大沼郡高田組境野村

陸奥国 大沼郡 高田組 境野(さかひの)
大日本地誌大系第33巻 19コマ目

この村昔は石坂とて6町計南にあり。何れの頃にか今の地に移せり。
この地の字を境野といいし(ゆえ)村名とす。

府城の西に当り行程2里9町。
家数68軒、東西2町17間・南北4町11間、下野街道に住す。
四方田圃(たんぼ)なり。

東27間佐布川村の界に至る。その村は巳(南南東)に当り10町20間。
西6町4間雀林村の界に至る。その村まで18町50間余。
南6町20間高田村の界に至る。その村まで17町余。
北7町32間沖中田村の界に至る。その村は亥(北北西)に当り18町。
また
戌(西北西)の方8町40間檜目村に隣りその村際を界とす。
申(西南西)の方6町30間寺崎村の界に至る。その村まで10町50間。

端村

二軒界野(にけんさかひの)

本村より2町余辰(東南東)の方にあり。
家数27軒、東西1町41間・南北52間、四方田畠なり。

出新田(でしんでん)

本村の北2町余にあり。
家数6軒、東西25間・南北1町58間。
ここより20間巳(南南東)の方に1区あり。
家数6軒、東西36間・南北1町16間。
共に四方田圃なり。

山川

宮川

端村出新田の東2町30間余にあり。
会津郡中荒井組宮袋村の境内より来り、北に流るること4町30間余檜目村の界に入る。

赤沢川

村西6町にあり。
寺崎村の境内より来り、北に流るること8町余檜目村の界に入る。

水利

牛沢堰

村より3町余丑(北北東)の方にて宮川を引き檜目村の方に注ぐ。

神社

熊野宮

祭神 熊野宮?
相殿 天王神
   伊勢宮
   稲荷神
   幸神
勧請 不明
村の辰巳(南東)の方3町にあり。
鳥居あり。高田村渡邊伊予が司なり。

御舘神社

祭神 不明
鎮座 不明
村北にあり。
祭神及び鎮座の年月詳ならず。
鳥居あり。渡部伊予これを司る。

寺院

天宗寺

村中にあり。
平傳山と號す。
永禄元年(1558年)河原田豊前某という者草創し、永井野組松沢村松沢寺3世の僧三室が弟子誾恱を請いて住持とし、1町の田地を寄付せしという。今に松沢寺の末山曹洞宗なり。
本尊地蔵客殿に安ず。

光正寺

村中にあり。
この地昔3間四面の弥陀堂あり。荒廃して修理する者なかりしに、天正13年(1585年)下総国より教傳という僧来り村民等と力を(あわ)せて一宇の梵利を造立し、即弥陀を安置し境立山光正寺と號す。
浄土宗府下五之町高巖寺の末山なり。
本尊弥陀客殿に安ず。恵心作という。長9寸。

古蹟

館跡

村中にあり。
今は民居となりその形なし。
河原田豊前居りしという。
舊事雑考に豊前はもと松本氏の郎等なりしが、後伊達政宗に属せりという。



古地図

※地理院地図(大正2年測図/昭和6年修正測図/同8年鉄道補入)
最終更新:2025年06月30日 20:19
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