会津郡南青木組一堰村

陸奥国 会津郡 南青木組 一堰(いちのせき)
大日本地誌大系第31巻 79コマ目

この村旧一関に作る。相伝う。昔は街道にてここに関をすえ置きし(ゆえ)の名なりとぞ(一説に鎌倉街道という)。寛文中今の文字とす。

府城の南に当り行程1里12町余。
家数57軒、東西2町14間・南北5町33間。
四方田圃(たんぼ)なり。

東3町47間堤沢村の界に至る。その村まで9町20間余。
西7町20間大沼郡橋爪組本郷村の界に至る。その村は申(西南西)に当り30町計。
南6町20間花坂村の界に至る。その村まで8町50間余。
北2町22間徳久村の界に至る。その村まで7町50間余。
また丑(北北東)の方5町3間中野村の界に至る。その村まで13町余。
寅(東北東)の方4町59間御山村の界に至る。その村まで11町20間余。
亥(北北西)の方7町35間飯寺村の界に至る。その村まで17町10間余。

端村

本羽黒(もとはぐろ)

本村より辰巳(南東)の方5町にあり。
家数7軒、東西58間・南北1町7間。
東は面川村の端村本羽黒に続き1村の如く。
三方田圃(たんぼ)なり(舊事雑考飯田島(いひたしま)はこの地の旧名なるべしとあり。本郷村羽黒神社の条下を併せ見るべし)。

山川

鶴沼川

俗にこの村より下流を大川という。
村西4町にあり。
花坂村の境内より来り、北に流るること15町40間、飯寺村の界に入る。

水利

門田堰

花坂村の方より来り、田地の養水となり徳久村の方に注ぐ。

松堰

花坂村の方より来り、田地に灌ぎ徳久村の方に注ぐ。

神社

羽黒神社

祭神 羽黒神?
相殿 稲荷神 12座
   伊勢宮 2座
   宗像神
   湯泉神
   雷神
   日月神
   山王神
鎮座 不明
端村本羽黒にあり。
鳥居あり。

神職 天川信濃

府下東黒川蚕養宮村に住す。
天明4年(1784年)蚕養国神社神職佐瀬大隅が譲をうけ神職となる。

磐椅神社

祭神 大山祗命 「祗」となっている
鎮座 不明
村中にあり。
鳥居幣殿拝殿あり。

末社 八幡宮

本社の東に並ぶ

別当 常蔵院

本山派の修験なり。
開山を達運という。現住元譽は12世の孫なりという。

寺院

光明寺

村中にあり。
天台宗壽栄山と號す。郭内延壽寺の門徒なり。
縁起に拠るにこの地に旧阿弥陀堂あり、至徳中(1384年~1387年)亮珍という僧弥陀の霊夢を蒙り1寺を造営し、天文中(1532年~1555年)尊慶という僧再興すという。
本尊弥陀客殿に安ず。

地蔵堂

客殿の前にあり。

大坊墓

客殿の南に五輪1基あり。
無為真という僧の墓なりという。
この僧もと本村に住して(今太子屋敷という農民の家あり)太子守宗なり。親鸞越後より帰洛の時この家に宿せり。無為真深く親鸞に帰依して改て浄土真宗となりしといい伝う(府下石塚の条下を併せ見るべし)。
また府下千石町專福寺に伝わるところ少しく異なり。

地蔵堂

村南4町にあり。
草創の年月詳ならず。
六地蔵を安ず。長各5尺余。
俗に萩原地蔵という。昔この邊萩多かりし(ゆえ)名けしとぞ。
六地蔵の名を記せし額あり。何人の書にかさだかならざれども土人は嵯峨天皇の勅額なりという。筆跡凡ならず。
御山村照谷寺これを司る。

古蹟

館跡

村中にあり。
本丸跡、東西17間・南北16間。
二丸跡、東西21間・南北17間。
土居(ほり)の形存す。
何人の住せしか詳ならず。