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■「主権論」「国民主権」に関する様々な見解 LEC『C-Book 憲法Ⅰ《総論・基本的人権》』 p.65~ 国民主権 一 主権の意味 ①統治権としての主権国家権力そのもの(国家の統治権)というときの主権 ②国家への主権の集中(最高独立性)というときの主権 ③国家における主権の所在(国政の最終決定権)というときの主権  1.国家の統治権としての主権 ex. 「日本国ノ主権ハ、本州、北海道、九州、及ビ四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」(ポツダム宣言8項)  2.最高独立性としての主権 ex. 「政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」(前文3段)  3.国政の最終決定権としての主権 国の政治の在り方を最終的に決定する力または権威という意味であり、これが国民に存することを国民主権という。 ex. 「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」(前文1段) ニ 国民主権の意味 《問題の所在》 日本国憲法は、前文第1段で「主権が国民に存する」、1条で「主権の存する日本国民」と規定し、国政の最終決定権が国民に属するという国民主権原理を採用している。 それでは、ここにいう「国民」を全国民と考えるべきか、それとも有権者の総体と考えるべきか。 国民主権の原理において、国の政治の在り方を最終的に決定する権力を国民自身が行使するという権力的契機と、国家の権力行使を正当づける究極的な権威は国民に存するという正当性の契機をどのように考えるかという点と関連して問題となる。 《考え方の筋道》 憲法は個人の尊厳を確保するため、政治は国民の自律的意思による政治でなければならず、国政の最終決定権が国民に属するという国民主権原理を採用した(前文1段、1)  ↓ この点 主権者たる国民を有権者の全体と捉え、「主権」の本質を憲法制定権力であるとして、有権者としての国民が国政の在り方を直接かつ最終的に決定すること(権力的契機)が国民主権であると考える見解もある。  ↓ しかし それでは、独裁を許す危険があり、また、国民が主権者たる国民とそうでない国民とに二分され、治者と被治者の自同性に反し、妥当でない。  ↓ そこで 基本的には、国民主権とは、主権者たる国民は一切の自然人である国民の総体と捉え、国民主権とは全国民が国家権力の源泉であり、国家権力の正当性を基礎づける究極の根拠であると解する。  ↓ ただ 憲法改正権の存在(96)等から、国民(有権者)が国の政治の在り方を直接かつ最終的に決定するという権力的契機も不可分に結合していると解すべきである(折衷説)。  ↓  以上のように解すると、原則として国民は直接には権利行使をなしえないから、代表民主制の採用が必然となり、代表者たる議員は「全て」の国民の代表者となる(43Ⅰ参照)。 《アドヴァンス》 A 有権者主体説 「国民」を有権者の総体と考える見解。  a-1 主権=憲法制定権とすることを根拠とする説(清宮) 主権を憲法制定権(力)、すなわち一定の資格を有する国民(選挙人団)の保持する権力(権能)とする。 従って、憲法制定権の主体である国民には天皇を含まず、また権能を行使する能力のない、未成年者も除外されるとする。  →権力的契機を重視するが、そこから導かれる具体的な制度上の帰結を示していない (批判) ①全国民が主権を有する国民と主権を有しない国民とに二分されることになるが、主権を有しない国民の部分を認めることは民主主義の基本理念に背く。 ②選挙人の資格は法律で定めることとされているため(44)、国会が技術的その他の理由に基づいて年齢・住所要件・欠格事項等を法律で定めることによって主権を有する国民の範囲を決定することとなり、論理矛盾となる。 ③代表民主制を国政の原則とする前文の文言と、解釈上必ずしも適合的でない。  a-2 フランスの議論を採り入れる説(杉原) 日本国憲法は、リコール制を認めたと理解しうる15条1項や、95条、96条1項のように人民(プープル)主権に適合する規定もあるが、基本的な性格としては、43条1項や51条に示されているように国民(ナシオン)主権を基礎とする憲法である。 しかし、憲法の歴史を踏まえた将来を展望する解釈が必要であるから、日本国憲法の解釈は人民(プープル)主権の論理に基いてなされなければならない。 従って、国民の意思と代表者の意思を一致させるために、43条の国民代表の概念や51条の議員の免責特権の再検討が要請される。  →権力的契機の重視とともに、そこから導かれる具体的な制度上の帰結を示している。 (批判) 上記①から③の批判に加え、フランスの議論は必ずしも全ての国の憲法に法律的意味においてそのまま妥当する議論ではない、という批判がなされている。   【ナシオン(Nation)主権とプープル(peuple)主権】   ナシオン主権   ⇔  プープル主権 憲法: 1791年憲法 ⇔ 1793年憲法 主権者: Nation <仏>  ⇔ Peuple <仏> 国民: 観念的統一体としての国民 →具体的人間の集合体という意味はない ⇔ 具体的に把握しうる諸個人の集合体としての国民 権力行使: 授権によってのみその権力を行使しうる →専ら代表制(代表者としての立法府と君主を指定) ⇔ 国民が直接権力行使を行う →直接民主制が徹底した形 授権の内容: 代表者意思に先行するナシオン自身の意思なし ⇔ 代表機関の意思のほかにプープル自身の意思あり 契機: 国家権力の正当性の根拠が国民に存する ⇔ 主権の権力契機が前面に出て、最高権力を行使するのはプープル 諸制度:  制限選挙・自由委任 ⇔ 普通選挙・命令委任 歴史的意義:絶対王政を否定すると同時に市民革命がより貫徹されること抑圧す機能をもつ(現状維持的) ⇔ 市民革命の課題をより貫徹する勢力のシンボルとして機能(現状変革的) B 全国民主体説(宮沢、橋本) 「国民」を、老若男女の区別や選挙権の有無を問わず、一切の自然人たる国民の総体をいうとする見解。  →このような国民の総体は、現実に国家機関として活動することは不可能であるから、この説にいう国民主権は、天皇を除く国民全体が国家権力の源泉であり、国家権力の正当性を基礎づける究極の根拠だということを観念的に意味することに過ぎなくなる。 (批判) 国民に主権が存するということが、建前に過ぎなくなり、国民主権と代表制とは不可分に結びつくが、憲法改正の国民投票(96)のような、直接民主制の制度について説明が困難になる。 C 折衷説(芦部) 「国民」を、有権者(選挙人団)及び全国民の両者として理解する見解。  →「国民」=全国民である限りにおいて、主権は権力の正当性の究極の根拠を示す原理であるが、同時にその原理には、国民自身(≒有権者の総体)が主権の最終的な行使者(憲法改正の決定権者)だという権力的契機が不可分の形で結合しているとする(ただし、あくまでも正当性の契機が本質) 《One Point》 学説では、折衷説が近時の通説であり、全国民主体説はかつての通説、有権者主体説は少数説です。 なお、本論点は、憲法が明文で定めた場合(79Ⅱ、95、96)以外に国政において直接民主制の採用(ex. 一定の事項についての国民投票、有権者による衆議院解散請求の制度)が認められるかという論点と関連します。 この点に関しては、フランスの議論をとり入れる説に立てば当然に肯定説につながりますが、それ以外の説からは論理必然的に帰結が導かれるものではありません。 《How To》 近時の通説である折衷説に立つのがよいでしょう。 なお、折衷説を論じる際、論証が長くなりがちです。 直接民主制の採用に関する問題等、本論点が前提として問われた場合には、コンパクトに論じることが必要でしょう。 芦部信喜『憲法 第五版』(2011年刊) p.39以下 国民主権の原理は、絶対主義時代の君主の専制的支配に対抗して、国民こそが政治の主役であると主張する場合に、その理論的支柱とされた観念で、近代市民革命の成立以後、国家統治の根本原理として近代立憲主義憲法において広く採用されている。 もっとも、その原理の内容を具体的にどのように理解するかについては様々な見方が示されてきており、現在もなお活発な議論が展開されている。 1.主権の意味 主権の概念は多義的であるが、一般に、①国家権力そのもの(国家の統治権)、②国家権力の属性としての最高独立性(内にあっては最高、外に対しては独立ということ)、③国政についての最高の決定権、という3つの異なる意味に用いられる。 これは歴史的な理由に基づく。 すなわち、主権という概念は、絶対主義君主が中央集権国家をつくりあげていく過程において、君主の権力が、封建領主に対しては最高であること、ローマ皇帝に対しては独立であることを基礎づける政治理論として主張された概念であった。 ところが、「朕は国家なり」の思想が支配していた専制君主制国家では、3つの主権概念は「君主の権力」という形で統一的に理解されていたが、その後、君主制の立憲主義化にともなって国家の概念も変化し、君主の権力と国家権力とは区別して考えられるようになり、主権の概念が3つに分解したのである。 (一)統治権 ①の国家権力そのものを意味する主権とは、国家が有する支配権を包括的に示す言葉である。 立法権・行政権・司法権を総称する統治権(Herrschaftsrechte, governmental power)とほぼ同じ意味で、日本国憲法(41条)に言う「国権」がそれにあたる。 統治権という意味の主権の用例は、ポツダム宣言8項「日本国ノ主権ハ、本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限サラルベシ」という規定にみられる。 (ニ)最高独立性 ②の国家権力の最高独立性(国家権力の主権性とも言われる)を意味する主権は、主権概念の生成過程から言えば、本来の意味の主権の概念である。 憲法前文3項で、「自国の主権を維持し」という場合の主権がその例であるが、そこでは国家の独立性に重点が置かれている。 (三)最高決定権 ③の国政の最高の決定権としての主権とは、国の政治のあり方を最終的に決定する力または権威という意味であり、その力または権威が君主に存する場合が君主主権、国民に存する場合が国民主権と呼ばれる。 憲法前文1項で「ここに主権が国民に存することを宣言し」という場合の主権、および1条で「主権の存する日本国民の総意」という場合の主権がこれにあたる。 2.国民主権の意味 「国民主権」がいかなる意味・内容を有するかについては、さまざまの議論があるが、ここでは、次の2点を注意しておきたい。 (一)主体について 第一は、国民主権の観念は、本来、君主主権との対抗関係の下で生成し、主張されてきたもので、君主主権であることは国民主権ではなく、国民主権であることは君主主権ではない、という相反する関係にあることである。 従って、主権は君主にあるのでも国民にあるのでもなく、国家にあるとか、主権は天皇を含む国民全体にあるとか、という趣旨の説明は、戦後よく主張されたが、政治的な配慮に基づく考え方で、理論的には正当とは言い難い。 戦前のドイツで支配的な学説であった国家法人説は、先に触れたように(第二章一2*参照)、国家は法的に考えると法人、すなわち権利(統治権)主体であり、君主はその最高機関であると説き、君主主権か国民主権かは、国家の最高意思を決定する最高機関の地位に君主が就くか国民が就くかの違いにすぎない、と主張した。 そして、「主権」という概念は国家権力の最高独立性を示す本来の概念としてのみ用いるべきであるとし、君主主権か国民主権かという近代憲法が直面した本質的問題を回避しようとした。 それは、急激な民主化を好まない19世紀ドイツの立憲君主制に見合った理論であった。 この国家法人説は、明治憲法の下では天皇機関説に具体化され、憲法の神権主義的性格を緩和する役割を果たした。 しかし、国民主権の確立した日本国憲法の下では、もはやその理論的有用性をもたない。 (ニ)権力性と正当性の両契機 第二に注意を要するのは、国民主権の原理には、2つの要素が含まれていることである。 一つは、国の政治のあり方を最終的に決定する権力を国民自身が行使するという権力的契機であり、他の一つは、国家の権力行使を正当づける究極的な権威は国民に存するという正当性の契機である。 もともと国民主権の原理は、国民の憲法制定権力(制憲権)の思想に由来する(第一章四2参照)。 国民の制憲権は、国民が直接に権力を行使する(具体的には、憲法を制定し国の統治のあり方を決定する)、という点にその本質的な特徴がある。 ところが、この制憲権は、近代立憲主義憲法が制定されたとき、合法性の原理に従って、自らを憲法典の中に制度化し、①国家権力の正当性の究極の根拠は国民に存するという建前ないし理念としての性格をもつ国民主権の原理、および、②法的拘束に服しつつ憲法(国の統治のあり方)を改める憲法改正権に転化したのである(そのため改正権は、「制度化された制憲権」とも呼ばれる。この点につき、なお、第八章三3参照)。 以上のような国民主権の原理に含まれる2つの要素のうち、主権の権力性の側面においては、国民が自ら国の統治のあり方を最終的に決定するという要素が重視されるので、そこでの主権の主体としての「国民」は、実際に政治的意思表示を行うことのできる有権者(選挙人団とも言う)を意味する。 また、それは、国民自身が直接に政治的意思を表明する制度である直接民主制と密接に結びつくことになる。 もっとも、国民主権の概念に権力的契機が含まれていると言っても、憲法の明文上の根拠もなく、国の重要な施策についての決定を国民投票に付する法律がただちに是認されるという意味ではない(憲法上認められるのは、国民投票の結果がただちに国会を法的に拘束するものではない諮問的・助言的なものに限られよう)。 主権の権力性とは、具体的には、憲法改正を決定する(これこそ国の政治のあり方を最終的に決定することである)権能を言う。 これに対して、主権の正当性の側面においては、国家権力を正当化し権威づける根拠は究極において国民であるという要素が重視されるので、そこでの主権の保持者としての「国民」は、有権者に限定されるべきではなく、全国民であるとされる。 また、そのような国民主権の原理は代表民主制、とくに議会制と結びつくことになる。 日本国憲法における国民主権の観念には、このような2つの側面が並存しているのである。(*) 従って、国家権力の正当性の淵源としての国民は「全国民」であり、すべての「国家権力は国民から発する」、ということになる。 しかし同時に、国民(有権者)が国の政治のあり方を最終的に決定するという権力性の側面も看過してはならない。 そのように考えるならば、憲法96条において憲法改正の是非を最終的に決定する制度として定められている国民投票制(第十八章三2(ニ)参照)は、国民主権の原理と不可分に結合するものと解されよう。 (*) ナシオン主権とプープル主権 フランスでは、市民革命期に君主主権を否定して制定された新しい立憲主義憲法の主権原理として、ナシオン(nation)主権をとるかプープル(peuple)主権をとるか争われ、この2つの対立が第二次大戦後の憲法にまで及んでおり、日本でも「国民主権」をその概念を用いて説明する学説が少なくない。 しかし、もしナシオンの意味を「国籍保持者の総体としての国民(全国民)」、プープルの意味を「社会契約参加者(普通選挙権者)の総体としての国民(人民)」と解すれば、2つの主権原理は、本文に説いた主権主体としての「全国民」と「有権者団」の区別に対応するが、ナシオンは、具体的に実存する国民とは別個の、観念的・抽象的な団体人格としての国民の意だと一般に解されており、またプープルも、「今日では性別・年齢別の差なく文字どおりの『みんな』」だと解する説が有力であることに、注意すべきである。 しかも、同じプープル主権を説く場合でも、「主権」の意味について、「統治権」と解する説もあれば権力の正当性の究極的根拠と解する説もあるなど、見解に大きな相違がみられる。 (*) 憲法制定権力 憲法をつくり、憲法上の諸機関に権限を付与する権力([英] constituent power, [仏] pouvoir constituant, [独] verfassungsgebende Gewalt)。 制憲権とも言われる。 国民に憲法をつくる力があるという考え方は、十八世紀末の近代市民革命時、とくにアメリカ、フランスにおいて、国民主権を基礎づけ、近代立憲主義憲法を制定する推進力として大きな役割を演じた。 フランスのシェイエス(Emmanuel J. Sieyes, 1748-1836)が『第三階級とは何か』(1789年)を中心に展開した見解がその代表である。 制憲権と国民主権との関係につき、第三章二2(ニ)参照。 佐藤幸治『憲法 第三版』(1995年刊) p.54以下 Ⅰ 国家 (1)国家の概念 上述のように、憲法は国家生活のあり方にかかわる法であることから、そのことの関係で国家とはそもそも何かについて若干論及しておく必要がある。 国家と呼ばれる社会団体の存在性格・様式は、時代によりまた所により一定しないが、近代国家は、一定の地域を基盤として、その所属員の包括的な共同目的の達成を目的に、固有の支配権によって統一された非限時的の団体であるという点で概ね共通している。 このように、国家の本質を、地域、所属員、固有の支配権の3要素に集約せしめて理解しようとする見解は、一般に国家3要素説と呼ばれる。 (中略) 第三の要素である固有の支配権は、「国権」とか「統治権」とかあるいは「主権」とか呼ばれる。 「国権」は、伝統的な見解にあっては、国家の法上の人格すなわち国家の意思力を指す観念とされ(ここから国権の唯一不可分性が帰結される)、それに対して「統治権」は国家が国際法および国内法上有する権利の総体である(従って統治権は可分となる)として国権と区別されることもあるが、今日では、国権と統治権は同義に使用されることが多い。 「統治権」の内容は国によって一様ではありえないことになるが、国家である以上次の3種の基本的能力、すなわち、①領土内にある人および物を支配する権利たる領土高権、②国家の所属員を支配する権利たる対人高権、③国家の組織・権限の有り様を自らの意思により定めることのできる権利たる自主組織権(権限高権)、を備えているものでなければならない、とされる。 なお、また、「国権」または「統治権」は「国家において統治活動をなす権力」の意味で用いられることもある(日本国憲法41条にいう「国権」はその例であるとされる)。 「主権」の語も多義的で、国権あるいは統治権と同義に用いられることのほか、国権の属性としての最高独立性の意味で用いられたり、また国家の統治活動の有り方を最終的に決定する力ないし権威の意味で用いられたりすることがるが、この点については後述する。 国家の第三の要素としての支配権は、国際組織が発達し相互依存的な今日の国際社会にあっては、かつてと違って様々な制約を受けることが多くなる傾向にある。 (2)国家の法人格性  (イ)国家の法人格性 法的認識の問題としてみた場合、国家は一個の統一的法秩序を形成しているといえようが、この法秩序の統一性をもって擬人的に法人格と称されることがあり、この意味で国家は法人格を有する、つまり国家は法人であるとみることができる。 さらに、国家は、実定法の内容に照らして、人格を有するとみなされる、というように言われる。 我が国の現行法上、国家は、財産権の主体としての関係において「国庫」と呼ばれ(民法239条・959条)、「国債」を負担したり、「国有財産」を有することが認められ、また、対外的な国際法上の関係において法主体として登場する。 この意味における国家の法人格性の範囲は、専らそれぞれの国家の実定法の定めるところによって決まることになる。  (ロ)国家法人説 19世紀ドイツにおいて登場し、我が国に多大の影響を及ぼした国家法人説は、右に述べたような意味での国家の法人格性を超えて、独特の意義と背景をもつものであったことが注目される。 つまり、国家法人説は、国家をもって社会学的には社団であり、法学的には法人であるとするとともに、従来の主権観念をもって専らかかる国家自体の特性を示すものとして把握し、それ以外の主権の意味を回避しようとしたところに特徴をもつものであった。 国家自体が意思力をもち、本来の主権はその意思力の最高性を示す観念として把握される。 このように国家の統治の有り方を最終的に決めるのは人格としての国家であるとする(国家主権説。ここでの国家主権は、国家が対外的に独立しているという意味での国家主権と異なることに注意)背景には、一方では絶対主義的君主主義論を克服し、他方では国民自身による積極的・具体的な統治を追求する国民主権論を抑止しようとする政治的低意が働いていたことが指摘される。 アメリカ合衆国などのように国民主権の確立した国において、とりたてて国家法人説が主張され発展せしめられることのなかったのは、まさにこの説のもつかかるイデオロギー性を示しているといえる。 他方、神権的国体観念を払拭しきれなかった明治憲法下において、国家は法人にして天皇はその機関とする天皇機関説は、結局において、「民主共和の説」として排撃されるところとなる。 国家法人説は、このように法人たる国家に主権があるとしたが、いわゆる国家の自己制限ないし自己義務づけの理論によって、主権の最高独立性と国家の被法的拘束性とを両立せしめ、そのことによってまた個人の自由の観念とも調和せしめようとした。 しかし、個人の「自然権」を基礎とする徹底した立憲民主主義の観点からすれば、いわゆる国家法人説は、国家の統治の正当性の契機を回避するとともに(従来の君主主権か国民主権かの問題は、国家意思を供給する国家機関の組織のあり方の問題と化す)、結局において国家の絶対性を措定し、個人の自由の観念と調和困難な説(国家固有の統治権はしばしば無条件に団体員を支配しその意思を規律しうる力であると説かれる)として受け入れ難いものとみなされざるをえないことになる。 もっとも、政治社会には唯一の究極的で絶対的な権威ないし権力が存しなければならないという観念たる「主権」は、結局のところ抽象的人格性を備える国家に帰属すると考えるとしても(その意味では国家主権説)、そのような属性をもつ国家を誰の権威でどのように運営するかの問題は残り、その主体的・具体的意思・権威はどこにあるかの問題こそ君主主権か国民主権かの問題である、というように考えることはできる。 国家と人権との関係をめぐる問題は後述するので(とくに第四編)、次に国家と主権と憲法との関係をめぐる問題をもう少し立ち入って考察することにしたい。 Ⅱ 主権 (1)主権観念の展開  (イ)主権観念の登場 主権観念は、まず、フランス王権について、対外的にはローマ皇帝およびカトリック法王の権威・権力からの独立性を、体内的には封建諸侯に対しての優越性を、示すものとして登場した。 この主権観念の確立に理論的指導性を発揮したのはバーダンで、彼は、主権は国家の絶対的かつ恒久的権力であって、最高、唯一、不可分のものであり、すべての国家にとって不可欠の要素であると説いた。 そしてかかる主権観念は、近代国家への移行過程において他のヨーロッパ諸国でも広く用いられるようになる。 この段階では、国家は君主と一体的に観念されていたから(「朕は国家なり」)、国家自体の主権とその国家内において最高意思はどこにあるかということ(国家内における最高権の問題)とは次元を異にする別個の問題であることは十分意識されていなかった。 しかるに、君権に対する市民層の不満を背景に、国民主権ないし人民主権が登場するに及んで、主権論の力点は国家内の最高権の所在の問題に向けられることになる(もっとも、この段階でも君主を人民に取って換えただけで、人民即国家と考える傾向がみられる)。  (ロ)国民主権・人民主権   (a)国民主権論は、近代自然法論に依拠する社会契約説を根拠に登場した。 社会契約説は、その理論構成如何によっては、なお君主主権を根拠づけるところともなるが(ホッブズ)、一般に、あくまでも各人の自然権の保全を基軸に考え、その保全に必要な限度での統治の権力の信託という構成をとることによって国民主権を帰結した(ロック)。 つまり、国家権力を支えるのは国民であり、国民の支持がある限りにおいてのみその行使が正当化される。 しかしこの見解は、国民主権の名にふさわしい実をあげる具体的方法・プロセスを明確にしていないきらいがあった。   (b)同じく社会契約説に立脚しつつ、それを単に国家統治の正当性の根拠とするにとどまらず、国民による直接統治を帰結する説(ルソー)は、右の国民主権論に対する批判にして一つの解答であったとみることができる。 そこでは、主権は子かを構成する全人民の、常に共同の利益を欲して誤ることのない一般意思として把握され、具体的には一般意思は立法意思と同一視され、それは全市民の参加によって行使されるものとみなされた。 主権は絶対的なもので、不可分・不可譲・不可代表の性質をもつ。 それは議会制を否定する徹底した直接民主主義的人民主権論であるが、従来の絶対主義的君主主権を端的に人民に取って換えたきらいがあり、現実の国家の実態に即した理論としては無理な性格のものであった。 一般意思は常に共同の利益を欲する意思だとされるが、具体的な立法意思がそうであるという保障はなく、絶対的な一般意思の名における個人や少数者の抑圧という可能性は常に存する(ルソーの人民主権論が後世において人民独裁の国家論と評されることのある理由はここにある)。 また、主権は不可分だとされるが、主権の主体としては具体的な個々人ないしその総体が想定されていて、理論的整合性の点でも問題を孕んでいた。   (c)このような国民主権論、人民主権論の問題性の文脈においてみると、国民主権を基本的に憲法制定権力として把握しようとする説(シェイエス)は注目すべき見解であったといわなければならない。 そこでは、「憲法を制定する権力(pouvoir constituant)」と「憲法によってつくられた権力(pouvoirs constitues)」とが区別される。 そして、前者は、自然法の下に、国民がこれを有し、単一不可分であり、それ自体いかなる形式にも服することのない、「意欲しさえすれば十分である」万能の存在であるとされ、他方後者は、憲法制定権力の制定した憲法によって組織されるところの立法権・執行権といった権力で、憲法による規制下に立つ存在であるとされた。 ここではルソーの一般意思と同様主権の絶対性が措定されつつも、他方憲法制定権力と立法権との本質的区別がなされることによって、代議制や権力分立制と結合する途が開かれたのである。 この憲法制定権力の観念は、右のシェイエスにみられるように徹底して理論化されるということはなかったが、アメリカにおいていち早く現実のものとなった。 権力の根源である国民が人為的に制定した成文の憲法によって国家の統治構造と国民の権利を定め、国政の運営およびそれにまつわる問題の解決は全てこの成文の憲法に立ち返って行なうという行き方が定着した。 アメリカの憲法制定権力は、ヨーロッパのそれのように激しく対立すべき“敵”(アンシャン・レジーム)をもたず、当初から民主的基盤の上に成立したことが関係してか、本質的に非実体的・非権力的で、憲法制定会議とその成案の承認を通じて、法律よりも高次の妥当性を根拠づけるという機能に基本的に集約される。 それには、アメリカの立憲主義がイギリスの古典的立憲主義と必ずしも切断されず、むしろある面ではそれを引き継ぐ形で成立したものであること、第二に、アメリカの憲法制定権力は、革命初期の諸邦における立法権優位の経験に基づく反動として、個人の諸権利を確実なものとするという保守的な土台の上に構想されたものであること、などが関係していたと思われる。   (d)フランス革命期は、君主主権、国民主権、ルソー流人民主権、シェイエス流憲法制定権力など様々な観念が競い合った時代であった。 1789年の「人および市民の権利宣言」にはルソー的思想の影響が指摘されているが、1791年の憲法は、君主主権を否定すると同時に、ルソー流人民主権をも斥けて、国民主権に与する姿勢を明確にした。 そこでは、「主権は、単一、不可分、不可譲で時効にかかることがない。主権は国民に属する」とされるが、「権力の唯一の淵源である国民は、委任によってのみその権力を行使しうる。フランスの国家体制は代表制である」と明言されている。 つまり、主権者たる「国民(nation)」は抽象的な観念的統一体としての国民であって、それ自体として具体的な意思・活動能力を備えた存在ではありえず、委任(包括的・集団的な代表委任)が不可避的に帰結されたのである。 代表と被代表との間の選任関係を不可欠の要素とせず、制限選挙制が採用され、訓令委任が禁止されたことなどは、いずれも国民(nation)主権の帰結であった。 他方、シェイエス流憲法制定権力は、憲法を制定し変更する権力として一括して把握されてものであったが、91年憲法においては、制定権力と改正権とに分離され、改正権は法的統制下におかれるとされる一方、制定権力は依然として法的統制を受けない存在であるものの、観念化され、憲法の妥当性を根拠づけるという機能に封じ込ようとする姿勢が示された。 ところが、93年憲法は、国民主権を斥けて、むしろ人民主権の考え方に依拠することを明らかにする。 ここでの「人民(peuple)」は、もはや抽象的な観念的統一体としての存在ではなく、それ自体活動能力を備えた具体的に把握できる存在である。 かくして、憲法改正のイニシアティヴは第一次集会に組織された人民に帰属せしめられ、また「人民が法律につき表決する」ものとされた。 そして、男子普通選挙制の下で直接選挙によって選出された立法府が統治機構の中で極めて高い地位を占めていることも見逃せない点である。   (e)右にみたように、フランスにおいては国民主権と人民主権とは別個のものとして区別され、両者間の葛藤が歴史を彩ることとなるが、選挙権の拡大につれ次第に議会は実在する民意を忠実に反映すべきであると考えられるようになり(第一節Ⅲ(7頁)参照)、第三共和制憲法下においてそうした考え方が定着するに至る。 理論上の曖昧さを残しながらも、実質的意味において人民主権への傾斜である。 他方、憲法制定権力論は、この第三共和制憲法の下で立憲主義が定着するにつれて後退し、むしろ制定権力をもって法の世界の外の問題と解し、法的には改正権のみが問題とされるようになる。 そして、さらには改正権と立法権との区別さえ曖昧化してしまう。 この点は法実証主義の強い影響下にあった19世紀後半のドイツ憲法学において一層顕著で、憲法改正権は立法権と同一視されている。  (ハ)国家主権権 国家主権論については、既に触れた。 繰り返せば、右の君主主権と国民主権・人民主権を忌避して、法人たる国家に主権が帰属するとしたもので、当時のドイツの法実証主義憲法学にいかにも相応しい考え方であったということができよう。 ここでは、主権の主体は法人たる国家に属するということで主権の人格性は残存しているが、本来の主権論からすれば主権観念の非人格化である。 主権観念は歴史的にみて公法学の領域から追放することはできないが、それを限定的に用いようとする態度であって、主権とは、国家権力が法的な自己決定および自己拘束をなす排他的能力をそれによってもつことになる、国家権力の特性である、などと説かれた。 この点さらに押し進めて、主権の主体の問題を認めず、むしろ法秩序の効力の属性の意味、つまり法秩序の至高性・非伝来性の意味において主権観念を捉えようとする見解も登場してくる。  (ニ)実力としての憲法制定権力 シェイエスによって主張された憲法制定権力は、右に見たように、ヨーロッパにあっては、立憲主義の確立過程において、法実証主義的思考傾向の下に、法の世界の外に放擲されたが、ワイマール憲法下において、シュミットによって新たな装いの下に再び重要な観念として導入されることになった。 彼は、ワイマール憲法前文の「ドイツ国民は、・・・・・・この憲法を制定する」の文言および1条の「国権は、国民より発する」という規定に着目し、それは憲法制定権力が国民にあること、つまり同憲法が国民主権主義に立脚するものであることを明確にしたものであると捉えたのである。 それでは、彼のいう憲法制定権力とは何か。 彼によれば、それは「自己の政治的実存の態様と形式に関する具体的な全体決定を下すことのできる、すなわち、政治的統一体の実存を全体として規定することができる実力または権威をもった政治的意思」であるとされた(この「憲法」を前提にしてはじめて妥当する憲法規定の集合は「憲法律」と呼ばれる)。 この憲法制定権力は、シェイエスの場合と違って自然法の観念を払拭した、すべての規範の上に立つ実力であり、そのこととも関連して制定権力の担い手は国民であることを要しないとされている(君主や少数者の組織も担い手でありうる)点に特色がある。 制定権力は、「移付され、譲渡され、吸収され、使い果たされることはありえ」ない、「可能態として常に存続」するものであるが、シェイエスの場合とは違って、憲法改正権とは峻別されている。(第三節Ⅱ(34頁)参照)。 シュミットの制定権力論は、主権の権力的契機を純粋に追求した結果得られた観念であったと解することができよう。 しかし、その実態は何かという段になると、喝采であり、現代国家では世論であることが示唆されるのみで、著しく神秘的色彩を帯びるものとなっている。 (2)実定法上の主権観念 以上主権観念の史的展開を瞥見したのみで、その他にも種々の主権観念がある。 そして第二次大戦後、シュミット流の活性的な決断主義的憲法制定権力論を否認ないし克服しようとする傾向が顕著である点は指摘しておく必要があろう。 ここではその委細について論及する余裕はないので、以下実定法とりわけ日本国憲法との関係で重要と思われる主権観念を整理し、その意義を再確認するにとどめておく。 明治憲法は、「統治権」という語を用いつつも「主権」という語は使用しなかったが、日本国憲法は、「主権」という語を何箇所かで使用し、むしろ「統治権」という語を用いてはいない。 「主権」についての明治憲法以来の有力な伝統的説明によれば、①最高権(自己の意思に反して他より制限を受けざる力)、②統治権(人に命令し強制する権利)、③国家内における最高機関の地位、さらには、④国家の意思力そのもの、を指すといわれた(美濃部達吉)。 これらの意味の中、まず、①は、国家の意思力の最高性、独立性ないし自主性に着眼しているもので、国家の意思力の属性を示すものである。 日本国憲法前文に「この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、・・・・・・」とあり、あるいは平和条約前文に「連合国及び日本国は、・・・・・・主権を有する対等のものとして・・・・・・」とあるのが、その例である。 それに対して、④は、国家の意思力そのものを指してのもので、「国権」とか「統治権」とか呼ばれるものである。 「主権」が唯一不可分であるという場合の主権はこの意味であると説かれる。 もっとも、既に見たように、「国権」あるいは「統治権」という語自体がまた一義的でなく、「国権」は国家の意思力そのものを指すのに対し、「統治権」は国家が有する権利の総体であるとして区別され、国家である以上3種の基本的権利、すなわち地域的統治権または領土高権、対人的統治権または対人高権、自主組織権(権限高権)を有するものでなければならない、などと説かれる。 ②は、このような「統治権」に対応するものということになる。 ポツダム宣言の8項に「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」とあるのがその例であるとされ、あるいは、領土主権といい、領土の割譲を主権の割譲というがごときもその例であるとされる。 問題は、③の「主権」観念である。 明治憲法時代、「唯一最高無限ニシテ独立」という「主権」概念により、その「主権」の所在如何によって君主国体と民主国体に分かつ説もあったが(穂積八束)、右の説(美濃部説)はそうした「主権」観念を排して最高の機関の地位について語ろうとするものである。 すなわち、美濃部は、明治憲法の「最も重要な根本主義」として「君主主権主義」に言及したが、それは、「統治を行ふ力が君主にその最高の源を発すること」、つまり君主が国家の「最高の機関」として「統治の最高の源泉たる地位に存ますこと」と解し、そして、「憲法制定権力」と「被制定権力」とを区別し、前者はその性質上何らの拘束も受けないというシェイエスの所説に触れて明確にそれを排撃した。 「国民が憲法以上に在って憲法の拘束を受けないものとすることは国民に不断の革命の権利を認むることであって、恰も専制主義の君主主権説に於て君主の権力が憲法以上に超越し、何時でも憲法を廃止変更することが出来るとする説と同様の誤に陥いって居る」というのがその理由である。 美濃部は、第二次大戦後も、国家法人説的見地に立って、統治の権利主体は常に国家それ自身であると捉え、日本国憲法前文に「ここに主権が国民に存することを宣言し」と明言し、本文1条に天皇の地位が「主権の存する日本国民の総意に基く」とあることをもって、「国家の統治権を行使する権能即ち国家の原始的直接機関として統治権を発動する力」が天皇から国民に移ったことを示すものと解した。 が、同時に、美濃部は、日本国憲法の成立に関し、いわゆる「八月革命」説に投じ、「憲法制定権」という言葉も使用したりして、「憲法制定権力」への傾斜を思わせる態度を示した。 この点、「国民主権」にいう「主権」とは、「国家の政治のあり方を最終的にきめる権力あるいは権威」であるとし、「シェイエス流に、『憲法制定権力』といってもいいかも知れない」と明言したのが宮沢俊義である。 そして、憲法にいう「国民主権」をそのような意味において理解する立場が支配的となったが、なおその具体的意味について解釈論上各種の考え方がありうるところで、その点については後に詳述する(第二編第一章第二節(92頁)参照)。 佐藤幸治『憲法 第三版』(1995年刊) p.92以下 Ⅰ 日本国憲法下の国民主権論 (1)総説 日本国憲法は天皇主権を排して国民主権に立脚するが、その国民主権の意味ないし内容については必ずしも一義的に捉えきれないところがあり、実際様々な見解が存する。 以下主な諸見解に触れ、あわせてその問題点について述べる。 (2)最高機関意思説 いわゆる国家法人説的見地に立って、統治の権利主体は常に国家それ自身であるとの前提の下に、国民主権をもって、国家の意思力を構成する最高の機関意思、国家の原始的直接機関(ここに「直接機関」とは他の機関から委任されたのではなく、直接に国家の組織法によって国家機関たるものをいい、その中でも、他の直接機関を代表するものではなく、憲法上自己に固有のものとして認められる権能を有するものを「原始的直接機関」という)として統治権を発動する力が国民に属するとする主義であると解し、その国民とは参政権を与えられているものの全体であるとする見解がある。 この説によれば、理論上、主権の所在は憲法によって定まることになり、主権は憲法によって創設された最高権という意味合いをもつことになる(美濃部達吉は、国民主権は憲法の民定性を要求すると解しているようであるが、主権者をもって憲法・法律によって組織された国民と解する限り、憲法以前にそのような国民が存しうるのか疑問である。この点、佐々木惣一は、日本国憲法は欽定憲法であるとなし、ただ、日本国憲法の規定によれば、天皇の制定による欽定憲法というものは将来は存在しえないと説く)。 主権者たる国民からは一般に天皇は除かれる。 ただ、この国民は、雑然とした多数者であって常に直接国家意思を決定することはできないので、主権者たる国民の意思を現実に表示することを職分とする代表者が必要であり、日本国憲法上は国民の選挙によって選ばれる国会がそれにあたるとされる。 この見解jは憲法発足当初有力に主張されたものであるが、次のような問題性が指摘されうる。 まず、主権をもって機関意思と把握する以上行為能力が問題となり、そこでこの説は主権者を有権者とするのであるが、国民の中には主権者たるものと主権者でないものとがあることになって、国民主権の根本理念に反することにならないか。 第二に、主権者たる国民は具体的には有権者とされるが、誰が有権者かは日本国憲法上基本的には法律で決まることになっていること(44条参照)、また、日本国憲法が国会をもって「国権の最高機関」としていること(41条)、との関係をどう考えるか。 第三に、主権は憲法を生み出す力(憲法制定権力)と解すべきであって、憲法によって主権の所在が決まるというのは主権の本質を見誤るものではないか。 第四に、論者によっては、国民主権をもって、国民が国権の源泉者または国権の「総攬者」であることの意味に解するが(佐々木惣一)、天皇が「総攬者」であると同じような意味において国民の「総攬者」を語りうるか否か。 第五に、この説は、国民の選挙によって組織される国会が立法権を中心に国政を統括する地位に立つとすれば、国民主権の趣旨は満たされるとする傾きをもつが、国会の権能ももとより憲法による拘束下にあることをどう理解するか、また、選挙にそのような本質的契機を認めることは果たして妥当であろうか。 (3)憲法制定権力説  (イ)総説 最高機関意思説の右のような問題性を踏まえて、国民主権をもって憲法制定権力が国民にあるという趣旨に解そうとする見解が主張される。 もっとも、この点において基本的発想を共通にしつつも、仔細をみれば、さらに次のような諸説の分岐がみられる。  (ロ)実力説 まず、憲法制定権力の本質を最高の実力に求める見解がある。 これは、上述の(第一編第一章第四節Ⅱ(57頁))シュミットの憲法制定権力論に通ずる見解である。 しかし、この見解に対しては、憲法制定権力が実力であるとして、その実態は何かという段になると一向に明らかにされないという批判、あるいは、最高の実力としての憲法制定権力にとって、憲法典の制定とはそもそも如何なる意味をもちうるのかという批判、が妥当する。 制定権力の実態は明らかにされず、しかも制定権力はそれを制約づけるもののない全能の存在ということになると、誰もが制定権力の行使の名において憲法を変更することを正当化する途が開かれていることにならないか。 そうなると、憲法はもはや法の世界ではなく、全く政治の世界そのものと化してしまわないか。  (ハ)権限説 実力説の右の問題性を忌避して、実定的な「根本規範」の存在を想定し、憲法制定をもってかかる「根本規範」の授権に基づき(内容的制限を含めて)行われるところの機関としての行為として捉えようとする見解が登場する。 つまり、憲法制定権力は、厳密には憲法制定権限となる。 そしてここにいう「根本規範」とは、純粋法学流の仮設規範ないし法理論的意味における憲法ではなく、すべての成文憲法の前に妥当する、人間人格不可侵の原則を核とする価値体系にかかわる規範であるとされる。 かかる考え方に依拠して、一般に、権限主体は、シェイエスの場合と同様国民でなければならないとされ、そして君主主権に対峙する意味で国民からは天皇は除かれ、かつ機関としての行為が問題となることから具体的には有権者が想定される。 この見解に対しては、次のような問題性が指摘される。 まず、憲法制定の権限主体、制定の手続、制定さるべき憲法の内容を定める実定的な「根本規範」といったものはそもそも存在するのjか。 第二に、人間人格不可侵の原則の実定性が承認されるとしても、その具体的内容および実現の方法は決して一様ではありえず、その違いが如何にして確定されるかはなお重大な問題として残るというべきではないか。 第三に、国民の中に主権の担い手たるものとそうでないものとの区別が生じ、国民主権の根本理念に反することにならないか(未成年者などの非有権者は、何故に憲法に従わなければならないのであろうか)。 第四に、有権者は日本国憲法上基本的には法律によって定められるが、憲法制定の権限主体が結局国会によって定められることになって不当ではないか。  (ニ)監督権力説 主権者としての意思活動を憲法制定権力の発動と把握する立場に立ちつつ、国民主権の本質をもって、国民の代表の行なう統治に対して、同意を与えまたは与えない監督の権力たるところに求める見解が存する。 つまり、国民主権は、具体的な積極的行動を行なう組織化された主体にかかわるのではなく、国家の統治作用に同意を与えまたは与えないという受動的な作用を本質とするところの、現に生活しているすべての国民全体の「一般意思」の力であるところにその眼目があると解するのである。 国民主権国家にあっては、国権が国民の代表によって行われるにせよ、結局国民の同意が国政における決め手となることが力説される。 この見解は、実力説および権限説のそれぞれ有する問題性を免れ、と同時に国民主権における討論の自由(表現の自由の保障)と自由なる選挙の不可欠性を提示している点で優れた説というべきである。 が、そこでいう「一般意思」とは具体的に何であり、それは如何にして認定されるか、一時点における支配的意思が「一般意思」として絶対視される危険はないか、あるいは、国政は結局「一般意思」によって行われるということになって悪戯に現状肯定的な保守的説明手段に堕しないか、といった疑問がありえよう。 また、国民の同意が国政における決め手であるということであるとすれば、およそ国民が政治的意思を持つ限り、憲法の定め如何に関わりなく国民が主権者ということになりはしまいか、という疑問が生ずる。 それは、結局、いわゆる「事実の確認としての国民主権」論や後述のノモスの主権論に接近する。  (ホ)最終的権威説 国民主権をもって、憲法制定権力が国民によって担われるという意味において把握するが、制定権力をもって実力とみたり権限とみたりせずに、統治を正当化すべき権威が国民に存するという意味において理解する見解が存する。 ここにおける国民とは抽象的な観念的統一体としての国民であって、およそ日本国民であれば誰でも包含され、天皇も私人としてみる限りこの国民に含まれると解することが可能となる。 この見解は、主権 = 憲法制定権力から権力的契機を徹底的に排除し、あくまでも権力の正当性の所在の問題として把握し、主権 = 憲法制定権力という実定法上の概念の名の下に憲法破壊ないし人権侵害が正当化されることを回避しようとする立場であると解することができる。 そして、主権者たる国民は権威の源泉としての国民であって、国家機関としての国民とは異なり行為能力を問題とする必要はなく、最高機関意思説や権限説のように国民の範囲をめぐる問題にかかわる必要はないという長所をもつ。 しかし他面、この説による国民主権はあまりにも無内容ではないか、国民主権はそこから一定の政治組織上の原則が帰納さるべき性質のものと捉えるべきではないか、の批判が加えられることになる。 (4)ノモスの主権説 主権をもって事実の世界から完全に切断し、純然たる法理念の問題として把握しようとする見解が存在する。 それによれば、いかなる権力も超えてはならない「正しい筋途」すなわちノモスがあるのであって、国の政治を最終的に決めるものが主権であるとすれば、主権はノモスにあるとみるべきであるとされる(因みに、ノモスは、古典古代のギリシャにおいて自然[ピュシス]の対立概念として考えられ、絶対的なものではなく破られやすいものではあるが、それに従うべきであるとされたものであるという)。 あるいは、この説は、法の効力根拠をノモスという道理・規範に求める説だとみる余地もある(*1)(そうだとすると、この説は、「根本規範」の存在を前提とする先の権限説に接近する)。 この説によれば、国民主権か君主主権かという問題は全く第二義的な問題と化してしまう。 事実、この説は、国民主権も君主(天皇)主権もすべてノモスという理念の支配であるから、明治憲法から日本国憲法に変っても「国体」は不変であると主張した。 しかし、仮にそのようなノモスが存在するとしても、具体的にどのような内容のノモスが、どのような方途を通じて支配するのか、という問題意識がこのノモスの主権説に欠落しており、天皇制の弁明としての性格をもつものであった。 ただ、国民主権の場合であっても、あるべき政治とは何かの課題は残るのであって、その限りでは、ノモスの主権説も考えるべき課題を提起しているといえよう。    (*1) 尾高朝雄はこのノモスの主権説の論者として知られるが、そのノモスの主権は結局のところ為政者への「心構え」の問題にとどまって、それに反する立法の無効の主張にまでは及ばなかった。       そこには、法の効力をもって「法的規範意味が事実の世界に実現され得るという『可能性』である」と捉える考え方が作用していたようである。       つまり、法の効力は当為のレヴェルではなく、事実のレヴェルにつなぎとめられていたからである。 (5)人民主権説 国民主権の主権をもって憲法制定権力と解することに反対し、主権を実定憲法秩序における国家権力の帰属の問題として捉えるべきであるとし、従って主権が国民にあるとされる場合の主権は、憲法秩序に取り込まれた構成的な規範原理として、国民をして実際の国政の上で最高権の存在に相応しい場を確保せしめるという民主化の作用を果たすべきものとみるみるべきであるとする見解が存する。 そして、国民主権をルソー流の人民主権の方向で把握するのがあるべき歴史的解釈であるとし、日本国憲法に即していえば、15条1項、79条2項・3項、96条1項などは人民主権に馴染む規定であると捉え、43条1項や51条の規定にかかわらず、命令的委任の採用は可能であると説く(命令的委任の意味は必ずしも明確ではないが、一般に、選挙で選ばれた代表者は選挙区の訓令によって行動する義務を負い、それに違反した場合には有権者によって罷免されうるという要求を内容とするようである)。 この見解は、まず、主権は法的権力であるが、憲法制定権力は法の外の世界に属する事象と捉えるところに特徴をもつ(この説によれば、主権 = 憲法制定権力という定式では、国民主権は建前と化し、結局現実の国政の場で国民を主権者たる地位から追放することになるという。) しかし、主権観念が国家統治のあり方に最も根源的にかかわり合う憲法の制定に無関係とすることは問題で、ドイツのように、「ドイツ国民は・・・・・・その憲法制定権力に基づき、この基本法を決定した」(前文)とうたって、憲法制定権力を実定化している例のあることが留意さるべきである。 そして、主権 = 憲法制定権力と基本的に把握することが、直ちに主権観念をして無内容のものとすると解するべきではなく、後述のように一定の構成的作用を果たすものであるとみるべきであろう。 なお、フランス的文脈でいえば、いわゆる「国民主権」から「人民主権」へという定式が成り立つとしても(1946年憲法も58年憲法も、国の主権は人民(peuple)に属するとしている)、そのことから、一般的に、あるいは日本国憲法上、命令的委任が当然に帰結されるといえるかは問題で、この点については後述する(第二章(13頁)参照)。 国民代表の観念が、現実でないものを現実であるかのごとく装うという「イデオロギー」的性格をもつとすれば、命令的委任も、そのような「イデオロギー」的性格を免れえているわけではない。 Ⅱ 国民主権の意義 (1)総説 以上みてきたように、日本国憲法下の国民主権の意味について諸種の見解が存するところであるが、今日国民主権は単一の次元においてのみ捉えるべきではなく、複数の次元を包摂する全体像において把握されるべきものと思われる。 すなわち、国民主権には、大別して、憲法を定立し統治の正当性を根拠づけるという側面と、実定憲法の存在を前提としてその憲法上の構成的原理としての側面とがあり、後者はさらに、国家の統治制度の民主化に関する側面と公開討論の場(forum)の確保に関する側面とを包含するものと解すべきである。 (2)憲法制定権力者としての国民主権 国民主権は、まず、主権という属性をもった国家の統治のあり方の根源にかかわる憲法を制定しかつ支える権力ないし権威が国民にあることを意味する。 この場合の国民は、憲法を制定した世代の国民、現在の国民、さらには将来の国民をも包摂した統一体としての国民である。 従って、この場合の国民は、基本的には、それ自体として国家の具体的な意思決定を行ないうる存在ではない。 換言すれば、雑然とした国民の全体を一つの観念で把握し、そこに一つの意思があると想定し(あるいはこれを一般意思と呼んでもよい)、その意思に国家の合法性の体系を成立せしめる究極の正当性の根拠をみるのである。 もとより、国民主権を標榜する場合であっても、現実には、憲法は、ある歴史的時点において、その世代の人々により、ある方法をとって(憲法会議と国民投票という方法をとることもあれば、そうでない場合もある)制定される。 その意味では、国家の合法性の体系は具体的な意思ないし実力(権力)から生まれるものといわなければならない。 つまり、権限説やある種のノモスの主権説のように「根本規範」ないし自然法といったものを想定し、国家の実定法体系をその具体化・実現として捉える(法の根拠についての道理説)のではなく、法の根拠について意思ないし実力に求める立場である。(*1) しかし、その場合に問題となるのは、何のために、如何なる原理に基づく憲法を制定するかである。 主権者(憲法制定権者)たる国民が立憲主義憲法を制定する場合、そのときの国民は、個人の人格的自律が尊重される“良き社会”の形成発展という長期的視野に立って自己拘束をなし、また、後の世代の国民がそれぞれの時代の状況に柔軟に対応しつつ“良き社会”の形成発展に向けて自己統治を行なうことを容易にする政治システムを構築しようとするのである。 過去の国民(“死者”)は現在の国民(“生者”)を拘束することはできない。 立憲主義を支える道徳理論によるならば、過去の国民(“死者”)が現在の国民(“生者”)を拘束することが許されるのは、現在の国民(“生者”)が自由を保持しつつ自己統治をなすことを容易にする制度枠組を構築する、換言すれば、現在の国民(“生者”)が自由な主体として自己統治をなすことができる開かれた公正な統治過程を保障するという場合のみである。 国民をもって、憲法を実際に制定した世代の国民、現在の国民、さらに将来の国民を包摂した観念的統一体として把握し、そのような国民の意思に国家の合法性の体系の成立・存続の正当性の根拠を求めることが道徳理論上認容されうるのは、そのような条件が満たされる場合においてのみであろう。 このような意味において、国民がその担い手である憲法制定権力は基本的には端的な実力ではなく、一般的な意思ないし権威となる。 ただ、上述のように憲法改正権は制度化された憲法制定権力と解されるから(第一編第一章第三節(34頁)参照)、改正の場に登場する国民は具体的には一定の資格をもったもの(有権者)のみではあるが、主権者たる国民そのものに擬すべき存在と解するべきであろう。 これによって、主権者たる国民は、制度枠組自体をそれぞれの時代に制度的に適応せしめる途が開かれている。  (*1) 宮沢俊義は、尾高のノモスの主権説を批判するにあたって、意思ないし実力説的見地に立つことを示唆したが、他方では、「憲法の正邪曲直を判定する基準になる『名』」の存在、さらには憲法の効力さえ左右する自然法論のごとき立場に与することを示唆した。 (3)実定憲法上の構成的原理としての国民主権  (イ)統治制度の民主化の要請 国民主権は、憲法を成立せしめ支える意思ないし権威としてのみならず、その憲法を前提に、国家の統治制度が右の意思ないし権威を活かすよう組織されなければならないという要請を帰結するものと解される。 次節にみるように国民は有権者団という機関を構成するが、それは民意を忠実に反映するよう組織されなければならないとともに、統治制度全般、とりわけ国民を代表する機関の組織と活動のあり方が、憲法の定める基本的枠組の中で、民意を反映し活かすという角度から不断に問われなければならないというべきである。 国民主権のこの要請から例えば命令的委任が帰結されるかどうかは、日本国憲法の定める基本的枠組の解釈の問題であって、その点については後述する(本編第二章(136頁)参照)。 また、有権者団としての国民の意思、その意思に基づいて組織される国家機関の意思は、(2)の憲法制定権力者としての国民の意思そのものではないのであって、絶対性を主張することはできないことが留意さるべきである。  (ロ)公開討論の場の確保の要請 構成原理としての国民主権は、統治制度の民主化を要請するのみならず、かかる統治制度とその活動のあり方を不断に監視し問うことを可能ならしめる公開討論の場が国民の間に確保されることを要請する。 集会・結社の自由、いわゆる「知る権利」を包摂する表現の自由は、国家からの個人の自由ということをその本質としつつも、同時に、公開討論の場を維持発展させ、国民による政治の運営を実現する手段であるという意味において国民主権と直結する側面を有している。 しばしば国民主権は“世論による政治”であるといわれるのは、国民主権の右の面にかかわるが、ただ、ここでいわれる世論は憲法制定権力者としての国民の意思そのものと目さるべきでないこと勿論である。
今や世界の人々に身近に親しまれる Japanese Culture (日本産の文化)に成長したアニメについて簡単に紹介し考察を深めていくページ (※掲載作品の範囲は、&COLOR(CRIMSON){&BOLD(){2013年年末時点}}まで)。 <目次> #CONTENTS ---- *■1.アニメは立派な日本文化だ 一時代前の偏見に囚われて「アニメなんてどうせ下らないんだろう」「子供向けの幼稚な内容なんだろう」「実写映画・ドラマや小説の方が深みがある」と頭から思っている人はまだまだ多いのかも知れない。 しかし、冷静かつ客観的に評価するならば、特に2006年頃から、①原作プロット・シリーズ構成・脚本、②演出、③作画、④楽曲・声演 の各分野で、目を見張る優秀な作品がパラパラと登場し始め、2011年以降は、それら①~④の各分野を高いレベルで総合したトータルな魅力を持つ名作が同時に幾つも登場し始めて、昨今では、少なくとも②~④に関しては「出来の悪い」作品を見つけ出すのが困難に感じるほどに全体レベルの著しい向上が観られるようになった。 なお、残念ながら、①原作プロット・シリーズ構成・脚本は、実写映画やTVドラマなど他の分野もそうであるように、アニメに関しても、そう易々とはレベルが向上していないのだけれども、もし良い①原作があれば、それを高いレベルのアニメ作品として纏め上げる技術は既に十分に確立されているように見受けられる。 このページは、日本文化の一翼を担うアニメについて、特にアニメに関して知識不足な人が「あれれ?自分って勘違いしてたの?」と思い直すキッカケとなることを目指します。 //**◆2.教養と愉悦のためのアニメ紹介 ---- *■2.アニメの古典 まず最初に、各年代を代表する名作アニメを簡単にお浚(さら)いしておきましょう。 (1)1960年代 |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=SSbaZuTW1Q0){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[鉄腕アトム>http://www.youtube.com/watch?v=SSbaZuTW1Q0]](1963年)&BR()[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E8%85%95%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%A0_(%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E7%AC%AC1%E4%BD%9C)]]、アニメ制作(虫プロダクション)、少年漫画原作| |~|手塚治虫原作の漫画をもとに日本初の連続TVアニメ(当時の言葉で「テレビまんが」)として制作され、常時視聴率20~40%台を誇る大人気番組となった。1966年末の最終回はアトムが地球を救うためにミサイルを抱えて太陽に単騎突入するという神風特別攻撃隊をイメージさせるエピソードで締めくくられており、放送を見た全国の児童に大きな精神的影響を与えたという(なお、この最終回はアメリカ放送版ではカットされた)。&BR()2005年に放映され一部で名作の評がある『[[SoltyRei>http://www.youtube.com/watch?v=_PkmYztgZaQ]]』(ソルティレイ)には鉄腕アトムのモチーフが垣間見られる。| (2)1970年代 |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=8Y_JM9XA4Oc){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[宇宙戦艦ヤマト>http://www.youtube.com/watch?v=8Y_JM9XA4Oc]](1974年)&BR()[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99%E6%88%A6%E8%89%A6%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88]]、アニメ制作(オフィス・アカデミー)、オリジナル作品| |~|宇宙空間を舞台とした戦闘・メカ系アニメの金字塔であり、1977年の劇場版の大ヒットにより空前のアニメ・ブームを巻き起こした名作である。そして大東亜戦争末期の戦艦大和の沖縄特攻作戦(菊水作戦)を直接のモチーフとする点でも特異な位置を占める作品である(宇宙戦艦ヤマトは、坊ノ岬沖に横たわる大昔の戦艦・大和の残骸を隠れ蓑にして建造され、沖縄ならぬイスカンダルを目指して単艦で出撃する、という設定となっている)。終戦からまだ29年、沖縄の日本復帰からまだ2年しか経っていない時点でのこの放送内容は相当に刺激的であったはずであり、敵のガミラス帝星がアメリカよりはナチス・ドイツをイメージさせる描出となっているところもまた興味深い。&BR()2012年~13年にかけて現代風にストーリー改変した[[リメイク版>http://www.youtube.com/watch?v=yue88a0Mx50]]が制作され、劇場公開・TV放送された。&BR()※なお後述の[[■4.補論:80~90年代アニメの左翼汚染について>http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1891.html#id_dce68286]]も参照(当ページがなぜ「ガンダム」「ナウシカ」を名作と評価しないのかを説明しています)。| (3)1980年代 |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=LNA3aCcJp8E){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[魔法のスターマジカルエミ>http://www.youtube.com/watch?v=LNA3aCcJp8E]](1985年)&BR()[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%A8%E3%83%9F]]、アニメ制作(スタジオぴえろ)、オリジナル作品| |~|魔法少女アニメは1966年の「魔法使いサリー」を初めとして数々の名作が作られてきたが、この作品は[[完成度において一つのピークを達成するとともに魔法少女アニメというカテゴリー自体を半ば破壊した>http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/eb555eb7a9abcc3753597d00e052cb06]]と評される。すなわち、この作品は、魔法の力でいつの間にかマジック劇団のアイドル・スターに祭り上げられてしまった少女が、やがて魔法ではなく自分の力で憧れのマジシャンへの道を進む決意を固めて妖精に魔法の力を返却してしまう、という異例の展開を、少女の心境の緩やかな変化という一種の心理ドラマとして構成して、従来の魔法少女アニメより一歩も二歩も高い境地に達してしまった。&BR()これ以降の魔法少女アニメは、男児向けの戦闘アニメとさほど見分けのつかない戦闘美少女系アニメ、ないしはマジカル・エミのようなノーマル系の魔法少女をモチーフとしたパロディ的な作品ばかりが制作されるようになってしまったという。| (4)1990年代 |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=NHzHgESebM4){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[新世紀エヴァンゲリオン>http://www.youtube.com/watch?v=NHzHgESebM4]](1995年)&BR()物語(8点)、作画(5点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%B3]]、アニメ制作(タツノコプロ、GAINAX)、オリジナル作品| |~|それまで顕著に存在した男児向け・女児向けといった性別カテゴリーや、アニメは子供向けのものといった固定観念を破壊したアニメ史上空前絶後の問題作。一応は戦闘・メカ系アニメの顔をしているが、むしろ主人公と周辺人物たちの心理劇という側面が世界の破滅という悲劇と相俟って視聴者に強くアピールし、「セカイ系」という新たなアニメ・カテゴリーを創出したとされる。&BR()21世紀に入ってもストーリー改変した[[リメイク版劇場アニメ>http://www.youtube.com/watch?v=bIOoQkXtS1A]]が数年置きに制作・公開されヒットし続けている。| |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=fDIvIiA3d_w){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[カードキャプターさくら>http://www.youtube.com/watch?v=fDIvIiA3d_w]](1998年)&BR()物語(8点)、作画(5点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%97%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89]]、アニメ制作(マッドハウス)、少女漫画原作| |~|NHK放映アニメ史上最高額といわれる潤沢な予算を掛けて制作され、深夜アニメとは桁違いの数の視聴者に愛されかつ影響を与えたこのアニメは、TV全70話+映画2作という長編でありながら、シリーズ構成・脚本・作画に殆ど綻びが見られず、上で紹介した[[マジカルエミなどの先行する魔法少女アニメのモチーフを踏まえながら>http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/eb555eb7a9abcc3753597d00e052cb06]]、主人公である少女の2年半に渡る緩やかな心の成長を描き切って飽きない。&BR()このアニメの本来のターゲットとされる視聴者層(つまり小学生達)は、心の正しい女の子は(そして勿論、男の子は)このように感じ、また振る舞うのだ、ということを知らず知らずのうちに心の裡に感じ取ったはずであり、現在もなお男女を問わずこの作品を最愛のアニメに挙げる人が絶えない。&br()もしこの作品を絵柄だけ見て「萌えアニメ」と切り捨てるとすれば、それは大きな勘違いであろう(なお、このアニメの放映が終わった2000年頃から[[「さくら」と命名された新生児が急増>http://blog.livedoor.jp/ooofunooo/archives/19602.html]]し現在までその趨勢が続いているという)。| (5)2000年代 |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=SGdDOyY2h1s){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[涼宮ハルヒの憂鬱>http://www.youtube.com/watch?v=SGdDOyY2h1s]](2006年春、2009年春、2010年冬(劇場版新作))&BR()物語(TV版8点、劇場版『涼宮ハルヒの消失』9点)、作画(TV版8点、劇場版『涼宮ハルヒの消失』9点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%BC%E5%AE%AE%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%92%E3%81%AE%E6%86%82%E9%AC%B1_(%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1)]]、制作(京都アニメーション)、ラノベ原作| |~|2006年春の時点で、①シリーズ構成・脚本、②演出、③作画、④楽曲・声演のいずれを取っても当時としては異例に高い完成度をもって制作・放映され、現代アニメの方向性を決定づけた傑作。&br()それまでのアニメが、世界や人類の平和、ないしは主人公の心の葛藤といった大袈裟なテーマを勿体をつけて視聴者に語りかけていた(語りかけられる側には日蔭者意識=オタク意識がまとわりつくのが常だった)のに対して、この作品は何よりも「視聴者を楽しませる」というエンターティンメント性の高い内容にシフトして構成されており、そのためにリア充(リアル生活も充実している人)系ラブコメの代表作とも評されることになった。&br()2006年放送版は内容がシャッフルされておりストーリー展開が掴み辛いので、2009年放送版(再放送&完全新作)+劇場版『[[涼宮ハルヒの消失>http://www.youtube.com/watch?v=eHKyNQopYXo]]』(2010年)の視聴をお勧めする。&BR()なお2009年放送版の途中には、[[エンドレス・エイト>http://www.youtube.com/watch?v=UHgRE4y0l6E]]と呼ばれる8回に及ぶ繰返し回があり、悪評が高いが、そこで描かれるサブ・ヒロイン(長門有希)の微妙な変化がTV版最終回さらに『[[消失>http://www.youtube.com/watch?v=MYa2LgELd7c]]』への重要な伏線となっているので端折らずに全回視聴すると良い。| ---- *■3.現代アニメ 「涼宮ハルヒの憂鬱」(2006年)以降の成熟・爛熟期に突入した現代アニメから、特に代表的なものを紹介していきます。 (※掲載作品の範囲は、&COLOR(CRIMSON){&BOLD(){2013年年末時点}}まで)。 |BGCOLOR(silver):なお作品の評価方法は、①物語・②作画それぞれを10点満点とした点数評価をベースとしますが、それらに③+αの個別評価(作品の人気度や独自性等)を加味してS~C級に振り分けています。①・②の各点数の意味は以下の通り| |BGCOLOR(silver):10点(現時点で最高)、9点(非常に良い)、8点(かなり良い)、7点(良い部類)、6点(平均点を満たす)、5点(平均点以下)、4点(ダメな部類)、3点(かなりダメ)、2点(全然ダメ)、1点(論外にダメ)| **◆1.傑作アニメ(S級) ---- 何度も見返す価値のある本当の意味の名作・傑作と思われるもの。 ※実際は、テーマ(1)・(2)・(3)が様々な割合で混在しているのが普通です。 (1)試練、成長 |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=SIrMJSX6lbw&list=PL4287E54E8FF2BA94){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[ガールズ&パンツァー>http://www.youtube.com/watch?v=SIrMJSX6lbw]](2012年秋)&br()物語(9点)、作画(9点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%26%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%BC]]、アニメ制作(アクタス)、オリジナル作品| |~|女子高生が戦車に乗り込みスポーツ・バトル!の馬鹿馬鹿しい設定と思わせておいて、話が進むほどに少年漫画の王道的展開を見せる熱血“神”アニメ。構成に一切無駄がなく、登場するほぼ全てのキャラクラーが各々個性的な魅力を放っている点、そして何よりも毎回何故か視聴者に幸福な満足感を与えてくれる点でも稀有な傑作。| (2)友情、恋愛 |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=83PmrP7UqDI){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[とらドラ!>http://www.youtube.com/watch?v=83PmrP7UqDI]](2008年秋)&br()物語(9点)、作画(7点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%82%89%E3%83%89%E3%83%A9!]]、アニメ制作(J.C.STAFF)、ラノベ原作| |~|作品の半ば(第13話辺り)までは月並みな学園ラブコメと思わせておいて、そうして張った様々な伏線を、第17話以降~最終話(第25話)までの最後の1/3で見事に回収しつつシリアスな恋愛と友情の相克劇を爆発的に描き出す現代版『感情教育』。アニメにここまで説得力の高いリアルな恋愛感情の表現が出来るとは正直思わなかった・・・。不覚でした。| (3)救済、癒し |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=1zbRU1CrKBo){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[魔法少女まどか☆マギカ>http://www.youtube.com/watch?v=1zbRU1CrKBo]](2011年冬、2012年秋(劇場版総集編)、2013年秋(劇場版新編))&br()物語(TV版・劇場版総集編10点、劇場版新編9点)、作画(TV版9点、劇場版総集編・劇場版新編10点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E6%B3%95%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%81%BE%E3%81%A9%E3%81%8B%E2%98%86%E3%83%9E%E3%82%AE%E3%82%AB]]、アニメ制作(シャフト)、オリジナル作品| |~|使い古された“魔法少女”というファンタジー設定を逆手にとって、視聴者をまんまと哲学的思索へと誘い込んでしまう、①原作プロット・シリーズ構成・脚本、②演出、③作画、④楽曲・声演 の全てに亘って完璧な出来映えの傑作(※[[内容紹介動画>http://www.youtube.com/watch?v=UZqgpKnHlac]])。&br()なお、余りに本作が傑作すぎたせいで果たして筋の通った続編が可能か危ぶまれていた[[2013年10月公開の新編「叛逆の物語」>http://www.youtube.com/watch?v=oHj11IWgKbg]]も脚本・作画とも予想を上回る濃密かつ精緻な仕上がりで当シリーズの圧倒的魅力を改めて認識させるものとなった。| (4)等身大の日常 |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=_Z7HVtVDeQk&list=RD02xB9jyaCyY5Q){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[けいおん!>http://www.youtube.com/watch?v=_Z7HVtVDeQk]](2009年、2010年、2011年(劇場版新作))&br()物語(TV版8点、劇場版8点)、作画(TV版9点、劇場版9点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%91%E3%81%84%E3%81%8A%E3%82%93]]、アニメ制作(京都アニメーション)、4コマ漫画原作| |~|(1)~(3)と違い、アニメの物語(ロマン)としての側面は敢えて抑えて、平凡な学園生活を題材としつつ作品の技術的洗練度を最高度に高めた傑作。メイン・デッシュが出てくるわけではないのだけれど、少しずつ味わっているうちに、じわじわと美味しくなって何杯でもお替りしたくなる感覚はまるで日本料理?&BR()なお、2011年12月に劇場公開された『[[映画けいおん!>http://www.youtube.com/watch?v=WfgteoZLx80]]』は、軽音楽部メンバーのロンドンへの卒業旅行という非日常経験をエピソードに挟みながら本編のラスト(メンバー4人の高校卒業)を補完しており、本作品の世界観をより濃縮・純化した形で表現している。| **◆2.優良アニメ(A級) ---- S級には及ばないが、少なくとも一見の価値がある優良作。 (1)“絆”の確認 - アニメは本当に下らないのか? |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=ecOZrN8_a3Y){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[THE IDOLM@STER(アイドルマスター)>http://www.youtube.com/watch?v=ecOZrN8_a3Y]](2011年夏)&BR()物語(8点)、作画(9点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/THE_IDOLM@STER_(%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1)]]、アニメ制作(A-1 Pictures)、ゲーム派生のオリジナル作品| |~|2013年初めに、NHKラジオ番組で、事前選考を経て対象を10名に絞ったうえで行われたアニメ・ヒロイン人気投票「[[わたしの大好きなヒロインたち>http://famas963.ldblog.jp/archives/22038341.html]]」で、上記の魔法少女まどか☆マギカ(暁美ほむら、鹿目まどか)や、けいおん!(平沢唯)、さらにはカードキャプターさくら(木之本桜)、涼宮ハルヒというアニメの世界では超有名なヒロイン達を差し置いて、全体投票の44%を獲得して第一位に選ばれたのは、このTHE IDOLM@STER(アイドルマスター)のヒロインの一人、天海春香だった。&BR()ヒロインといっても、同作品はある芸能事務所に所属する12人の少女達のアイドルとしての成長を一種の群像劇として描いており、天海春香はその中の一人、むしろアイドルとしては最も地味で控えめな役としてしか描かれおらず、最終3話で人気アイドルとして個々に輝き始めた少女達の結束の要(かなめ)としての地味な貢献にようやくスポットがあたる仕掛けとなっている。&BR()いわゆる萌え系の絵柄のアニメであることに加えて、アイドル成長ものという題材であることから、ゲーム原作のこの作品の良質なアニメ化には相当の困難があったはずだが、そこを奇をてらわず淡々と個々の少女達の成長エピソードを積み上げながら、ラストを“少女達の原点”そして“絆”の確認で締めくくる手法は、やはり見事と云うべきであろう。&BR()東日本大震災の起こった2011年は、実は「魔法少女まどか☆マギカ」、「STEINS;GATE」、「あの日みた花の名を僕達はまだ知らない」といった名作アニメが次々と制作・放映された年であり、震災とこうしたアニメ品質の突然の向上とに特に因果関係はないのかも知れないが、「THE IDOLM@STER」もまたそうした特別な年の雰囲気を背景に幾人もの才能ある人たちの秘められた熱意によって生み出された作品であるように受け取ることは可能であろうし、また前記のNHK番組でエントリーされた10人のヒロインの中でも一番地味な役割の少女が圧倒的多数で「[[わたしの大好きなヒロイン>http://temple-knights.com/archives/2013/01/nhk-animeland-no1-heroine-haruka.html]]」に選ばれたことにも何かしらの必然があるように見ることもできるだろう。&BR()私はこの作品を視聴しながら、「アニメは本当に下らないのか?」という自問を何度も繰り返さざるを得なかった。| (2)アニメの前衛 |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=Ls-IZnBRmcQ){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[化物語>http://www.youtube.com/watch?v=Ls-IZnBRmcQ]](2009年夏)&br()物語(7点)、作画(9点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%96%E7%89%A9%E8%AA%9E]]、アニメ制作(シャフト)、ラノベ原作| |~|化物語を第一作とする《物語シリーズ》は2013年現在もセカンド・シーズンが放映中の、表現技法に関して実験色の非常に強いアニメであり、ストーリー自体も予想の斜め上に走る場合が多くエンターティンメント性の高い作品に仕上がっている。| (3)高等遊民・中二病もの(男、特殊能力あり) |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=3ngiZjmnPgc){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[STEINS;GATE>http://www.youtube.com/watch?v=3ngiZjmnPgc]](2011年春)&br()物語(TV版9点、劇場版新作6点)、作画(TV版8点、劇場版新作8点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/STEINS;GATE_(%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1)]]、アニメ制作(WHITE FOX)、ゲーム原作| |~|自称「マッド・サイエンティスト」の理系大学生・岡部倫太郎は、10代で科学雑誌に論文発表済の本物の天才科学者・牧瀬紅莉栖、同級生の「天才ハッカー」橋田至、幼馴染のコスプレイヤー椎名まゆりらラボメン(研究所のメンバー)とともに、過去の日時に送信される携帯メール「Dメール」を開発したことから、次々と自分が予想もしなかった過去改変を引き起こしてしまう。&br()作中に若干の無駄・無理展開があるため残念ながらS級認定から外したが、想定科学ADVの謳い文句に恥じない良作である。&br()主人公・岡部のキャラが典型的な厨ニ(中二)病で、アニメ開始後しばらくは相当にウザく失笑ものだったはずが、終盤の第23話でその評価が180°引っ繰り返ってしまい、視聴者の多くは今更ながら岡部の決断と行動に声援を送っている自分に気づくことになるだろう。&br()本作品はまた、秋葉原のオタク文化(パソコンやメイド喫茶など)や2チャンネル(作中の@チャンネル)系のコミュニケーション(隠語の使いまわし等)に関しても多くの題材を扱っており、これらに疎い人には示唆するところが多いだろう。&BR()なお、2013年公開の[[劇場版新作>http://www.youtube.com/watch?v=FEiR1F_pu3Y]]は残念ながらシナリオが[[本編>http://www.youtube.com/watch?v=Kc20KJzSr6k]]に及ばないが、本編の後日譚として一通り楽しめる内容にはなっている。| (4)学園・青春もの、人生に遺恨を遺した魂の浄化・昇天 |&youtube(http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=KCAYLUDEw08){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[Angel Beats!>http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=KCAYLUDEw08]](2010年春)&br()物語(8点)、作画(7点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/Angel_Beats!]]、アニメ制作(P.A.WORKS)、オリジナル作品| |~|ストーリー展開に粗も目立つが意外な感動ポイントも多い良作。テーマとしては「涼宮ハルヒ」等のエンターティンメント一色の学園コメディとは違って、各々の登場人物たちが自分の人生の意味を真剣に問う部分も確り描出されている変則的構成となっており、また動画にある女性バンド [[Girls Dead Monster>http://www.youtube.com/watch?v=9MarIxe4lLA]](ガルデモ)が奏でる様々な楽曲も併せて楽しめる作品である。| (5)戦闘・メカ系、ダークヒーローもの |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=rhudD7zRi6o){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[コードギアス 反逆のルル-シュ>http://www.youtube.com/watch?v=rhudD7zRi6o]](2006年秋、2009年春)&br()物語(9点)、作画(7点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%AE%E3%82%A2%E3%82%B9_%E5%8F%8D%E9%80%86%E3%81%AE%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5]]、アニメ制作(サンライズ)、オリジナル作品| |~|長編の戦闘・メカ系としては珍しくマンネリではなく常に次話が気になる良作。&BR()不死の美少女から「絶対遵守の力」ギアスの能力を授けられた神聖ブリタニア帝国元皇子ルル-シュが、日本人レジスタンスを糾合して、母を見殺しにし自分と愛する妹を政略の道具として使い捨てた憎き父シャルル皇帝に挑む、という貴種復讐譚に加えて、学園ラブコメの要素まで備えた、非常に幅広い範囲のアニメファンが楽しめる作品となっている。&br()一般に戦闘・メカ物の代表作とされる「ガンダム」にあるような変に気負った反戦・平和主義的な主張、あるいは「とにかく話せば分かる」的な無根拠な発想の刷り込みが無いところも良い。&br()なお、2012年夏・2013年夏と本編の外伝にあたる[[コードギアス 亡国のアキト>http://www.youtube.com/watch?v=JQQ0n1udIuc]]が劇場公開されている。| **◆3.面白アニメ(B級) ---- トータルで見るとA級には届かないが、キラリと光る箇所があるもの。 (1)ミステリー・恐怖もの |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=8hhKoCm0H90){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[ひぐらしのなく頃に>http://www.youtube.com/watch?v=8hhKoCm0H90]](2006年春、2008年夏)&BR()物語(8点)、作画(5点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B2%E3%81%90%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%8F%E9%A0%83%E3%81%AB_(%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1)]]、アニメ制作(スタジオディーン)、ゲーム原作| |~|ストーリー的には十分にA級(少なくとも一見の価値のある作品)に相当するが、しばしば作画崩壊を起こしてしまったり、登場人物間のどうでもいいギャグの応酬でせっかくのストーリーが中断されてしまう、といった難点が目立つため残念ながらB級(キラリと光る箇所のある作品)とした。&BR()しかし他のアニメ作品ではなかなか味わえない異様な恐怖感・緊張感を経験できる稀有な“怪作”であることは確かだ。| (2)戦闘魔法少女 |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=zZyuoAfXsqI){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[魔法少女リリカルなのはA's劇場版>http://www.youtube.com/watch?v=zZyuoAfXsqI]](2012年夏)&br()物語(7点)、作画(7点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%AF]]、アニメ制作(セブン・アークス)、ゲーム派生のオリジナル作品| |~|萌えアニメの外見をしていながら、実は正義と勇気を真正面から描き出す燃える快作。魔法少女まどか☆マギカ以上に強い偏見を持たれそうな作品であるが、構成に無駄が多く作画も古い[[TV放送版>http://www.youtube.com/watch?v=_cn3_Rkq6Fw]](2004年、2005年、2007年)ではなく、それらのリメイクである劇場版第一作(2010年)、そしてこの劇場版第二作を先ず見ると良いと思われる。| (3)コメディ抜きの青春・学園もの(恋愛心理の描写が中心) |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=7YlDQpHXZPk){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[true tears>http://www.youtube.com/watch?v=7YlDQpHXZPk]](2008年冬)&br()物語(7点)、作画(7点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/True_tears_(%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1)]]、アニメ制作(P.A.WORKS)、ゲーム派生のオリジナル作品| |~|この作品は作画・演出・音響とも地味であり、ストーリーも今ひとつ不明瞭で、無理な設定も幾つか目立つほか、ラブコメ的な要素も皆無に近い(第一話だけで視聴を切られそうな作品である)。だからこの作品を名作と呼ぶ人はあまりいないだろうし、当サイトの評価もB級(部分的に光る箇所のある作品)に留まっている。&BR()しかし、ただ一つ、この作品に描かれている高校生たちの揺れ動く恋愛感情ないしそれに関連する様々な心の動きだけは、実にリアルであって、作り物の域を超えていると思う。&bR()アニメでこのような複雑・微妙な恋愛心理の揺らぎを真正面から描いた作品としては、S級(何度も見返す価値のある作品)欄に挙げた「とらドラ!」と本作くらいしか私には見当たらない。そして、その両作品が女性の原作になるものだという点にも留意が必要である。正直に言えば、本作品も「とらドラ!」も女性の側の心理描写は真に迫っており圧巻なのだが、男性の側の心理描写には幾分かの違和感が残る。しかし、その点を差し引いても、本アニメは恋愛心理のリアルな動きを追った稀有な作品と評価し得ると思う。| (4)夫婦愛・家族愛、雰囲気だけのアニメ |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=tuVEcFIIGxs){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[CLANNAD(2007年秋)、CLANNAD After Story(2008年秋)>http://www.youtube.com/watch?v=tuVEcFIIGxs]]&br()物語(6点)、作画(7点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/CLANNAD_(%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0)]]、アニメ制作(京都アニメーション)、ゲーム原作| |~|このアニメは非常に根強いファンを持つ作品であり、色々なサイトで恋愛アニメの代表格と紹介されているが、実際には夫婦愛・家族愛が中心テーマであって、もしこの作品に感動ポイントがあるとすれば、それはその点だと思う。&BR()このアニメの第一期(CLANNAD)には可愛い絵柄の少女が多数登場して各々主人公の男性と絡むが、前述の true tears や「とらドラ!」などのように友人や恋人たちの間の複雑な恋愛心理の軋みが説得力をもって描かれているわけではなく、単なる恋心の躊躇い・恥じらい、もしくはご都合主義的な事件の発生ばかりが延々と続くだけであり、美しい部分も醜い部分も含めてリアルな・納得のできるような恋愛感情の描写を期待して視聴すると完全に肩透かしを喰らってしまう危険が高い。&BR()その上この作品は第一期・第二期の本編だけで44話もあり、しかも夫婦愛・家族愛というテーマに沿って話が大きく動き出すのは第二期の第16話からなので、それまではひたすら忍耐が必要となる。評判につられてこのアニメを新規に視聴する方は注意されたい。| (5)旅館を舞台とした少女の成長記、典型的なご当地アニメ |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=pkktRkdqrhk){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[花咲くいろは>http://www.youtube.com/watch?v=pkktRkdqrhk]](2011年春、2013年春(劇場版新作))&br()物語(TV版7点、劇場版8点)、作画(TV版8点、劇場版8点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E5%92%B2%E3%81%8F%E3%81%84%E3%82%8D%E3%81%AF]]、アニメ制作(P.A.WORKS)、オリジナル作品| |~|上記の true tears と同一の制作会社(P.A.WORKS)・同一のシリーズ構成(岡田磨里)であり、true tears が富山県南砺市を舞台としているのに対してこの作品はお隣の石川県金沢市の温泉街を主な舞台としており、典型的なご当地アニメとなっている。&br()また true tears は全13話で高校生達の恋愛感情の描写に焦点を絞っているが、この作品は全26話と余裕のある回数となっており、主人公の女子高生が祖母経営の旅館に住み込んで仲居修行を経験し次第に自分の将来の夢・目標に目覚めていく様を中心としつつ、周囲の友人や先輩・祖母さらに東京に居る男友達・母親らとの交流を丁寧に綴る構成となっている。&br()この作品はどの回も脚本・演出・作画とも高いレベルに統一されており本来ならばA級(少なくとも一見の価値のある作品)にランク付けしてもいいほど高品質なのだが、主人公の女子高生および彼女を取り巻くサブキャラが基本的にはどんな環境であっても明るく生き抜いていける健全さの持ち主ばかりで、ストーリーが予定調和的なものばかりとなっており、『とらドラ!』のヒロインたち(逢坂大河および櫛枝実乃梨)のような「破れそうなシルクのハート」(とらドラ!op「[[silky heart>http://www.youtube.com/watch?v=DbSsuyVSTzI]]」より)と形容される繊細さ・脆さを描写するに至っておらず、残念ながら作品に幾分深みを欠く結果となっている(なお『とらドラ!』も岡田磨里氏のシリーズ構成だが原作は竹宮ゆゆこ氏のラノベなので、その点で作品の性質に違いが出ていると思われる)。&BR()また、主人公の女子高生の母親と、TV版には登場しない父親との出会い等を描く[[劇場版花咲くいろは HOME SWEET HOME>http://www.youtube.com/watch?v=toOo9iRyV9k]]も併せて見ると作品世界をより良く理解できるようになる。| (6)ブラコン&シスコンものの秀作、秋葉原オタク・カルチャー紹介 |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=p1gLrCIeZVE){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[俺の妹がこんなに可愛いわけがない>http://www.youtube.com/watch?v=p1gLrCIeZVE]](2010年秋、2013年春)&BR()物語(8点)、作画(7点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%BA%E3%81%AE%E5%A6%B9%E3%81%8C%E3%81%93%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%AB%E5%8F%AF%E6%84%9B%E3%81%84%E3%82%8F%E3%81%91%E3%81%8C%E3%81%AA%E3%81%84_(%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1)]]、アニメ制作(1期AIC Build、2期A-1 Pictures)、ラノベ原作| |~|自分の兄貴を好きになってしまう少女の話は色々あるが、妹側は気づいていないが実は血のつながった兄妹ではない([[お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ>http://www.youtube.com/watch?v=OwgsislplOQ]])とか、本人たちは実の兄妹ではないと知っているが兄貴には心に決めた恋人がいて妹は「負けヒロイン」になってしまう([[ソードアート・オンライン(ALO編)>http://www.youtube.com/watch?v=CzoD3VXn_zs]])といった月並みな結末に大抵は終わってしまう。&br()しかし本作品のヒロインは、3歳年上の兄貴を恋い慕っていた小学生時代に、兄貴と幼馴染で同級生の「兄貴を自分から奪い兄貴を変えてしまった」憎い眼鏡っ娘の中学生(=こいつがラスボス!)に「兄貴に恋してる妹なんて気持ち悪いだけ」「妹は兄貴と結婚できない」と釘を刺されて、それでも思いを絶てずに「どうしたら駄目じゃなくなるのか」未来の自分に懸命に問いかけるメッセージを遺す。今のこの思いを決して無くさないために・・・。&br()OPに当時まだニコニコ動画に投稿していたClariS(このあとすぐ[[魔法少女まどか☆マギカ>http://www.youtube.com/watch?v=M00Hjmsm85U]]のOPでブレイク)を起用したり、背景人物が余り動かないなど本作品はどちらかといえば低予算で制作された部類と思われるが(特に第1期)、原作と脚本が優秀だったためか[[「あにこれ」の総合得点ランキングでは42位に過ぎないのに「お気に入り登録者数ランキング」では11位>http://www.anikore.jp/pop_ranking/oc:favoriteCount/]]という人気作になってしまった。&br()美少女で頭も良くスポーツも万能なのに何故か「妹ゲー(エロ・ゲーム)」オタクの妹に軽蔑され邪険にされても結局いつも彼女を助けてしまう兄貴の「実は良い奴」ぶりにばかり話が逸れてしまう第1期+第2期の12話まではまだ月並みな「ツンデレ込みのハーレム系アニメ」に見えてしまうが、妹側の事情が次第に明らかになっていくTV放送最終話+TV未放送(WEBのみ配信)3話で一気に話がブッ飛ぶ(※但し最初から視聴し直すと随所にラスト4話につながる様々な伏線が張られていることが分かる)。&BR()秋葉原オタク文化を非常に詳細に解説している点も含めて、この奇抜なストーリー展開はアニメでなければ不可能だろう(肯定的な意味で)。ラスト3話をWEB配信だけにしたのも納得である。| (7)残念系ラブコメ1(主人公が筋金入りの「ぼっち」) |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=cNC4wIom0J8){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。>http://www.youtube.com/watch?v=4vxVDap6vMQ]](2013年春)&br()物語(8点)、作画(7点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%84%E3%81%AF%E3%82%8A%E4%BF%BA%E3%81%AE%E9%9D%92%E6%98%A5%E3%83%A9%E3%83%96%E3%82%B3%E3%83%A1%E3%81%AF%E3%81%BE%E3%81%A1%E3%81%8C%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82]]、アニメ制作(ブレインズ・ベース)、ラノベ原作| |~|子供時代からずっと「ぼっち(友達いない=一人ぼっちの略)」で、最早「ぼっちのサバイバル哲学」まで体得している高校生が、指導教師に強制されて入部した「奉仕部」で部に持ち込まれる様々な問題を部員の少女たちと協力しながら解消(“解決”ではない)していく過程で彼女達との心の交流を深めていく、という物語構造は、後述の月並アニメ(C級)欄で紹介する『僕は友達が少ない』と似ており、こうした「ぼっち」の友達づくり・恋人づくりをテーマとした物語を「残念系ラブコメ」と呼ぶそうである。&BR()しかしこの作品の登場人物達の思考パターン・行動パターンは、コメディ要素が強く比較的楽天的な『僕は友達が少ない』のものとは大きく異なり、非常に現実的でシリアスなものとなっている。&BR()特に主人公の少年は、周囲の人物達の思考や行動を先回りして読むとともに、問題解決のために自ら憎まれ役を買って出て、しかも何の報酬も期待しないという特異な行動を常としており、そのために周囲の大多数の人たちからは誤解されるが、「奉仕部」部員の少女達や指導教師からは次第に好感を持たれていくことになる。&BR()おそらく今後のストーリーは、性格の対照的なこの2人の少女と筋金入りの「ぼっち」の少年とのかなりシリアスな友情と恋愛感情の相克劇に発展していくものと思われるが、原作ラノベがまだまだ未完なのでアニメ第2期が始まるのは数年先になると思われる。&BR()今のところ主人公の少年の内面心理だけが高い説得力をもって描写されている段階に留まるが、今後2人の少女(特にもう一人の筋金入りの「ぼっち」の少女の側)の内面心理も同様の緻密さを持って描出されていくならば、この作品は傑作アニメへと大きく化ける可能性があり、期待したい。| //(6)なごみ系 //|&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=gTx-ntGCdto){500,}|[[琴浦さん>http://www.youtube.com/watch?v=gTx-ntGCdto]](2012年秋)&br()&br()日常と非日常が微妙に交差する内容だが、基本的には安心して和(なご)める内容。最初の方はかなり面白いが中ダレが非常に残念。| **◆4.月並アニメ(C級) ---- 標準レベルはクリアしており、見て損はないもの。 |BGCOLOR(silver):※ここで紹介する作品は、B級(面白アニメ)欄の作品に比較して物語・作画とも遜色がなく、むしろB級の大部分の作品を上回る秀逸な出来栄えの場合さえあるが、その作品でなければ味わえない特別な部分がそれほどない、という意味で「月並アニメ」と呼んでいます。従って平均点・総合点ではB級よりむしろ高い作品も多いです。| (1)仮想世界と現実世界の交差 |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=8zXclabE-OA){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[ソードアート・オンライン>http://www.youtube.com/watch?v=8zXclabE-OA]](2012年夏)&br()物語(7点)、作画(8点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3]]、アニメ制作(A-1 Pictures)、ラノベ原作| |~|ガールズ&パンツァーが放映されるまでは2012年の一番人気アニメと思われた作品。ストーリー・脚本・演出・作画ともそつがないが、その分インパクトも不足気味なのが残念。&br()しかしこの水準の作品が「月並アニメ」という評価になってしまうところに現代アニメの水準の高さが如実に現れているともいえる。&br()同一原作者の[[アクセル・ワールド>http://www.youtube.com/watch?v=WdyWA_oN6Ns]]もやはり仮想世界と現実世界の交差を描いたもので一部に人気がある。| //(1)理科・科学もの //|&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=M1MECOw1H60&desktop_uri=%2Fwatch%3Fv%3DM1MECOw1H60){500,}|[[鋼の錬金術師劇場版>http://www.youtube.com/watch?v=M1MECOw1H60]](2011夏)&br()&br()美形に見立てた外見をしていながら、実は科学の知識と正義を描き出している最高の傑作。ワンピースの倍とも言われる強い偏見を持たれそうな作品だが、構成に雑な箇所が含まれているTV放送版(2003年、2009年)ではなく、劇場版一作(2005年)、そしてこの劇場版第二作を先ず見ると良いと思われる。| (2)魔術師+英霊タッグ戦 |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=5mvj-u1ON1A){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[Fate/Zaro>http://www.youtube.com/watch?v=5mvj-u1ON1A]](2011年秋、2012年春)&br()物語(7点)、作画(8点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/Fate/Zero]]、アニメ制作(ufotable)、ラノベ原作| |~|大作風の造りで視聴者を大いに期待させ、実際にも脚本・演出・作画とも相当な水準にあるが、作品テーマが確りしていないためにシリーズを通して視聴し終わると何故か余り心に響かない一寸残念なタイプの作品というものがある。&BR()この作品はそうした失敗作とまでは言えないにしても、おそらく視聴者の感情移入の対象となる本命ヒーロー・ヒロインを絞り切れなかった(女性キャラが既婚者と幼女ばかりで男性キャラも性格が破綻しているか中年キャラが多かった)ために結果的に今ひとつ盛り上がらない作品となってしまった。&br()なおFateシリーズには他に時系列的にはZeroの続編となる [[Fate/Stay Night>http://www.youtube.com/watch?v=Mlu8Ce2PP_8]] や、平行世界で登場人物(画面の銀髪の少女)が魔法少女となってカードを集める[[Fate/Kaleid Liner プリズマ☆イリヤ>http://www.youtube.com/watch?v=WjR7iwwSG48]]がある。| (3)女子中学生の日常生活と超能力戦の交差 |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=Xf5VLpEuIAg){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[とある科学の超電磁砲>http://www.youtube.com/watch?v=Xf5VLpEuIAg]](2009年秋、2013年春)&br()物語(6点)、作画(第1期7点、第2期8点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E3%81%82%E3%82%8B%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%AE%E8%B6%85%E9%9B%BB%E7%A3%81%E7%A0%B2]]、アニメ制作(J.C.STAFF)、ラノベ派生の漫画原作| |~|ヒーロー・ヒロインが分散してしまった Fate/Zero とは逆に、先端科学を追求する学園都市に住む、電磁波を自在に操る超能力を持ちながら内面は年齢相応に乙女チックな中学2年の少女を本命ヒロインに据えて、彼女の身近な視点から物語を進め、コメディ要素を交えて超能力者同士あるいは超能力者に挑戦する科学者達とのバトルを次々と描いて好評を得たシリーズ。&BR()実はこの作品は[[とある魔術の禁書目録>http://www.youtube.com/watch?v=I6koZNu1WaQ]]から派生した外伝であるが御坂美琴と彼女のクローンであるSistersに注目が集まり、本編よりも人気が出て、本編の方まで(特に第2期は)御坂美琴が本命ヒロインに化けてしまった(修道服を着た本来のヒロインが空気化し単なる道化役になっている)。&BR()はっきり言えばこの「とある~」シリーズのストーリーは突っ込みどころ満載のご都合主義の産物でしかないが、視聴者が強く感情移入してしまうヒロインが一人いれば、そのようなストーリーの粗など幾らでも帳消し可能なほど人気が出ることの良い実例となっている。| //(4)文化・祓魔もの //|&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=Jju7zhJeT0w){500,}|[[青の祓魔師>http://www.youtube.com/watch?v=Jju7zhJeT0w]](2011年春、2012年冬)&br()&br()古都系魔術的作品。数々のストーリーながら、鋼の錬金術師よりもイメージに無駄な場面も含まれているが、それ以外はしっかりとした良作。動画は劇場版のもの。| //(5)都市伝説・厨二病的設定 //|&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=RQOc_07raNE){500,}|[[デュラララ!!>http://www.youtube.com/watch?v=RQOc_07raNE]](2010年)&br()&br()人物描写に深みが欠けるうえに相当にご都合主義的だが、ストーリー展開が全く先読みできない意外さがある作品。| (4)学園ラブコメ、特殊能力なし中二病もの(女) |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=l05gqLlYq8w){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[中二病でも恋がしたい>http://www.youtube.com/watch?v=l05gqLlYq8w]](2012年秋、2013秋(劇場版一部新作)、2014年春(予定))&br()物語(7点)、作画(9点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%BA%8C%E7%97%85%E3%81%A7%E3%82%82%E6%81%8B%E3%81%8C%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%84!]]、アニメ制作(京都アニメーション)、ラノベ原作| |~|中二病癖のせいで中学時代を「ぼっち(友達いない=一人ぼっちの略)」で過ごしてしまい高校進学を機にこの恥ずかしい悪癖から卒業しようと決めていた少年が、入学早々なぜか過去の自分と同じ症状の少女に付きまとわれてしまい、気になる美少女やクラスメート達に自分の過去がバレないかヒヤヒヤな毎日を送る羽目に。&BR()優良アニメ(A級)で紹介した『[[STEINS;GATE>http://www.youtube.com/watch?v=0OCn_nVDrTM&list=PLB0PKHN5MxBrcLdEDBNu5Tr5NT9p8qdRd]]』に比べるとストーリー自体は今ひとつ捻りが足りないが、作画も演出も緻密で登場人物たちの感情表現にも無理がない。&BR()サクサクと視聴が進んでしまう流石の面白さに加えて、最後にちゃんと“中二病でも恋していいんだよ”という好意的メッセージを届けるところは、やはりクオリティは高いと云わねばならない。&BR()2014年早々に始まる第2期でも果たしてこのクオリティを維持できるのか注目したい。&BR()ちなみに動画にある少女の眼帯は([[11eyes>http://www.youtube.com/watch?v=B4MjzKA-chY]]や[[コードギアス>http://www.youtube.com/watch?v=m-GOo8QtB8Y]]でお馴染みの)「邪気眼」を封印するため必要なもの(笑)であるが、本作品の登場人物たちにはこのような特殊能力は一切ない。| (5)残念系ラブコメ2(主人公が優柔不断な「ヘタレ」) |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=oHgert4mgo4){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[僕は友達が少ない>http://www.youtube.com/watch?v=oHgert4mgo4]](2010年秋、2013年冬)&br()物語(5点)、作画(7点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%83%95%E3%81%AF%E5%8F%8B%E9%81%94%E3%81%8C%E5%B0%91%E3%81%AA%E3%81%84]]、アニメ制作(AIC Build)、ラノベ原作| |~|「ぼっち」の少年少女の友達づくり・恋人づくりをテーマとした「残念系ラブコメ」の代表作。&br()転校先の高校で母親譲りの金髪のせいで周囲から不良と勘違いされてしまい転校から1ヶ月経っても一向に友達が出来ないハーフの少年・小鷹は、同級生の美少女・夜空(実は子供時代に小鷹とお互いにたった一人の親友だったのだが小鷹が全く忘れていて気づいてもらえず悩んでいる)の発案で友達づくりを目的とした部活「隣人部」を作る。&br()学園理事長の娘・星奈(実は小鷹とは父親同士が親友で、幼いころ小鷹と許婚(いいなずけ)の約束をしていた)や天才科学者の後輩・理科らも隣人部に集まり、友達づくりのための様々な活動が始まるが・・・。&br()同じ残念系ラブコメで、面白アニメ(B級)欄で紹介している『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている』と比較して、本作品はコメディ要素が非常に強く、設定も相当に支離滅裂でご都合主義的な部分が目立って、良く言えば「余りストレスを感じず軽い気持ちで視聴できる」が、悪く言えば「内容が薄く話に説得力がない」。&BR()おそらく『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている』のようなリアルでシリアスな作品を好む人は、この作品の人物設定やストーリー展開には余り高い評価を与えないだろう。&BR()しかし第2期のラスト近辺でようやく、物語の当初から本命ヒロインと見られた夜空が、小鷹の「恋人」の地位を星奈に、また「友達」の地位を理科に先に奪われそうになり、いたたまれなくなって小鷹たちの前から逃げ出してしまう、という意外な展開が打ち出されており、今後はこれまでのコメディ路線を踏み台にしてのシリアス展開があるのかも知れない。| (6)エンターティンメント特化のハーレム系アニメ |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=BTFByGV9_ag){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[これはゾンビですか?>http://www.youtube.com/watch?v=BTFByGV9_ag]](2011年冬、2012年春)&br()物語(6点)、作画(8点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%AF%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93%E3%81%A7%E3%81%99%E3%81%8B%3F]]、アニメ制作(スタジオディーン)、ラノベ原作| |~|上記の『僕は友達が少ない』は、男一人の周囲に美少女が多人数登場し、その各々がいつの間にか男に好意を寄せてしまう、といういわゆる「ハーレム系アニメ」だが、それでも一応は「友達作り・恋人づくり」というテーマ性を持っている。&BR()しかし、そうしたテーマ性を特に持たずに、ひたすらエンターティンメントに特化したラブコメもある。&BR()本作品は、魔法少女ものや学園ラブコメ等の色々な要素をパロディ化しつつ組み合わせたかなり陳腐な内容だが、作画や演出の出来が良く、特に第一期の第1話は傑作といってよい出来栄えとなっている。| (7)エンターティンメント特化の戦闘美少女もの |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=g-uNO9EtqlI){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[灼眼のシャナⅢ FINAL>http://www.youtube.com/watch?v=g-uNO9EtqlI]](2011年秋)&br()物語(8点)、作画(7点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%BC%E7%9C%BC%E3%81%AE%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%8A_(%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1)]]、アニメ制作(J.C.STAFF)、ラノベ原作| |~|本作品は[[第1期>http://www.youtube.com/watch?v=OdqUgWhygfw]](2005年)・[[第2期>http://www.youtube.com/watch?v=ytvjsc6ZRYA]](2007年)を受けての完結編で、同シリーズの中では最もストーリーが大胆で波乱に富んでおり見所の多いものとなっている。&BR()天罰神アラストールらによって英才教育を受けた“炎髪灼眼の討ち手”シャナと、シャナに恋しつつ人を喰らう「紅世の徒」に憐憫の情を注ぎ彼らの居場所を創造しようとその盟主「祭礼の蛇」の依リ代となってシャナと敵対してしまう少年とのすれ違いの恋情劇が話の中心軸だが、対立する両陣営の戦闘の描かれ方が戦史マニアを喜ばせる位にマニアックで見応えがあり、また多数登場するサブキャラにも各々晴れ舞台が用意されていて、まるで歌舞伎を見ているような感覚がある。&BR()もともと本シリーズはツンデレもの(少女が凡庸な少年を初めは軽蔑してツンツンしていながら、次第にデレていく=恋愛感情を抱き始める、という構成の物語)の走りであるが、少年側が凡庸な立場に留まらずに戦闘能力でも精神面でも少女と対等以上の位置に到達してしまう(=出世キャラとなっている)ところに本作品の意外さがあるほか、「負けヒロイン」であるもう一人の少女のシャナへの嫉妬の感情とその昇華とがきちんと描かれている点も本作品を他のツンデレ作品とは異質なものとしている。| (8)幼馴染の友情&恋心 |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=DfYM1KHJ-xA){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない>http://www.youtube.com/watch?v=DfYM1KHJ-xA]](2011年春、2013年夏(劇場版一部新作))&br()物語(7点)、作画(8点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%AE%E6%97%A5%E8%A6%8B%E3%81%9F%E8%8A%B1%E3%81%AE%E5%90%8D%E5%89%8D%E3%82%92%E5%83%95%E9%81%94%E3%81%AF%E3%81%BE%E3%81%A0%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%82]]、アニメ制作(A-1 Pictures)、オリジナル作品| |~|涙腺崩壊続出の感動アニメ。作画・演出・楽曲の各レベル共とても高いが、ストーリーが予定調和的すぎて物語に大切な意外さ成分が不足しているのがちょっと残念(その点で上記の「花咲くいろは」と同様)。でも素直に感動できる良質なアニメであることは確かだ。| **◆5.見なくてもいいアニメ(D級) ---- (1)宮崎駿のスタジオ・ジブリ作品、その他、反戦・非武装平和・反原発・空想的社会主義(原始社会への回帰)を賛美するような左翼系の怪しい作品 (2)本当に子供向けのもの ---- *■4.補論:80~90年代アニメの左翼汚染について |&youtube(http://www.youtube.com/watch?v=yue88a0Mx50){500,}|BGCOLOR(#CCCC99):[[宇宙戦艦ヤマト2199>http://www.youtube.com/watch?v=yue88a0Mx50]](劇場版2012年春~13年夏まで7作を順次公開、TV版2013年春)&br()物語(8点)、作画(9点)、[[WIKIPEDIA>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99%E6%88%A6%E8%89%A6%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%882199]]、アニメ制作(XEBEC、AIC)、70年代アニメのリメイク作品| |~|右は[[■2.アニメの古典>http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1891.html#id_d1866982]]欄でも紹介している、1974年TV版制作・1977年劇場版公開で空前のアニメ・ブームを巻き起こした往年の名作「宇宙戦艦ヤマト」の劇場版リメイク作品である(但し現代風にストーリー改変あり)。&BR()この作品は右動画にあるとおり2012年から2013年にかけて全7章が順次制作されほぼ3ヶ月置きに劇場公開されたが、最初は公開館10と非常に小規模であったものが盛況を得て、12館さらに16館へと次第に公開館数を増やしていき、さらに劇場版を元にしたTV版の放映が決定し、それも好評を得て2014年度の完全新規作となる続編の制作・公開が決定している。&BR()ただこの作品を一見して気づくのは作品のクオリティの高さに比較して新聞・TV等の既存マスコミで話題にされるケースが非常に稀(というよりほぼ皆無)である、という点である(①ガンダムや②ジブリ作品に対するマスコミの持て囃し具合と比較してみるとよい)。&BR()これは要するに左翼が根強いマスコミとしては旧日本海軍の旗艦やその沈没に至った作戦行動(沖縄救援作戦)を連想させるアニメ作品は極力国民の目から遠ざけたい・無視したい、ということであろうが、実はこの点に関しては今から約40年前の初代「宇宙戦艦ヤマト」の場合も同様であったそうで、当時のTV版は児童アニメの名作「アルプスの少女ハイジ」の裏番組という扱いを受けて放映期間短縮(実質的に打切り)となり、3年後の劇場版も[[当初は僅か4館の小規模公開>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99%E6%88%A6%E8%89%A6%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88]]でしかなかっものが劇場前に長蛇の行列が自然発生してしまうなど草の根的な人気が出て公開館が全国に広まり大ブームになったとされる。&BR()ネットの無かった1970年代~90年代前半は新聞・TVなどで左翼的言論が横行していたことは有名だが、アニメの世界でも1977年以降のヤマト・ブームに対して、これを「ナショナリズム」復活の兆候と警戒する左翼陣営から組織的な反撃が行われたと考えることは不思議ではないはずである。&BR()具体的にいうと日本人を主人公とする「自衛戦争」の体裁を守っていたヤマトに対して、無国籍な登場人物達が「そもそも戦争行為そのものが悪である」「とにかく攻撃側と心を開いて話し合えば万事解決する」とする結論に特に論理的必然性もなく安直に到達してしまうストーリーの作品が、主に、①ガンダム系作品、②宮崎駿「風の谷のナウシカ」などスタジオ・ジブリ系作品の二大系統で量産され、マスコミの全面的バックアップを受けて“人気アニメ”に仕立て上げられてしまう、という現象が恒常化してしまっていたのである。&BR()この問題の悪影響は現在も深刻で、例えば「アニオタ保守本流」を自称する[[古谷経衡氏>http://d.hatena.ne.jp/aniotahosyu/]]までが未だに①ガンダム・②ジブリ作品を称賛しているという残念な結果となって現れている。&BR()このような本末転倒な現象はそろそろ終わりにしたいものである。| ---- *■5.参考サイト **◆1.当ページ掲載作品を選ぶ上で参考にしたサイト ---- //[[アニメ総合ランキング>http://www.anikore.jp/pop_ranking/]] ※当ページはネットで最大級の一般参加型アニメ評価サイトである[[「あにこれ」のアニメ総合得点ランク上位25作品>http://www.anikore.jp/pop_ranking/]]を参考にして、そのうち |BGCOLOR(khaki):①|BGCOLOR(khaki):2006年以降放映の現代アニメであること、| |BGCOLOR(khaki):②|BGCOLOR(khaki):比較的低年齢層ないし低リテラシー層から評価ないし無視されているために作品の実際のクオリティに対して過大評価となっている又は過小評価となっているおそれが高い作品については各々評価を補正すること、|  …等を考慮して主な掲載作品を選んでいます。 掲載作品の選定上の偏りの補正やページ内容の公平さの確保のため、該当サイトを併せてご参照ください。 **◆2.当ページに関するご提言・ご批判 ---- |BGCOLOR(#CCCC99):(1)|BGCOLOR(white):[[“アニメの基礎知識”のページへ意見、それとTPPのこと>http://blog.livedoor.jp/cancerkiller173/archives/1754481.html]]|BGCOLOR(wheat):cancerkiller173のブログ『AD173丁目』様| |BGCOLOR(#CCCC99):(2)|BGCOLOR(white):[[つまりアニメを毛嫌いする者こそサヨク精神の持ち主だったということさ>http://blog.livedoor.jp/cancerkiller173/archives/1758698.html]]|BGCOLOR(wheat):  同上| |BGCOLOR(#CCCC99):(3)|BGCOLOR(white):[[ネトウヨ「ガルパン、とらドラ、まどマギ、けいおんはS級愛国傑作アニメ。ジブリは反戦左翼D級アニメ」>http://unkar.org/r/poverty/1383644236]]|BGCOLOR(wheat):2チャンネル・ニュース速報(嫌儲板)| |BGCOLOR(#CCCC99):(4)|BGCOLOR(white):[[ネトウヨのアニメ考察サイトwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww>http://unkar.org/r/morningcoffee/1383798222]]|BGCOLOR(wheat):2チャンネル・雑談系(ハロプロ板)| ---- *■6.関連ページ |BGCOLOR(pink):&size(20){[[文学の基礎知識《補訂》]]}|アニメや実写ドラマの基礎シナリオを考察する上で参考になる文学作品の古典を紹介していくページ| |BGCOLOR(pink):&size(20){[[アニメの基礎知識(別館)]]}|当ページでは紹介し切れなかった様々なアニメ作品を紹介し内容を検討していくページ| ---- *■7.ご意見、情報提供 &BOLD(){当ページ作成者よりアニメに詳しい人は多数いると思います。ページ内容向上のためのご意見・情報提供を歓迎します。} - このページの内容について、意見をまとめてみました。 http://blog.livedoor.jp/cancerkiller173/archives/1754481.html 参考にどうぞ。 -- 某173 (2013-10-19 18:20:00) - 「YAT安心!宇宙旅行」も個人的に中々のものだと思う。監督が「いわば完全食品だ」と言ったのは過言じゃないというか、アニメに要求されるものがほぼ全て詰まっていると言っていいし、「家族愛」というテーマも通っているし終盤でのシーンは熱い。ただ、放送がNHKというのが唯一の問題点かも…? -- 名無しさん (2013-10-20 23:02:47) - 某173さん、詳細なご意見ありがとう。参考にします。 -- ページ作成者 (2013-10-20 23:11:45) - 名無しさん、その作品は未視聴ですが、今度参考にしてみます。ご意見ありがとう。 -- ページ作成者 (2013-10-20 23:11:57) - キモイ -- 日本人 (2013-10-22 13:48:37) - さらに意見やコメントなどをまとめてみました。→http://blog.livedoor.jp/cancerkiller173/archives/1758698.html -- 某173 (2013-10-30 03:26:49) - 某173さん、さらに有意義なご意見ありがとうございます。 -- ページ作成者 (2013-10-30 21:30:45) - まずこのサイトの趣旨に合ってないから必要ない。作者の個人的感想でしかないし、ジブリ全否定もなぞ。 -- 名無しさん (2013-11-03 19:26:40) - 名無しさん、ご意見ありがとう。■4.に追記したとおり当ページは別に私の個人的感想だけで作ったものではありませんが、上記の某173さんのような纏まったご提言・ご批判をいただけるのでしたら大いに歓迎いたします。 -- ページ作成者 (2013-11-04 01:26:41) - 子供向けアニメなんて見なくてもいいと断じるような姿勢でアニメは日本の立派な文化とか言われてもね… -- 名無しさん (2013-11-05 20:03:40) - えぇ……何この選考基準……。とらドラの頭悪くなりそうなキャラと話でよく人に勧められるな -- 名無しさん (2013-11-05 21:59:23) - 典型的な頭の弱い「最近の」アニオタが書いたものだってはっきりわかんだね -- うわぁ (2013-11-05 22:22:50) - ドラえもんも反戦、平和への訴えが多い左翼アニメであります -- 名無しさん (2013-11-05 22:54:41) - クレヨンしんちゃは日本の子供の品性を落とさせる売国アニメです -- 名無しさん (2013-11-05 22:56:02) - ほとんど最近の萌え豚アニメじゃん・・・うわぁ・・・ -- 安倍晋三 (2013-11-06 02:31:48) - このサイトのトップページを見てドン引きしました -- 名無しさん (2013-11-06 08:41:33) - こんな記事まとめるから上のようなこと言われんだよ… -- 名無しさん (2013-11-06 18:46:38) - 国家を傘にきてアニオタがでかい顔したいだけですね。真の愛国者に対して迷惑なので消してください -- 名無しさん (2013-11-06 20:31:16) - ただの萌え豚の癖に中途半端に内容()を意識してて草生えた、訴訟 -- 名無しさん (2013-11-06 21:39:22) - 傑作アニメ(S級)「ガールズ&パンツァー」 (草が)で、出ますよ… -- 一般人 (2013-11-07 08:17:51) - http://unkar.org/r/poverty/1383644236 -- 嫌儲民の感想 (2013-11-07 13:40:25) - 嫌儲民の感想さん、様々なご意見の紹介ありがとうございます。但し、当ページは、ガルパン・とらドラ・まどマギ・けいおんの4作品をS級傑作アニメに挙げていますが、別にこれらが「愛国アニメ」であるとは一言も云っていません。&br()当ページの趣旨は一番上に明記してあるとおり「世界の人々に身近に親しまれる Japanese Culture (日本産の文化)に成長したアニメについて簡単に紹介し考察を深めていく」ことであり、「日本文化の一翼を担うアニメについて、特にアニメに関して知識不足な人が「あれれ?自分って勘違いしてたの?」と思い直すキッカケとなる」ことであって、特定のアニメを愛国的だとか売国的だとか認定することでは有りません(だからページ名も「アニメの基礎知識」としています)。&br()その他の批判的な意見をお寄せ下さっている方々も含めて、どうか当ページの趣旨をご勘案の上改めてご批評下さる様お願い致します。 -- ページ作成者 (2013-11-07 23:58:02) - この文章を見てこのアニメ面白そうだから観てみよう、アニメに対する偏見を無くすかなんて人が出てくると本気で思ってるの?知識不足が~という割りに余所からコピペしたような過剰な持ち上げって感じで自分で考察した感じがしないし妙に上から目線というか傲慢さが漂ってる。こんな事書いても海外を含めた世間一般でここでD級アニメと称されている作品より上記の作品が好意的に扱われるなんて日は来ないよ。 -- 名無しさん (2013-11-08 06:04:32) - 「世界の人々に身近に親しまれる」のはジブリなんだよなぁ -- 名無しさん (2013-11-08 07:31:34) - アニメとして優れてるのはどう考えてもジブリアニメ。脚本はともかく表現技法に関しては他の追随を許さない。それなのに見る価値なしとか完全に監督に対する偏見でみるなって言ってるだろ -- 名無しさん (2013-11-08 08:38:40) - ここでまだ「私は宮崎駿のサヨク的発言が気に入らないので、ジブリ作品もサヨク的なんだと判断しました。だから見てほしくないんです」とちゃんと言えればまだ対話は成立するんだろうけどなあ。誤魔化してもその場では凌げるかもしれないけど、結局は不信感の元だと思いますよー。 -- 名無しさん (2013-11-08 09:53:05) - 「(2)本当に子供向けのもの 」え…なにそれは… -- 名無しさん (2013-11-09 00:12:37) - 特定のアニメを愛国的だとか売国的だとか認定することでは有りません。ただし左翼系の怪しい作品という認定ではあります。 -- 名無しさん (2013-11-09 02:57:00) - 中韓に外注しまくり、パチンコとも手を組み、アフィとも癒着しまくり。本当に怪しいのはどっちでしょうかね。 -- 名無しさん (2013-11-09 03:23:46) - http://unkar.org/r/morningcoffee/1383798222 -- ハロプロ民の感想 (2013-11-09 19:50:22) - 「世界に親しまれるかどうか」が趣旨ってことと子供向けのものを思考停止で除外するのはどう関係してるの。ジブリ作品に関してもどこに左翼的要素を感じたのか具体的に言ってほしい、特にナウシカ。↑×5が言うように宮崎駿が左翼だからですって理由の方がしっくりくる -- 名無しさん (2013-11-10 15:49:26) - ホラホラホラホラ、早く「愛国とか売国とか関係ない」くせに左翼と疑わしきとか、子供向けとかで観るべきじゃないと言う理論の矛盾を反論してみろよキモオタww お前の嫌ってる韓国とおんなじレベルの発言しかしてないぞキモオタww -- 名無しさん (2013-11-10 23:56:33) - まず海外で評価されてるアニメってのはジブリや子供向けアニメなんだけどね。ってか、馬鹿が「海外で萌えアニメは評価されてる!」と欧州や南米人の書き込みを喜んで持ってくるけど、あれをどういう経路で入手したどういう人間か考えたことあるの? -- 名無しさん (2013-11-13 13:06:09) - youtubeの再生数とかコメント数基準で考えるなら世界中がカンナムスタイルに熱狂してることになるな。 -- 名無しさん (2013-11-13 19:13:35) - 名作のCCさくらに子供向けながらどうこう言っておいて本当に子供向けのもの除外ってダブルスタンダードもいい所だろ。D級にするならするで代表作挙げて構成だの表現だのの評価をちゃんと書けよ、世界の人々に親しまれるかが基準とか言いつつジブリとかはパヤオが左翼だから思考停止でD級にしたんだろうけど -- 名無しさん (2013-11-14 23:09:03) - (ちゃんと萌えアニメ以外も)加え入れろ~ -- 名無しさん (2013-11-15 17:23:56) - 自分の好きな作品を持ち上げたいがために知名度の高い作品に僻み根性丸出しな不当な誹謗をするような輩の論評なんて誰も相手にしない。そんな事するぐらいなら好きな作品に対してもう少し愛情を感じられる論評を書こうよ。こんなんじゃあ否定している作品は当然として肯定している作品にも失礼。 -- 名無しさん (2013-11-16 19:17:46) - 淫夢厨が湧いてて草不可避 -- 名無し (2013-11-18 18:20:36) - キムチ臭い記事だなあ -- 名無し (2013-11-19 07:27:32) - まどマギパチスロ化おめでとう^^ -- 名無しさん (2013-11-22 02:33:52) - パチスロ化アニメを載せているこのサイトは反日 -- 名無しさん (2013-11-23 11:57:55) - これはなんだ~?証拠物件として晒してやるからな~(ねっとり) -- 名無しさん (2013-11-24 01:36:26) - ヤマトの上映館数が少ない理由がサヨクの反発wwwwww単に権利者同士の内紛で中途半端なリメイク連発してコケまくったのが原因だろwwwwww -- 名無しさん (2013-11-26 01:19:29) - ナウシカとかガンダムが戦争が悪だの非武装平和訴えてるようにしか見えないって絶対まともに見てないよね。そういう批評するならもっと具体的に書けよ -- 名無しさん (2013-11-26 07:28:14) - 左翼がどうこうでランク付けするならパチンコ化したアニメは全部除外でいいんじゃないんですかね -- 名無しさん (2013-11-26 07:48:35) - 内容で言えば世界名作劇場。ただフジテレビなのと、朝鮮玉入れ化されたのが残念。 -- 和郎 (2013-11-26 21:43:55) - パチンコ絡みで言うなら昨今のアニメのパチンコ化ブームの先駆けになったヤマトが最大の戦犯だな。しかも何度もパチンコ化してる。 -- 名無しさん (2013-11-29 12:03:07) - サイト内でこのページだけ趣旨浮き過ぎじゃない?普通に宮崎駿とかの左翼関連とパチンコとべったりのアニメだけリストアップしてこれらは見ないようにしましょうってのならまだ解る。世界に親しまれるかどうかが基準と言いつつ一個人の主観にしか見えない批評が多すぎる、ランク付けとかしたいならそれこそ個人サイト作ってやれよ -- 名無しさん (2013-11-30 19:33:43) - ↑[[ニコ動の当サイト記事>http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E3%81%8C%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E5%8F%8D%E6%97%A5%E3%81%AE%E5%AE%9F%E6%85%8B]]のコメント欄418-422を参照。要はネット上のアニメファンに向けて当サイトを紹介する趣旨のページです。ここを入り口にして当サイトに来訪した方々が他の色々なページに進んでくれることを期待して作成されたページということです。ご了承下さい。 -- ページ作成者 (2013-11-30 19:49:09) - ↑突然そんな後付してんじゃねーよw このページ消すか。個人のブログでどうぞ -- 名無しさん (2013-11-30 23:53:24) - ↑↑「アニメについて簡単に紹介し考察を深めていくページ」←じゃあこの文はなんなの?もっと↑でもこの文が趣旨ですっで断言してるよね。それと「特にアニメに関して知識不足な人が「あれれ?自分って勘違いしてたの?」と思い直すキッカケとなる」ともあるけどそれこそ左翼パチンコ関連だけ抜き取って書けばいい話じゃないの?少なくともこのページ内の偏向し過ぎたアニメの批評が「当サイトを紹介する」って後付けの趣旨に沿ってるようには到底見えない -- 名無しさん (2013-12-01 12:27:29) - ↑↑↑こんなクオリティの低いページでそんなおめでたい事考えられるのはお前と某173ぐらいだろ -- 名無しさん (2013-12-01 18:11:34) - ↑×4都合のいい質問には30分もせず返事して都合の悪い質問は全スルーか。答えることすらできないんならページ作成なんかするんじゃないよ、このサイトの紹介が趣旨ならアニメのランク付けなんぞは個人でやれ -- 名無しさん (2013-12-01 20:41:25) - ページ内容向上のためのご意見・情報提供を歓迎しますが、名無しの一見さんの発言に必ずしも常に付き合う義務は私にはありませんので。悪しからず。 -- ページ作成者 (2013-12-02 03:04:09) - ↑ページ内容向上って・・・要はあなたに都合良いかどうかだけでしょ。久々にこのサイト来たけどこの内容なら個人のブログでやってください、自分で趣旨後付けして指摘されてる矛盾一つ説明出来てないし やるなら見なくていいアニメ・パチンコ関連に絞ってやってください、つーかただでさえこのサイト中立性どうこう言われてんだからツッコミ所多いことやらんでくれ、マジで。 -- 名無しさん (2013-12-02 07:45:04) - パチスロまどかマギカ、パチスロアイドルマスター、パチスロ化物語、パチンコパチスロコードギアス、パチンコパチスロひぐらしのなく頃に、パチンコパチスロ宇宙戦艦ヤマト。これは愛国作品揃いのラインナップですね(白目) -- 名無しさん (2013-12-02 09:46:25) - アイマスの項目のNHKの人気投票ってファンにすら胡散臭がられ投票数も大して無さそうな信憑性ゼロのヤツじゃねーかwつーかアニメ史上と称しながら一番古めのキャラが綾波とさくらって時点でもうねw -- 名無しさん (2013-12-03 01:31:03) - ↑4もう都合の悪い質問は答えたくないってか。これだけツッコミ・指摘あるんだからこのページに問題あるのは明白だろ。アニメ考察ならが趣旨ならこのサイトの趣旨に合ってないんで他所でやれ。アニメファンにこのサイト紹介のページにするなら反日・左翼的なのとパチンコ・パチスロについてのページにした方が良いだろ。少なくとも「アニメファンが他の色々なページに進んでくれる」ってのを狙うのに一個人の評価で作ったランク付けは要らない。百歩譲ってパチ化したアニメだけでも纏めろ、できないならこのサイトに入らない記事だわ -- 名無しさん (2013-12-03 06:36:13) - GB時代から世界に親しまれ続けているポケモンが入っていないのはおかしいよなぁ!? -- 名無しさん (2013-12-04 20:53:54) - パチンコ・パチスロはサイト内でも記事がありますが作成者様の主観ではアニメのパチンコ・パチスロ化は「左翼汚染」に入らないのでしょうか?ご意見お聞かせ願いたいです。 -- 名無しさん (2013-12-06 23:13:15) - 06年以降のアニメってポルノ産業化に拍車がかかってるだろ。そんなのを持ち上げる一方でジブリやガンダムは左翼(キリッD級アニメ(キリッとか言っても誰もまともに取り合わないよ -- 名無しさん (2013-12-07 08:10:36) - このサイトは個人の作ったランク付け発表する場じゃない。このサイトで書くべき内容が殆ど入ってない。「自分の作ったランク付け見てほしいだけです、パチを入れたらS・A級のアニメも入れなきゃいけないからやりたくありません」って言えるならまだ会話も成立するんだろうが ページの趣旨勝手な後付してそこを突っ込まれても何も言えないってページ作成者として最低限の責任も果たせてないだろ。少なくともこのサイトでやるなら「なぜ左翼・パチンコについて書いてほしい←これに回答が無いのか」これだけは回答する義務があるだろ。俺何かおかしいこと言ってる? -- 名無しさん (2013-12-07 08:56:43) - 本編よりも人気が出て、本編の方まで(特に第2期は)御坂美琴が本命ヒロインに化けてしまった(修道服を着た本来のヒロインが空気化し単なる道化役になっている)。美琴が人気あるのはわかるけれども、上条はインデックス第一で行動してるし ちゃんと見たのか? -- 名無しさん (2013-12-07 21:53:24) - 名無しの一見なら無視するとかいう超理論で草  -- 名無しさん (2013-12-08 11:37:47) - 「このサイトの趣旨と合ってない」って意見には話逸らしたりページの趣旨後付けしてどうこう言ったり正面から答えてないね。もう論破されてるような物じゃん -- 名無しさん (2013-12-09 16:04:36) - 「名無しの一見さんの発言に必ずしも常に付き合う義務は私にはありません」馬鹿だなぁ(嘲笑) -- 名無しさん (2013-12-12 23:31:28) - ランク付けランキングの参考サイトの全然準じてない。+αの個別評価とか基準が不明瞭すぎるしこんなので「個人的感想で作ったものでない」とか言われてもね。それに作成者の言う趣旨にしても後付はともかくランク付けの必要性が欠片も見当たらない。 -- 名無しさん (2013-12-13 21:04:49) - 宮崎駿関連でジブリがおすすめできないってのは理解できるけどサイトの趣旨を考えたらこっちをメインに詳細を書くべき、それとパチンコ、パチスロも。 -- 名無しさん (2013-12-13 21:07:04) - 少なくとも現状では客観的に見ても「ぼくの作ったランク付け見てほしいです」ってページにしか見えない。 -- 名無しさん (2013-12-13 21:08:53) - 名無しの皆さんご意見ありがとうございます。&br()まず、本ページは、①当サイトの参加者の視野を広げたり、②閲覧者の範囲を広めること、を趣旨とする[[基礎知識シリーズ>http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/391.html#id_4c081ddd]]の一環として作成されています。&br()次にジブリやパチンコ・パチスロ関連ではそれ専用のページがあるので、そちらを参照していただければ足りると考えています(本ページの趣旨はあくまで「基礎知識」の提供です)。&br()そしてページ内容の客観性に関しては、結局は私個人の主観によって作成しているページである以上は私固有のバイアスがかかっていることは認めますが、その一方で上に書いたとおり、掲載作品を選定する上で「あにこれ」等の作品評価ランキングや人気ランキングを基本参照し、私個人の好みの作品ではあっても一般にはマイナー過ぎる作品などは努めて外すようにしていますし、また「アニメの古典」と「現代アニメ」を暫定的に区別して、その各々を鳥瞰的に把握できるようにバランスを考えて掲載作品や内容説明を工夫しているつもりです。&br()アニメ作品の評価サイトは多々ありますが、①情報が豊富ではあっても結局は特定のアニメ作品を単発的に批評するだけのサイトであったり、②有名アニメを散漫に羅列するだけで作品傾向とか作品背景とかに踏み込んだ説明が無かったり・不整合であったりするサイト、が多く、その点で本ページは、「私の主観を通して」という限定付きではありますが、アニメ作品を考察する上での一つの切り口・まとまった見方を提供するものとなっていると考えています(それを「不味い」と思うか「美味い」と思うかは閲覧者の主観によります)。&br()なお、問題視されている「私の主観」については、このコメント欄にいただいている様々なご意見・ご批判によって相当程度中和されると考えていますし、実際にも[[某173氏>http://blog.livedoor.jp/cancerkiller173/archives/1754481.html]]や[[嫌儲板>http://unkar.org/r/poverty/1383644236]]の批評等を参考に私の当初の見方を訂正した部分もあります。その他の名無しの方々のご批判・ご提言に関しても、某173氏や嫌儲板スレのような形で具体的に「ココが問題」「コレはお勧め」といった形でまとめていただければ、私としては大いに参照し本ページ内容を改善していくつもりです。以上ご了承ください。 -- ページ作成者 (2013-12-16 20:54:50) #comment

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