登録日:2025/09/13 Sat 18:25:09
更新日:2025/09/18 Thu 21:03:17
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概要
通勤ラッシュが激しくなった
東海道線東京口の混雑緩和対策として、1962年に登場した近郊形電車である。
当初は従来使われていた80系の3扉化やラッシュ対策として4扉車(これはJR化後に
E231系で実現)も検討されていたが、先に登場した交直流電車の401/421系の設計が好評だったことからこれの直流版として開発された。
東海道線全エリアに加え、
横須賀線・
阪和線・房総地区や
山陽本線など温暖な直流電化区間で使用された。
総製造両数は2984両にも及び、
103系・
485系と並び国鉄を代表する電車のひとつである。
車両解説
前述したように車体構造は401/421系に準じた3扉のセミクロスシートで、前面形状は踏切事故対策として、急行形電車153系500番台に準じた高運転台が採用された。
機器類についても401/421系に準じているが、付随台車はディスクブレーキ付きのTR62形に変更されている。
基本形式はクハ・モハ・サハ・サロの4種類で、電動車は1963年の新造車から主電動機に出力が120kWに向上したMT54を採用し、形式は113(112)形に変更された。なお、先頭車・付随車は111(110)形を名乗っており、無論相互の併結も可能だった。
また、下り方面のクハはコンプレッサーを搭載する関係から300番台に区別されている。
塗装は既に旧型国電で採用されていた湘南色とスカ色が最初に登場したが、湘南色は急行形の153系と前面で区別がつくように、下部の緑色塗装がV字になって貫通扉で途切れるデザインとなった。
また、スカ色は当初湘南色と同じ塗分けで登場したが、クリーム色が強すぎるとの現場の評価から、途中で青の面積を増やしたものに変更された。
なお、湘南色にもうっかり間違えてスカ色と同じ塗分けで出場した個体が存在する
番台別解説
初期増備グループで、東海道線・横須賀線・京阪神地区に導入された。
側面窓が非ユニットサッシなので全体的な印象は丸く、ライトも大型の「デカ目」と呼ばれるタイプだった。
当初の増備車は通風器がグローブ式となっていたが、1968年の増備車からは押し込み式となっている。
1970年には国鉄の近郊形では初となる冷房改造車が登場しており、こちらは京阪神地区に導入された。
1969年から登場した、
総武快速線開業に備えて増備されたグループ。
地下線対応のため、当時の運輸省が制定したA-A基準対応の難燃構造が採用された。
難燃対策以外では、列車便所が垂れ流し式から循環式へ変更されている。
1972年からは総武快速線のATCに対応した先頭車が増備されるようになり、マイナーチェンジを実施した1000’番台が登場。
このグループからは車両冷房の搭載や側窓のユニットサッシ化、乗務員室後部の窓構造変更や前照灯のシールドビーム化も行われた。
結局横須賀・総武快速線での本格運用はこの1000’番台となり、従来の1000番台は房総地区や東海道線で使用されることとなった。
また、「クハ111-1111」というありがたい番号の車両も存在し、平成11年11月11日に行われた横須賀・総武快速線113系さよなら運転ではこの車両を指定席として運用するイベントも実施された。
一連のマイナーチェンジは0番台の増備車にも採用されたため、こちらは俗に0’番台と呼ばれている。
1974年の
湖西線開業に伴い増備されたグループ。
1000’番台の設計をベースに、耐寒耐雪装備を搭載している。
1978年に登場したグループ。
先に登場した115系1000番台に準じた設計変更が行われたもの。
クロスシートのシートピッチや座席幅が拡大され、窓割りが大きく変更されている。
1980年の横須賀・総武快速線の本格直通(SM分離)に備えて増備されたグループ。
基本設計は2000番台と同じだが、前照灯とタイフォンがかなり高い位置に設置されている。
1980年の
草津線電化に合わせて増備されたグループ。
基本(ry、耐寒耐雪(ry
グリーン車
113系の中で最もカオスさを極めるのがグリーン車であろう。
新造車・改造車が多数入り乱れたバリエーションは、それだけでも一冊同人誌が書けそうなレベルである。
最初にデビューしたグリーン車。
車内は回転クロスシートで、台車も廃車まで一貫して普通車と同じコイルばね式だった。
急行形153系サロ153からの改造車で、台車が空気ばねのTR59形台車で車掌室がある以外見た目も内装も前述したサロ111とほぼ同じ。
改造車の中にはセミステンレス車体を持った試作車900番台もあり、末期は湘南色に塗装されて運用されていた。
急行形153系サロ152からの改造車(1両だけサロ163からの改造車がある)でリクライニングシート装備。外見は2連式の一段下降窓が並ぶ。
この車体構造から車体の腐食が激しく、1979年には早くも全廃されている。
1974年から横須賀・総武快速線用に導入された新造車。このため全車1000番代で0番代は存在しない。台車は165系と同じTR69形。
この番台から側面窓がユニットサッシとなり、113系の平屋グリーン車ではおなじみのスタイルとなった。
車内も特急型並みの簡易リクライニングシートにグレードアップしている。
しかし定員が少ないことから導入から2年で京阪神地区に転出。その後1980年に関東に戻った。
1976年から増備された新造車。
サロ113をベースに簡易リクライニングシート装備のままシートピッチを狭めて定員を増加させたもので、外見などもほぼ同じ。
1979年以降の増備車から側面のグリーン帯が省略されており、従来車ものちに消されている。
1980年代以降、サロ110形初期車置き換えのために新幹線開業や運用見直しなどで余剰となった181系・183系・
485系のグリーン車を編入させたもので、
化けサロの通称がある。
車体が新造車よりも低く、内装もそのままなので快適性は抜群だったが、座席定員が少ないためラッシュ時には不評だった。
1983年に登場した165系からの改造車。
急行形からの改造車だが、なんと普通車からの格上げ改造。
同じ湘南色だが塗分けは113系に合わせているため、昔の鉄道玩具にありそうなバッタもんのようなビジュアルとなっているのでぜひ画像検索していただきたい。
1985年に登場したサロ165からの改造車。
165系時代に改造された2段窓(田の字窓)の見た目と前述した塗分けから、どことなく荷物電車を思わせるビジュアルとなっている。
1989年に改造車の置き換えと輸送力増強を目的に開発された、世界初の狭軌ダブルデッカー車。
基本設計は同時期に増備されていた211系に準じており、後年211系のサロ212・213へと編入された。
詳細は
国鉄211系電車を参照。
改造車
本形式にも多数の改造車が存在する。
そのバリエーションは番号変更を伴うものから伴わないものまであまりにも莫大なため、代表的なものをピックアップする。
1986年に
福知山線・
山陰線城崎電化開業向けに導入されたグループ。
国鉄最末期の改造だったことから全国から0番台をかき集めて改造することとなり、捻出のために複雑な転配がなされた。
主な改造は耐寒耐雪工事で、4両編成と2両編成が存在し、2両編成は電動車ユニットに運転台を取り付ける改造がなされた。
落成当初は黄色に青帯という
ドクターイエローとほぼ同じ塗装で、「イエローライナー」の通称もあった。
また、後述の山陰線園部電化に伴い高速化改造された5800番台も登場している。
JR化後、
七尾線電化に伴う転出とそれに伴う編成組み換え・追加改造(と塗装変更)が実施され、3両化が行われたが…。
1987年の
予讃線・
土讃線の電化開業に向けて導入されたもの。
全て静岡からの転属車で、国鉄分割民営化後も使用された数少ない111系でもある。
運用開始に合わせて白と水色の四国カラーとなり側窓もユニット化&下段固定化され、後に冷房も設置された。
これは開業を控えていた
瀬戸大橋線を走行する条件として、安全面の観点から車両にトイレの設置と下段窓の固定化が義務付けられていたため。
他にも無人駅での集札のため、中間車に車掌用スペースも設けられている。
1988年には2両が追加導入されたが、この先頭車は方転工事を受けてクハ111-3000を名乗るようになった。
また、何気に前面方向幕がLEDに改造された車両も存在した。
1987年から中京地区の列車増発を目的に先頭車化改造を実施。1990年3月以降は静岡地区に転属して使用された。
国鉄時代の冷房改造は集中式のAU75形を搭載していたが、搭載時には屋根の補強が必要などコストや工程面の問題も生じていた。
これを解決するために、東日本・東海・西日本の3社がそれぞれインバータクーラーの取付工事を実施。
形状は3社とも異なるが、いずれも分散式の冷房を搭載している。
しかし冷房能力がAU75形よりも劣っており、とりわけJR西日本では改造車が21世紀以降も多数残ったせいか「冷風車」と呼ばれ夏場は忌避されていた。
これらの改造は115系や103系にも実施されている。
JR東日本におけるラッシュ対策の一環として、1989年から1992年にかけて東海道・横須賀・総武快速線向け車両でロングシート化が行われた。
ちなみにこの工事は115系・415系にも実施されている。
1991年の七尾線電化開業に合わせて導入されたグループ。
福知山・山陰地区で使用されていた485系の交直流設備を撤去し、それを前述した113系800番台に搭載したもの。
当時急行「能登路」にも使用される運用があったため、クロスシートが大きめのものに換装されている。
415系を名乗っているが、常磐線や九州のやつとは無関係で「交流電化区間を走れるようになった113系」と呼んだほうが正しい。
種車が種車だけにとんでもなく車齢が古く、一部には落成から50年越えの車両も存在した。
一部では「113+485=415+183」と計算式で揶揄されているが、この計算式は数式としても正しいものだったりする。
521系の導入に伴い2021年にようやく引退。お疲れ様でした。
1992年に登場。
京阪神地区への
221系増備に伴うダイヤ高速化に合わせ、1992年から最高速度を110km/hに引き上げる改造を実施。
改造車は元番号+5000なので5000番台とも呼ばれるが、電動車はブレーキのてこ比を変更したため
パワーインフレさらに数値が加算されている。
1996年の山陰線園部~福知山間電化開業で用意されたグループ。
0番台の中間車ユニットを2両編成化したもので、落成当初の塗装はワンマン運転対応として湘南色に白帯を入れたものだった。
高速化改造に伴い、現在は全車5300番台を名乗る。
JR西日本で1998年から登場したグループ。
雨樋の張り上げ屋根化、側窓の交換、通風器の撤去、車内を
223系と同様の転換クロスシートに変更などの工事が実施された。
外板塗装は223系に準じたベージュ時に茶・青の塗装となり、そのカラーリングから「
カフェオレ」の通称がある。
また、小浜線電化開業用に導入された編成はグリーン系の塗装で登場したため「ソーダアイス」の愛称があった。
なお、一部の編成は雨樋や窓の交換省略など改造メニューが
手抜き化変更されており、こちらは30N体質改善車と呼ばれている。
2000年に誕生した福知山地区向けのワンマン運転対応車にして、
ある意味では113系史上、いや日本鉄道史に残る魔改造車。
800番台の3両編成を2両化した際モハ113を先頭化改造したのだが、コスト削減として従来のような運転台ユニットの接合ではなく、構体を流用している。
この改造自体は既に115系や
播但線向けキハ41で実績があったのだが、問題…じゃなくて特徴はその顔である。
……うん、まあ、はい。
窓は正方形に近い若干縦長のものを3枚並べ、前照灯をその上に配置。そして前面窓下には外付けの黄色い補強板を設置し、雨樋が露出した格好もあって72系などの旧型国電に似たような見た目となってしまったのである。カクカクした単純な構造の
粗末な排障器も隠れたチャームポイント。
この独特な風貌から鉄道ファンの間では「
サンパチ君」の通称で親しまれた。
「魔改造を超越したなにか」「
500系と並ぶJR西日本のフラッグシップ」「JR西日本がJR西日本になったのはだいたいこいつのせい」と呼ばれたり呼ばれなかったりして、引退して久しい今なおカルト的な人気を誇る。
前述した111系の置き換えを目的に、2001年に元JR東日本の車両を購入して改造したもの。
JR西日本の体質改善工事車に匹敵するレベルでのリニューアルが実施された。
前面は前照灯を方向幕の位置に追加し、従来の前照尾灯も角型の横配置に変更。方向幕は貫通扉上に設置された。
塗装はツートンカラー+銀色の組み合わせで、ツートンは水色、ピンク、黄色系統と編成毎に異なる色が使用されている。
車内は転換クロスシートで、ドアチャイムや一部ドア上にLED式車内案内表示器を搭載している。
なお、この改造車は車両番号の付番が一新されており、それまでありそうでなかった「クハ113」「クハ112」形式が誕生しており、車番も編成ごとに1~3が振り直されている。
2002年に登場した
きのくに線ワンマン運転用の改造車。
中間車ユニットを先頭化改造したもので、先頭形状は
伯備線用に登場したクモハ114形1000番台にも似た平面顔となっている。
単体ではなかなかの改造だがサンパチのインパクトが強すぎたせいかあまりにマイルドに見えてしまう
車体はクモハ114同様体質改善工事が実施されており、塗装もオーシャングリーンに銀帯の和歌山色となった。
運用
ざっくりと東から記す。
113系の生まれ故郷でありグリーン車付き・最長15両編成で運行。
運用範囲は静岡エリアにも及び、国鉄末期までは東京発浜松行き、2000年代までは
静岡行きなんてのも普通に走っていた。
基本11両+付属4両編成で運用されており、1986年11月改正で基本編成は国府津電車区、付属編成は静岡電車区に集約。
これにより付属編成は全てJR東海に承継されたため、スカートと台車がグレーに塗られた特徴的な外観だった。
なお、伊東線・伊豆急行線運用では東海車による8両編成という列車も存在した。
本格的な置き換えが始まったのは2004年の
E231系導入以降で、東海道線の3社の中ではかなり遅い。
2006年に撤退し、一部の車両は房総地区に転属した。
東海道線に次いで導入されたのがこの路線。
当初は12両編成だったが、混雑緩和対策として15両化を実施。但し付属編成の位置は逗子駅の配線都合上、東海道線とは逆に下り先頭に付属編成を連結する方式となった。
1972年以降は1000’番台・1500番台への導入が進み、SM分離までに全車の置き換えが完了した。
1994年からE217系の投入に伴い、1999年に撤退。
撤退した車両は東海道線や房総地区に加え
宇都宮線・
高崎線にも転属。後者は前面が115系と同様の塗装に塗り分けられて使用された。
1968年以降の
内房線・
外房線電化、1974年の北総電化に伴い徐々に運用を拡大。
1000番台や0番台が主に使用され、先に導入されていた72系電車もこれに置き換えられた。
分割民営化以降は、正面窓上の行先表示を路線ごとに色分けして誤乗防止を図った。この色別の行先表示は後年の211系・E131系にも承継されている。
特筆すべき運用としては新聞輸送があり、この運用では総武快速線を走行する姿も見られた。
21世紀以降もしぶとく0番台が生き残っていたが、東海道線・横須賀・総武快速線からの転属車によって淘汰され、更に211系・
209系の導入で113系自体も2011年に撤退。引退前には湘南色のリバイバルカラーも登場し、JR東日本の113系は有終の美を飾った。
これ以外には、国鉄最末期には阪和色の先頭車が転属して走ったこともある。
前述した東京口以外では1977年以降静岡ローカルでも使用を開始。
静岡地区では119系の飯田線再転出も兼ねて大量に運用されていたが、2006年以降の211系・
313系導入に伴い2007年までに全廃。
大垣電車区では1977年に関西地区からの転入車が導入されたのを皮切りに、翌年には2000番台の増備が進み、80系・153系を置き換えた。
211系・313系の増備に伴い1999年までに撤退し、神領と静岡へ転属した。
その後もJR西日本所属車は2004年10月まで大垣駅まで乗り入れていた。
旧型国電の70・80系置き換え用として神領電車区に1973年より導入された。
2005年には愛知万博の直通臨時列車「エキスポシャトル」にも充当され、神領車のほかに静岡車も充当された(愛環線への入線は国鉄時代の岡多線以来20年ぶり)。
313系3次車の導入に伴い2007年に引退。
1964年から80系に代わる快速用として、網干電車区と宮原電車区に導入された。
今では京阪神のフラッグシップとなった
新快速の初代車両もこの形式で、横須賀線用の0番台が転入して使用された。
特筆すべき点として、このエリアにも1966年からグリーン車の連結が開始されている。
これは旧来の80系の設備に準じたものだが、並行私鉄各社が豪華なクロスシート特急車(もち無料!)を導入していたせいか利用客も少なく、1980年秋のダイヤ改正で連結は終了、サロ110は大半が廃車になりサロ113は全車関東に送り返された。
また、宮原車は
宇野線の快速運用も担っており、その送り込みで大阪発宇野行きという長距離列車も存在した。
前述した高速化改造車や体質改善工事車も使用されていたが、221系・223系の増備に伴い2004年に撤退。
なお、JR西日本エリアの113系は2000年代以降、前面窓や方向幕部分に金属の押さえ金を設置する工事が実施されており(体質改善工事車を除く)、かなり厳つい表情となっている。
新快速の153系化によってねん出された113系が1972年に導入。
153系と同じ「ブルーライナー」の愛称でこちらでも新快速として運用……されたのはいいものの、阪和線の需要とかみ合わず数年で新快速は終了。
その後は快速列車として2010年まで活躍した。
本線撤退後も前述した紀勢本線ワンマン車は送り込み運用が残されたが、2020年に227系に置き換えられて引退。
1973年の電化開業で導入。グレーベースに春日大社の鳥居の色をイメージした朱色の帯を巻いたカラーリングとなり、「春日色」「レッドライナー」の愛称があった。
1980年には
桜井線・
和歌山線、1984年は
奈良線の電化開業に伴い、運用範囲を拡大。
221系の導入に伴い大和路線からは1991年、それ以外の地区も1994年までに運用を終え、113系の導入主要路線ではかなり早い撤退だった。
湖西線は1974年の開業、草津線は1980年の電化開業で運用開始。新車の700番台・2700番台が導入され、運用も共通化された。
2010年から車体塗装の単色化、通称末期色化に伴いピーマン色緑一色に変更されている。
221系・223系の導入に伴い2023年改正で引退。
甲賀忍者をイメージしたラッピング車両「SHINOBI-TRAIN」が運行されたことがある。
1986年の電化開業に伴い800番台が運行を開始。
1991年には七尾線電化に伴う転出で追加改造を実施、同時に新塗装化も実施された。
2000年以降の221系導入に伴い、前述したサンパチ君以外は2004年までに撤退。
…したのだが、2005年に発生した脱線事故に際して宝塚線にATS-P付車両しか入線できなくなったため、瀬戸内色や阪和色などがピンチヒッターとして入線し、その後も各地から転属したATS-P付き編成が2012年まで使用された。
一方、サンパチ君については223系5500番台の導入に伴い2008年で撤退した。
1990年に運用開始。
京阪神地区の221系導入で余剰となった車両が導入され、当初は非冷房車も存在した。
一部の車両は湖西線・草津線での貸し出し運用もあった。
2008年からの221系導入に伴い、2010年で撤退。
1996年に山陰本線園部~福知山間、1999年に
舞鶴線、2001年に
小浜線の電化が行われ順次導入された。
小浜線は4両固定編成がラッシュ要員として使われていたが、2006年の
北陸本線敦賀直流化時に125系に置き換えられ撤退した。
舞鶴線では前述の5300・5800番台が使用される。
山陰本線は221系の転入や223系の増備により徐々に運用を狭め、現在は綾部~城崎温泉間で使用される他、京都丹後鉄道宮福線の乗り入れ運用にも使われる。
2024年からは1編成が初代福知山色にリバイバルされて運行中。
1973~1980年に153系を置き換える形で導入されたが、いったん115系に置き換えられて撤退。
国鉄民営化後に他地区からの貸出車が存在したが、上述の事故で関西地区へ転出。
それらが落ち着いた2007年以降、近畿地区でのJR形増備に伴う余剰車が転入。2015年には後述する広島地区からの転入車も迎え入れられた。
残り少ない113系の運用線区ではあるが、227系の導入によって引退の日も遠くない。
1975年に111系が首都圏から転入。1978年以降は主に115系が活躍する路線であり、111・113系はどちらかというと少数派であった。
1982年に広島地区の列車増発の際、115系3000番台の中間車に111系のモハユニットを連結するとことになり、編成中で3扉と2扉が混在する編成が登場。そうでなくとも、民営化後にクハ111に中間車は115系、という事態も発生、さらにそのクハ111に抑速ブレーキ対応装備を搭載…と111・113系と115系の垣根に越えることもしばしば。
なんやかんやで中核を担っていた形式の一つであった113系であったが、227系の増備が進み、2019年に引退。
1987年3月に静岡地区から111系が転入してきたのが始まり。
本格的な運用開始はJR化後で、瀬戸大橋線対応として塗装変更や下段窓の固定化等が行われた。
1996年に6000系の導入で2編成が置き換えられ、2001年に113系の導入で全廃。
引退前には湘南色のリバイバルカラーも登場した。
その後は小康状態が続いていたが、
瀬戸大橋線直通列車の減便に伴い2019年に引退。
これによりJR四国はJRグループ史上初となる全保有電車のVVVF化を達成した。
数が少ないから達成が早かったとか言わない
関連形式
前述したように113系のベースとなった交直流電車。
常磐線用の50Hz車が401系・九州用の60Hz車が421系を名乗る。
初期の増備車は近郊形では唯一の低運転台を採用していた。
113系同様に出力をMT54にした系列は403/423系となり、415系は周波数両対応となった。
内外装の基本設計は113系に同じで、時期によるマイナーチェンジの内容も大体同じ。
111系の勾配線区対応バージョンで、主電動機MT54はこちらが最初。
高崎線・
宇都宮線・新潟・山陽地区など全国の山岳路線に導入され、現在もJR西日本及び
しなの鉄道線で見ることが出来る。
一部の車両は113系に編入改造されている。
譲渡車
開業時に導入された100系の置き換えとして導入された元JR東日本車両。
113系からの改造車は4両編成2本のみで、以降の譲渡車は115系となった。
8000系の導入に伴い2005年までに全廃。
ちなみにこの譲渡は8000系導入までのつなぎという扱いで、「ATSが欲しかったら113系の車体までついてきた」という扱いだったとか。
この他、機器類の一部が豊橋鉄道1900系の下回りに転用されたほか、台車の一部も地方私鉄や3セクに譲渡されている。
保存車
名古屋市の
リニア・鉄道館で保存。かつては佐久間レールパークで保存されていた。
長野県のJR長野総合車両センター内の長野スキルアップセンターで先頭部のみのカットモデルとして保存。塗装が何故か115系のような塗分けになっている。
千葉県のポッポの丘で先頭部から第1ドアまでのカットモデルとして保存。1072はスカ色、2152は湘南色。
関連作品
本項目では、111・113系の関連作品のみに絞って記述する。
Nゲージなど明確な鉄道模型については
日本型の完成品やってたら出していないメーカーの方が少ないので省略する(Bトレインショーティーにもラインナップが存在した)。
対向・並走車両としては第1作からFINALまでの旧作シリーズでは、JR在来線が登場する作品では3を除きすべての作品にて登場する。しかし運転できる作品は少なく、「プロフェッショナル仕様」では東海道線(東京口・京阪神地区)で運転が可能、「プロフェッショナル2」では湖西線、瀬戸大橋線で運転可能。
無課金で使用可能な車両の中に、湘南色の113系が収録されている。ほかのメンツがJR型であり、妙に目立つ。2017年時点で親御さんが物心つく頃には113系が最新型ではなくなっていたような気はするが。
通勤形の車体を湘南色に塗装した商品や、165系電車(中には横須賀色、春日色に塗り替えて113系に見せかけたものも)が代替品として販売されてきたが、正規の近郊型としての発売はこれまで見られなかった。
その後、上級モデルの「リアルクラス」で2025年4月に湘南色、同年6月に横須賀色が発売された。
プラレールと同じトミーから発売されていた鉄道玩具。「プラレールと鉄道模型の中間を狙う玩具は長続きしない」ジンクスの発端となった商品とよく言われるが、プラレールよりもデフォルメを抑えた本商品では、111系電車が湘南色で販売された。なお、スーパーレールのラインナップでは唯一の近郊型電車であった。
2001~2003年にタカラ(現:タカラトミー)が展開していた鉄道玩具。
ト-25で湘南色が「113系近郊型電車」として2002年9月に発売。パッケージについてきた切符風の紙で書かれた運行区間は「大阪~姫路」が選出された。
展開末期の2003年9月には、オールインワンセットの「高架ホームセット」に横須賀色が付属。
プラレールの対抗商品として販売されていた側面を持つこの商品で、プラレールに当時存在しなかった車両を先に出せたものの、展開後期の販売となったのが痛かったか。
トミーの各商品では再現されなかった戸袋窓を再現しているが、中間車両の窓配置がアンバランスになっている。
追記・修正は運用の変遷と莫大なバリエーションの解説を中心にお願いします(懇願)。
- 画像調べてみて「懐かしいな、両毛線とか走ってたなあ」と思ったけどよく調べたら両毛線とかで使われてたのは派生型の115系だったのね。そっくりだからどう見わけ付ければいいのかわからない -- 名無しさん (2025-09-13 23:00:18)
- ↑前面の塗装が違う。115は湘南色の緑色、スカ色の青色が前面の貫通扉以外全体に塗られてるけど、113は斜線状にオレンジやクリーム色と塗り分けられたデザインになっている。地域色は……頑張ってくれ -- 名無しさん (2025-09-13 23:11:02)
- すまん現物見ずに答えた、塗分け線は前照灯と尾灯の間あたりに境目があるんだった -- 名無しさん (2025-09-13 23:13:33)
- サンパチの写真はあった方が良いな。誰か掲載しても問題ないやつ持ってないかな? -- 名無しさん (2025-09-15 07:05:44)
- ↑Wikipedia先生とか、サイト「裏辺研究所」から持ってきてる項目が多いな -- 名無しさん (2025-09-15 15:12:26)
最終更新:2025年09月18日 21:03