反日問題Q&A上級

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反日問題Q&A上級 - (2009/01/08 (木) 15:08:31) の編集履歴(バックアップ)


<上級編>


朝鮮(韓国・北朝鮮)は歴史を歩んできたの?
(答)
朝鮮両国の国定教科書に出てくる、朝鮮半島の最初の国家は紀元前2333年に檀君王倹が建国したとされる檀君朝鮮です。
しかし、この檀君は神話であり、実在しないとされています。日本で例えるなら紀元前660年即位の神武天皇(初代)以前に25代、73代、7代と古代天皇がいたとする「竹内文書」を教科書に載せるような物で、全く荒唐無稽な教科書なのです。
考古学的に証明できる最初の国家は紀元前195年建国の衛氏朝鮮です。信じられない事に、この時から明治43年(1919)の李氏朝鮮滅亡まで、朝鮮はずっと歴代支那皇帝の支配下におかれていました。
支配下といっても、お互い同意の上で、朝鮮も進んで支那に事大したのです。お互いが「中国は世界の中心だ」とする中華思想を信じ、歴代朝鮮王は歴代支那皇帝の元へ行き、三跪九叩頭の礼をして朝貢(貢ぎ物)を持っていったのです。すると、支那皇帝が「そなたが国を治めよ」と、統治者として認めてもらえるのです。「朝鮮」という国号も支那の明から「『朝鮮』か『和寧』かどっちか選べ」と言われて選んだ国号です。
ちなみに、朝貢の中には「女」もいました。要するに「慰安婦」です。
その後、大日本帝国と清国との間に日清戦争が起こり、日本が勝って清と下関条約を結び、この条約により朝鮮は清から独立して「大韓帝国」となりました。でも実際には中華思想自体はなくなりませんでした。
そして、大韓帝国最大の政治団体「一進会(イルチンフエ)」が「韓日合邦建議書」という文書を韓国統監府(後の朝鮮総督府)へ送り、それが後の韓国併合へつながったわけです。
その後、大日本帝国が大東亜戦争に敗戦すると、朝鮮人たちは自分たちを「戦勝国」と名乗り、戦後の混乱期に騒乱・衝突を起こしました。
そして、朝鮮戦争が起こり20万~40万人が戦火を逃れて日本へやってきました。やがて38度線で休戦協定が結ばれて、現在に至るわけです。


東京裁判って何?
(答)
極東国際軍事裁判。通称東京裁判。ポツダム宣言に基づくものです。
A級戦犯28名が裁判にかけられました。よく勘違いされるのはA級・B級・C級というのは、「罪の重さ」ではなく、ただの「区分分け」だということです。
A級とは「平和に対する罪」「人道に対する罪」を犯した者につけられた区分項目です。しかし、開戦当時にこのような罪は国際法に存在しませんでした。
近代司法制度において「過去の行為を今から法律を作って裁く」というのは「法の不遡及」あるいは「事後法」と言って、絶対にやってはならないことなのです。
裁判官は11ヵ国から11名が出席しました。すべてが戦勝国側から構成されています。裁判と言うのは公正な場ですから、日本側の裁判官も必要だったはずとしてとして議論されています。
この裁判官の中にインドからパールという判事が出席していて、このパール判事は被告人全員無罪を下しました。その理由は先ほどの「法の不遡及」による理由です。この事は日本の戦後教育において一切教育されてきませんでした。
7名が死刑判決をうけ、その死亡したA級戦犯14名が昭和53年(1978)に靖國神社に合祀されました。
東京裁判に対する日本政府の見解は「サンフランシスコ講和条約により、東京裁判を受諾しているから、異議を述べる立場にない。」としていますが、この講和条約11条の受諾のというのは「東京裁判」ではなく「諸判決」を受諾したものです。
サンフランシスコ講和条約第11条の英語版を見ると、「accepts the judgments」と書いてあります。司法用語で裁判は「trial」、判決は「judgment」と翻訳するのが普通です。そしてjudgmentに複数形「s」がついているので「諸判決」と訳すのですが、なぜか「裁判」と誤訳されています。そのへんの詳細は、小林よしのり 著『ゴーマニズム宣言SPECIAL いわゆるA級戦犯』(幻冬舎 刊)をお読みください。


GHQって何?GHQがしたことって何?
(答)
GHQがやった事で最も悪質なのはWGIP(ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム)です。
日本人に戦争への嫌悪感を植えつける洗脳プログラムをやったのです。
さらに、日本国憲法を作ったのもGHQ(マッカーサー草案)です。憲法を簡単に改正させないように改正手続きの規則を厳しく定めた憲法を「硬性憲法」と言います。憲法9条のような条文を押し付け、硬性憲法にすることによって、二度と軍隊を持てないようにしたのだと思われます。
ちなみに、日本国憲法への改正は大日本帝国憲法第75条に違反しており、日本国憲法は平成19年現在でも無効状態であるという見解があります。これについては渡部昇一・南出喜久治 著『日本国憲法無効宣言』(ビジネス社 刊)をお読みください。


何で日本は大東亜戦争(太平洋戦争)を起こしたの?
(答)
ものすごく大まかに言えば、欧米列強の植民地にならぬための自衛が理由です。
当時の世界は覇権と覇権が衝突する帝国主義の時代、帝国になるか植民地になるかの二者択一の時代でした。
開戦までの詳しい流れについては大東亜戦争への経緯をご覧ください。


太平洋戦争と大東亜戦争という、二つの呼び方があるのはなぜ?
(答)
連合国側はあの戦争の正式名称を「第二次世界大戦太平洋戦線」とし、「太平洋戦争」という呼称も併用していました。
大日本帝国では「大東亜戦争」が正式名称でした。
GHQ占領後すぐは保守派も革新派も太平洋戦争と言っていました。平成になると保守派は大東亜戦争、革新派は太平洋戦争と呼称する場合が多くなりました。


政治思想や経済思想などの区分けで、○○主義とか○○イズムとか○○派という言葉がたくさん出てきて分かりません。

(答)

政治思想の基本的な二分法

保守主義(Conservativism) 人間の理性の可能性は有限であるから、それをむやみに過信せずに、祖先が幾世代にも渡って培ってきた伝統を重んじるべしという思想。
進歩主義(Progressivism) 人間の理性の可能性は無限であるから、みんながそれを正しく活用すれば、人間社会が桃源郷になるという思想。革新ともいう。

経済思想の基本的な二分法

資本主義(Captalism) 資本家が労働者から労働力を買い取って物を作るべき
社会主義(Socialism) 国家が国民の働き方を全て管理して物を作るべき

善い行動をするためにはどうすればよいのか

保守主義(Conservatism) 伝統的価値観を重んじるべし
共同体主義(Communitarianism) 何が善いかというのは属している集団によって形成される
原理主義(Fundamentalism) 聖典に書いてあることに忠実に従うべし
自由主義(Liberalism) 人に迷惑をかけない限り何をしても善いものとすべし
功利主義(Utilitarianism) 最大多数の最大幸福をもって善とすべし

望ましい政治のあり方

民主制(Democrasy) 民(たみ)が権力をもつべし
貴族制(Aristocracy) 貴族が権力をもつべし
神権制(Theocracy) 神(もしくは神に選ばれし者)が権力を持つべし

平等のあり方

機会の平等 どんな貧乏人でも努力すれば金持ちに登りつめることができるよう、国家がその機会を保障すべきという思想
結果の平等 誰もが平等になるように、金持ちから税金を取って貧乏人にまわすべきという思想


日本に民主主義をもたらしたのはアメリカですか?
(答)
これは違います。
明治元年3月14日に明治天皇が示された政府の基本方針『御誓文』(通称 五箇条の御誓文)が、日本の民主主義の原点です。
この『御誓文』の最初の条項は「広く会議を興し、万機公論に決すべし。」です。
まさに民主制(Democracy)を簡潔に表現した文ではないでしょうか。
この条項を根拠に自由民権運動の運動家たちが政府に対して議会を創設するように求めました。自由民権運動は同時に、言論の自由、集会の自由も求めました。
そして、大正デモクラシー。吉野作造が民本主義を提唱し普通選挙制度が、美濃部達吉は天皇機関説を提唱し政党政治制が、それぞれ支持されました。
東洋史研究家のエドウィン=オールドファザー=ライシャワーは、この大正デモクラシーについて、「戦後民主主義を形成する遺産として、大きな意味を持った。」と指摘しています。


保守思想について教えてください。また、保守派と革新派の思想の違いを教えてください。
(答)
保守というのは、むやみに権力を擁護したり、伝統を守るわけではありません。
「特定のシステムに関して年月・環境に関係なく望ましいあり方が維持される様に努める」
これが保守です。「保守なのに改憲?」なのは、そこに理由があります。

保守派と革新派の違いとは何でしょうか。
革新派は、人間の「理性」を信じています。「理性さえ信じていれば、文明はどこまでも良くなる。」
と革新派は思っています。例えば、非武装平和主義の根底には理性信仰があります。
「非武装地帯へ攻撃するのは、理性が許さない。理性が働けば非武装でも攻撃されない」
と思っているのです。彼らにとって、理性が倫理なのです。
しかし、理性は感情を完全に押し殺せるでしょうか。そんな事はありません。

一方、保守派は「慣習」を信じています。
倫理には明確な基準がありません。「人殺しはなぜいけないの?」と言われても、
「痛くて苦しいからだよ」「なぜ痛くて苦しいとだめなの?」などと、疑問は堂々巡りになってゆきます。
じゃあ、どうやって倫理の基準を決めればいいのでしょうか。それは過去を見る事です。
この地球上に人殺しは何千回とあったことでしょう。「やって良かったなあ」と思える人殺しなんてあったでしょうか。
「凶悪犯罪者を死刑にする」のも一つの人殺しですが、これには効用があります。
しかし、憎しみ・妬み・復讐の殺人、あるいは快楽殺人に効用はあるでしょうか。ありません。
じゃあ、これからは殺人は罪になるという事にしようと先人たちは考えた。これが「慣習」です。
したがって、「保守派は戦前を反省していない」という主張はおかしいのです。
もう二度と韓国併合なんてうんざりなのです。なぜなら、大赤字だったからです。

日本には武士道や江戸しぐさ、あるいは教育勅語という「慣習」があります。
これは日本人の先人たちが生み出した倫理であり、日本と言うシステムにとって望ましい倫理のあり方だと思います。
同様に、外国には外国の倫理がそれぞれあり、それはその国にとって望ましい倫理のあり方だと思います。
だから、「郷に入っては郷に従え」は正しいのです。

革新派は「理性」を倫理の基準にした未来社会を桃源郷(ユートピア)とし、それを目指して活動しています。
したがって、ソ連の大粛清、支那の文化大革命も、桃源郷を実現するための、
彼らなりの「理性」に基づいた行為だったのです。
彼らにとって過去とは、理性が働いていない時代であり、最低の社会で、参考にならないのものです。
宗教にたとえれば、未来が神で理性が聖典の様なものです。
「未来」という名の神の世界へ行くためには、「理性」という聖典を、「現在」の社会で体現しなくてはならない。
それが、革新派の根本原理なのです。正義感が強い程、そういった思考にはまってゆくのです。

ある特定の過去の出来事が、当時の人々にとって善だったか悪か判断する場合は、
その当時の倫理観で裁くべきであると思います。
現在の倫理観で過去を裁くと、新しい倫理観の創造によって、過去を如何様にも裁けてしまうからです。
例えば、今は侵略戦争など言語道断とされていますが、あの戦争当時の世界は、侵略してこそ先進国だったのです。
欧米列強は東アジアを植民地にし、搾取搾取の厳しい植民地経営を行っていました。
それは、当時の東アジアの人の倫理観でも良くないことだったでしょう。
でも、欧米列強の倫理観ではそれは善だったのです。

一方、日本は東アジアを確かに侵略しました。でも、少なくとも欧米列強の植民地経営よりははるかに質の良いものであり、
あらゆる制度において近代化を促した功績があるのです。
これは、当時の日本の倫理観、当時の東アジアの倫理観の双方にとって善だったはずです。

しかし、今になって振り返れば、いくら近代化を促したとしても、それはその地にすむ民族が自分でやるのが
本来のあるべき姿であった。したがって、侵略はいかなる目的でも良くない。
大東亜戦争で日本が残した功績はそういう「慣習」を欧米列強に作った事です。
結果的には東アジアに近代化と独立を促し、欧米列強の植民地主義を終わらせた。
今の倫理観では、「いかなる理由でも侵略はしてはならない」とされていますが、
当時の倫理観では、大東亜戦争は悪ではないのです。