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仮ページ21 - (2010/03/06 (土) 03:54:30) の編集履歴(バックアップ)


(仮題)全体主義の研究




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ジョージ・オーウェル著『1984年』は、アトリー労働党政権下で産業の国有化が進む1949年のイギリスで出版された未来小説。
当時東欧諸国ではソ連の独裁者スターリンに指揮された政権が次々と共産主義政策を実行し、中国では毛沢東率いる共産党が蒋介石の国民党との内戦に勝利を収めて中華人民共和国を樹立する途上にあった。
青年期に左翼・社会主義思想に強く共鳴したオーウェルは、第二次世界大戦の少し前に勃発したスペイン内戦(1936-39)で、スペイン人民解放戦線に義勇軍として参戦した。
スペイン内戦とは、ソ連やフランスの人民戦線政権(左翼連合政権)の支援を受け、スペイン王室を廃止して発足したスペイン人民戦線政権に対して、モロッコ駐留スペイン軍を掌握するフランコ将軍がドイツ・イタリアの支援を受けて叛旗を翻したもので、左翼(ソ連・フランス)v.s.右翼(ドイツ・イタリア)の国際的な対立を内包した地域戦争である。
フランコ将軍を支援するドイツ空軍がスペインのゲルニカを空襲したことはピカソの絵でよく知られているが、ソ連も多数の義勇軍をスペインに派遣しており、オーウェルは戦場でソ連の将兵達と共に戦いまた生活したのであるが、その時彼は、ソ連の将兵の言動が非常に奇妙であることに気付いた。
彼らは、「自由」という言葉を「隷従」の意味で、また「平和」という言葉を「戦争」という意味で使用していたのだ。
こうして、オーウェルの頭の中に、有名な「ニュースピーク(既存の意味を置換された新言語)」という概念が生まれた。
この概念は、『1984年』の中で、次のように説明されている。

『ニュースピークの諸原理』
ニュースピークはオセアニアの公用語であり、元来、イングソック(Ingsoc)、つまりイギリスの社会主義(English Socialism)の奉じるイデオロギー上の要請に応えるために考案されたものであった。1984年の段階では、話し言葉にせよ書き言葉にせよ、コミュニケーションの手段としてニュースピークだけを使う者は、まだ一人としていなかった。
・・・(中略)・・・
ニュースピークは2050年頃までにはオールドスピーク(即ち我々の言う標準英語)に最終的に取って代わっているだろうと考えられた。
・・・(中略)・・・
ニュースピークの目的はイングソックの信奉者に特有の世界観や心的慣習を表現するための媒体を提供するばかりではなく、イングソック以外の思考様式を不可能にすることでもあった。ひとたびニュースピークが採用され、オールドスピークが忘れ去られてしまえばmそのときこそ、異端の思考-イングソックの諸原理から外れる思考のことである-を、少なくとも思考が言葉に依存している限り、文字通り思考不能にできるはずだ、という思惑が働いていたのである。
・・・(中略)・・・
「自由な/免れた」を意味するfreeという語はニュースピークにもまだ存在していた。しかしそれは「この犬はシラミから自由である/シラミから免れている」とか「その畑は雑草から自由である/雑草を免れている」といった言い方においてのみ使うことができるのである。「政治的に自由な」あるいは「知的に自由な」という古い意味で使うことはできなかった。なぜなら、政治的及び知的自由は、概念としてすらもはや存在せず、それゆえ必然的に名称が無くなったのだ。
・・・(中略)・・・
ニュースピークは思考の範囲を拡大するのではなく縮小するために考案されたのであり、語の選択範囲を最小限まで切り詰めることは、この目的の達成を間接的に促進するものだった。
・・・(中略)・・・
イングソックに有害な思想は言葉を伴わない曖昧な形で心に抱くしかなくて、また、それを名指そうとすれば、様々な邪説全部を一括りにし、それらを明確に定義づけないまま断罪だけする実に雑駁な用語を使うより他ないのだった。
・・・(中略)・・・
1984年段階では、オールドスピークがまだコミュニケーションの通常の媒体だったため、人がニュースピークを使うときにその元々の意味を思い出すかも知れないという危険が理論上存在した。
・・・(中略)・・・
しかし二、三世代も経てば、そのようなふとした過失を犯す可能性すら消失してしまうはずであった。
・・・(中略)・・・
ひとたびニュースピークがオールドスピークに取って代わられると、過去との最後の絆も断たれることになったはずである。歴史は既に書き直されたが、検閲の目をくぐって過去の文献の断片がここかしこに生き残っており、オールドスピークの知識を保持している限り、それらを読むことは可能だった。しかし将来においては、こうした断片がたとえたまたま生き残ったとしても、判読不能で翻訳不能なものになっているだろう。
・・・(中略)・・・
これが現実に意味するところは、およそ1960年(※注:『1984年』の革命の年)より前に書かれた書物は全体を翻訳することが出来ないということである。

こうして、社会主義体制のもたらす非人間的な社会の様相を描くオーウェルの二大小説『動物農場』『1984年』が生まれた。
ここで注意すべきは、オーウェルが、単に共産党支配下にあるソ連や東欧諸国の風刺しているのではなく、特に後に執筆された『1984年』において、共産主義・社会主義の邪悪さを示す見違えようのない膨大な証拠を前にしてもなお、アトリー労働党政権やその支持母体であるイギリス労組、ラスキ教授などの理論的指導者にみられる現実無視の社会主義路線への忠誠であった。まさに当時のイギリスは、『隷従への道』(ハイエク著)を自ら辿っていたのである。




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