本テレビの月曜午後7時~7時半は東京ムービー新社(現:トムスエンタテインメント)の所有する枠で、『マッハバロン』の前番組は梶原一騎原作のスポ根アニメ『柔道賛歌』だった。

*48 ファミコンブームの到来やメインユーザーの年齢的な成長等も理由の一つではあったが、アニメが終わる理由を「人気がなくなったからだ」と判断した各模型店がミニ四駆を仕入れなくなったのが理由。

*49 但し独自でスポットニュースを編成している系列局は20時54分頃に終了せざるを得ないため、番組の終盤は容赦なくカットされており見逃し配信などでカバーする必要がある。

*50 なお、これは独占禁止法の違反行為である「優越的地位の濫用」に相当することが示されている。

*51 地上高やトランクの採寸を行うゼブラ式のハンドメイド棒のこと。三本は毎回質問する際に「不躾ですが…」と切り出していたことから、この名前が付いた。

*52 皮肉にも当時のパイオニアの主力製品であるレーザーディスクのCMにはとんねるずが起用されていた。

*53 尤も横山は収録をサボるようになったことから番組終了前の1984年11月に降板させられている。

*54 『おしゃれ』だけ残ったのは、新番組が万が一早期打ち切りになった際の「保険」と、制作に久米の所属事務所が関与しておりスケジュール調整が容易だったためと久米が著書で述べている。

*55 もっとも、平均視聴率は18.8%と決して悪くはない。

*56 若手芸人が上沼から褒められた際、司会の今田耕司が本番組への出演決定を示唆するもの。

*57 この手の番組では間を維持するためにゲスト毎にアクリルの板を設けた例もあるが、番組は原則関西ローカルで、キー局に比べて予算が厳しくゲストのキャスティングもあってそうした施策も取りづらかった。

*58 『今!この顔がスゴい』→『櫻井有吉アブナイ夜会』→『櫻井有吉THE夜会』→『櫻井有吉THE夜会HOUSE』の順。

*59 この番組に限らず、高校講座やその他小・中学校向け学校放送は、一度新規制作したら学習指導要領改訂に伴う内容や演出等の見直しが無い限り数年間は同じ内容を再放送する事が多く、「家庭総合」も2020年度に収録した内容を翌年度以降も継続放送していた。

*60 系列局のローカル番組をキー局系CSで全国放送する例は『水曜どうでしょう』『ゴリパラ見聞録』があり、これと同様の扱いになるのは人気のステータスと伺えよう。

*61 不正解の場合は段位に関わらずスタートに逆戻り。2問不正解で一時回答権を失うが、誰も答えられなかった問題に正解すれば回答権が復活。

*62 同社は「カウキャッチャー」と呼ばれる番組が始まる時刻から30秒程流れる提供テロップには出ないスポンサーのCM枠を担っていた。ちなみに番組終わりに流れる同じような枠は「ヒッチハイク」と言う。

*63 ただし完全に協賛を降りたわけではなく、後番組の『クイズ!!ひらめきパスワード』初期の「チャレンジクイズ」突破時の海外旅行の進呈はノンクレジットで行っていた。

*64 番組はロート製薬の一社提供で、後番組の『クイズ!!ひらめきパスワード』にも続投している。

*65 主に味の素を入れるシーンが多かったが、他には揚げ物の際にコーン油を使う、お菓子を作った際の付け合わせに子会社であるAGFのコーヒーが出るなどの例があった。

*66 但し実写版『レッドバロン』は、ストーリー自体は完結している。

*67 平山亨プロデューサーも詳しい事情を把握していなかったらしく、後年に「不思議だった」と語っている。

*68 もっとも、タカラは独立直後のサンライズにクローバーを紹介していたり、両社は付き合いの古い仲であった。

*69 ネットの一部では「スタッフが資金を持ち寄った」という説もあるが、アニメ1話分を制作するのに少なく見積もっても1000万円程掛かるため、いくら高給取りでもシリーズの制作を賄う程の資金供出を個人単位で続けることは不可能である。またノーギャラで制作したと解釈したしても労働問題に発展しかねない。

*70 真面目な話では「反体制的な内容、革命的な内容が入っているからなのでは?」とも言われる。

*71 このため、当時の名古屋市営地下鉄にはスポンサー募集の広告が掲示されていた。

*72 例として、既存局側の放送打ち切りから新規局の開局またはサービス放送開始までのブランクがある。

*73 資本系列に対して捻れていたネットワーク体系の解消を目的として、1975年3月31日から毎日放送がTBS系列、朝日放送がNET(現・テレビ朝日)系列にネットチェンジしたもの。

*74 スポンサーの都合上放送を続けた番組も僅かながら存在する。

*75 放送枠がなかっただけでなく、規模の小さい局故に番組を買える資金がなかったのが原因。そのためスポンサーがついた番組しか買えなかった。

*76 4時起点の終日編成だったが、朝10:00~24:00までの放送となる。

*77 日本テレビ系の『TV海賊チャンネル』、テレビ朝日系の『ミッドナイトin六本木』、TBS系の『ハロー!ミッドナイト』、テレビ東京系の『夜はエキサイティング』。

*78 その件で巨泉はTBSに直談判し、後継番組である『THEプレゼンター』を立ち上げさせた。こちらは『ギミア・ぶれいく』と違い特集コーナーだけの放送となっている。

*79 しかもこの上岡の番組も後述の枠改名と消滅にあわせ「上岡龍太郎vs50人」→「上岡龍太郎がズバリ!」と内容が一緒なのに番組の改名を強いられたとのこと。

*80 なお、日テレではこの編成の名残りから平日19時台の番組には2010年度から2015年度にかけて『1900(イッキュー)』という番組レーベルが付けられていた。

*81 女装したオカマが登場する、犯人が同性愛志向のある自慰行為をするシーンがある点が問題になったという。

*82 前述のように同タイトルのテレ朝版が既に存在するが、新聞の番組表にあるサブタイトルから日テレ版なのは確認されている。

*83 普段は「次週おたのしみに」であった。

*84 この対応は2005年の番組リニューアルの際にも取られ、わさドラ版の初回は『勉強べやのつりぼり』が選ばれた。

*85 一部系列局では裏送りで元の時間のまま継続した。大阪の朝日放送での先行放送の体制も維持された。

*86 中国で死刑囚の臓器が売買されていることを告発する内容だったのだが、証人として出演した警官が実は警察とは関係ない一般人であり、また死刑囚の家族とされる人物も実際は死刑囚とはなんの関係もない人物だった。

*87 例としては、理科の授業において6学年時代では6年生で行っていた「てこのはたらき」の単元が4学年に縮小される際に5年生に移行されたケースがある。また、生物分野は6学年時代は6年生で集中的に履修する形だったが、4学年化に際して3・4・5・6年の各学年に分散して履修する形となった。

*88 子供達の方が優勢で、最終問題前に得点差が開き切って勝利が確定してしまっていた。これでは最終回の盛り上がりに欠けるため土壇場で「最終問題で正解できなかったら大魔王に回答権が移る」に変更したのだが、結果子供達が最終問題で誤答してしまい、大魔王が逆転勝利してしまった。

*89 2006年からはテレビ朝日・テレビ東京も参入したが両局とも2008年を最後に撤退している。

*90 こちらは観客の足を運びやすくするという興行面での配慮もある。

*91 7作目で失踪した人物はその後登場していない。

*92 こちらはのちに米倉涼子主演で復活している。