【ういにんぐぽすと】
ジャンル | シミュレーション(競馬) | ![]() ![]() |
対応機種 |
PC-9801 FMTOWNS X68000 スーパーファミコン メガCD 3DO |
|
発売・開発元 | 光栄 | |
発売日 |
【PC98】1993年1月14日 【TOWNS】 1993年5月1日 【X68000】1993年5月28日 【SFC】1993年9月10日 【MCD】1993年9月10日 【3DO】 1994年9月16日 |
|
定価 |
【PC98】12,800円 【TOWNS】12,800円 【X68000】12,800円 【SFC】12,800円 【MCD】9,800円 【3DO】9,800円 |
|
プレイ人数 | 1人 | |
判定 | 良作 | |
ポイント |
人間模様を味わえる馬主特化の競馬シミュレーション 作業的な調教操作なども不要でサクサク進行できるのでお手軽 調教師に任せっきりでもそれなりに勝つ喜びを味わえる 現実再現の観点では簡略化しすぎかも |
1993年にPCなどで光栄から発売された競馬シミュレーションゲーム。
競馬系のシミュレーションは当時アスキーが既に『ダービースタリオンシリーズ』(通称「ダビスタ」)を展開していたが、本作は主に馬主目線に特化した形でのマネジメント型シミュレーションゲームとなる。
モデルは中央競馬のみで公営(地方)競馬(*1)はなく、他に海外の凱旋門賞(フランスのロンシャン競馬場)がある。
なお現実の競馬における馬齢表記は2001年から生誕時0歳(最短デビューは2歳・クラシックは3歳)となったが本記事ではゲーム内と同じ1993年当時同様の旧表記(生誕時1歳の数え歳)に合わせるものとする。
日曜
情報
厩舎
牧場
馬主
秘書
機能
パドック
掲示板
投票
新聞
レース
EXIT
現実再現の観点では過剰に簡略化されている不足感こそ目立つものの、ゲームとしては非常に手軽に楽しめ同時に、そこまで難しく考えたり作業的な調教指示などを継続的に行わなくても勝つ楽しさを味わえるなど初心者への門戸は広い。
競馬好きなら気軽に手を出して特に深く考えなくても勝つ喜びを味わいやすく、それから楽しみながら細かい部分を知って楽しむ幅を広げていける点は理想的なバランスと言えるだろう。
他作品ではほとんど感じられない人間同士のつながりも見えるものとなっており、ちょっとしたホースマンのドラマ気分も味わえるなど光栄作品らしい良さも兼ね備えている。
当時すでに地位を築いていた『ダービースタリオン』は元よりこの後発売される『サラブレッドブリーダー』(ヘクト)『クラシックロード』(ビクター)などとも差別化された独自の魅力を持っている。
*1 ただしオールカマー・ジャパンカップで地方馬なるライバル馬が登場する。
*2 現実では2頭いればレースそのものは行われる(その場合、馬券は単勝のみの発行)。
*3 2024年度から中央4場でも登録は可能になり、状況次第で出走可能になった。
*4 「逃げだけは苦手」という印象が強かった武豊も「本当の意味で最強馬は2000mなら前半、後半1000mをそれぞれ58秒台で常に先頭を走る馬」と自身で述懐していたように「逃げ=最強」という認識だったが、あくまで「そのような地力があれば(基本的にそれだけ飛び抜けた力のある馬はマークされ妨害を受けやすいため)」という前提の話。
*5 実際ダービースタリオンではこれが最も有利とされている。
*6 SFC以降では安井
*7 代わりに安谷(SFC以降の安井)がいなくなっている。
*8 本作発売当時は「フェブラリーハンデ」としてGIIIだった。1994年に現在の名称になり同時にGIIに昇格し、1997年からGIとなった。
*9 近い例として1980年のダービー馬オペックホースは7歳で引退を決断するも一度種牡馬適正試験に落ちてしまった。最終的にはもう1年現役を続け翌年種牡馬になることはできたがダービー馬が危うく乗馬になりかけた稀有な例。なお同馬はダービー後一度も勝てず32連敗した不名誉の方が有名。
*10 自身は2000m前後を適正とする中距離馬。産駒からはキョウエイマーチ(1997年・桜花賞)やキングヘイロー(2000年・高松宮記念)など短距離GI馬も出しているが、両馬ともどっちかといえばマイラーに近く産駒は全般的には2000m前後での勝ち鞍が多かった。
*11 なおゲーム中で1996年の朝日杯を制したのは上記のユーエスエスケープ。また本物のテイオーの3歳時にあたる1990年は関西馬なら遠征不要な阪神3歳ステークス(翌年に阪神3歳牝馬ステークスになり、牡馬・牝馬で分かれた)を目指すが一般的だった(テイオーと同期はイブキマイカグラが制している)。
*12 実際のスーパークリークは反対で神戸が3着、京都が着外。なお1988年当時神戸新聞杯はトライアルではなかったので出走権は得られていない。
*13 本物のスーパークリークは伊藤修司師で、ゲームでも同師をモデルとした尾藤修二として取り込まれている。
*14 ゲーム中のアイアンキングは1992年生まれでスーパークリークが種牡馬入りしたのは1991年なので矛盾しない。