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蒲原郡上條組 - (2020/10/22 (木) 21:55:09) の編集履歴(バックアップ)
村里大抵山間に住し、田圃少なく米穀乏し。専ら山中の草木を焼き雑穀の種子を撒いて食料とす。ただ野中村・高清水村・大田村の辺平野にて田畝あり。
薪樵の便よく、室谷川・柴倉川の流れ有て釣漁の利あれども、川に近き村々は洪水の患あり。室谷川に傍ふ所は多く鮎を捕て鬻ぎ出す。
地勢、山高く谷深く縦横に通路ならず。九島村より野中・小出・東山の諸村を歴て土井・柴倉の2村に出るを俗に東通と唱え、太田村より粟瀬・明谷沢・安用・押手等の村々を通り大尾村に至るを中通という。太田村より八田蟹村に至り橡堀・広瀬の村々を過ぎ室谷川に沿い南して室谷村に往くを西川通と名け、3条の路あり。みな嶮難にて西川通少しく平易なり。
寒早く暑遅く雪深くして、農務の候広平の諸村に比すれば10日余或は20日計の差あり。
また深山の諸村にて熊を捕るに、雪中大木のウロに篭れるは陀の木を伐てその口を塞ぎウロの脇を斧にて伐ひらき鎗にて突殺す。岩穴に篭れば、その口の左右に鎗を持ち外に一人蓑を着て穴中に入り漸々に熊にせまる。熊飛出るとき左右にある者これを突き、若し過ぎては身体を毀すこと多し。また阱を作り木石を圧してとることあり。土俗これを「おそ」と唱ふ。また巻山とて数人にて山下より追い登せ狩人よきつまりに待受け、鋒長く柄短き鑓にて迎えて突殺し或は鉄鉋にてうち殺す。都て熊をとること諸組の皆同じ。
年により猿多く田圃を害する故、猿巻とてその篭れる山を遠巻してこれを狩る。その皮を着て寒威をふせぐ。また羚羊を取て皮を鬻ぐ。
農隙に塩俵を作り津川町に出し、炭を焼き材木を伐り筏を下し、また紫萁を採り乾てこれを売り、勝栗・串柿を製し紙を漉き、葛根を掘て粉となし生産を資く。
この組の諸村郷名を失う。共に小川荘と称す。
総て30ヶ村あり。
- 上條組 上 14ヶ村
- 上條組 下 16ヶ村
- 室谷村
- 八田蟹村
- 漆沢村
- 小手茂村
- 黒谷村
- 相高島村
- 明谷沢村
- 粟瀬村
- 安用村
- 押手村
- 大尾村
- 柴倉村
- 土井村
- 東山村
- 小出村
- 石畠村