*白馬事件(しろうまじけん)とは何かな。 別名、スマラン事件 **5W1H |いつ|昭和19年(1944年)2月| |どこで|インドネシアのスマラン島で| |誰が|南方軍管轄の第16軍幹部候補生隊が| |どこから|ハルマヘラ抑留所、アンバラワ抑留所、ゲダンガン抑留所から| |誰を|オランダ人女性35人を| |どこへ|将校倶楽部、スマラン倶楽部、日の丸倶楽部、青雲荘という4ヵ所の慰安所へ| |何をした|強制連行した。| **その後の年表 |1944年4月|軍司令部が4ヵ所の慰安所を閉鎖させる。|陸軍省から捕虜調査に来た小田島董大佐の勧告による| |1948年|オランダのバタヴィア臨時軍法会議にかけられる。|12名のうち11名が有罪、うち1名が死刑。| |1990年|対日道義的債務基金(JES)が設立される。|これにより、総額2億5500万円をオランダ人女性に支払い始めた。| |2001年|無事、総額2億5500万円を支払い終わる。|――| *解説 **バタヴィア臨時軍法会議の史料が未公開 バタヴィア臨時軍法会議の史料はオランダ政府の方針により、未公開となっています。連合国の軍法会議は、東京裁判に似て、実にいい加減な裁判が行われた例が多数あります。特に、被告2人に関しては、以下の疑問があります。 -池田省三陸軍大佐はスマランで慰安所が開設された当時、公用のため東京におり、慰安所開設には一切かかわっていないのに、懲役15年の刑を言い渡されている。 -中島四郎陸軍大尉は将校倶楽部の慰安婦の検梅(花柳病すなわち梅毒の検査)の任にあたっていたのですが、大尉の任務は”検査”のみであって、”治療”には一切責任も権限もなかった。しかも、大尉が検査したなかには梅毒患者は一人もいなかった。しかしながら、後にオランダ人慰安婦の中から梅毒が見つかったので、その責を問われて、16年の刑が言い渡されています。この梅毒にかかった慰安婦は、他所で”商売中”に感染した可能性があるのでは。 この事件は、肯定派・否定派双方が事実だと認める事件なのですが、軍法会議の史料が公開されておらず、軍法会議で認められた被害事実の内容に、信憑性・正当性があるかどうかに関しては、史料の公開を待たねばなりません。したがって、史料の公開がなされないうちは、「推定無罪の原則」を適用するのが妥当です。 **軍司令部が慰安所を閉鎖させている。 1944年4月に軍司令部が慰安所を閉鎖させています。ということは、「当初、軍は強制連行そのもの知らなかった」という事になり、「『国家・軍の命令』によって強制連行したわけではない」という事の証明になります。 また、国家・軍の管理責任ですが、「軍慰安所従業婦等募集に関する件」という史料には「『軍の了解がある』と騙し、強制連行する悪質な業者がいるので、それを取り締まれ」と書いてあります。つまり、軍は常に「強制連行を起こさぬように。」と気を配っていた事が分かります。よって、国家・軍による管理責任に不備はなかったのです。 **オランダ軍が軍法会議にかけた事について。 「日本軍が軍法会議にかけるべきだった」と言う人がいます。例えば、平成20年2月に三浦和義(ロス疑惑の)が逮捕されましたね。この事件では「日本人がやった犯罪だから日本が裁くべき」という考え方と、「アメリカの領土内で起こった犯罪だからアメリカが裁くべき」という考え方があります。これを踏まえて考えて見ましょう。白馬事件では、加害者は「日本人」場所は「オランダ(の植民地)」被害者は「オランダ人」でした。被害者の視点から見れば、この事件はオランダで裁かれるのが最適であったはずです。したがって、「日本軍が軍法会議にかけるべき」という意見は間違っています。 しかしながら、連合国の軍法会議は冤罪の例が多くあるので、そういう意味では日本軍が裁くべきであったかもしれません。 **すでに処罰が下っている。 何はともあれ、犯人は処罰され、JESによって、総額2億5500万円ものお金を支払ったのです。むしろ、軍法会議の内容の質によっては、オランダから返還されるべきという事にもなり得るのです。 以上の事から、白馬事件を根拠に「国家・軍による強制連行」を証明することは出来ません。