スペースコロニー。
それは宇宙空間に佇む巨大な人工島である。
基本的に密閉されたシリンダー様の形態をとり、その中では100万~200万人程度の人々が居住している。
それらが密集したコロニー群はサイドと呼ばれ、現在宇宙には7つのサイドがあった。
月面都市と共にコロニーこそが宇宙における人々の生活拠点であり、故郷でもある。
そんな7つのサイドの内の1つ、サイド6。
今回の戦争において連邦軍にもジオン軍にもつかず完全中立を宣言したサイドである。
その為サイド6は戦禍を免れ、今回の戦争の中では比較的被害の少ないコロニー群でもあった。
サイド6に属する密閉型コロニー『パ・ア・ソーク』。
このコロニーもまた、戦争による被害の少ないコロニーの一つだった。
密閉型のコロニーの全てがそうであるように、パ・ア・ソークの中もまた人工照明により照らされており、人々はその光により生活している。
照明は時間によりそれぞれ朝、昼、夜を再現しており、地球や開放型のコロニーと同じように1日がある。
そんなパ・ア・ソークの中で、居住区から離れた産業区の一角にとある施設があった。
一見地味で目立たないが、堅牢な壁に守られ屈強な警備員の姿も見れる。
その施設の、幾重にも張り巡らされたセキュリティーの奥にある一室。
そこに一人の少女がいた。
見たところ十代半ばの、雪の様に真っ白な長髪が印象的な少女である。
また額で切りそろえられた前髪が個性的だった。
部屋は彼女の私室と言うにはあまりにも簡素だった。
ベッドと机と本棚は置かれているが、それ以外のものは何もない。
必要最低限のものしか置かれておらず、天井も壁も真っ白なその部屋にはひたすらに冷たい空気が漂っていた。
少女の部屋らしい華やかさなど微塵もない。
少女は窓の縁に腕を置いて外を眺めていた。
しかし外とはいえ見えるものなどビルの群れだけである。
密閉型のコロニーの性質上、開放型のコロニーの様に巨大な天窓から宇宙が覗くことも無い。
上を見上げれば、巨大な天井に逆さ釣りになった街が見えるだけである。
もしも地上生まれの人間がある日突然このコロニーに移り住んできたとしたら、きっと気が滅入るだろう。
実際、地上帰りの研究員がこっそり辛気臭いコロニーだとぼやいていたのを彼女は覚えていた。
ただコロニーで生まれ育った彼女にとっては日常の光景であり、何の違和感もなかった。
それでも、彼女はふと思い出してしまう事がある。
かつて見た宇宙空間いっぱいに広がる全方位の星空を。
あのなんともいえない開放感と充足感を。
それはさほど遠い思い出ではなかったが、彼女にとってはまるで前世の記憶の様に感じられた。
それほど今の彼女の生活はかつてとは変わってしまったのだ。
せめてここが開放型のコロニーならよかったのに、と彼女は思う。
このコロニーを出て何処か別の世界へ行く事が出来たのなら。
そんなことを心の中で願ってしまう。
しかし彼女にはこのコロニーはおろか、この施設からも自由に出ることが許されていなかった。
人工照明の明かりが暮れてゆく。
彼女は窓の外から目をそらすとベッドへ腰掛けた。
目を瞑る。
脳裏に昨日実験に連れて行かれた仲間の顔がよぎった。
他の仲間がそうであったように彼もまたこの施設へは帰ってこなかった。
彼は大丈夫だろうか。
仲間の無事を願う反面、彼女にはその仲間が永遠に戻ってこないことが分かっていた。
一体これで何人の仲間がこの施設から居なくなったのだろうか。
数ヶ月前まではこの施設には沢山の仲間が居たのに、今となっては数えるほどしか居ない。
中には無事にここから巣立った仲間も居るが、しかしここを出た所で行き着く先は軍か、それに属する研究所だ。
戦わせられるか、モルモットにされるか。
彼女にとってそんな事は些細な差でしかなかった。
どちらにせよ他人の意図で操られるだけの人形にすぎない、と彼女は思う。
ふと、今度は別の仲間の顔が思い浮かんだ。
妹の様に可愛がっていた、まだあどけない少女だ。
この状況を打開するにはあの子のようにここから逃げ出さなければいけないのだろう、と彼女は思った。
だけど私にはあの子のように出来そうに無い。
私はただここから救い出してくれる誰かを待つばかりで、それさえ叶わぬ願いと諦めている。
天井を眺める。
胸の中に大きな穴が開いたような気持ちだった。
その感覚がすごく虚しくて、恐ろしくて、彼女は思考を閉ざす。
そうして眠りに落ちてゆく。
せめて夢の中に祈りを託そう。
そしてまどろみの中に落ちていった。
何の明かりも無い暗闇だった。
その暗闇は果てしなく続いていて、上も下も左右も分からない空間だった。
ひたすらに怖かった。
『誰か!』
そう叫ぼうとして声を張り上げる。
だけど口から出てくるのは「キィ」という鳴き声だけで、言葉にならない。
私は余計に怖くなって、誰かの姿を求めて彷徨った。
必死に探し回った。
それがあまりにも必死だったせいだろう。
最初は気づかなかったが、私は走っているのではなく暗闇の中を羽ばたいていた。
ふと、俯瞰した自らの姿が見えた。
どうも私は鳥になっているみたいだった。
それで気がついた。
これは夢なのだ。
いつも見る同じ夢。
だからこの先の結末も分かる。
だからこそ怖かった。
ぽろっ、と腕、いや翼に不快な違和感を感じた。
咄嗟にその翼を振り返る。
闇のかなたに飛んでゆく一枚の羽が見えた。
それを皮切りにボロボロと、羽ばたく翼から無数の羽が抜けてゆく。
次から次へ、ボロボロ、ボロボロ。
それと同時に私の体は浮翌力を失い、暗闇の中へ落ちてゆく。
景色は変わらぬ暗闇。
なのに、ひたすら奈落へ落ちてゆく感覚だけが肌を伝う。
気が狂いそうなほど恐ろしかった
そこで目が覚めた。
いつも通りの無機質な天井が瞳に映る。
本当だったら好きになれないはずのこの天井でさえ、今は安堵感を与えてくれた。
しばらくの間、そのまま天井を眺める。
そして上半身だけをおこす。
全身冷や汗をかいているようだった。
そして何の気なしに窓の外を眺める。
やはりいつもと同じ無機質な景色。
それを眺める彼女の心も、いつもと変わらぬ、大きな穴が開いたような虚無感に支配されていた。
フラナガン=ロム博士は自らが所長を務める研究所の所長室で資料の束を読みふけっていた。
彼は、ニュータイプ研究の第一人者にしてフラナガン機関の設立者である。
フラナガン機関とは、ジオン公国軍突撃機動軍司令キシリア=ザビ少将の権限の下に設立されたニュータイプ研究機関だ。
ニュータイプの軍用兵器への応用が研究の主眼に置かれ、中でもNT特有の脳波を増幅させる装置”サイコミュ”がその研究の根幹を成していた。
サイコミュをMSやMAに搭載すれば、より早く敵を察知し、より機敏に機体運動を行い、より正確に敵への攻撃を行なう事が出来る。
それがフラナガンのサイコミュ理論だった。
しかしその実用性に対して、彼は軍の高官達から懐疑的な目を向けられてきた。
特に彼にとっての逆境は、ジオン公国総帥であるギレン=ザビもまた、NTの軍事転用に懐疑的な者の一人だったという事である。
キシリアの庇護の下にあるとはいえ、ギレンに機関の解散を命じられればなす術は無い。
また、ジオン公国の中で政治的・軍事的影響力を拡大しようとしているキシリアの要求もあり、彼には早急に結果を出す必要があった。
その為に彼はなりふり構わず、あらゆる手段を使って研究を進めた。
その結果、遂に彼の研究は実を結ぶ所まできていた。
NT用のMAの試作は既に完了し、NTの搭乗試験によりその強大な能力も実証されたのだ。
キシリアの構想であるNT部隊の創設。
その為にはサイコミュを搭載した兵器を量産し、それに搭乗できるNTパイロットを多く揃える必要があった。
NT用MAの試作機が完成した今、サイコミュ兵器の量産の実現は秒読み段階に入ったと言える。
ただし問題はパイロットの方にあった。
既にララァ=スン、クスコ=アル、シャリア=ブルなど優秀な能力をもつニュータイプを手に入れてはいた同機関だったが、その数はまだまだ不十分だった。
その為、各地からNT適正者を掻き集めては来たが、機関が要求するだけの能力を持っているものは殆どいなかった。
そこで彼はサイコミュの研究に並行し、ニュータイプ能力そのものを開発する研究にも力を入れる事となる。
フラナガンが目を通していた資料は、その研究に関するものだった。
その脇では彼の助手と見られる若い研究員が顔面蒼白のまま立っている。
時折フラナガンは資料と若い研究員の顔を交互に見つめた。
その表情は明らかに激怒している。
「Cランク以下の適正者54体への”能力開発”の結果、38体が廃棄か。散々な結果だな。」
低い声でフラナガンは若い研究に呟いた。
「だが、それはまだいい。問題は分かっているな? 能力開発の結果、有意な能力向上が見られた被験体4体の内、コードネームNT-004が失われたというのはどういうことだ」
そう言って若い研究員につめよるフラナガン。
若い研究員は余計に顔面蒼白になりながら、焦って弁解した。
「どどど、どうやら施設内に連邦のスパイが紛れ込んでいたようでありまして、それで、そのスパイに、あの、その。え、え、NT-004を奪われたようでありまして……」
その研究者のセリフを聞いてフラナガンの怒りが爆発した。
「この馬鹿者がっ! 我々の研究の結晶を、みすみす連中に奪われるとは、貴様、ただで済むと思うな」
「ももも、申し訳ありません所長! もも、もう二度とこのような失態は致しません!」
「黙れ。そして、今すぐ私の部屋から出てゆけ!!」
「はっ、はひっ!!」
そう返事すると若い研究者は一目散に所長室を後にした。
「無能めが」
そう言ってフラナガンは頭を抱えた。
自らが心血を注いできた研究の成果を敵に奪われたのだ。
これが軍の上層部に知れれば大問題となる。
これでは何のために己が研究を続けてきたのかも分からない。
そう考えると怒りが収まらなかった。
それでもなんとか気持ちを落ち着かせ、もう一度資料を見る。
不幸中の幸いといえば、能力開発に成功した適性者がまだ3体手元に残っているという事だ。
連邦に奪われた被験体も含め今回実験に成功した4体にはそれぞれNT-001~004のコードネームが与えられていた。
その内NT-004を連邦に奪われた訳だが、それ以外の001~003を基調にデータを取れば研究も飛躍的に進むだろう。
そうすれば念願のNT部隊も創設できる。
その暁にはMS開発でも、NT研究でも後手に回っている連邦など敵では無くなるだろう。
そうに違いない。
そうでも思わなければフラナガンはやっていられなかった。
「資料上は、この4体の結果は良好だな。特に001のレイラ=レイモンドは数値的にはクスコ=アルに匹敵するレベルにある」
ふむ、と一人頷くフラナガン。
「001は実戦でのデータ収集も兼ね、キシリア様の下へ手土産として送るとしよう」
そう言ってフラナガンは002と003のデータに目を通す。
「あとはこの002と003をここで調節するとしよう」
そう決めるとフラナガンの肩が少しだけ軽くなった。
「そうだ、これでいい。地上でも新たに適正者が発見されたというしな。ふん、プロトタイプの1体くらい塩として送ってやるわ」
フラナガンは笑みを浮かべた。
「さて、それでは早速プロトタイプの視察をするか」
そう言うと彼は所長室を出て歩き始めた。
フラナガンは施設の厳重なロックを幾つか解除し、被験体の収容されている部屋の前で立ち止まった。
その扉には「NT-003」と記されている。
フラナガンは電子ロックを解除する。
部屋に入ると、中には白い長髪の少女が佇んでいた。
少女の顔を覗き込む。
フラナガンを見つめ返す端正な顔の少女の表情は、恐怖でゆがんでいた。
そんな彼女を嘲笑するように、フラナガンは笑顔で口を開いた。
「やあ、クー=スーナ。いや、NT-003と呼んだほうがいいかな?」
そう言ってフフフ、と笑うフラナガン。
クーの瞳には、そんな彼が底なしの闇として映っていた。
――また、私は闇の中にいた。
誰もいない世界。
恐ろしくて、寂しくて、私は必死に羽ばたく。
そしていつもの様に羽は抜け落ちて、私は闇に吸い込まれてゆく。
苦笑する。
私はいつもこれを夢だと思っていた。
しかし、これは夢なんかじゃない。
現実もまた、この夢と同じ闇なのだ。
夢にまどろんでいても、目が覚めても変わらない。
いや。
もういっそこのまま夢の中で闇に溶けてしまいたいと私は思う。
それでも、朝が来る。
望まなくても。
そしていつもと同じように、無機質な天井がクーを迎えた。
彼女は額に手を当てたままベッドから起き上がる。
やはり全身に汗をかいていた。
この二ヶ月、毎日同じ夢を見ているのに、恐怖心は一向に薄れる事はなかった。
むしろ、現実世界にいっそうの恐怖を覚えている点で、彼女の恐怖心は大きくなったといえる。
窓の外を見る。
いつもの様に、シリンダーの中に形成された町並みが目に映った。
その光景になんとなく、彼女は巨大な檻を連想していた。
やがて彼女は窓の外から視線を逸らした。
そして寝巻きから被験者用の白衣に着替え、部屋の中でただ呆と本を読む。
やがて定時になると研究員が部屋のブザーを鳴らした。
本を閉じ、インターホン越しにそれに答える。
そしていつもと同じ研究室に誘われた。
11月中旬
様々な機器に囲まれた研究室の中に、二人の被験者がバイタルチェック用の機器を体に取り付けられ座っていた。
フラナガンはその二人の様子を黙って眺めている。
フラナガンがキシリア少将の下へNT-001を送り出してからの既に一月以上が過ぎていた。
その実戦データを基軸に、NT-002とNT-003にはそれぞれ異なった調整が行なわれていた。
能力開発を行なわれた適正者には特有の情緒や能力の不安定性が見られる。
中でもNT-002は激情的で、能力の不安定が著しかった。
その為、NT-002には個性を抑える事で情緒を安定させ、同時にNT能力を安定化させるための調整が行なわれていた。
それに対しNT-003の能力は比較的安定していた。
その為フラナガンは彼女に対し、更なる能力を引き出すべく調整を行なっていた。
フラナガンは資料に目を落とす。
一ヶ月に及ぶ調整はそれなりの成果を挙げたが、それでもフラナガンの要求する水準には達していなかった。
フラナガンは被験者への調整を次の段階へ進めるべきか悩んでいた。
このまま能力開発のレベルを上げていけば、その分被験者への負担は増加する。
もしもそれにより被験者の精神や肉体が崩壊してしまえば、今までの努力は水泡に帰してしまう。
所有する適正者の数が僅かである現状で、それは最も避けたい事態だった。
だからと言ってこのまま悠長にやっている暇も無い。
地球方面軍が総力を挙げて決行したジャブロー攻略作戦の失敗以来、軍の要求は過剰になっていた。
このまま被験者を実戦に耐えうる水準まで調整できなければ、計画そのものが凍結される恐れもあった。
「やはり、ララァ=スンやクスコ=アルのレベルまでは難しいかも知れんな」
傍らに立つ助手にそう呟いた。
「そうですね。NT-003は希望をもてますが、002はこのままでは」
「ふむ。かと言って我々に失敗は許されん。この際不本意だが、保険に頼るしかなかろう」
「保険と言いますと」
助手は不思議そうな顔でそう返した。
「準サイコミュとEXAMの実用化だ」
「EXAMシステム……、例のクルスト博士の」
「そうだ。君はクルストの下で研究をしていたから多少は知っているだろう」
「えぇ、オールドタイプにニュータイプと匹敵する認知能力を与えるシステムですよね」
「そうだ。オールドタイプでも扱える点に着目した点では準サイコミュに類する装置と考えていい」
「しかしEXAMの研究資料は全てクルスト博士に奪われたのでは」
「奴の研究の基礎的な部分は未だ残されている。それを元に新たなるシステムを作る」
フラナガンの言葉に助手は戸惑った様子だった。
「ですが所長。準サイコミュはともかく、EXAMはあまりに癖のあるシステムです。あれを実用化するというのは」
「私が着目したのは、奴の研究の主眼がビットなどのサイコミュ兵器ではなく、機体運動の補助と認識力の拡大に置かれていた点だ。その点でのみ、奴の研究を利用する価値がある」
助手はフラナガンの話に聞き入り、フラナガンもまたそのまま話を続けた。
「つまり、サイコミュによるオールレンジ攻撃という選択肢をあえて捨て去り、ニュータイプの持つ力を索敵や機体操作のみに振り分けるのだ。NTから引き出す能力を一定まで制限し、そのサポートデバイスとしてEXAMを用いるのだ」
フラナガンがそう言うと、再び沈黙が流れた。
「君がクルストの研究を毛嫌いしていたのは知っているよ」
フラナガンがそういうと助手は俯いた。
「安心したまえ、私も奴の研究は好かん。私が目指しているのはあくまでもEXAMの部分的流用にすぎん。EXAMの名を出したのは君に分かりやすく説明する為だ。このシステムの名称はサイココントロールシステム(PCS)とするつもりだ」
「サイココントロールシステム……」
「そうだ。PCSはランクC以下の適性者の能力でも扱える。専用に高機動化させたMAやMSと組み合わせれば、既存の兵器と一線を画すだけの性能は発揮するだろう」
「そこにNTでなくともオールレンジ攻撃を行なえる準サイコミュを組み合わせる、と」
「察しがいいな。その通りだ。PCSと準サイコミュを組み合わせる事で、戦闘の面に関してはCランク以下の適性者であってもAランククラスの強力な力を発揮する事が出来る」
「なるほど、両者が実現できれば適性者の強化計画の担保としては完璧ですね」
「保険を用意するのは早いに越した事は無い。ジオニック、ツィマッド、MIPに準サイコミュの共同計画を持ちかけろ。3社を競合させ、より優秀な開発プランをキシリア様へお持ちする」
「それではサイコミュの情報が彼らに流れてしまいますがよろしいのですか」
「構わん。連中に渡すのはあくまで一部の情報だけだ。本来のサイコミュ開発と適性者の能力開発は我々が独自で続行する」
「了解です。それでは早速準備に移ります」
「頼んだぞ」
そういうと再びフラナガンは被験者達に目を向けた。
PCSや準サイコミュでも確かにサイコミュの代替はできるだろう。
しかしそれらであっても、フラナガンの期待する性能が得られるとは限らない。
「全ては適性者の力を引き出すことさえ出来ればよいのだ」
嘆願するようにフラナガンは呟いていた。
バイタルチェックが終わると、クーとNT-002の青年はベッドに拘束されていた。
頭部には顔の上半分をすっぽりと包むヘルメットのような機器が取り付けられている。
四肢を見れば幾つかのチューブが腕に突き刺さっていた。
ヘルメットの様な機械は脳波をとるためのもので、チューブはNT能力を引き出す為の薬物を投薬する為のものだった。
クーの視界は脳波測定用の機器を取り付けられているために真っ暗だった。
彼女の最も嫌いな時間だ。
嫌悪感と恐怖でいつも気持ちが一杯になる。
ただ、そんな感情も四肢の血管へ薬物が回ってゆく度に薄れてゆく。
意識そのものが呆っとして、まるで酩酊しているような感覚だった。
そうしている内に心が真っ白になっていく気がした。
リラックスしている、というのとはまた違う。
例えるなら、無理やり心を漂白されているような感覚だった。
そこに安堵感や心地よさを感じる事はなかったが、恐怖も嫌悪感も感じない。
やがてそんな心にあわせるように、真っ黒な筈の視界が段々と明るくなっていく気がした。
「博士。NT-002、NT-003共に感応状態に入った事を確認しました」
被験者二人の脳波状況を映し出すモニターを見ながら、研究員の一人が言った。
「よし、レベル1でサイコミュを起動しろ」
フラナガンがそう言うと、研究員は「はっ」と返しサイコミュを起動させた。
ふと、真っ白だった視界に色が生まれた。
薄い、流動的な色。
オーロラのような光景だった。
無感になっていた心に初めて安堵感が生まれる。
色はやがて光の様に輝いて私を包む。
心地よい温かさを感じた。
『やあ』
ふと、知っている声が聞こえた。
「カインさん?」
クーはそう言って辺りを見渡した。
実際にはそうした訳ではない。
意識の中の彼女自身のイメージがそうしたのだった。
ただ、彼女はそこにカインの姿を見つけることは出来なかった。
見えるのはオーロラのような光だけだ。
『クー、元気にしてるかい』
カインと呼ばれた何者かは優しげな声でそう言った。
クーは黙した。
正直に言って、彼女の精神は日々磨耗していた。
「ううん」
クーは素直にそう答えた。
『クー……』
それに返すカインの声は悲しげだった。
ふと、クーは彼女を取り巻くオーロラの輝きが増したように感じた。
それと同時に強い安堵感が心に広がる。
その心に、ふとカインの感情が入ってくるのをクーは感じた。
様々な感情が入り混じって。
言葉には言い表せないが、しかしその全てをクーは理解していた。
『クー、君が感じている通り、僕の心は日々壊れていってる。ここでの僕がはっきりしていくほど、ぼくは――』
カインの言葉にクーは何も返せなかった。
NT-002という被験者であるカインは、研究室で会うたび虚ろになっていた。
かつて何十人もいた被験者の子供達の中で、20歳の彼は最年長だった。
そんな彼は子供達の兄のような存在であり、時に父のようでもあった。
みんなカインのことが大好きだった。
だけど、研究室で会う現実の彼は、死に隣したようにやつれて、かつての面影は微塵もなかった。
「カインさん、私、どうすれば……」
張り詰める思いで、クーはそう言った。
途端、オーロラの輝きは一層増した。
『クー、君に僕の力を託す』
「えっ」
クーは絶句した。
その言葉だけでカインが何を言っているのか分かってしまったのだ。
「だめ、それじゃあカインさんが」
『そうすれば君は科学者達の手を借りなくても力を発揮できる』
「そんなのいい! 私は!」
『僕はもうだめなんだ、クー』
カインは悲しげな声で話を続けた。
『ここに居た皆が苦しんで、僕はそれを守れなかった。そんな僕だけがまだここに残っている。だからせめて今の僕に出来る唯一の事を、僕の願いを君に託させて欲しい』
カインの感情がクーの心に突き刺さる。
カインの気持ちは痛いほど分かっていた。
子供達の中で比較的年長であったクーも、妹や弟のようだった子供達を守りたくて、だけど守る事が出来なかった。
だからこそ、カインの言葉が何より辛い。
「私を一人にしないで下さいっ!!」
それをどうする事も出来なくて。
クーは我が侭だと知りながらそう叫んでいた。
そんな彼女を癒すかのように、光がクーを包み込む。
クーの頬を涙が伝った。
『耐えるんだクー。きっと時が来る』
最後にそんなカインの声が聞こえたかと思うと、クーの意識は光の中に溶け込んでいた。
「どうしたというのだっ!!」
突如NT-002とNT-003の二人の脳波が異常値を示したのを見て、フラナガンが叫んだ。
「わかりません! サイコミュの出力をレベル3まで引き上げた途端に――」
「今すぐサイコミュを切れ! すぐに二人の処置をしろっ!!」
研究員の返答にフラナガンが怒号を飛ばした。
すぐに救護班がNT-002とNT-003の治療を行なう。
「いやあああああああああ!!!」
NT-003の錯乱し、泣き叫ぶ声が研究室中に響いた。
「鎮静剤を打て」
救護班のチーフがそういうと、NT-003の腕に精神を沈静化させるための薬剤が注射される。
鎮静剤の効果があらわれるまで、クーは力の限り泣き叫んでいた。
サイド6、パ・ア・ソークコロニーに向かう一隻の船が宇宙を航行していた。
小型の一般的な貨物船である。
だが、その船は貨物船の他にもう一つ裏の顔を持っていた。
それはジオンの密輸船としての顔である。
サイド6は中立のコロニーであり、特別な許可が下りない限り連邦・ジオンの両軍の軍人の渡航は禁止されている。
無論、表向きにはサイド6内に両軍の軍事施設は存在しない。
しかし実際には、サイド6の中立地域という立場を利用すべく、一般の組織に偽装した軍事施設がサイド6内には存在していた。
パ・ア・ソークにあるフラナガン機関の研究所もそのひとつである。
このような組織へ軍関係者が赴く場合、貨物船などに乗り密航するか、偽造パスポートを使うしかなかった。
その為、フラナガン機関へ向かうのび太もまた、この貨物船の船員にカモフラージュし乗船しなければならなかった。
のび太は貨物船の窓からコロニーを眺めていた。
「君は宇宙に出たのは初めてだから、コロニーを生でみるのも初めてだろう。どうだい、でかいだろコロニーってのは」
普通の貨物船の作業員服に身を包んだジオン兵がのび太に語りかけた。
「ハイ」
そう答えたのび太は素直にその光景に感動していた。
そして同時に、昔ドラえもん達と宇宙に出て様々な冒険をした時の記憶を思い出していた。
みんなで改造したプラモの戦車で、ちっちゃな宇宙人の王子様を助けたりしたっけな、と思い出にひたる。
あの頃にはもう戻れないかもしれない、とのび太は思った。
地球を発って、宇宙に浮かぶこんな人工島のもとまでやってきてしまったのだ。
ドラえもんだって、そんなのび太を見つけるのは難しいだろう。
ドラえもんどころか、ホライやしずちゃんとも会えないかもしれない。
それが辛くないはずは無い。
しかしそんな気持ちとは裏腹に、のび太は既に自分を飲み込んでいる運命を受け入れつつあった。
例えドラえもんが助けてくれなくても生き延びなければならない。
助けてくれないからこそ、自分の力で生き延びなければならないのだ。
状況はのび太がジオン兵として生きざるを得ないように追い込んだ。
だから、のび太は兵士として強くなるしかないのだ。
自分を守る為に。
そして、自分を送り出してくれたライやフレン達の為にも。
最終更新:2009年10月19日 11:22